帝都でいかにも帝国の中心都市と思える賑わいがあるのは、内壁の内側まで。内壁の外から外壁の間は、公式には帝都となっているが、山あり谷あり、森もあり、深い川も流れていたりと、都市とは呼べない風景が広がっている。かろうじてアネモイ四家の城がある場所が衛星都市としての機能を、極一部であるが、担っており、それなりに人が暮らしていて、商人の出入りもあるが、それも帝都内壁内の賑わいとは比較にならない。帝都の発展、拡大がある時点で止まってしまったことがその理由だ。
帝国が大きくなれば帝都一極集中では、色々と不都合が生じる。他国との交易などは国境に近い地方都市に市場を開かざるを得なくなり、交易の富は、もちろん税として帝国にも徴集されるが、その街に落ちることになる。国内の商業も、物流の効率化を図る為に、各地域に交易の中心都市が生まれるようになり、市場が活況になれば、その都市が富んでいく。
そして富が生まれるところには不正も蔓延る。商業都市を任されている貴族、帝国から派遣された役人。そういった権限を持つ者たちが私腹を肥やす為にその力を行使すれば、商人たちも、嫌でも、賄賂など不正を行うしかなくなる。帝国腐敗は、地方の商業都市から始まったのだ。
今の彼らには関係ないことだが。
「……そろそろ接触するはずだ。気を付けろ」
「「「はっ」」」
深い森の中をシュライクは部隊を率いて進んでいる。もうそろそろ敵部隊と接触してもおかしくない距離であることは分かっている。だが視界は葉が生い茂る草木に阻まれて、良くない。シュライクの部隊の人たちは、小さな動きも見逃すまいと目を凝らしている。
「やぁあああああっ!!」
「なっ!?」
突然、耳に届いた声。女性の声であることはすぐにシュライクにも分かった。振り下ろされてきた剣を自らの剣で防ぐ。その瞬間、相手は大きく後ろに跳んで、間合いをとった。
「プリムローズ様……」
襲ってきたのはプリムローズだ。それは声を聞いた瞬間に分かっていた。この訓練に参加している女性はプリムローズしかいないのだ。
「いやぁあああああっ!!」
また可愛らしい雄たけびをあげて、プリムローズが攻撃を仕掛けてくる。素早い動き。だがその剣を防ぐことはシュライクにとって難しいことではない。
また剣、といっても木剣だが、と剣が打ち合う音が響く。
「プリムローズ様。お引きください」
「…………」
「失礼ですが、貴女では俺には勝てません」
プリムローズも鍛錬を続け、かなり力をつけてきた。だがまだ基礎体力の差を埋めきれるほどの技量はない。シュライクには、まず勝てない。
「そういう台詞はプリムローズ様に一太刀でも当ててから言ってください」
「……リル」
現れたのはリル。強敵の登場にシュライクの体は強張ってしまう。一緒に訓練を行うようになってシュライクは、リルの強さを思い知らされているのだ。
「ということで、二人とも頑張って」
「待て!」
先に進もうとするリルを追いかけようとしたシュライク。
「やぁあああああっ!!」
だがプリムローズがそれを許さない。また雄たけびをあげて、攻撃を仕掛けてきた。不意打ちに、わずかに乱れたシュライクの動き。だが、なんとか彼女の剣を受け止めた。
「リルを止めろ! 先に進ませるな!」
自分が追いかけていては間に合わない。そう考えてシュライクは仲間たちに指示を出す。
「俺に任せろ!」
それに応える声はハティのものだ。
「ハティ! 皆、ハティを支援しろ!」
ハティ一人ではリルは止められない。二人に実力差を知っているシュライクはそう判断し、他の仲間に支援を命じた。
「余計なことを言うな! 俺一人で十分だ!」
「強がるな! 確実にリルを止める為だ!」
「馬鹿、違う! これは罠だ!」
「……罠?」
ハティは自分の欲求を満たす為に一人でリルと戦おうとしている。そう考えたシュライクだが、ハティはそれを否定してきた。ただ「罠」の意味がシュライクには分からない。
「馬鹿野郎ども! 右に偏りすぎだ! 二人は囮だ! こっちに来るな!」
「……しまった!」
ハティの言葉の意味。シュライクは「罠」の意味が分かった。リルに釣られて味方は右側、シュライクたちがいる側に集まってしまっている。そうなれば当然、反対の左側は手薄になる。
