騎士養成学校の授業は基礎の基礎である体力作りから次の段階に移った。戦闘術については基礎の基礎から基礎へ。剣術だと素振りだ。入学前から剣術を学んでいた騎士候補生にとっては、これまでと変わらず退屈な授業。だが退屈だからといって楽なわけではない。何百という回数、素振りを続けるというのは、体力的にかなり厳しい。結局、体力作りの延長ではないか、という話もある。
「長く戦闘が続くと、もう立っていられたほうが勝ちという状態になるそうですよ?」
「それまで生き残れたらの話だろ? 弱い者はそれ以前に死んでいる」
延々と続けられる素振りだが、リル、だけではなく、ローレルも慣れたものだ。ローレルに関しては、入学するまで、ただひたすら、これだけを行ってきたのだ。
「それはそうですけど……あっ、今、乱れました」
「えっ? 嘘」
「嘘ではありません。振り初めから軌道がずれています。疲れましたね?」
疲れるのは当然だ。周囲の騎士候補生の中には、剣を振りあげることも出来なくなっている者もいる。すでに限界を迎えた騎士候補生は少なくない。
「これだけが取り柄なのに……」
素振りはローレルが周囲に優越感を覚えられる唯一の鍛錬。少し太刀筋が乱れただけでも、自分自身に納得がいかない。そう思えるくらいに。これまでも真剣に取り組んできたのだ。
「疲労のせいではなく、気持ちの乱れかもしれません」
「それはリルが話しかけるから」
「話しかけられたくらいで気持ちが乱れるのが悪いのです。いや、違うか。いちいちこう振ろうなんて考えていないから……」
リルにとって騎士になる為の鍛錬は幼い頃から続けてきたこと。だがローレルと共に鍛錬をするようになって。素振りひとつとっても、以前よりも突き詰めて考えるようになった。お世辞にも素質があるとは言えないローレルに教えるには、自分がきちんと理解していないと駄目だと考えたのだ。
「……それもそうだな。戦闘中にそんな余裕があるとは思えない」
「ただ、まったく何も考えていないわけでもないですし……反射的に動く時のほうが多い。その動きに体がついて行くようにする為の鍛錬が素振りか……」
「速く強くだろ? それなら前に言われた」
とにかく速く、力強く剣を振れるようになる。これは最初の頃にリルに言われたことだ。速く振るには力だけでなく、無駄な動きを排除し、その動きを体に覚えこませなければならない。ローレルはそれをずっと続けてきたつもりだ。
「ああ……じゃあ、やっぱり疲れですか。確かに、さすがに疲れてきましたね?」
素振りの授業はリルにとっても楽ではない。楽にならないように一振り一振り丁寧に、それでいて速く力強く剣を振り続けている。講師の号令に合わせているローレルの倍近くの回数をこなしているのだ。
それでもリルは、規定回数であればローレルもだが、最後まで素振りをやりきった。他の騎士候補生とは基礎体力が違っている。
「……どうして素振りひとつにそこまで拘るのだ?」
「えっ? あ、グラキエス様」
話しかけてきたのはグラキエス。授業中から彼はリルとローレルの近くにいた。そうであるが二人とは異なり、無駄口を控えていたのだ。
「素振りは基本だ。それは分かっている。だが、そこまで拘る必要があるものか?」
グラキエスにはリルの拘りが理解出来ない。素振りは基本。これは分かっているつもりだが、それをひたすら突き詰めたからといって強くなれるとは限らない。他にも身に付けうるべきことは沢山あるのだ。
「実際の戦場での戦闘は単純なものだと聞いたことがありますので」
「戦闘が単純というのは?」
「人から聞いた話で、実際に経験したわけではありませんので、上手く説明出来ませんが、要は、ほとんど一撃で勝負が決まるそうです」
初撃を敵に入れたほうの勝ち。それが致命傷ではなくても、怪我を負っては本来の動きなど出来なくなる。次の一撃か、その次で倒れることになる。それは戦死とは違う。戦闘力を奪えばそれで良いのだ。
ただこれは騎士の考えではない。雑兵であっても、騎士相手であれば戦功となるので、勝てると見れば殺すまで続けるだろう。
「……実力に差がある場合はそうだろうが」
グラキエスは騎士の戦いで考えている。戦場で騎士と騎士が一騎打ちで戦う。それは余程の実力差がなければ、一撃で終わるようなものではない、と考えた。
「確かにそうですが……実力が拮抗している戦いって、そんなにあるものですか?」
