ムフリド侯爵家騎士団の名称はプルウィア騎士団。騎士、従士合わせて四百名ほどになる。同じアネモイ四家であるイザール侯爵家のノトス騎士団の約二倍の規模。その差が生まれたのは近年、ムフリド侯爵家が積極的に騎士団の強化を進めてきたからだ。
ただ増員した騎士、はほとんどおらず従士ばかりだが、皆まだ若く、経験が少ない。グラキエスを支える騎士たちを育てる為に同世代を集めたのだ。というのは建前で、実際は名の知れた騎士を他の騎士団から引き抜くことが出来なかっただけでなく、実力ある従士も同様で、さらに若く、まだこれからという者たちをなんとか集めただけだ。
それでもプルウィア騎士団はノトス騎士団よりマシと言えるのは、そういった若者たちを厳しく鍛えているから。その訓練の厳しさは他のアネモイ四家の騎士団とは比較にならないと自負している。
「隊列を乱すな! まだまだ、これからだぞ!」
帝国騎士養成学校が夏季休暇中なんてことは元から関係ないが、今日も厳しい訓練が行われている。騎士養成学校が休暇中であることは、尚更厳しさを増すことになっているかもしれない。グラキエスも訓練に参加しているので、鍛える側がはりきっているのだ。
「この程度でへたばってどうする!? 戦場で死にたいのか!?」
二十名一隊で向かい合って、ひたすら押し合い、剣の打ち合いを行うだけの訓練。だがそれが延々と続けば、疲労で力が入らなくなる。剣を振り上げるのも辛くなる。
「隊列に隙間を作るな! 味方まで殺すつもりか!?」
息が乱れ、力が入らなくなり、立っているのもつらくなっても、その場にとどまり続ける。左右の味方との距離を保ち、平行を保ち、隊列に隙間を作らない。体力だけでなく気力も必要。そういう訓練だ。
「立ち続けろ! 振り続けろ! 気を失うまで続けろ! 死んでも続けろ!」
理不尽な命令が訓練場に響いている。だが戦場はもっと理不尽だ。訓練で耐えることが出来なくて、戦場で生き残れるはずがない。
「……そこまで! 休憩だ!」
指導官の「休憩だ」の声と同時に従士たちはその場にへたり込む。気持ちだけでなんとか支えてきた体が、休憩の声で気が抜けて、立っていられなくなったのだ。
そんな中、グラキエスは地面に座り込むことなく、さすがに疲れているので、ゆっくりとだが、歩き出した。
「まだ余裕がありますか」
グラキエスが向かったのは指導官のところ。近づいてきた彼に指導官のほうから声をかけてきた。
「俺の立場で一緒に座り込むわけにはいきません」
「なるほど……その心がけは悪くありませんが……」
グラキエスはムフリド侯爵家の当主となる身。プルウィア騎士団においても出陣する場合は総指揮官という立場になる。部下となる者たちの手前、弱っている様子を見せたくないという考えは、指導官も理解出来る。
「何か?」
「いえ、苦楽を共にすることで生まれる関係性もあるかと思ったのですが、やり方は人それぞれですので……問題ありません」
「……ちなみにフェザント殿は?」
最後に「問題ない」と付け足されても、こういう言われ方をされると自分の考えは間違っているのではないかと思ってしまう。
「自分は仲間たちと一から騎士団を作りあげましたので」
指導官のフェザントはムフリド侯爵家の家臣ではない。ミルヒシュトラーセ騎士団という私設騎士団の団長だ。ムフリド侯爵家から依頼され、指導官を努めているのだ。
「苦楽を共にしてきたわけですか……」
「元々、上下関係など年齢以外にない仲間たちでしたから。グラキエス様とは違います」
グラキエスは生まれた時からムフリド侯爵家の当主となることが、ほぼ、決まっていた。生まれた瞬間から家臣たちの上に立っていた。最初から上下関係が出来上がっているので、フェザントとは違う。
「……ただムフリド家に生まれたからというだけで、皆の信頼を得られるものでしょうか?」
ただグラキエス自身はそれに納得していない。自分の力で皆の信頼を勝ち取りたいと思っている。信頼を得られるのか、不安にも思っている。
