帝国騎士養成学校の目的は帝国騎士団の人材確保。国内が安定して戦いがなくなると、それを生業としていた世襲騎士の数は減って行く。貴族家の次男、三男も、大きな戦功をあげる機会のない帝国騎士団よりも、同じく大功はあげられないが安全で、安定した仕事である官僚になる道を選ぶようになる。もしくは才能があればまったく別の道で生計を立てる道もある。そこで帝国は平民も騎士養成学校に入学出来るようにして、とにかく数を確保出来るようにした。
だが、今はその数の確保もままならない。帝国統治は揺らぎ始めており、帝国騎士団は質量共に充実が求められているのだが、その不安定な状況が悪い影響を与えている。私設騎士団の増加は、騎士を志すものに帝国騎士団以外の選択肢を増やしてしまった。さらに私設騎士団の報酬の高さを目当てに騎士になろうとする者まで増えるという状態。帝国騎士養成学校は、私設騎士団への人材供給場所に成り果てている。
「今年の新騎士候補生は例年以上に酷い結果になりそうです」
優秀な人材が多いと見られていた新騎士候補生。だが帝国騎士団は例年以上に厳しい状況になりそうだった。
「アネモイ四家、いや、イザール侯爵家を除く三家か」
騎士養成学校内で、本来は許されない他騎士団の勧誘が行われている。イザール侯爵家を除く三家による勧誘だ。その事実はすでに帝国騎士団長の耳にも届いている。
「勧誘とは言えないぎりぎりを狙って活動しております。より悪質です。追い出すわけにはいかないのでしょうか?」
「ヴォイドが今、自分で言った通りだ。勧誘しているとは断定できない。断定出来なければ、校則違反での退校は命じられない」
三家の人たちは「当家の騎士団に来ないか」なんて誘い方はしていない。従士たちが多くの新騎士候補生に近づき、話をするようになり、自家に仕えていることの有難みを、自分の感想として話したりしているだけ。それでは勧誘していると責められない。三家の人たちは、あらかじめ校則違反にならないラインを見極めて、行動しているのだ。
「三家はどうして自家の騎士団の強化に乗り出したのでしょうか?」
アネモイ四家の人間が騎士養成学校に入学してくることは珍しい。だが今年は四家全ての関係者が入学している。これを偶然とは、もう思えなくなった。何かあるとヴォイドは考えている。
「それぞれ才能を持っている。騎士、その先の騎士団長を目指してもおかしくはない」
「たまたま、そういう人材が同じ年に揃ったとおっしゃるのですか?」
「偶然か必然かは分からない。こんな言い方は私の立場で口にするべきではないかもしれないが……時代が求めているのかもしれない」
戦乱の時代に、これまで日の目を見なかった武の才能が突然、輝き始めた、なんてことは過去の歴史にいくらでもある。英雄と呼ばれた存在がその代表で、アークトゥルス帝国初代皇帝であるアルカス一世もその一人だ。
ただこの例えは、帝国が動乱の時代を迎えたことを認めたことになる。帝国統治が崩壊する可能性を認めている、はさすがに言い掛かりだろうが。
「……なるほど。そういう意味では帝国騎士団長もその一人ですか」
帝国騎士団長は平民でありながら守護神獣を扱える。守護神の加護を得ている特定の貴族家のみが扱えるはずの守護神獣を、平民が扱えるというのは異常といえば異常。それも時代が求めた結果なのかとヴォイドは考えた。帝国騎士団長も時代に英雄であって欲しいという願望もあっての言葉だ。
「どういうつもりで、それを言っているか分からないが、喜ぶことではないな」
「そうですか? 自分なら大喜びですけど。そういう時代を生き残るには力が必要ですから」
「力はそういう時代にしない為に使う。これが私の考えだ」
帝国に戦乱を広げない為に帝国騎士団はある。乱世を生き残る為ではなく、治世を守る為に帝国騎士団は力を尽くさなければならない。これが帝国騎士団長の考えだ。ただ残念ながら帝国全体としては、その意識は共通のものとなっていない。帝国騎士団が置かれている状況は厳しい。
「……これは新たな報告ですが、私設騎士団の関係者らしき新騎士候補生もおります」
「面談では確認出来ていなかった情報だな?」
