月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

災厄の神の落し子 第23話 憂い

異世界ファンタジー 災厄の神の落し子

 アークトゥルス帝国の皇太子フォルナシスは現在、二十四歳。皇太子であると周囲からは認められているが、未だ成人式は行われていない。フォルナシスは、帝国における地位と皇帝家としての継承儀式は別という、かなり強引な理屈で皇太子になった。当時の宰相が主導して進めたことだ。
 その宰相は今、帝国の政権中枢にいない。失脚させられている。フォルナシスを皇太子にした強引なやり方が、第三妃ルイミラの怒りを買った結果、と噂されている。ただ前宰相も覚悟の上。最後の奉公と決めて実行したことだ。今後、ルイミラに男子が生まれるようなことになれば、次期皇帝はその子になってしまうかもしれない。そうなっては、さらにルイミラの立場が強くなる。それを許さない為だ。
 フォルナシスの立場をさらに確かなものにするには、成人式を済ますこと。だがそれが中々、行われない。皇帝家の守護神がフォルナシスに加護を与えてしまえば、現皇帝は用なし。そんなことを考えていた臣下などいなかったのだが、自分の立場を守る為に皇帝は成人式の実施を許さない。これもまた第三妃ルイミラの入れ知恵、ということだ。
 このような皇帝のやりようは、志ある臣下の離反を招くだけ。一方で皇太子フォルナシスに対する期待は高まることになる。良いのか悪いのか、微妙なところだ。

「……このようなことで帝都を去ることになるとは……私は無念でなりません」

「申し訳ない。私がもっと早くこの事実を知り、動くことが出来ていたら、このような結果にはならなかったかもしれない。私も無念だ」

 帝都を離れることになった貴族の一人が、フォルナシスに挨拶する為に宮廷を訪れていた。皇帝の命令を受けて、貴族屋敷を空けさせた結果だ。

「勿体ないお言葉。ですが、皇太子殿下が謝罪される必要はありません。悪いのは……」

「私が知る限り、アネモイ四家が頼んだことではない。どういう経緯で父の耳に届いたのか分からないが、勝手に命じたことだろう」

 屋敷を奪われたのはこの貴族だけではない。他に三家が同じように帝都を追われることになった。イザール侯爵家だけに便宜を図るのは不公平ということで、他の三家の為の屋敷も空けさせたのだ。

「……これからは思うようなご奉公が叶わなくなります」

 彼は帝都を離れて、遠い領地に戻ることになる。当たり前だが、帝都に居住していたのは、その必要があったから。帝国の内政を担う官僚の一人だったのだ。アネモイ四家と同じだが、四家との違いは実務能力を評価されての任命であること。帝国は有能な官僚を四人、失うことになる。

「そう言わず、変らず帝国の為に働いて欲しい。領地を守り、栄えさせることも帝国への奉公。こう考えて欲しい」

「それは勿論。ただ、殿下の御側で働けないことは、やはり残念でなりません」

 彼は皇太子であるフォルナシスに絶対の忠誠を誓っている、とまでは言えない。次期皇帝になるフォルナシスの側を離れることで、いざ即位した時に要職に就けなくなるかもしれない。それを恐れているのだ。

「また帝都に戻ってもらうこともある。いや、きっとそうなる。その時を待っていて欲しい」

「はっ。一日千秋の思いでその日を待ちます」

 これで将来が約束されたわけではない。それは分かっているが、フォルナシスから「必ず戻れる」という言葉を引き出せただけでも挨拶に訪れた甲斐があったというものだ。
 用は済んだ。フォルナシスのほうも特別、彼に話があるわけではない。対面はこれで終わりだ。

「……皇太子ともなると大変だ」

「トゥレイス……そう思うなら次は代わってくれ」

 応接室を出たフォルナシスに声をかけてきたのは弟のトゥレイス。フォルナシスとは腹違い。第二夫人の子だ。フォルナシスに向けている皮肉な笑みはいつものこと。母が違うからといって敵愾心を持っているわけではない。

「冗談。俺がそういうの苦手なのは分かっているはずだ」

 第二皇子であるトゥレイスだが、公の場に出ることは滅多にない。社交辞令は苦手という理由だ。

「お前ももう二十歳。そうも言っていられない年齢だ」

「それを言うなら、まず兄上が成人するべきだ。大勢が待っているのだから、早く済ませたらどうだ?」

「それが出来ない理由は分かっているはずだ。それに私が成人式を終えていないことと、お前が大人にならなければならないことは関係ない。皇族としての義務というものがある」

 皇帝家における成人式は、アネモイ四家と同じで、守護神の加護を得る為の儀式。一般の成人の儀とは違う。成人式に関係なく、二十歳のトゥレイスは一般の基準では、すでに成人。公務に参加する義務があるのだ。

