エセリアル子爵屋敷に住み込みで護衛任務を行うことになったのはハティと彼の弟分、を自称しているシムーンの二人だ。決して多くない数だが、彼らが護衛の全てではない。護衛は大きく三つのグループに分かれている。ハティたちはその存在を明らかにし、面が割れても構わないグループ。他に屋敷周辺を見張るグループがいる。彼らは住み込みではなく、イアールンヴィズ騎士団の拠点とも違う場所で寝泊まりする。存在を知られてもイアールンヴィズ騎士団の団員とは、すぐには分からせない為だ。最後のひとつは、ここぞという時に任務に加わるグループ。敵側の見張りを炙り出す時に周囲に張り込むことなどを担当するメンバーたちだ。彼らは、普段は護衛任務には就かないので、イアールンヴィズ騎士団の拠点にいる。出動時にプリムローズの周囲にいても、彼女を護衛していると思われなければ良いという考えだ。
「なるほど。あんたが噂のフェンの彼女か?」
騎士養成学校に行く前のリル、そしてエセリアル子爵家の騎士たちとの顔合わせと簡単な打合せをして、すぐに任務に就いたハティ。プリムローズとハティたちの三人になる機会を得てすぐの言葉がこれだ。
「はい……?」
ハティが何を言っているのか、プリムローズには分からない。きょとんとした顔をしている。
「兄貴、その言い方は」
シムーンがハティを窘める。プリムローズはイザール侯爵家の人間。雇い主でもある。ハティのような口の利き方をして良い相手ではないのだ。
「言い方? ああ、そうか。あんたがリルの恋人か?」
そうじゃない、という言葉をシムーンは口に出来なかった。突っ込む以前に、呆れてものが言えなくなってしまった。
「あっ……えっと、そうです」
「はい?」「ええっ?」
あっさりとリルの恋人であることを認めたプリムローズにハティとシムーンは驚いた。ハティは意識して失礼な聞き方をしたのだ。それは貴族に対する反発があってのこと。プリムローズが可愛いのは認めるが、その容姿を利用して、リルを縛ることは許せないと、勝手に、思っていたのだ。
「嘘です。そうなりたいと思っているけど、リルは認めてくれなくて」
「……えっと……正直だな? ひとつ聞きたい。あいつのどこが良くて、そう思っている?」
貴族のご令嬢が平民のリルの恋人になりたいという。これが本気であれば、身分を気にしないところは、ハティとしても良いところと認めざるを得ない。
だがプリムローズがリルの何を分かっているのか。こういう思いもあるのだ。
「他の人には分からない私を理解してくれるところ」
「……たとえば?」
ハティの問いに即答したプリムローズ。見た目ではなかったことはまたプラス点。だが見た目以外の何を、という点は、プリムローズの今の言葉だけでは分からない。
「たとえ? う~ん、なんだろう?」
具体的な例をあげろと言われてもプリムローズは困ってしまう。リルとのことは小さな積み重ね。日常のちょっとした言葉や行動が自分の心を温めてくれるのだ。
「ないのか?」
「説明が出来ないの。たとえば……あっ、そう。『頑張る』って言葉をどう思いますか?」
プリムローズが思いついたのは、一番大きなきっかけ。自分にとってリルは特別な人だと、はっきりと自覚した時のことだ。
「頑張る? 『頑張る』は『頑張る』だろ?」
「私はよく『頑張る』という言葉を使います。でもそれは、『出来ない』の代わりなのです」
「えっ……?」
「私は家では厄介者だから、出来ないとは言えなかった。だから、『頑張る』って言ってきた。出来る出来ないのどちらでもなく、頑張る」
出来ないと言えば、その場で叱られる。出来ると言って出来なければ、それも責められる。出来るも出来ないも許されなかった。だからプリムローズは「頑張る」という言葉を選んだ。選んだというより、それしかなかった。
「リルは、私が何も言っていないのに、それを理解してくれた。私の『頑張る』は前向きな言葉ではなく、それしか選べないことを分かってくれていた」
「そうか……あいつが……」
何故、リルにそれが分かったのか。ハティには心当たりがあった。リルも同じだった。出来ないとは言えない立場だった。
周囲の期待に応えようと頑張って頑張って、頑張ることに疲れて、自分たちの前から消えた。そういうことだったのかもしれないと思った。
「あの……ハティさんはリルのことを前から知っているのですか?」
「えっ? あっ、ああ、少しだけな。実は前に、俺が今の騎士団で働く前に奴とは会ったことがある」
