月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

災厄の神の落し子 第30話 無理難題

異世界ファンタジー 災厄の神の落し子

 ローレルは皇城の廊下を歩いている。前回と同じ男の先導で。心に広がる思いは後悔。前回も似た感情はあったが、あの時は正しいことを行わなければならないという使命感があった。エセリアル子爵と約束したという義務感もあった。だが今はそれらの思いはない。ローレルは望んで、この場所を訪れているのではない。第三夫人ルイミラに呼び出されたのだ。用件はまだ分からない。分からないが、彼女は近づくべきではない人物。これは分かっている。
 応じるべきではなかった。では断ることが出来たのかとなるとそれも難しい。断られたことに気分を害したルイミラが、何をしてくれるか分かったものではない。後悔に意味はないのだ。
 後悔しているのは呼び出しに応じたことだけではない。リルも連れてくれば良かったという思いもある。リルはもうルイミラと顔を合わせるべきではない。前回の問いが何を意味するのか、今もまだ分かっていないが、ローレルはこう思い、ルイミラから呼び出されたことを隠して、リルを置いてきた。
 だが今は一人でいることが心細くて仕方がない。これから何が起きるのか。まったく想像がつかないが不安だけが強まって行く。

「ここだ」

 暗い思考を巡らしている間に部屋に着いた。皇城内での位置は、前回同様よく分かっていないが、異なる部屋であることは分かる。
 男が扉を空ける。その瞬間、甘い香りが鼻をくすぐった。

「一応言っておくと、陛下は同席されない」

「……はい」

 ルイミラ個人の呼び出し。教えられなくても分かっていたことだ。ただ同席はするのだろうと、なんとなく思っていた。皇帝の妃と一対一で、とはまだ分かっていないが、会って良いものなのかと、どうでも良い疑問が頭に浮かんだ。
 頭を下げて部屋の中に入る。

「面をあげなさい。今日はそういう礼儀は無用です」

「……はっ」

 言われた通り、顔をあげる。甘い香りはテーブルの上に置かれている紅茶の香り。ルイミラの香りではなかったのかと、またどうでも良い考えが浮かんだ。

「そこに掛けなさい」

 また言われた通り、指し示された椅子に座る。ローレルが腰かけるとすぐにルイミラは、自ら茶器に紅茶を注いだ。

「……頂きます」

 紅茶を注いだきり、無言でローレルを見つめているルイミラ。飲めという意味なのだとローレルは理解して、カップを口に運んだ。

「……美味しいです」

「そう。それは良かったわ」

 笑みを、とても魅力的な笑みを浮かべて、自らも椅子に座ったルイミラ。だがそこでまた無言。ローレルをじっと見ている。

「……あ、あの……何か?」

 後悔の思いは期待に変わった、というわけではないが、少しドキドキしているのは事実だ。

「気分はどう?」

「えっ? とくに何も……普通です」

「そう。それは良かった」

 また同じ台詞。ルイミラは自らのカップにも紅茶を注いで、ゆっくりと香りを楽しみながら、ひと口飲んだ。

「……普通ね。でも飲めそう」

「えっ……あっ? ええっ!?」

 ようやくローレルはルイミラの不可解な行動の意味が分かった。自分は毒見をさせられていたことが。

「大丈夫。イザール侯爵家の貴方を毒殺しようなんて考えないわ」

「それは……誰が?」

「それが分かったら苦労はしないわね? ああ、分かっているか。陛下を除く、お城にいる全員」

「…………」

 憎まれ、恨まれている自覚がルイミラにはある。これまで行ってきたことを考えれば、それはそうだろうとは思うが、少し意外な気がした。
 憎まれ、恨まれているのが分かっていて、それでも非道な真似を続ける気持ちとは、どういうものだろうともローレルは思った。

