イアールンヴィズ騎士団の拠点は、ローレルが農家と勘違いしてもおかしくないくらい、粗末な建物だ。それはそうだ。元々、農民が暮らしていた家。それをイアールンヴィズ騎士団は買い取って、拠点にしているのだ。
ただ当たり前だが、まったくそのまま使っているわけではない。建物の補強は行われており、元々は納屋だった場所は、武器庫と一部は団員の寝室に改装してある。実際に見ていないローレルとリルには分からないことだ。
「……依頼内容を聞かせてもらおう」
苦虫をかみつぶした顔で、依頼内容を尋ねるイアールンヴィズ騎士団の騎士。内容を聞く前から、ろくな仕事ではないと思っている。それでも引き受けなければならないのが悔しいのだ。
「お願いしたいのは護衛任務です」
「……誰を誰から守るのだ?」
護衛任務と聞いても表情は変わらない。護衛は彼らにとって良い仕事ではないのだ。
「ローレル様の妹プリムローズ様を、誰かは分からない誘拐犯からです。殺人犯かもしれません」
「やっぱり、そういうことか」
「やっぱり? 何がやっぱりなのですか?」
リルには相手の反応が理解出来ない。簡単な仕事ではない。だが護衛任務はどこにでもある仕事。これを嫌がっては騎士団なんてやっていられないと思うのだ。
「その誰か分からないと言っている相手が、とてつもなく面倒な相手なのだろ?」
「それは分かりません。相手が誰か分からないのですから」
「お前らのやり方は分かっている! 犠牲が多くなる仕事を俺たちにやらせて、すり潰そうとしているのだろ!?」
「まったく、そういうつもりはありません。もう少し分かるように話してもらえますか?」
これを聞くリルの視線は後ろにいるハティに向いている。ハティは交渉の席にいない。近くにはいるのだが、言葉通り、同じテーブルの席に座っていないのだ。
「何度も厄介な仕事をやらされている。その度に怪我人が、酷い時は死人が出る。簡単な仕事と思って引き受けたのに、多くの死傷者が出たこともある」
視線に気づいたハティが答えてきた。それに視線だけで文句を言うイアールンヴィズ騎士団の騎士たち。騎士団内での序列は彼らのほうが上なのだが、実力はハティが勝る。不満はあっても直接文句を言えないのだ。
「それは……イアールンヴィズ騎士団を名乗っているから?」
イアールンヴィズ騎士団の存在を疎ましく思う存在が裏で糸引いている。その可能性をリルは、ハティの話から考えた。
「その可能性はあるだろうな」
「だったら名乗らなければ良い」
これはハティではなく、目の前に並んでいる騎士たちに向けた言葉だ。彼らは本来のイアールンヴィズ騎士団とは、まったく関りのない人たち。ここに来る前は、ハティの他にも何人か関係者がいるものとリルは思っていたのだが、実際に来てみると知らない顔ばかりだったのだ。
「我々がどう名乗ろうと勝手だ」
「勝手?」
リルの表情が険しくなる。勝手ではない。彼らにイアールンヴィズ騎士団を名乗る資格などないのだ。
「災厄の落とし子たちの噂だけで、仕事を依頼してくる奴らもいる。そういうことだ」
リルの苛立ちを感じ取って、またハティが割り込んできた。
無名の若い彼らが私設騎士団を立ち上げても仕事の依頼など来ない。彼らは「災厄の落とし子たち」の噂を利用しようと考えたのだ。結果、内容はともかく、依頼は来ている。
「……そういうことか。余談ですね? 今回の依頼ですが、そういうものではありません」
「依頼する奴はいつもそう言う」
「それでも引き受けてきたのですよね? だったら今回も引き受けてください。一応、伝えておきます。プリムローズ様はすでに一度狙われました。その時は私一人で対処しています」
「えっ?」「何?」
自分たちとそう変わらないか、年下のリルで対処出来た相手。それが事実であれば、思っていた内容とは違う。目の前に座る彼らの表情がわずかに緩んだ。
「一度失敗したのですから、次はもっと手強い可能性は高い。ですが、任務は相手を殺すことではありません。プリムローズ様を無事に逃がすことです」
「……戦う必要はない?」
「戦わないで逃がすことが出来るのであれば。もう少し詳しい話を聞きたいですか?」
「聞こう」