「だからそういうのは苦手だと言っている」

「個人の感情ではなく、公人としての義務を優先しろ。帝国の現状はお前も分かっているはずだ」

 臣下の皇帝陛下個人への忠誠心は薄れている。残っているのは帝国への忠誠心。忠誠心というより依存心。自らの立場は帝国あってこそという思いのほうが強いだろうことをフォルナシスは理解している。
 だがそれにも限界はある。臣下の多くが帝国を見限り、新たな秩序、統治体制を望むことになる可能性もあるのだ。そうならない為には、次の代は大丈夫と臣下に思わせなければならない。それは次の皇帝となる自分だけではなく、皇帝家全体が、現皇帝を除いてだが、信頼を得なければならないとフォルナシスは考えているのだ。

「俺が頑張ってもどうにもならない。これこそ、兄上も分かっているはずだ」

「諦めて、何もしなければ今を変えられない」

「変える方法はひとつだ。それならやってやっても良い」

 今を変える一番の方法は、皇帝が変わること、もしくは替わること。トゥレイスはそれしかないと考えている。いくらフォルナシスが臣下の心を繋ぎ止めようとしても、それ以上に皇帝は臣下を怒らすようなことをしてしまう。今回の件もそうだ。帝都を追われる四家は皇帝を恨む。それが帝国全体への恨みに変わる可能性もあるのだ。

「……馬鹿を言うな」

 フォルナシスはトゥレイスが何を考えているか分かっている。「では頼む」とは決して言えない考えだと。

「兄上。もし成功する可能性があるとすれば、それは俺しかいない。綺麗ごとだけでは今の帝国は救えないことを考えるべきだ」

 皇帝は勿論、第三夫人ルイミラも暗殺は警戒している。信用されている者以外は近づくことも出来ない。その信用も薄いもので、少しでも不審な点があれば、事実かどうかに関係なく追い払われる。
 こんな状況で暗殺を成功させるには、信用されているされていないに関係なく近づくことが出来る人間が実行するしかない。それは息子である自分だけだとトゥレイスは考えているのだ。皇帝になるフォルナシスの手を汚させるわけにはいかないと。

「それで帝国が良くなると決まっているわけではない」

 トゥレイスも警戒されていないわけではない。フォルナシスが知る限り、父である皇帝はまだしも、ルイミラは皇帝以外の誰も信用していない様子だ。暗殺が成功する保証はない。もし失敗した場合、ルイミラは、皇帝はどう出るのか。トゥレイス一人の処分で終わるとは思えないのだ。

「……時の経過は誰に味方するのか。帝都だけが帝国ではないことを兄上は忘れているのか?」

 現皇帝とルイミラ。二人だけが帝国の敵ではない。帝国全体を見渡せば、帝国を倒す、もしくは奪い取ろうと考えている者は何人もいる。今はまだ実際にそれを実現する力はなくても二年後、三年後はどうか。時の経過は帝国を危うくするだけだとトゥレイスは考えている。

「忘れてはいない。だからなんとか貴族たちの心を繋ぎ止めようとしているのだ」

「話が振り出しに戻った。まあ、こんなところで話が進むはずがないか」

 宮廷の廊下は密談を行うに相応しい場ではない。どこで誰が聞き耳を立てているか分からない。トゥレイスにも話を始める前から分かっていたことだ。ただ、何も言わないではいられなかった。物事が悪い方にしか進まない帝国の現状が、彼を苛立たせているのだ。

 

 

◆◆◆

 騎士養成学校の授業は相変わらず、基礎の基礎。だが、その基礎の基礎のレベルは確実にあがっている。走り込みにはノルマが課せられた。時間内に何周以上は走らなければならないというノルマだ。どう考えてもまだ体力が合格基準には達していない騎士候補生には達成できない周回数。合格基準に達していてもノルマを達成できるのは一部。そういう数にされている。

「頑張ってください。あともう少しです」

 従士をもっと本気にさせる為のノルマ。騎士候補生には知らされていないが、意図はそうなのだが、残念ながら成果はあがっていない。

「リ、リルは、はっ、はっ、はっ。先に、はっ、い、行け」

 ノルマを達成できなかった騎士候補生には罰が与えられる。すでに体力の限界近くまで来ているところで、全力疾走を何本もやらされるのだ。
 自分に付き合っていてはリルも罰を受けることになる。ローレルはそう考えて、自分に構わず全力で走るように伝えたのだが。

「私は養成学校の成績なんてどうでも良いですから。それにそれなりに疲労している状態で全力で走るって、良い鍛錬になります」

 リルは騎士養成学校卒業と同時にイザール侯爵家を去る。帝国騎士団に入団する気もまったくないので、養成学校の成績などどうでも良い。強くなるのに、より役立つ選択をするだけだ。
 他の従士も似たようなもの。彼らは貴族家に仕える身。帝国騎士団に進むことはない。リルと同じで成績などどうでも良いのだ。