「リルが旅していた時?」
「そう。その時」
嘘をつく必要性は感じていないはずなのに、ハティは真実を誤魔化した。プリムローズが本当にことを知ったら、二人の関係はどうなるのか。それを考えてしまった。短い間に、プリムローズのことを少し認める気になった結果だ。
「だからリルはハティさんに、いえ、皆さんにお願いしたのですね? 信頼出来る人たちだから」
「ええ、そうです。僕たちに任せてください」
これを言うシムーンはリルときちんと話したこともない。今日の朝、自己紹介をしたくらいだ。
「お前な……まあ、良いけど」
悪い女ではない。それは分かった。自分たちのような人間に気を遣うところもある。リルが熱心に彼女を守ろうとする気持ちが、ハティは分かったような気がした。
「あの……実はリルが、自分がいない間は皆さんに剣を教われば良いと言っていて」
「剣? えっ? もしかして奴に剣を習っているのか?」
「そう。せめて自分の身は自分で守れるようになりたくて」
「それは、そう思うのも当然かもしれねえけど……あいつが教えている?}
教えても使いものにならない。そういう相手にリルが剣を教えるとはハティは思えない。生兵法は大怪我の基、という言葉は大人たちに何度も言われていた。中途半端に剣を使えることの危険性をリルは分かっているはずなのだ。
「駄目ですか?」
「いや……とりあえず、少しやってみるか?」
実際に実力を見てみれば、リルの考えが分かるかもしれない。ハティはこう考えて、教えるのを引き受けた。
「お願いします!」
「じゃあ、まずは僕が」
ハティが引き受けなくてもプリムローズの相手をしたい者はいた。シムーンだ。
「引っ込め。俺がやる」
「ええ……」
だがそれはハティが許さない。ハティは自らプリムローズの実力を確かめたいのだ。確かめる為のやり方は、シムーンが望むやり方とは違うのだ。
「普段はどういう鍛錬を?」
「私はまだ力が足りないので、軽く振るのを受けるだけ」
「ああ、そうだろうな」
やはり、というか意外というか、リルのやり方は、恐らくシムーンがやろとしていたのと同じ。プリムローズに鍛えていると思わせる程度のものだとハティは理解した。
ただ分かったから教えない、というわけにもいかない。とりあえず軽く相手をして終わらせようと考えたのだが。
「あの……いつもは、もう少し速く」
「ああ、さすがに遅すぎたか」
プリムローズの要求に応じて、振るタイミングを少し速くするハティ。
「えっと、もう少し」
「あ、ああ」
さらに速度を上げる。
「もう少し……いえ、もっともっと速くお願いします」
「まだ?」
さらに速度をあげるハティ。だが、これでもまだ不十分なのだ。リルはハティが考えていた通りの教え方をしている。中途半端ではなく、プリムローズを本気で強くしようと、強くなれると考えているのだ。
「まだです」
「…………」
どうやら自分の早合点。それがハティにも分かった。力を入れていないが速さに関しては普段、イアールンヴィズ騎士団の仲間たちを相手にしている時と、ほぼ同等まであげる。それにもプリムローズは付いてきた。鍛錬を続けて、ここまで彼女も成長したのだ。
「分かった。なるほど……これじゃあ、ずっと俺が相手するしかねえな」
シムーンには任せられない。シムーンでは、力では勝てても速さで劣る可能性があるとハティは判断した。
「私、強くなれますか?」
「それは、これからの努力次第じゃねえか? まあ、ある程度のところまでは間違いなく行けると思う」
少なくともイアールンヴィズ騎士団の騎士の多くには並べる。それも、力に劣るプリムローズでは、かなりの努力が必要だろうとハティは思っている。
「そのある程度は……リルの隣で戦えるくらいですか?」
「はあ?」
「無理……ですか?」
ハティは明らかに怒っている。何を怒っているのか分からないが、表情が明らかに怒りの表情だ。それに少しプリムローズは怯えている。
「お前がフェンの隣で戦う? 無理に決まってんだろっ!? 良いかっ!? 奴の背中を守るのは俺だ! 俺以外にありえねえ!」
彼が怒っているのはプリムローズが自分の場所を奪おうと考えているから。しかも今のプリムローズには、ハティが「彼女であれば仕方がない」と諦めるような強さはない。彼女の言葉は戯言にしか聞こえない。
「……ハティさん……リルとは……少しだけ?」
プリムローズはハティの怒りよりも、発した言葉が気になった。どう聞いても少し知っている程度の仲には思えない。少なくともハティはそうは思っていないはずだ。
