帝国騎士団の活動範囲は帝都周辺だけではない。当然だが、帝国領全土が帝国騎士団の活動範囲だ。常に何らかの活動を行っているわけではない。治安維持活動などは領地を治める貴族家の騎士団が、その役割を担っている。帝国騎士団は他国による侵攻や貴族家の反乱鎮圧、貴族家の騎士団では対処出来ない事態が起こった時に活動を行うことになっている。
地方駐留の帝国騎士団は八方面軍。それぞれ兵士も合わせて一万という規模、だったのはかなり昔の話。帝国が絶対的な力を持ったことで他国からの侵略に対する不安は薄れ、国内で反乱を起こすような勢力もいなくなった。方面軍はその出番がほとんどなくなり、その結果、規模を縮小。ここまではまだ平和の証ということで良かったのだが、今現在は帝国の財政難により、さらに規模は縮小どころか解散した方面軍まである。帝国騎士団は地方で活動する力を失っているのだ。それが結果として反抗勢力の拡大を許すことになっている。
では、また方面軍を再編成する、というわけにも簡単にはいかない。予算不足はもちろん、それがなくても人員不足は深刻で方面軍を再編する余力は、今の帝国騎士団にはないのだ。
「これは殿下。どうされました?」
ワイズマン帝国騎士団長の執務室にやってきたのは、第二皇子のトゥレイス。皇家の人間が執務室を訪れることなど、ワイズマンが帝国騎士団長に就いてから初めてだ。
「また方面軍を解散すると聞いた。何故だ?」
トゥレイス第二皇子が執務室を訪れたのは帝国騎士団方面軍が、完全に解散することになったと聞いたから。それでも帝国騎士団の要職に就いていないトゥレイス第二皇子が、わざわざ事情を聞きに来るのは通常のことではない。
「その件ですか……皇太子殿下からのお話ですか?」
「ああ、そうだ。兄上から聞いた。ただ私には理解出来ない。今の状況で何故、地方から帝国騎士団を引き上げる?」
地方では反抗勢力がその力を増している。それを許さない為に、本来は方面軍を強化すべきなのだ。
「私の口からお話しすべきではないのですが……」
軍事に関する情報は機密扱い。帝国における、皇子という立場以外、役職を持たないトゥレイス第二皇子に教えるべきではない。
「分かっている。だから兄上も詳しい話をしてくれなかった」
「それであれば、私がお話出来ることもありません」
「堅苦しいことを言うな。それに私はもうすぐ帝国騎士団で働くことになる。もちろん、一従士から始めるわけではない」
だからといって帝国騎士団長の上位者になるわけでもない。帝国騎士団組織において団長の上にいるのは皇帝陛下のみ。帝国騎士団長は皇帝陛下以外の命令で動くことはない。帝国の重臣たちが決めたことでも勅令を発する手続きが必ず必要なのだ。
「……でしたら、その時になれば分かります」
トゥレイス第二皇子の言葉は脅し。ここで自分の言うことを聞かないと後で困ることになる、と言ってるのだとワイズマン帝国騎士団長は理解した。理解した上で説明を拒否した。
「帝国騎士団長。その生真面目さが、後々、帝国に災いをもたらすことにならないか私は不安だ」
「帝国に災いをもたらすなど……災いを払うことが私の役目です」
「本当にそうか? 災いを守っているのではないか?」
「殿下、そのお言葉は……」
トゥレイス第二皇子は帝国の災いは現皇帝陛下だと言っているとワイズマン帝国騎士団長は考えた。第二皇子であっても、息子であっても、許される発言ではない。皇帝が許してもルイミラ第三夫人に失言を悪用されるかもしれない。
「心配するな。この程度のことは、いつも口にしている。陛下の耳にも届いているだろう」
遠慮のない、時と場合によっては空気を読まないとも表現される、発言はいつものこと。ただこれが、トゥレイス第二皇子が一部の臣下たちから期待を集める要因になっている。次期皇帝に相応しいと思われ、実際にその資格を得たのは、フォルナシス皇太子なのだが、彼は皇帝陛下の悪政に対して何も言わない。それを物足りなく思う臣下もいるのだ。
「……今の方面軍に反抗勢力を討つ力はありません」
ワイズマン帝国騎士団長も、トゥレイス第二皇子を次期皇帝に推すような真似はしないが、皇太子に物足りなさを感じている一人だ。
「それは分かっている。そうであれば討つ力を与えるべきではないのか?」
「その力が間違いなく帝国の為に使われるのであれば、そうします。予算が与えられればという条件がありますが」
「それは……そうか……そこまでか」
ワイズマン帝国騎士団長が懸念しているのは、帝国騎士団方面軍が反抗勢力に寝返ること。もしくは反抗勢力のひとつとして立ち上がること。