リルは騎士の戦いでも同じではないかと考えた。実力差はあって当たり前。たまたま戦場で実力が拮抗した者同士が戦うことになるほうが稀なはずだと。
「……いや、それは……」
リルの問いにグラキエスは即答できない。彼も戦場の経験があるわけではない。彼もまた騎士候補生に過ぎず、自家の騎士団においても従士にもなっていないのだ。
「騎士の戦いは、基本、守りを重視します。勝つよりも、まずは負けないことを考えるのです。その上で相手の実力を見極め、勝てるとなれば攻勢に出る。ですが相手も討たれまいと守りを固めますから、簡単に決着はつきません」
「なるほど」「そういうことですか」
答えを返してきたのはグラキエスの従士。彼は元々、ムフリド侯爵家の騎士団の従士。それも騎士になるのも近い位置にいる従士だ。騎士としての戦いを二人よりも理解していた。
「それと……いや、これはこの場で話すことではありませんか」
「何だ? 中途半端に終わられては気持ちが悪い。話せ」
話すのを止めようとした従士に、グラキエスが続けるように命じる。一緒に話を聞いているリルたちにはありがたいことだ。途中で止められて気になるのはリルたちも同じなのだ。
「……では。上位騎士が討たれると味方の士気は落ち、戦場全体の敗北に繋がることにもなりかねません」
「そうだな」
戦いの勝敗には士気が大きく影響する。どれだけ数に優っていても戦う気を失えばそれで負け。総大将、総指揮官が討たれた途端に、それまでどれだけ優勢であっても一気に敗走してしまうなんてことは当たり前にあるのだ。
「ですから、負けて討たれるくらいなら引き分けた振りをして戦いを止めることを選ぶべきなのです」
「引き分けた……振り?」
「そうです。そうしても士気は下がるでしょうが、立て直す機会は得られます」
「それはそうかもしれないが……」
グラキエスとしては、少し納得がいかない。卑怯なやり方だと思ってしまう。こう思う彼は、騎士の理想を追い求めている。まだ現実を見ていないとも言える。
「精神的支柱になるのに強さは関係ないということですか」
リルはグラキエスとは違う受け止め方をした。戦う力がなくても味方の士気を高める、支える存在になれる。こう考えた。
間違った考えではない。実際にそういった例は、過去にあったのだ。
「強さは必要だろうな。ただ剣を持って戦うだけが強さではないということだ。これを言う私は、その剣の強さを求めている身だがな」
「……そうですね」
自分は何を求めているのか。リルは思った。強くなりたいという思いは強く持っている。だがそれはグラキエスの従士が言う強さとは、きっと違う。騎士としての誇りなどはない。リルが求めているのは、ただ人を殺す為の力なのだ。
虚しいという思いがあるのは否定しない。だが、それでもリルは立ち止まるつもりはない。立ち止まることは許されない。
◆◆◆
帝都の第三層にその古本屋はある。繁華街からは少し離れた、人通りが第三層にしては少ない場所。古本屋を訪れる客は滅多にいない。この辺りの住人たちの多くが文字を読めない。本とは縁遠い人々ばかりなのだ。
それで良く商売が成り立っているものだ、と気にする人も中にはいるが、余計なお世話だ。それなりに潤っている。古本屋とは別の商売で。
「ユミル。フェンがハティと接触したよ」
「……知っている。イアールンヴィズ騎士団に何か依頼をしたみたいだね? 依頼内容もそのうち分かると思うよ」
彼らの商売は情報屋。主に帝都内の様々な情報を集めて、それを必要とする相手に売っている。知る人ぞ知るといった裏の商売だ。
「じゃあ、これは? ハティは今、フェンと一緒に暮らしている」
「なんだって? あの馬鹿……何も考えていない奴はこれだから……」
苦々しい思いを顔に出して、ハティに対して文句を言うユミル。情報を持ち込んだ男の子が予想していた通りの反応だ。
「多分だけど、依頼は護衛だね。ハティの他にも数人、エセリアル子爵の屋敷に入った。あと確認出来ただけで四人。屋敷の周囲に張り付いている奴らがいる」
「エセリアル子爵……イザール侯の息子の護衛か。貴族の犬に成り下がったあの男のさらに犬か。ハティの馬鹿がやりそうなことだね」
リルに対する悪意をユミルは隠さない。ユミルにとってリルは最悪の裏切者。憧れが強かった分、裏切られたことへの反発も大きいのだ。