入学前の個別自宅訪問では両親がどのような仕事に就いているかも確認される。盗賊など犯罪者、その関係者の入校を防ぐ為だ。私設騎士団関係者の入校を禁ずる規則はないが、個別訪問でそういう情報は確認されていない。隠されていたと考えるべきだ。
「現時点では騎士団の特定どころか、関係者だと断定も出来ない状態です」
「何を理由に怪しんでいる?」
「クラスをまたいで共に行動している者たちがおります。登録されている情報では、入学前から知り合いであった可能性はかなり低いと考えられております」
学内での新騎士候補生の動向は監視されている。これも犯罪に関わるような人物が入学していないかを調べる為。今、ヴォイドが説明したような行動は要注意対象と判定されるものなのだ。
「私設騎士団関係者と判断された理由は?」
今の説明では犯罪関係者である可能性もある。だがヴォイドはその可能性を除いて、報告している。可能性を排除する理由があるはずだ。
「アネモイ家の人間と似た行動をとっております。犯罪関係者は他との接触を避ける傾向にあるというのが過去事例の分析から分かっております」
「なるほど……私設騎士団が養成学校で直接勧誘。そこまでされるとは……」
帝国騎士団も舐められたものだと騎士団長は思う。だが、舐められても仕方がない事情がある。こういう事態に、ほとんど何も出来ない規則の緩さ。そして報酬の低さだ。さらに言えば、帝国騎士団の一員になる名誉は金に負ける、こう思われている事実がある。
「引き続き監視を続けます。話は変わりますが、先日の魔獣討伐について作戦部から報告があがってきました」
「異常繁殖の件だな?」
帝国騎士団が魔獣討伐を行ったのは実戦経験を積ませようという目的があってのことだが、それを理由に私設騎士団の仕事を奪うことは出来ない。規則で禁止されているわけではない。依頼情報は私設騎士団のほうがより多く、より早く入手できるので、普通は帝国騎士団が動く前に終わってしまうのだ。
今回、帝国騎士団が討伐に動けたのは、私設騎士団が引き受けるのを躊躇うくらいか魔獣が数が多かったから。成功確率が低い、成功しても犠牲が多くなりそうな依頼は私設騎士団も避ける。それでも引き受けるのは仕事がなく、切羽詰まっている騎士団くらいだ。
「はい。これも未確定情報なのが情けない限りですが」
「作戦部は魔獣研究を行う部署ではない。しかるべき部署に引き継ぐ為に異常事態である可能性を示唆出来ればそれ良い」
帝国組織の縦割り構造の弊害、は言い過ぎだが、他部門に仕事を頼むにはそうしなければならない理由がなければならない。その理由を示す為に専門外の仕事をしなければならなくなることがあるのだ。
「人為的に作られた可能性を作戦部は考えております」
「なんだと?」
「繁殖そのものは自然なものだと考えています。ですが、特定の地域に魔獣を人為的に集めることで、その数を増やしたのではないかと疑っているようです」
「……それが事実であれば、意図的に帝都周辺の治安を悪化させようとしている者がいるということになる。それも、多くの魔獣を他地域から移動させられるような大きな組織だ」
事実あれば完全に帝国に対する反逆行為。大罪だ。それを行う勢力が存在する。そこまで状況は悪化しているのかと、帝国騎士団は思った。
「依頼を引き受けてもらうには十分な理由ですが……事実であれば、調査して終わりというわけにはまいりません」
「分かっている。次の定例会議の場で報告する。もちろん、その前に報告書はあげるが……」
帝国騎士団だけでなく、他の部署にも、それも情報部に、動いてもらうとなれば皇帝の裁可が必要だ。報告書をあげただけでは、それは得られない。重臣たちが参加する定例会議の場で報告しても、すぐに裁可が降りるとは思えない。そもそも皇帝が出席するかも分からないのだ。
「……こういう情報があがってもまだ……いえ、何でもありません」
帝国を脅かそうとする存在がいる。これを知ってもまだ何も動かないような帝国であれば、もう終わっている。さすがに最後まで言葉にすることをヴォイドは躊躇った。騎士団長の視線が躊躇わせた。ヴォイドは、どこで誰が聞き耳んを立てているか分からないという視線に込められた警告を正しく読み取ったのだ。
◆◆◆
