弱小騎士団と評価されているイアールンヴィズ騎士団だが、その実力はそれほど酷いものではない。ただし、あくまでも帝都周辺に拠点を持つ騎士団の中での相対評価だ。騎士団とは名ばかりの犯罪集団やリスクの低い、小遣い稼ぎ程度の任務しか行っていない騎士団が決して少なくない中で、厳しい任務を生き残ってきた彼らは、若くてもそれなりに経験を積んでいるのだ。
ただそれも、正しく騎士団としての任務をこなしてきている騎士団相手、それも味方の倍近い数を相手に勝てるほどの経験かとなると、そうではない。逆に彼らには経験しかない。理不尽な仕事ばかりを引き受ける羽目になり、それでも稼ぐ為には騎士団を続けるしかない彼らは、ただ時が過ぎるままに任せているだけ。強くなろうとする努力は、同じ騎士団にいるハティの評価ではだが、行われていないのだ。
「……止めろ……もう止めてくれ」
ガラクシアス騎士団に殴り込みをかけられたイアールンヴィズ騎士団。抵抗出来た時間はそれほど長くはなかった。実力を測る為に最初は慎重に動いていたガラクシアス騎士団が、これなら余裕で勝てると判断し、積極攻勢に出た後は脆かった。
「誰が止めるか。お前らには半年は寝たきりになってもらう」
「は、半年? そんな長く動けなければ俺たちは……」
任務を受けられないだけでなく、農作業も出来ない。それでは生きていけない。
「野垂れ死にでもなんでもすれば良い。それは俺たちには関係ない」
「止めろ! もう終わりにしてくれ! 負けを認めるから!」
認めなくても、もう完全に負けている。すでに立って戦っているイアールンヴィズ騎士団の騎士は一人もいないのだ。
「聞こえないな。まだ戦いはこれからだ」
「それは良かった」
「何?」
イアールンヴィズ騎士団の新手が到着した今以前は。
「戦いはまだこれから。てめえの言う通りだ」
「誰だ、お前?」
「イアールンヴィズ騎士団に決まってるだろ!」
相手の問いに答えながらハティは、一番近くにいたガラクシアス騎士団の騎士を殴りつける。これが戦い再開の合図となった。喧噪が、戦い当初に比べれば局所的だが、周囲に広がる。
「……さすがに厳しくないか?」
その様子を少し離れた場所で眺めているローレル。心配そうな声でリルに問いかけた。
「そうですね……さすがに敵の数が多すぎますか」
イアールンヴィズ騎士団の増援はハティを含めて七名。それで四十名ほどのガラクシアス騎士団と戦っている。多勢に無勢という状況だ。
数の差を物ともせず、ハティは暴れまわっているが、それもいつまで続くか。他の六人はそれほど突出した強さのようには、今見ている限りは思えない。
「リル。助けてあげて」
「……もしかして最初からそのつもりでした?」
プリムローズの安全を守る為であれば、わざわざここまで付いてくる必要はない。今の戦いの状況では彼女の周囲に何かあってもイアールンヴィズ騎士団の人間は駆けつけることは出来ない。いないのと同じなのだ。
「大切なお友達でしょ?」
「……まあ、大丈夫かな? 何かあったらすぐに知らせてください」
「分かった」
周囲は農作地。見晴らしの良い場所だ。近づいてくる者がいれば、すぐに分かる。危険は少ないと判断して、リルはプリムローズの側を離れることを決めた。
ゆっくりと歩き出すリル。その歩みはすぐに速足に、そして駆け足に変わった。
「何をもたついている! さっさとそいつをぶっ倒せ!」
「ばあか! もたついているのは、こっちだ! 待ってろ! すぐにてめえをぶっ飛ばしてやる!」
強がりを言うハティだが、状況は孤軍奮闘。一緒に来た六人は、すでにかなりボロボロな状態だ。彼らに言わせれば、この状況で踏ん張れるハティが異常。これはガラクシアス騎士団も同じ気持ちだ。
「そいつの生意気な口を黙らせろ! さっさとやれ!」
「「「おおっ!!」」」
一斉にハティに襲い掛かるガラクシアス騎士団。その拳が、蹴りがハティを傷つけるが、それでも彼は倒れない。殴り返し、蹴り返し、相手を押し返していく。