「そんなことを考えますか……グラキエス様は信頼を得る為の努力を怠っていない。今の行動もそのひとつ。それを続ければ良いのではないですか?」
「はい。そのつもりです。当家の騎士団はどうですか? フェザント殿から見て、少しは力がつきましたか?」
今のやりとりも自分の弱音を話しているようなもの。グラキエスは別の話題に変えることにした。無理やりなので、今聞くまでもないことだ。
「ええ、指導官を任されている身ですので、自画自賛になってしまいますが、かなり鍛えられたと考えております」
「ですが、まだフェザント殿の騎士団には遠く及ばない?」
「そうですが、皆、若く、実戦経験がないに等しい。その差だけです」
私設騎士団の団員たちは任務として実戦を経験している。戦場に出ることは、帝都周辺に拠点を持つ私設騎士団では、まずないが、それでも命を危険に晒した経験はある。その差は大きいのだ。
「経験ですか……」
実戦経験を得ることは貴族家の騎士団には難しい。特に、広い意味での帝都の中になるアネモイ四家の領地では出番がない。騎士団を動かすような他家との揉め事など起きない。魔獣が出ても私設騎士団に任せるか、今は帝国騎士団が出動してしまうのだ。
「ああ、そういえば少し前に騎士団同士の争いがありました。貴家に役立つ情報にはならないとは思いますが」
実戦経験を持つ従士を得ようと思えば私設騎士団から引き抜くしかない。もしくは私設騎士団を丸ごと吸収してしまうか。ムフリド侯爵家はそれを考え、私設騎士団についての情報を集めている。
「争いですか?」
「普通の戦いとは違います。簡単に言うと素手での喧嘩です。人死にを出さずに騎士団間の揉め事を収めるひとつの方法として、たまにあることです」
「私設騎士団ではそういうことがあるのですか……」
「裏社会の悪党どもの小競り合いと同じ。私設騎士団の世界は、残念ながら、そういう面もありますので」
悪党と紙一重、どころか完全に裏社会に足を踏み入れている私設騎士団もある。裏社会の人間が私設騎士団を名乗っていることもあるくらいだ。私設騎士団の世界は秩序と無秩序が入り混じって、混沌としているのだ。
「それでその争いは?」
「ガラクシアス騎士団とイアールンヴィズ騎士団の間で争われたのですが、結果は番狂わせ。イアールンヴィズ騎士団が勝ったようです」
「……イアールンヴィズ騎士団。確か「災厄の神の落とし子たち」と呼ばれている?」
「災厄の神の落し子たち」についてはグラキエスも知っている。自分と同年代の強者たちの集まりということで、一時は注目していたこともあった。実力はすぐに知れたので、ほんの一時だが。
「ええ、そうです。評判倒れの弱小騎士団と見られていたイアールンヴィズ騎士団ですが、ガラクシアス騎士団に勝つくらいの実力はあったようです」
「ガラクシアス騎士団というのは、どれくらい強い騎士団なのですか?」
「……帝都周辺の中で比べれば……下の上というところでしょうか?」
ガラクシアス騎士団の評価も高くはない。依頼は実力が認められた騎士団に集中する。結果、実戦経験の差が、また騎士団の実力差を広げてしまう。そしてまた依頼が偏るという、弱小騎士団にとっては、悪循環になるのだ。
「下の上……当家の騎士団とそのガラクシアス騎士団を比べるとどうなのでしょう?」
フェザントの評価ではグラキエスには強弱が分からない。私設騎士団の強さの基準がないので、「下の上」と言われても、どの程度なのか判断出来ないのだ。
「喧嘩であれば勝てます」
「実戦であれば負ける、ということですか?」
「そこは分かりません。初陣からそうとは思えない働きを見せる者もいます。それとは逆に実力者が本来の力を発揮できずに戦死してしまうこともある」
フェザントにはプルウィア騎士団の実力が測れない。初めての実戦で、個々の従士がどれだけ力を発揮できるのかは、その時にならなければ分からないのだ。
「そうですか……」
「同じことはイアールンヴィズ騎士団相手でも言えます。詳しいことまでは分かっていませんが、当初ガラクシアス騎士団が圧倒していた戦況をひっくり返した者がいたようです。そういう実力者がイアールンヴィズ騎士団にもいるということです」