「別にこういう話をしたくて貴方に来てもらったわけではありません」

「……はい」

「貴方に頼みがあります」

「どのようなご命令でしょうか?」

 正しくは「なんなりとお申し付けください」と返すべきなのかもしれない。だがローレルはそれには抵抗を覚えた。ろくな命令ではない。出来るものなら拒否したいのだ。

「探して欲しいものがあります。本です」

「……本、ですか?」

 欲しい本を探す。これが本当であれば、ありがたい。他人を苦しめることになるとは思えない。

「魔法の書で、魔書と言います」

「魔書……そういう本があるのですか……」

 ただの本ではない。かなり特別な本と思われる。はたして自分で探し出せるものなのかとローレルは不安に思った。

「初代アルカス一世帝から代々受け継がれてきた魔書です。ですが今、それは陛下の手元にありません」

「それは……」

「何者かが盗み取ったのです。もう十年以上前のことです。貴方にはその魔書を探してもらいます」

「…………」

 十年以上前に盗まれた皇帝家の宝を探す。完全にローレルの手に余るものだ。どうして自分に頼もうとするのか分からない。説明の通りの本であるなら帝国はかなりの人数を割いて捜索しているはず。それで十年経っても見つけられない物が、自分に見つけられるはずはないとローレルは考えた。

「どのような物なのかは分かりません。分かっているのは文様が描かれた美しい本ということ。見ればすぐに特別な本だと分かるとも言われています」

「……お、恐れながら……私には無理ではないでしょうか? 私はまだまだ半人前。そのような大任をお引き受けする力はありません」

 さすがにこれは断らなければならないとローレルは考えた。達成できない命令を引き受けて、あとでそれを理由に実家にさらなる無理難題を押し付けられても困る。そこまでいかなくても、陛下にイザール侯爵家の悪口を吹き込まれるだけでも問題だ。

「そうでしょうか? 意外と身近にあったりするものですよ?」

「当家は皇帝家の財産を盗むような真似は致しません」

「ええ、それは分かっていますよ。私は貴方がイザール侯爵家の人間だから頼んでいるのではありません」

「それでした、ら……」

 では何故、自分なのか。この問いの答えが、正解かは分からないが、ローレルの頭に浮かんだ。浮かんでしまった。何故、ルイミラは自分に探させようとしているのか。自分の身近にあるかもしれないなどと言うのか。導かれる答えは、ひとつだった。

「頼みます。言うまでもありませんが、この件は一切、他言無用です。魔書を探していることも、見つかったとしても私以外の誰にも教えてはなりません。分かりましたね?」

「ひ、ひとつだけ。盗んだ者はどのような罪になるのでしょうか?」

「……それを貴方が知る必要はありません」

「……はい」

 分かっていたことだった。ルイミラに近づいて良いことなど何もない。仮に一時、利を得ても、後に何倍もの害となって返ってくることになる。分かっていたことだった。

 

 

◆◆◆

 皇城を出たローレルは暗い思いを抱えたまま、帰宅した。帝都から家までのおよそ三時間、ずっと頭の中を巡っているのはルイミラから命じられたこと。嘘をついてでも呼び出しを断るべきだったという思い。一度断ってもまた呼び出されるだけなので、嘘をついても無駄。こんな何の解決にもならないことを最初に一時間、ずっと考えていた。
 それが終わると今度は命令の内容について。皇帝家に代々伝わる魔書とはどういうものなのか。これはどれだけ考えても分かることはない。とにかく、とても大切な宝だということが分かるくらいだ。考えなくても分かることだった。
 それはどうやって盗まれたのか。皇城にあったであろうそれを盗むことなど容易に出来ることではない。考えられるのは内部の犯行。皇城内を自由に歩ける人間が盗み出したと考えるべきだ。では誰が。これが分かれば、捜索を命じられているだろう人たちは苦労しない。自分にこんな災難が降りかかってくることもなかったはずだとローレルは思う。
 自分はどうするべきか。ルイミラが疑っているのは、思い違いでなければ、リルだ。どうしてリルが疑われることになったのかは分からないが、そうとしか思えない。
 本当にそうなのか。そうだとすればリルはどうなるのか。ローレルにとって救い、かどうかは分からないが、はリル本人が盗んだ可能性は低いこと。十年以上前、まだ幼いリルが盗めるはずがない。皇城に入ることさえ出来ない。

「……はあ、気が重い」

 気持ちはまだ定まっていない。それでもローレルは魔書を探すことにした。なければそれで良い。万が一、見つかった場合は、その時、考えれば良い。

「片付け早いな。僕も急がないと」

 リルの部屋はすでに荷造りを終えていた。帝都の屋敷に引っ越す準備だ。ローレルはまだ荷造りを終えていない。リルのほうは旅をしていた頃から少し服が増えたくらいなので荷造りというほどではない、という理由はあるが、ローレルはまだ着手もしてないのだ。