「このガキ! 調子に乗るな!」
ハティの粘りに焦れた敵の一人が石を握って殴りかかってきた。
「なっ! てめえ……えっ?」
だがその拳はハティには届かない。その前に殴りかかってきた男のほうが横に吹っ飛んだ。
「石は武器じゃないのか? 余裕で人を殺せると思うけどな」
「フェン……」
リルが間に合ったのだ。
「長い。さっさと任務に戻ってくれないと困るのだけど?」
「悪い。もう少しだ。すぐにこいつら全員、ぶっ倒す」
「どう見ても、すぐは無理だろ? 仕方ないから手伝ってやる。早く任務に戻ってもらわないと依頼料が勿体ないからな」
戦う理由。どうでも良いことなのだが、素直にリルはハティを助ける為とは言わなかった。たんに照れくさいだけだ。
「……好きにしろ」
「ああ、好きにする」
今回、戦い再開のきっかけを作ったのはリルだった。目の前にいたガラクシアス騎士団の騎士に蹴りを叩き込む。その相手が大きく後ろに吹っ飛んだことで、様子を見ていた他の敵も動き出す。リルとハティに群がる敵。一人が二人になっても状況は変わらない、はずだったのだが。
「こ、この……うざい! 離れろ、この馬鹿野郎ども!」
リルに群がっていた敵の何人かが、ほぼ同時に跳ね飛ばされた。
「手伝い戦だと思って、加減してやっていれば調子に乗りやがって! お前らまとめてぶっ倒してやる! 覚悟しろ!」
「ばあか。最初から本気出せ」
きれたリルを、笑みを浮かべて揶揄するハティ。昔もこんなことがあった。その時は仲間同士のじゃれ合いのような喧嘩だったが、それを思い出したのだ。
「お前もな。雑魚は俺が全部潰してやるから、お前は偉そうにしている奴をやっちまえ」
「ああ、そうさせてもらう」
気合いを入れ直し、ガラクシアス騎士団の団長か、少なくともこの場では一番上位者であろう男のいる場所に駆け出すハティ。
リルはその場に立ち止まったまま。周囲の敵を牽制している。
「調子に乗るな、ガキ。誰が雑魚だと?」
その敵の中から一人、前に進み出てきた。その男に向かってリルは、一瞬で二発の拳と蹴りを繰り出す。うめき声もあげずに崩れ落ちて行く男。痛みを感じる間もなく、気を失ったのだ。
「雑魚だろ? どう考えても」
さらに襲い掛かってきた敵。その拳をリルは大きく横に跳んで躱す。さらにそのリルに蹴りが飛んできた。腕を十字に固めてそれを受けるリル。すぐに軽く後ろに跳んで、間合いをつくった。
「悪かった。確かにそいつは雑魚だ」
「お前は違うと?」
「それはやってみれば分かるだろ?」
「ああ、そうだな!」
一瞬で間合いを詰めて、相手の腹に拳を叩き込む。それを手で受け止めた男。間髪入れずにリルに向かって蹴りを放った。だが、その蹴りがリルの体に届く前に、男は顎に衝撃を感じた。ゆっくりと、ふらつきながら地面に膝をつく男。
「雑魚だったみたい、なっ!?」
地面に伸びた影。それが敵のものだとリルが気付いて振り返った時には、相手の拳が目の前に迫っていた。衝撃を前に身構えるリル、だったが。
「お前、油断しすぎ。鈍ってんじゃねえか?」
その男はハティの頭を掴まれて、そのまま放り投げられた。
「……ああ、そうかも。でも、もう平気だ。体も頭も温まってきた」
「そりゃあ、良かった、行くぞ!」
背中を合わせ群がる敵を次々と打ち倒していくリルとハティ。確実にガラクシアス騎士団も立っていられる数が減っていく。
「羽……?」
「えっ? 何?」
プリムローズの呟き。言葉は耳に届いたが、その意味はシムーンにはまったく分からなかった。
「……ううん。見間違いみたい……シムーンさん、どうしてここにいるの?」
シムーンはリルたちと一緒に戦っていなければならないはず。だがその彼はプリムローズのすぐ側に立っている。
「いやあ、俺なんかじゃあ、あの輪には入れません。あの二人、出鱈目ですよね?」
「……ハティさんは楽しそうだけどね」