自分は何をしでかしたのか。すでにローレルはそれを理解している。父であるイザール候が、忠告とともに、教えてくれたのだ。
正直馬鹿馬鹿しいと思っている。皇帝が自分の頼みを聞いてくれた。たったそれだけのことで、どうして大人たちは騒ぐのか、ローレルには理解出来ない。ルイミラの反応については今も「どうして」という思いはあるが、皇帝に関しては正しいことを正しく受け入れてくれただけのこととローレルは考えている。臣民の頂点に立つ皇帝として、そうあるべき態度を見せてくれただけだと。
このローレルの考えは甘い。皇帝はかくあるべき、という姿を現皇帝が体現してくれているのであれば、帝国は今のようにはなっていない。悪いこと全てが皇帝のせいではないにしても、もう少しまともな状態であるはずだ。
多くの臣下が皇帝の考えを正そうと諫言を行った。その結果、志ある臣下は誰もいなくなった。これが今のアークトゥルス帝国。ルイミラの言葉以外、聞く耳を持たない皇帝がローレルの意見を受け入れたという事実は、やはり特別なことなのだ。
「ローレル、貴方、ふざけた真似をしてくれたわね?」
その行動は一部の人の反発を生む。父親の忠告が間違いではないことを、ローレルはトゥインクルによって教えられることになった。
「またか……勉強の邪魔をしないでくれ」
「誤魔化さないで。貴方のせいで、ネッカル家は恥をかかされたのよ?」
「恥? 何の話だ?」
トゥインクルの言う「ネッカル家に恥をかかせた」には、ローレルはまったく心当たりがない。この時点では言い掛かりだとしか思えなかった。本人は本当に「何を言っているのだ?」と思い、それを態度に出しているのだが、それがトゥインクルをさらに刺激することになる。
「とぼけないで! 帝都の屋敷のことよ!」
「トゥインクル、止めたほうが良い」
声を荒らげたトゥインクルを制したのはディルビオだ。
「どうして貴方が止めるの!? 恥をかかされたのはセギヌス家も同じでしょ!?」
だがディルビオの言葉にトゥインクルが耳を貸す様子はない。かえって苛立ちを強めてしまった。
「そういうことじゃない!」
「そういうことよ! ローレルは皇帝に直談判して、エセリアル子爵が帝都から追い出されないようにした! 自分だけが良い子になろうとしたのよ!?」
トゥインクルが怒っているのは、ローレルだけが、元いた貴族家を追い出して帝都屋敷に住むことを回避したこと。自分が悪者にされたように思っているのだ。
「……だから、この場でそれを暴露しても構わない? トゥインクル、君は武の才能はあるのかもしれないけど、政治事に関しては頭が回らないのだね?」
「なんですって……?」
「それともネッカル家の意志なのかな? その件にローレルが直接関わっていることは知られるべきではないというのが、セギヌス家の考え。ネッカル家は違ったようだね?」
イザール侯爵家が交渉した結果、皇帝は考えを変えた。これはまだ、イザール侯爵家は色々と面倒だろうが、世間も納得できる。帝国貴族の頂点に立つアネモイ四家の一家なのだ。本来それくらい出来て当然だ。
だがローレル個人がそれを為した、という風にみられるのは問題だ。ディルビオのセギヌス家には関わりないことだが、同じアネモイ家として、セギヌス侯爵家はその事実は隠すべきだと考えたのだ。
「……それって?」
トゥインクルはまだ理解しきれていない。ただディルビオだけでなく、いつの間にか側にきていたグラキエスの表情にも、自分への不満があることに気づいて、何か間違いを犯したことは分かった。
「えっ……?」
だがトゥインクルの思考はそれ以上、進まなかった。食堂に響いた大きな音、学生たちの騒ぐ声がそれを許さなかった。
音がした方向、食堂の入口近くに立っているのはリル。その視線の先には、床に倒れている男子騎士候補生がいる。いくつもの椅子が転がり、テーブルの上にあったであろう食器が散乱している床に倒れている男子騎士候補生が。
「思っている通りだとすると、素早い反応だ。彼は優秀な従士だね?」
「……どういうこと?」
「見ていれば分かる、と思うよ」
ディルビオは、何が起きたのか分かっている。自分が考えている通りだとすれば少し驚きだが、きっとそういうことなのだろうと。