「そ、そういうの、はっ、はっ、へ、変態、はっ、と言う、のだな」

「……変態? えっ!? どうしてそうなるのですか?」

 苦しみを与えられることをリルは喜んでいる。ローレルはそれを「変態」と表現した。

「……げ、元気、はっ、はっ、だな?」

 息をきらせることもなく、軽々と走り続けている、とローレルに見えるだけだが、リル。自分と何が違うのかローレルは不思議に思っている。

「ローレル様もそのうち、これくらい走れるようになります。確実に走力はあがっていますから」

 これは慰めの言葉ではない。周回数を数えるようになってからローレルは少しずつだが確実に、走る距離を伸ばしている。走力はあがっているのだ。

「だと、いいが……」

 自分がそうなる頃にはリルはどこまで速くなっているのか。自分に付き合って手を抜いている時はあるが、その分、リルは別のところで負荷の高い鍛錬を行っている。帰り道でも長い時間を走り続けているのだ。

「なれます。努力は裏切りませんから」

「……お前が、そんな、だから」

 自分は絶対に追いつけないと思ってしまうのだ。

「なんですか?」

「なんでも、ない。はっ、はっ。はっ、も、もう少し、だ」

「ええ、頑張りましょう」

 もうすぐ定められた時間が経過する。今回も周回不足。追加の全力疾走が待っている。リルにとっては望むところ。ローレルは、回避は出来ないことと、諦めている。

「……帝国騎士団って、そんなに魅力ないかな?」

 そんなローレルとリル、だけでなく、走っている騎士候補生全体を見て、帝国騎士団長の側近、ヴォイドはぼやいている。従士たちの様子は変わらす。それは彼らが騎士養成学校の成績を気にしていないことを意味する。分かっていることだが、帝国騎士団に進むつもりはないのだ。

「スコール。君はどうして、帝国騎士団を選んだのかな?」

 新たに側近に加わったスコールも一緒にいる。彼は騎士養成学校を卒業して間もない。騎士候補生たちの気持ちが分かるかもしれないと思ってのヴォイドの問いだ。

「自分は強くなりたいからです」

「君みたいな純粋に強さを求める人間は滅多にいないということか。厳しいな」

「……いえ、強さを求める学生はいます。あの中にも」

 自分と同じか、それ以上に強くなりたいという願望を持っている騎士候補生はいる。スコールはその相手を良く知っている。ただその彼が騎士養成学校にいる理由は分からないが。

「それは何人かはいてくれないと。ただ、だからといって帝国騎士団を選ぶとは限らない」

 多くはより高い報酬を得られる私設騎士団を選ぶ。生まれ育ちに関係なく高報酬を得られる仕事が騎士だ。ただし、命の保証はない。最初の任務で死んでしまうこともある。そうならない為には戦う力を身につけること。その為の場として。彼らは帝国騎士養成学校を選んでいる。
 まずは金。その為の戦う力。最初に「強くなる為」がくるスコールとは違う。

「……せめて帝都周辺での活動を増やすわけにはいかないのでしょうか?」

「報酬を貰って?」

「はい」

 私設騎士団が行っていることだ。依頼主から報酬を貰って、仕事をしている。そのせいで騎士養成学校の学生が私設騎士団を選ぶというなら、帝国騎士団も同じことをすれば良いとスコールは考えた。

「個人の利益の為に帝国騎士団は動かない。唯一の例外が皇帝陛下。だが皇帝陛下個人の利益の為に働いても、報酬は貰えない、あっ、この言い方は駄目か。先に報酬は貰っている」

 さらに私設騎士団が請け負う仕事は、正しいものばかりではない。また帝国、皇帝以外から報酬を受け取るというのは、皇帝に絶対の忠誠を誓う帝国騎士として許されないこと。背信を疑われかねない結果にもなる。
 私設騎士団とまったく同じようには出来ないのだ。

「……生意気なことを言いますが、実戦経験の不足は問題と思います」

 強くなる為に帝国騎士団に入団したが、思っていた以上に任務が少ない、どころかない。実戦経験を積める機会を得られない。これはスコールにとって誤算だった。

「ああ……これはまだ皆には内緒だ」

「……はい」

「魔獣討伐任務がもうすぐ与えられる。帝国臣民がそれで困っているのだから、喜んではいけないが、久しぶりの実戦だ。君も参加すれば良い」

「ありがとうございます。精一杯、努めます」

 魔獣討伐は私設騎士団にとって割と多く引き受ける仕事。それを帝国騎士団は自らで行うことにしたのだ。帝国騎士の実戦不足は騎士団上層部も憂慮していたこと。せめてこれくらいはと決断した。魔獣討伐であれば、それは個人の為の活動ではない。帝国臣民の為の活動と言えるという点が、魔獣討伐が選ばれた理由だ。
 帝国の一部は変わろうとしている。変わらざるを得ない。

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