シムーンの言い訳に対する文句をプリムローズは飲み込んだ。彼は自分とは違う。そう思ったのだ。
「えっ、そうですか?」
「私にはそう見える」
「僕には良く分からないが、多分、一緒に戦えることが嬉しいのだろうな」
分からないと言いながら、ローレルはハティの気持ちを言葉にした。ローレルもシムーンとは異なる思いを、目の前の戦いから感じているのだ。
「ローレル兄上も、戦いたい?」
「僕は……」
戦いたいという思いをローレルは言葉に出来ない。それを口に出すことに躊躇いを覚えてしまう。
「私は戦いたい。でも……今の私では、あそこにはいられない」
プリムローズは「戦いたい」と口に出した。だが思いはローレルと同じだ。今の自分にはその資格がないと思っている。リルの隣で戦いたい。言葉にするのは簡単でも、実際にそれを実現するのは難しい。プリムローズはそれを思い知らされたのだ。
「僕たちは、まだまだだ。でも、いつかは……」
今は無理でも、いつかは。ローレルとプリムローズの二人は、無意識のうちにリルが歩む人生がどのようなものかを感じ取っている。戦いの中で生きることを分かっているのだ。
「……さて、一応は資格のある俺は、遅ればせながら参加してきます」
二人の会話を聞いていたシムーンは、また参戦することを決めた。イアールンヴィズ騎士団の騎士としてハティの側で戦い続けていなければならない自分が、ここにいることが恥ずかしくなったのだ。
駆け出していくハティ。ただ、少しこの決断は遅かった。
「何なんだ!? 何なんだ、貴様らは!?」
すでにハティとリルはガラクシアス騎士団の多くを倒し、敵の大将に迫っている。二人はまだ分かっていないが、ガラクシアス騎士団の団長のところに辿り着いたのだ。
「何? 決まってんだろ! 俺たちが、イアールンヴィズ騎士団だ!」
相手の問いに答えるハティ。これは彼の想いでもある。俺たちが、自分とリル、フェンの二人がイアールンヴィズ騎士団。本物のイアールンヴィズ騎士団だという想いだ。
ガラクシアス騎士団長に残った力全てを注いだ拳を叩き込むハティ。それに耐える力はガラクシアス騎士団長にはなかった。ハティの、力と想いを込めた拳には一撃で相手を打ち倒す力がった。
戦いはイアールンヴィズ騎士団の勝利で終わった。
◆◆◆
戦いはイアールンヴィズ騎士団の勝利。それで終わり、というわけにはいかない。敵味方合わせて六十人の怪我人。怪我の重さはそれぞれだが、六十人の怪我の治療をするだけでイアールンヴィズ騎士団はてんてこ舞い。実際に動くのは家族。ただその家族も、まだ若い騎士ばかりのイアールンヴィズ騎士には、それほど数はいない。人手が足りず、プリムローズまで駆り出されている状況だ。
「大丈夫ですか?」
「ええ、これくらいなんともありません」
「そう。良かった。じゃあ、私は次の」
軽傷であれば別の、もっとも重い怪我人の治療を優先しなければならない。その場から立ち去ろうとしたプリムローズだったが。
「ああ、痛い! やっぱり痛い!」
「……大丈夫ですか?」
「大丈夫なのですが……少し痛くて」
プリムローズが治療の手伝いに加わったことは助けになっているのか。軽傷者の治療において効率を悪くしているのは間違いない。
「重傷者は今のところいない。両方で」
幸いにも医者を呼ばなければならないほどの重傷者はいない。明らかに骨が折れていると分かるか、出血が止まらないなどでなければ、医者を呼ぶことなどないので、「いない」という判断が正しいかは微妙だが。
「敵の怪我まで治療するのだな?」
ガラクシアス騎士団の怪我人の治療もイアールンヴィズ騎士団の家族が行っている。それはリルには驚きだった。
「今はうちの団の人間しかいないからな。そのうちガラクシアス騎士団の奴らも来るはずだ」