地方はそれを考えなくてはならないほど、帝国にとって、酷い状況になっている。それをトゥレイス第二皇子は知った。
「私の力不足です。申し訳ございません」
「いや……悪いのが誰かは分かっている。地方を諦めることになるのか?」
帝国騎士団は帝都に集結する。それは地方を反抗勢力に渡すことを意味する。アークトゥルス帝国の支配地域は帝都周辺だけということになってしまう。
「それを決めるのは私ではありません。ただ……」
「ただ? ここまで話して、途中で止めるな」
「ただ、戦略のひとつとしては、それはあり得ます。今の帝国騎士団に多方面作戦を遂行する力はありません。無理してそれを行えば、口にしたくありませんが……負けます」
どこかひとつに向き合えば手薄になった帝都を他勢力に襲われるかもしれない。だからといって各地に存在する反抗勢力と同時に戦うことも出来ない。戦力の分散を招き、討伐するどころか負けてしまうことになる。結果、帝都を守る戦力を失ってしまう。
「負けるか……」
「今は、です。この先、反抗勢力はさらに力を増すことなるでしょうが、帝国騎士団も現状のままでいるつもりはありません。方面軍を解散するのは帝都に戻して鍛え直し、地方遠征軍を再編成する為でもあります」
方面軍の解散は力を蓄える為の一時的な撤退。最終的に戦いに勝利する為だとワイズマン帝国騎士団長は考えている。帝国滅亡を座して待つつもりなど微塵もない。勝利を諦めてはいないのだ。
「再編成か……そうだな。それは必要だ」
再編成が必要なのは帝国騎士団だけではない。帝国そのものが戦いに向けて変わらなければならない。前から思っていたことだが、トゥレイス第二皇子は改めてその思いを強くした。
「正直、我々には時間が必要です。若く優秀な人材が一人前に育つ時間が」
「時間は敵をも利する」
「その通りです。ですが、その敵の勢力拡大を上回る力を得られるのであれば、やはり少しでも先延ばしにしたいと思います」
実際にどうなるかは分からない。だが可能性を感じる人材はいる。もちろん、その彼らが味方であってくれればの話だが。
「……アネモイ四家の子弟たちはそれほど優秀なのか?」
ワイズマン帝国騎士団長の話を聞いて、トゥレイス第二皇子の頭に浮かんだのはアネモイ四家の子弟たち。四家の子が同時に騎士養成学校に入学したことは、トゥレイス第二皇子も知っているのだ。
「才能は感じます。そして彼ら以外にも期待される騎士候補生がいます」
「なるほど。今年の新入生は豊作なのだな。その彼らが一人前に育つまで……卒業まででもまだ二年以上ある。特別なことをしないと間に合いそうもないな」
卒業しても一人前ではない。帝国騎士団でいえば従士になるだけ。そこからさらに鍛えて騎士に昇格するまで、最短でも三年。将となるにはそれから何年かかるのか。そこまでの時間は、間違いなく、ない。
「分かっております」
通常のやり方では間に合わない。それはワイズマン帝国騎士団長も分かっている。ではどうするか。それをずっと悩んでいた。今の代だけ特別な授業を行う。そんな真似が許されるのかと思っていた。
だがこれまでのやり方では間に合わない。別に騎士候補生だけの話ではない。帝国騎士団の従士たちも鍛え方を変えなければならない。
トゥレイス第二皇子と話して、ワイズマン帝国騎士団長は覚悟を決めた。全ては帝国を守る為。帝国騎士団長として、何よりも優先すべきことはそれなのだと。
◆◆◆
ローレルは第三夫人ルイミラから久しぶりの呼び出しを受けた。彼女に会うのはこれで三度目だが、慣れることはない。これまで同様かそれ以上に緊張で心も体も強張っている。ルイミラから命じられた魔書の捜索はまったく進んでいない、というより、もう見つからないと諦めている。ルイミラが疑っているであろうリルの持ち物は少ない。旅をしていた頃から、服が少し増えたくらいで、あとは変わっていないのだ。一度探して見つからなかったことで、無いものとローレルは考えている。
その結果が自分自身にどのような災いを招くことになるのか。命令を果たせなかったのだ。普通は罰せられる。ただルイミラの場合、その罰し方が普通ではない。さすがに死罪はないにしても帝都追放くらいはあり得る。気に入らないというだけで前宰相は役職を解かれ、帝都から追われたのだ。
「入れ。一応伝えておくと、今日もルイミラ様お一人だ」
「……はい」
また同じ案内人、同じような台詞。悪人とまでは言わないが、なんとなく嫌味を感じさせる相手だ。