最初とは違い、前のめりに話を聞こうとする彼ら。内心では「こんなだから騙されるのではないか」とリルは思っているが、それは今、言葉にすることではない。
「プリムローズ様は基本、屋敷内にいます。外出する場合は我々も一緒。帝都内を散策するか、帝国騎士養成学校に行くくらいです」
「狙われているのに帝都を歩き回るのか?」
「動向を常に見張られていなければ、それほど危険とは思いません。そういう見張っている奴らがいないか、逆に見張るのも任務の一部です」
プリムローズを狙う為に、常に相手が待ち構えている可能性は低いとリルは考えている。ただ絶対とは言えないので警戒を怠るつもりはない。
「見張っている奴を見張るなんて、難しくないか?」
「そうでもありません。守る側は、襲撃する側とは違って、その存在を完全に隠す必要はない。さきほども言った通り、任務はプリムローズ様を守ること。相手を殲滅することではありません。襲撃を諦めさせることが出来れば、それでも任務達成です」
「なるほど……確かに」
守りが固く、とても襲撃は成功しないと相手に思わせるだけでも良い。そう考えると、それほど難しい任務ではないかもしれないように思える。
「ただし、あなた方が何者であるかは出来る限り、隠してもらいます」
「理由は?」
「何度か相手を揺さぶります。帝都の散策はその為です。その時は万全な警護体勢をとってもらいますが、どこの騎士団が仕事を引き受けたか知られると、配置している人員の最大数が相手に知られてしまいます。顔も割れる」
ただ守りを固めるだけではいない。リルは見張っている者がいれば、それを炙り出すつもりだ。その為には、少々、リスクを背負うつもり。だた背負うリスクは最小限にしなければならない。
「……顔は……団の名は知られているが、我々自身はそれほど……」
顔は売れていない。弱小騎士団であることは、すでに帝都では知れ渡っているのだ。それを素直に認めるくらいに、相手はリルが話す任務に真剣に向き合うようになっている。
「この拠点を見張っていれば、顔は割れます」
「確かに……」
「常時、張り付いてもらう人たちは、しばらくこの拠点に戻ることは出来ません」
顔を知られる立場になる人たちは、イアールンヴィズ騎士団からしばらく離れてもらう。のこのこ拠点に帰られては、イアールンヴィズ騎士団が引き受けたことが、すぐに分かってしまうのだ。
「それは、どれくらいになる? そもそも任務の期限は?」
「二年」
「はあ? そんなに?」
二年間の任務。そういった長期任務を、これまでイアールンヴィズ騎士団は引き受けていない。そもそも帝都ではそういう任務が少ない。貴族お抱えの騎士団は別だが、イアールンヴィズ騎士団に懇意にしている貴族家はないのだ。
「契約期間が長いことは収入面では悪いことではありません。一方で、二年間、守り続けるというのは大変なことですが」
「……確かに」
二年間、安定した収入が得られる。これはイアールンヴィズ騎士団としてはありがたいことだ。全団員を養えるほどの収入ではないとしても、他に引き受ける仕事を選べる。怪しいと思った仕事を断れるのだ。
「報酬は成功報酬ではなく、月ごとに支払います。プリムローズ様を守り続け、長く任務を続けられれば、それだけ報酬は多くなる。悪くない条件だと思いますが?」
「悪くないどころか! あっ、いや……そうだな。悪くない」
悪くないどころか、好条件だ。リルが、過去に騎士団で働いていた経験から引き受ける側が喜ぶ条件を、イザール侯に約束してもらったのだ。
「さて、引き受けてもらえるでしょうか?」
「それは」
「待った!」
制止の声をあげたのはハティだ。無条件で依頼を引き受けるつもりはハティにはない。これはリルの頼み事ではなく、イザール侯爵家の依頼なのだ。
「何か?」
「ひとつ確認したい。イザール侯爵家だって騎士団を持っている。それなりの規模なはずだ。どうして、わざわざ俺たちに頼む?」
リルは、任務の目的は相手を殲滅することではなく、プリムローズを守ることだと言った。襲撃を諦めさせることが出来れば、それも任務成功だと。
そうであるならイザール侯爵家の騎士団で守りをがちがちに固めれば良い。ハティはこう考えた。