「それと、似て異なる動きをしている男が二人いた。間違いなくイアールンヴィズ騎士団ではないね」
男の子はさらに別の動きも見つけていた。イアールンヴィズ騎士団以外にエセリアル子爵屋敷を見張っていた者たちがいたのだ。
「どこの誰?」
「それが、イアールンヴィズ騎士団に比べるとかなりまともで。追っているのを気付かれそうだったから諦めた。最後まで追ったほうが良かった?」
「……いや。無理する必要はない。僕たちは存在を気付かれたら終わりだからね」
ユミルたちの集団は、そのほとんどが子供。ユミルは年長なほうだ。子供が諜報活動をしているとは、対象の多くが思わない。近くにいても、それがあまりに場違いな場所であれば別だが、警戒は緩くなる。そういった油断を利用している。
ただ子供の彼らに戦う力はない。その存在を徹底的に秘匿することが求められる。この古本屋への出入りも表の入口を使うのは客だけ。仲間は別の隠し通路を利用している。
元から一緒にいた仲間たちだけでなく、帝都でも新たな仲間、主に孤児を集め、拠点を作り、商売相手を探しと、ユミルはかなり苦労して、ここまで組織を大きくしたのだ。
彼の意地だ。イアールンヴィズ騎士団、本来のイアールンヴィズ騎士団に頼らず、自立して生きる。彼はこう心に決めているのだ。
「どうする? ハティに教えてあげる?」
「まさか。情報は僕たちの商品だ。ただでは渡せない。欲しければお金を持って、頼みにくればいい」
「分かった。じゃあ、この件は以上?」
「……そうだね。別の騎士団の動きを探ってもらえるかな? 近頃、怪しい動きが多すぎるから」
ユミルの組織が特に注目しているのは私設騎士団の動き。誰がどこにどのような依頼を行ったか。この情報は良い金になる。もっとも、ユミルたちの組織にとって、有益な情報なのだ。
特に近頃は怪しげな動きが多い。それをユミルは感じている。何かが起きようとしている。それが起きる前にどれだけの情報を集め、それを金に出来るか。そこが勝負どころだ。
◆◆◆
イアールンヴィズ騎士団の様子を観察している存在は、ユミルたち以外にもいる。商売ではない。主が求める情報を探り出して届ける。これが彼らの仕事だ。それで報酬を得ているのであるから商売といえば商売なのかもしれないが。
ただ今回のこれが正式な仕事かと言われれば、微妙だ。彼らに調査を命じられるのはアークトゥルス帝国の皇帝ただ一人。だが今回の調査は皇帝ではなく、第三夫人ルイミラの依頼なのだ。もちろん皇帝が命じた形にはなっているが。
「どうやら依頼先はイアールンヴィズ騎士団のようです」
「……よりにもよって、あそこですか……彼とイアールンヴィズ騎士団との繋がりは?」
「それはまだ分かっておりません。イザール侯爵家の伝手で依頼したとは思えませんので、何らかの繋がりがあるのは間違いないと思うのですが」
「言われなくても分かっています」
イザール侯爵家が私設騎士団に依頼を行うとしても、イアールンヴィズ騎士団を選ぶことはまずない。もっと力のある、信頼出来る私設騎士団を選ぶはずだ。では、どうしてイアールンヴィズ騎士団を選んだのか、となればイザール侯爵家以外の繋がりがあったから。
そんなことは教えられなくてもルイミラは分かっている。
「急ぎ調べ上げます」
「……いえ、もう良いわ。これは私の個人的な興味。陛下の忠実な僕である貴方たちを、これ以上、私の我儘で使うわけにはいかないもの」
「…………」
自分の我儘と言われてしまうと、迂闊な発言は出来なくなる。ルイミラが我儘であることを肯定するような言葉は、絶対に口にするわけにはいかないのだ。
「ご苦労でした。下がって良いわ」
「はっ」
とりあえず一安心。これ以上、ルイミラと直接関わらなくて済む。入手した情報に満足せず、怒りを向けられることにも、どうやら、ならなかった。あとはまた、このような仕事が舞い込まないことを祈るだけ。男は部屋を出ていった。
「……イアールンヴィズ騎士団……偽物だと聞いていたけど……改めて確かめてみるしかないわね」
一人部屋に残ったルイミラは、独り言をつぶやきながら、思いを巡らせている。葬り去ったはずの亡霊が、蘇ってきたように思えた。本当にそうなのか。それは自分にとって良いことなのか、悪いことなのか。これは分からない。彼女にも、大きな権力を握った彼女でも、まだまだ知らないことは多いのだ。