「……そうでしたか。貴重な情報ありがとうございます」
そういった実力者をプルウィア騎士団は求めている。フェザントが伝えてきた情報はとても役に立つものだ。もちろん、イアールンヴィズ騎士団からその実力者を引き抜くことが出来たら、の話だが。
逆にイアールンヴィズ騎士団、ではなくローレルには余計なお世話をしてくれたことになる。今はまだグラキエスはその実力者に会っていることに気付いていない。だがすぐに分かるはずだ。ローレルの護衛がイアールンヴィズ騎士団であることは、ムフリド侯爵家もすでに掴んでいるのだから。
◆◆◆
ネッカル侯爵家の騎士団はサントシュトルム騎士団。構成員の数は約二百名で、イザール侯爵家のノトス騎士団と同規模だ。ネッカル侯爵家における騎士団強化は、ムフリド侯爵家とは違い、これまでまった取り組まれてこなかったということだ。ネッカル侯爵家に特別問題があるわけではない。騎士団を縮小してきたのはアネモイ四家全て同じ。その中でムフリド侯爵家だけが一足早く方針を転換していたということだ。
だがネッカル侯爵家もようやく、四家の当主が集まった会談の結果だが、騎士団強化に取り組もうとしている。他家に遅れを取るわけにはいかない。これはアネモイ四家が動く理由として、もっとも有効なものなのだ。
「……どうして私に任せてくれないの?」
サントシュトルム騎士団の強化は、トゥインクルが求めていたこと、だったのだが。
「どうしてって……お前に騎士団団長を任せられるはずがないだろ?」
トゥインクルの父であり、ネッカル侯爵家の当主であるミルザムは、彼女の希望を叶えるつもりはなかった。
「私は兄上より強い。強い者が騎士団の団長になるべきだわ」
「トゥインクル。それは子供の時の話だ。大人になれば男と女の体は違うものになる。男が当たり前に持つ力を女性は持てない」
「ただ力が強いのと戦って強いのは違う。私は兄上よりも強い。今戦っても勝てるわ」
父の説得にトゥインクルは納得出来ない。確かに成長するにつれて、男のほうが力は強くなる。トゥインクルが頑張って鍛えて得た力を、何もしなくても超えてしまう。それは認める。
だがそれと戦場で強いことは別。トゥインクルは力の差を補うだけの技と速さを身につけているつもりなのだ。
「……女性の身で騎士団長などあり得ない」
トゥインクルが納得するはずがない。ネッカル侯は、ただ彼女が女性だからという理由だけで、騎士団長を任せられないと考えているのだ。実際の強さは判断基準になっていないのだ。
「帝国騎士団にも女性はいるわ」
「公安部だ。戦場に出る部署ではない」
「……じゃあ、私が戦場に出る最初の女性騎士になる」
前例は関係ない。トゥインクルは騎士になりたいのだ。実際には騎士を目指すのはそれが分かりやすい形だからで。本当に求めているのは自分の力を認めてもらうことだ。
「……トゥインクル。お前にはお前で果たすべき役割がある。お前にしか出来ないことだ」
「…………」
それが何か、言われなくてもトゥインクルは知っている。彼女には受け入れ難いことだ。
「同じ体を動かすのであればダンスを覚えろ。その手には剣ではなく、針と糸を持て。刺繍が苦手なら音楽でも良い。それがお前がやるべきことだ」
「……お父様、私は」
自分は政略結婚の道具。生まれた時からそう決められていた。それがどうしても嫌だった。ネッカル侯爵の娘としてではなく、トゥインクルとして生きていきたい。ずっとこう思ってきた。
「話は以上だ! 今日以降、騎士団の訓練に参加することは禁止だ! 習い事をサボることも許さん! これは当主の命令だ!」
「…………」
だがそれは許されない。ネッカル侯爵家に生まれた女性として、ネッカル侯爵家の為に女性として生きることを強いられる。どれだけ努力しても報われることはない。彼女に認められている努力は、貴婦人になる為の努力だけなのだ。それが生まれ落ちた時からトゥインクルに課せられた宿命なのだ。