「敵だ!」
先のほうから聞こえてきた声が、その考えを裏付けた。シュライクたちの部隊の左翼に敵が攻め込んできたのだ。
「数が多い! 突破される!」
「後方に下がれ! 本陣を守れ!」
この訓練はそれぞれの本陣と定められた場所に立てられた旗を奪ったほうが勝ち。そういうルールだ。前線を突破されるとなれば、本陣の守りを固める為に右側にいる味方を下げるしかない。シュライクはこう考えた。
「逆だ! 前に出ろ!」
だがこの考えもハティは否定した。リルの考える作戦は、ある程度はだが、ハティにも分かるのだ。
「何だと!?」
「敵の本陣はがら空きのはずだ! 先に到着すれば旗は奪える!」
「そういうことか……分かった、っと!?」
ハティの指示通り、敵本陣に向かおうとしたシュライクだが、彼は忘れていた。プリムローズの存在を。シュライクの前に立ち塞がるプリムローズ。
「まだ私は討たれていない」
「……そうでした。では、本気で相手をさせてもらいます!」
プリムローズに向かって剣を振るうシュライク。初めて彼のほうから攻撃を仕掛けることになった。プリムローズ相手だからと手加減している余裕はなくなったのだ。そうなのだが――
「……負けた」
「当たり前だ。まんまと策に嵌りやがって」
訓練の結果はシュライクたちの負け。シュライクは最後までプリムローズに足止めされることになったのだ。
「それは申し訳ない。だが、まさかリルとプリムローズ様を囮に使うなんて……」
リルはその実力で敵側の最強戦力。プリムローズはその立場で囮に使われるような存在ではない。シュライクはそう思っていた。策に嵌った言い訳だが。
「だからそれが間違いだっての。敵の総大将は誰だ?」
「……ローレル様か」
味方の部隊の総大将は、メンバーがほぼガラクシアス騎士団であることもあって、シュライク。一方、敵部隊の総大将はローレルだ。これは単純に身分。実力でリルを総大将に選ぼうにもリルが受け入れないのだ。
「お坊ちゃまが率いる本隊を有利にする為に、リルと嬢ちゃんが囮になった。リルはもちろん、嬢ちゃんもある意味、囮には適役だ。実際、お前は手こずった」
「…………」
「お前のことじゃない。話の流れで分かるだろ? それにお前は『坊ちゃん』だろ?」
「それ言うな。しかし……確かにそうだな」
プリムローズに最後まで付き合わされる羽目になった。自分はプリムローズに、ハティはリルに、味方の実力者が動けなくされたのだ。ハティの説明を聞いて、シュライクも相手の作戦が奇抜なものではないことを理解した。
「まあ、あいつらしいのは味方の本陣を空っぽにしたことだな。それで更に数の有利を作りあげた。少しでも敵本隊を足止めできれば勝機も生まれただろうが、その隙を作らなかった」
味方の左翼は数の多さに圧倒され、あっさりと突破を許してしまった。あとは本陣までの駆けっこだ。結果、追いつくことは出来ず、本陣を守っていた味方も同じく数で圧倒され、旗を守りきれなかった。一気に勝負を決められた。
「……良く作戦を読めたな?」
シュライクはまんまとやられた。だがハティは、後手を踏むことにはなったが、リルの作戦を読んでいた。これにはシュライクも驚いている。ハティの剣の実力は認めているが、そういう才能があるようには、これは偏見もあるが、見えなかったのだ。
「ああ……まあ、それなりの付き合いだからな」
特別、戦術を考える才能があるとはハティ自身も思っていない。リルのことを知っているだけだと思っているのだ。
「それなりの付き合い?」
「あれ? 言っていなかったか? 俺とあいつは幼馴染みたいなものだ。物心ついた時から騎士になる為に一緒に頑張ってきた」
「それでか……どこの騎士団だ?」
二人の強さは幼い頃から鍛えていたから。それは父が騎士団長であるシュライクも同じなので、二人はよほど名の通った、強い騎士団の関係者なのだと考えた。
「田舎の名もない騎士団だ」
「いや、しかし、お前たち二人は」
「本当に親父たちはたいした騎士じゃない。農民が騎士の真似事を始めたら、運良くか、運悪くか分からねえが、それなりに仕事を得られたってだけだ」