「……引き受けることが決まったら話す、では?」
「引き受けるか決める上で、重要な情報だ」
「……それもそうか。ノトス騎士団、イザール侯爵家の騎士団は信用出来ない。もっと言えば、イザール侯爵家の人間全員を信用していない。そのつもりで任務を行って欲しい」
「リ、リル、それは?」
このリルの説明に驚いたのはローレルだ。イザール侯爵家の人間がプリムローズに悪意を持っているのは知っている。信用していないのはローレルも同じだ。だが今のリルの話は、プリムローズの命を狙っているのはイザール侯爵家の人間と断定しているように聞こえる。そこまでのことは、ローレルは想定していなかったのだ。
「全ての可能性を否定するつもりはありません」
「それは分かるが……では、今、プリムの側にいる者たちは大丈夫なのか?」
「絶対に大丈夫とは言い切れませんが、彼らが直接行動を起こせば、真犯人が誰か分かります。内部の人間であれば、そういうやり方は避けるはずです」
「そうだとしても……」
プリムローズの側を離れていることに、ローレルは強い不安を覚える。今ここでこうしている間に、プリムローズに危機が迫っているかもしれないと思えば、落ち着いていられない。
「一応、いない間の護衛は別で頼みました」
リルもリスクを承知でプリムローズを一人にはしない。代わりの人を用意していた。
「誰に?」
「ネッカル侯爵家のトゥインクル様に」
「はっ……?」
リルの口から出て来たのは、まさかの名前。ローレルは自分の耳を疑うことになった。
「ローレル様が大変なことになっているのはトゥインクル様のせいです。実際は、あれがなくても、いずれ知られることでしたでしょうが、引け目を感じさせて、頼み事を受け入れさせるのに役立ちました」
「お前……とんもでないな?」
トゥインクルに無理やり頼み事を受け入れさせる。ローレルには信じられない事態だ。自分が同じことを試みても、絶対に上手く行かないと思う。
「そんな難しい交渉ではありません。トゥインクル様には護衛ではなく、帝都に知り合いがいないプリムローズ様の話し相手になって欲しいとお願いしました。受け入れやすい頼み事です」
護衛を強制してトゥインクルのプライドを傷つけることなく、結果として、ノトス騎士団の騎士に悪意があっても手出し出来ない状況を作った。落とし子とはいえ、同じアネモイ四家の一員であるプリムローズの話し相手に”なってあげる”のだ。トゥインクルとしても断る理由はなかった。唯一あるとすれば、ローレルの頼みを引き受けるということ。だがそれは今回、食堂のことで「ローレルの頼みだからこそ引き受けなければ」に変わったのだ。
「……今日のところは安心なのは分かった。でも、この先はどうする? トゥインクルは毎日一緒にいられない。養成学校だってある」
「それはイアールンヴィズ騎士団がこの依頼を引き受けてくれるか次第です。引き受けてもらえたら数人、屋敷に住み込みで任務を行ってもらいます」
「そうか……引き受けてもらえるのだろうか?」
「引き受ける。ただし、その住み込みは俺にやらせてもらう」
「ハティ! 勝手なことを言うな!」
任務を引き受けるか決める権限はハティにはない。さすがにこれについては他の騎士たちも批判の声をあげた。
「じゃあ、引き受けねえのか?」
「それは……引き受ける」
引き受けないわけではない。自分たちが、一応は騎士団の上位者である自分たちが返事をしたかっただけだ。
「じゃあ、決まりだ。住み込みは俺。これは譲れねえ。問題ないだろ?」
最後の問いはイアールンヴィズ騎士団の上の者たちではなく、リルに向けたもの。答えは分かっている問いだ。
「問題ない。頼む」
裏切りを心配することなくプリムローズの護衛を任せられる相手。今リルが頼めるのはハティしかいない。実際は他にもいないわけではないのだが、その存在をまだリルは知らないのだ。
ハティにとっても望むところ。リルと一緒にいる時間が得られるだけでなく、この任務は彼とイアールンヴィズ騎士団を結びつけるきっかけになるかもしれない。紛い物のイアールンヴィズ騎士団であってもリルが、フェンが合流すれば、本物に変わる。ハティはこう考えているのだ。