「入ります」
自分に気合いを入れる意味で、「入ります」と声を出して、扉を開けるローレル。前回と同じ部屋。同じ場所にルイミラは座っていた。
「入りなさい」
「はっ」
部屋に足を踏み入れる。俯いた姿勢のまま、さらに前に進み出るローレル。
「もう良いわ」
「えっ?」
「そのような礼儀はもう良いと言っているの。顔をあげて入って来なさい。これ以後、それを許すわ」
「……はい」
ルイミラは「これ以後」と言った。それはまたこうして会う機会があることを示している。沈んでいた気持ちが、さらに深く沈んでいく。
「さて、報告して」
「……本は見つかっておりません。恐らく、この先も見つからないと思います」
「ずいぶん早く結論を出すのですね?」
予想通り、不満そうな顔。だがこうなることは分かっていた。怒りを向けられなかっただけマシだとローレルは思っている。
「探せる場所は全て探したつもりです」
「……本当に?」
「嘘はつきません。あっ……その……屋敷全てを探したわけではありません。全ては訂正いたします。ただ私が探せる場所で、あるかもしれない場所は探したつもりでおります」
父であるイザール侯の部屋、兄たちの部屋もだが、ローレルには探せない。今よりももっと幼い頃であれば部屋に入ることは出来たが、今は家族でも自由に出入り出来ない。許されても本人がいる前で探すわけにはいかない。
だが探す必要はないのだ。ルイミラが疑っているのはリルなのだから。
「……近頃、私設騎士団と関わっているようですね?」
「は、はい」
「どうしてですか? その私設騎士団と何か関係があるのですか?」
「護衛を頼みました」
イアールンヴィズ騎士団との関りを尋ねられることは予想していた。ガラクシアス騎士団に命じて殴り込みをかけさせたのはルイミラではないかと疑っているくらいだ。
「どうしてその騎士団を選んだのです?」
「特に理由はありませんが、あえて挙げるのであれば、こまかな事情を聞かずに引き受けてくれる騎士団で名を知っているのがそこだったということです」
この理由も考えてきた。リルとハティの関係を隠す為だ。もし万が一、リルが魔書に関わっているとすれば、ハティもそうかもしれない。二人が魔書を盗んだ可能性は年齢からあり得ないが、犯人の関係者である可能性はあり得るのだ。
「その事情というのは?」
「襲ってくるのが、かなり厄介な相手である可能性です。私自身、誰なのか、そもそも襲われるのかも分かっておりませんので、説明出来ません」
自分とプリムローズが誰に狙われているのかは分からない。プリムローズに関しては、リルは身内を疑っているようだが、ローレルは勘違いであって欲しいと考えている。
「……貴方が襲われることはないのでは? 不安を覚える事情は私も分かっています。ですが、イザール侯爵家の貴方を襲うかしら?」
ルイミラにローレルを排除する理由はない。逆に、今はだが、必要としている。そうである以上、彼女に睨まれたくない佞臣たちはローレルに手を出さない。ルイミラはこう思っている。
ではルイミラの存在を良く思わない勢力はどうか。彼女の皇帝に対する影響力を薄れされることが出来る、誤解だが、ローレルを重用することはあっても排除しようなんて考えないはずだ。ましてローレルは、その勢力の有力者であるイザール侯爵家の人間なのだ。
「……妹の護衛でもあります」
「妹?」
「実は以前、誘拐されそうになったことが……」
これは話すべきではないことか。悩みながらもローレルは正直に事実を伝えた。
「誘拐ですって!?」
「えっ?」
その反応は驚きだった。威圧感はあるが静かに話すルイミラが、プリムローズの誘拐事件では大声を出した。ローレルにはその理由が分からない。
「……無事で良かったですね?」
ルイミラ自身も自分の反応に戸惑った様子だ。一息吐いて、また元の声量でローレルに問いかけてきた。
「……偶然居合わせたリルが助けてくれました。彼が仕えてくれることになったきっかけとなった事件です」
「そう……彼が……彼は強いの?」
「はい。リルはとても強いです」
これについては返事を躊躇う理由はない。リルは強い。自分の憧れだ。自慢でもある。
「そうですか……次は彼も連れてきなさい。色々と話を聞いてみたいわ」
「……はい」
リルをこの場に同席させないのは、わざと。彼女に会わせるべきではないと考えて、一人で来たのだ。リルを疑う、彼と話をしたいというルイミラの思惑はどこにあるのか。ローレルはまだ、それが分かっていない。