これは事実だ。イアールンヴィズ騎士団はその程度の騎士団だった。一人一人の騎士も決して才能があるとは言えなかった。経験を積み、運良く生き残れた人たちがそこそこの実力を身につけられた程度だ。
「それでお前たちは、これほど強く? どうやったら、そうなれる?」
「……どうだろうな? 親父たちは並以下の騎士だが、なんと言うか、情熱だけはあったからな」
「情熱というのは?」
「俺たちには無理でも、お前たちの代になればきっと帝国中に名を馳せる騎士団になる。耳が痛くなるくらいに聞かされていた」
イアールンヴィズ騎士団はもっと強く、有名になる。自分たちの代では叶えられなくても子供たちの代になれば、必ずそうなる。大人たちはそう信じていた。そう信じて、子供たちを厳しく鍛えていた。自分たちを鍛えるより、子供たちの才能を伸ばすことに時間を費やしていた。
「……同じだ。いや、少し違うか。俺の場合は俺自身がそう思っている。ガラクシアス騎士団をもっと強く、有名にしたいと思っている」
「そうか……そう思えるのは良いことだ」
「お前は思えないのか?」
ハティとの共通の想いだとシュライクは考えていた。だが今のハティの言葉は、そうでないことを示しているように感じられる。
「思っている……でもな、親父たちはその想いを俺たちに残して、逝っちまった。そうなると自分の想いなのか、死んだ親父たちの想いを背負わされているだけなのか分からなくなる」
「……そうか。すまん」
「謝ることじゃねえ。騎士なんてやっていれば、いつ死んでもおかしくない。そういう覚悟もガキの頃から叩き込まれていた」
特にイアールンヴィズ騎士団は、団の為に命を捧げることを求められた。仲間の死が何度も窮地を救った。その事実が、死ぬ順番を決めておくという慣習を作ったのだ。
「一緒にやりたいとは思わないのか?」
「あいつとか? それなら、ずっと思っている。だが今はまだその時じゃねえのは、なんとなく分かる」
今のハティに焦りはない。リル、フェンはまったく違う道を歩もうとしているわけではない。自分たちから離れようとしている理由はまだ分からないが、その点は間違っていないと思えるようになっている。
「しかし、このままでは彼は帝国騎士団かイザール侯爵家の騎士団に入ってしまうのではないのか?」
「それはねえな。あいつにイザール侯爵家に仕えているつもりはない。嬢ちゃんとお坊ちゃまの側にいるだけだ」
「……それは……あれか? その、プリムローズ様と……」
これは二人の様子を、というよりプリムローズの様子を見ていれば分かる。今も彼女はリルの隣で楽しそうに笑っている。リルの一挙手一投足を目で追いかけている。実に分かりやすい態度なのだ。
「それだとお坊ちゃまは、ただの邪魔者じゃねえか。まあ、邪魔者か。ただあいつの気持ちはな……こういうの、実に分かりにくい男だ」
「身分違いを気にしているのかもしれないな」
「どうかな? 嬢ちゃんは家を出る気満々だ。彼女がどうして厳しい鍛錬しているか知らないだろ? リルの隣で戦う為だ」
「それは、また……」
目指す高みは遥か先。シュライクは自分自身もそこまで行けるか、今は自信がない。自分よりも実力で劣るプリムローズが辿り着けるとは思えない。
「才能はある。これから体が成長すれば可能性はなくはない。まあ、そういうことを嬢ちゃんは気にしてねえだろうけどな」
「どういう意味だ?」
「あいつは平凡な人生なんて歩めねえ。側にいようと思えば、強くなるしかねえ。こういうのが分かっているのだと俺は思う」
ただ側にいるだけ。それがどれだけ難しいことか。戦う力がなければ側にいるどころか、生き残れない。根拠があるわけではないが、ハティはこう思っている。そしてプリムローズも同じ考えなのだと。
「ああ……これは勝手な推測だけど、あいつ自身がきっとそれを分かっている。だから嬢ちゃんとの距離を縮めようとしないのかも」
「それは、つまり……大切に想っているということだ」
「そうだな……」
それは自分たちにも言えること。自分と仲間たちからフェンが離れて行ったのも同じこと。大切に想ってもらえているのは嬉しい。だがそれは、自分は側にいて、共に行動出来る力があると認められていないから。それをハティは、悔しく思う。