「えっと……すまない。リル」

 この場にいないリルに詫びて、ローレルは床に置かれている袋を開く。中に入っているのは着替えと、無造作に放り込まれていた剣。それ以外は薬らしきものと火を起こす道具や少しの油、ローレルには何に使うか分からないが、雑多な布などが入っている。足りないのは食料くらいで、あとはこのまま旅に出られる荷物が入れられているのだ。

「これ……リルの私物だったのか」

 リルが持っている剣はイザール侯爵家から至急されたものだとローレルは思っていた。だが、間近に見ると持ち手のところなど、少し変わった作りになっている。標準品とは思えないものだ。

「そうですよ。分かっていませんでした?」

「うわぁああああっ!!」

 いつの間にかリルが部屋に戻ってきていた。それに慌てるローレル。

「……何、人の荷物漁っているのですか? ローレル様が欲しがる物は何もありませんけど?」

「ち、ちょっと本、じゃなくて! 玩具! 玩具を探していて……」

「……玩具なんて持っていません」

 怪訝そうな顔をしているリル。それはそうだろう。どう考えてもローレルの言動は怪しい。

「僕のだ。荷造りしていて無くなっていることに気が付いた。リルの部屋に忘れたのかと思って……その、ちょっと……」

「玩具を帝都の屋敷に持っていくのですか?」

 今度は呆れ顔。いい年をして玩具がないと暮らせないというのは、ちょっとどうかと思っているのだ。

「ば、馬鹿! 遊ぶわけじゃない。想い出の品として持っていこうと思っただけだ」

「ああ……片づけた時にはなかったと思います」

「そうみたいだな。リルは荷物が少ないな。袋二つだけ。もう一つには何が入っている?」

 完全に誤魔化しきれたとは思っていない。だがそれは諦めるしかない。ローレルは怪しまれて当然のことをしていたのだ。

「そっちは着替えだけです。馬飼の仕事をする時の作業着とか、借りものをひとつにまとめています」

「……返す必要はないだろ?」

「そうなのですか? 私設騎士団の騎士服とか返す必要ありますけど? 武具もそうですね。騎士団から借りていたものは、当然返さなければなりません」

「なるほど……作業着も返すのかな?」

 馬飼の作業着は、馬飼に限ったことではないだろうが、結構汚れる。それを使いまわすことなどあるのだろうかと、ローレルは思った。

「返すものと思っています。帝都の屋敷でも使うので、まだ先ですけど」

「そうだな……」

 まだ先、とはローレルは思えない。別れるのは騎士養成学校を卒業する時なので、およそ二年半後。リルと出会ってから今までの四倍近い年月となるが、それでも短いとローレルは思ってしまう。それがさらに短くなることなど、絶対に受け入れられないと思う。

「リル! 片付け終わったよ!」

 しみじみとした、のはローレルだけだが、雰囲気を吹き飛ばしたのは、飛び込むような勢いで部屋に入ってきたプリムローズだ。

「ローレル兄上……兄上は片付け終わったの?」

「いや、まだだ。今始めたところだ」

「今、始めた?」

 疑いの目でローレルを見るプリムローズ。彼女の考えは正しい。「始めた」は嘘だ。まだローレルはまったく手を付けていない。

「……さて、続きをやるかな。僕は忙しいからまた後でな」

 その疑いの視線を避けようとして、ローレルは部屋を出ていく。部屋を出る理由はそれだけではない。このままリルの部屋に居座っていると、プリムローズに邪魔者扱いされかねない。部屋に入ってきた時の彼女の勢いはそう思わせるものだったのだ。

「……本当に片づけするのかな?」

「さすがに始めるのではないですか?」

「そうだね。もう明後日だものね?」

 帝都屋敷への引っ越しは明後日。まだ一日あるが、ローレルは日中、騎士養成学校に行っている。今晩と明日の晩で終わらせなければならない。
 こう思っているのはこの二人だけで、ローレルのいない間に使用人が片づけることになるのだが。

「リル?」

「片づけないで、そこに置いてあります」

「あっ、ありがとう」

 リルに礼を告げて、机に駆け寄るプリムローズ。その机の上には美しい文様が描かれた本が置かれていた。分かりやすく、部屋に入れば誰でも気付くはずのその場所に、その本はあった。

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