喧嘩で死人を出してはならない。これを守る為に怪我人の治療は敵味方関係なく行うルールになっている。今回、戦いの場はイアールンヴィズ騎士団の拠点だったので、まずはイアールンヴィズ騎士団が治療を担当。相手のガラクシアス騎士団の人間もそのうちやってくることになっている。治療だけでなく動けない人間を自分たちの拠点に運ぶ為にも。
「喧嘩の原因は?」
「俺たちが気に入らねえとか適当なことを言って誤魔化していたが、あれは誰かに頼まれたな」
「依頼ということか?」
「おそらくは」
ガラクシアス騎士団がイアールンヴィズ騎士団に殴り込みをかけてきたのは、何者かに依頼されて。その可能性が高いとハティは考えている。
「聞き出すことは出来ないのか?」
「難しいな。まず依頼人の情報を漏らすことは許されない。それを行ったことが知られれば、その騎士団はお終いだ。じゃあ、無理やり聞き出すかとなると、これは喧嘩だからな」
「喧嘩のルールを守れば、拷問なんて出来ない。そのルールを破ったらそれもお終いと。良く考えられている」
失敗しても依頼人の秘密は守られる。強引にその情報を聞き出せば、今度はその事実によってイアールンヴィズ騎士団は追い込まれる。何者かの策略だとすれば、良く考えられているとリルは思った。
「そっちの関係か?」
「可能性はある。どうする? これは護衛任務を引き受けたことへの警告かもしれない」
「これで日和って任務から降りたら、この騎士団は終わり。解散するしかなくなる、と俺は思うけどな」
団の方針を決めるのはハティではない。ハティは何の役にも就いていない。公式には何の権限も持っていないのだ。
「心配するな。これで任務を降りるなんて真似はしない。それをやっては駄目なことくらい、俺だって分かっている」
だがその権限を持つ、イアールンヴィズ騎士団の団長であるグラトニーもこの件については、ハティと同じ考えだった。
「懸命な判断だ」
「偉そうに言うな。リル殿……今回は本当に助かった。ありがとう」
任務を続けることを決断したのは、リルへの感謝の気持ちもあってのこと。恩を受けておいて、逃げ出すわけにはいかない。今回の任務を与えてくれたことだけでも、内心では恩を感じていたのだ。
「御礼はいりません。さきほど話していた通り、こちらの責任かもしれませんので」
「それでも、ありがとう」
「……どういたしまして。鈍っていた勘を少し取り戻せました。これには俺のほうも感謝しています。ありがとうございます」
「少しか……どうすればリル殿のように強くなれるのだろうか?」
強さへの憧れは、当然、騎士であるグラトニーも、他の団員も持っている。今回、リルの戦いを見て、その憧れは明確な形を持ったのだ。
「それは……ハティに聞いたらどうですか?」
見本はすでにいる。彼らの側にはハティがいるのだ。
「こいつはあれで……人に教えるのに向いていない」
ハティはその言動で回りの反感を買うことは多い。イアールンヴィズ騎士団の団員たちにとって、素直に憧れの存在とは認めがたい性格なのだ。唯一の例外がシムーンだ。
「ああ、それは分かります」
「おい!?」
「ですが、教わることは出来なくても、真似ることは出来るはずです」
ハティに、リルは慣れっこで心地良く感じるくらいだが、性格的な問題があっても学ぶことは出来るはず。ハティが行っていることをただ真似るだけでも良い。それさえイアールンヴィズ騎士団の団員たちは行っていないのだろうとリルは思っている。
「……確かに真似ることは出来る。分かった。ありがとう」
ずっと前から分かっていた。強さを手に入れるには努力が必要。その努力をハティは行っている。強くなりたければ、ハティと同じことを行えば良いのだ。
だがそれが出来なかった。初めから努力を諦めていたわけではない。強くなると頑張っていた時期はあった。だが現実が、その夢を打ち砕いた。
もう一度、やり直せるものならやり直したい。グラトニーはこう思っている。あとから現れて、たった二人で敵を倒した二人はカッコ良かった。カッコ良い騎士にグラトニーもなりたいのだ。