「あ、ああ……えっと、それは…………悪い。嘘をついた。あいつとは幼馴染だ。よちよち歩きの頃からずっと一緒にいた」
「そうだったのですか。あっ、もしかしてリルはハティさんに会うために帝都に?」
「それは違う。色々あって、あいつとはずっと会っていなかった。帝都で会ったのは偶然だ。あいつは俺が帝都にいることを知らなかったはずだからな」
「そうですか……あと……その……」
もうひとつ、実はプリムローズが一番気になっていることがある。なんとなくそういうことだと分かるので、聞きづらいことだ。
「何?」
ハティはプリムローズが何を聞きたいのか分からない。自分が何を言ったか気付いていないのだ。
「呼び名じゃないですか?」
答えはシムーンが教えてくれた。
「えっ? あっ……ああ……フェンな。それは、あれだ……あだ名だ」
分かりやすい嘘。これで誤魔化せると思うハティは、嘘が苦手なのだ。
「あだ名……」
あだ名ではなく偽名。それも「リル」のほうが。プリムローズは分かっている。出会う前のことを話そうとしないリルは何かを隠している。人には言えない過去があるのは間違いない。
「フェンとリルでフェンリル。伝説の狼の名だ。俺のハティもそう。他にも狼にちなんだ名前の幼馴染がいた。親同士が示し合わせてつけたのだと思う。リルだけ違うのは可哀そうなのでフェンと呼んでた」
これは嘘ではない。真実だ。本名がリルでフェンのほうがあとから付けられたという点を除けば。
「フェン、リル……ハティさん……あっ、神話の?」
「そう。知っているのか?」
「本で読みました。ふうん……名前に繋がりがあるって良いですね?」
「ま、まあな」
赤子の頃から、本人たちは当然その頃は覚えていないが、ずっと一緒だった。未来もずっと一緒だと思っていた。だが二人の人生は、他の仲間とも、大きく逸れてしまった。その人生がまた交わった。
「じゃあ、背中はハティさんにお任せします。私はリルの横で戦います」
「……なんというか……あんた、意外と図太いというか図々しいというか……」
プリムローズは譲っているようで譲っていない。リルの隣は自分の場所。これを譲る気はないのだ。
「私は、ずっと逃げていました。家に居場所がなくても、それで良いと思って、隅で小さくなっていました。でも……それではリルの側に居場所は作れないから」
「なるほど……そうかもしれねえな」
当たり前にあったはずの居場所が、いつの間にかなくなっていた。気が付くとリル、フェンとの間には見えない壁が出来ていない。それは自分のせいでもあるのではないか。プリムローズの話を聞いて、ハティは思った。何もしなくても当たり前は続くと思っていた自分が甘かっただけではないか。フェンの苦しみを理解することを怠っていた自分が悪いのではないか。こう思ったのだ。
「お願いします。私は強くなりたい」
「……分かっている。出来る限り、協力する」
プリムローズは自分とは違う。リルの側にいる為に努力しようとしている。それに協力しないわけにはいかないとハティは思った。
「ありがとうございます! あと三年もないですからね? 頑張らないと!」
「はい……?」
ただ、やはりプリムローズは、かなり図々しい性格だった。
「あっ、今の『頑張る』は前向きの『頑張る』です」
「そこじゃねえ。あと三年もないというのは?」
三年は普通であれば短いとは言えない。だが、強くなる為の期間としては、ハティは、十分とは思わない。もっと長い年月、もしかすると一生を費やしても届かない高みを彼は見ているのだ。
「リルは騎士養成学校を卒業したら帝都を去ります。それまでにリルの隣で戦えるくらい強くならないと」
「あいつ。帝都を離れてどこに行くつもりだ?」
「分かりません。だから……付いて行くしかないのです」
三年後にお別れ、なんてつもりはプリムローズにはまったくない。リルが帝都を離れるのであれば、自分も付いて行く。ただ待っているだけでは、二度とリルには会えなくなる。普段のリルの何気ない言葉から、そんな風に感じているのだ。
「なるほど……あいつには、あんたみたいな人間が必要なのかもな?」
「……そうであって欲しいと思います」
なんでも一人で抱え込もうとする性格のリルには、横から強引に背負っているものを奪って、捨てるか自分が背負ってしまうような存在が必要なのかもしれない。こうハティは思った。
プリムローズは出会ってわずかな時間で、小姑を抱き込むことに成功したのだ。