帝国騎士養成学校の講師の多くは帝国騎士団の団員、もしくは元団員だ。帝国騎士団の騎士を育てる学校であるのだから当たり前、ということではない。かつては専任の、元団員であることが多かったが、講師がいた。だが帝国の財政が厳しくなるにつれ、人件費の削減が求められることになり、現役の帝国騎士である講師の割合が増えることになったのだ。現役第一線で活躍している騎士、将が教えてくれるのだから、学生たちにとっては今のほうが望ましいかもしれない。
「まだ授業内容は基礎段階ですので評価は早いと思いますが、まあこんなものだろうという状況です」
「それは特に優秀とは言えないということか?」
今年の新騎士候補生たちには優秀な人材が何人かいる。入学前はそういう評価だった。だが今の評価はそれとは違う。例年並みというところだ。
「期待していた新騎士候補生は皆、貴族ですから。この段階での評価は高くはなりません」
「なるほど。基礎体力については良くて人並か」
地道な走り込みなど貴族家の、それも上級貴族家の子息が行ってきたとは思えない。評価が変わった理由を帝国騎士団長は理解した。今この段階ではそう、というだけのことであることも。
「入学当初にどういう授業が行われるかくらい、調べれば分かると思いますけどね?」
入学前にそれを調べ、準備することを怠っていた。部下はこういう評価だ。貴族だから仕方ない、ではなく、備えを行ってこなかったことを悪く評価している。
「それは他の生徒も同じということだろう?」
全体として例年並みの評価ということは、貴族家出身以外の新騎士候補生も同じということ。こう帝国騎士団長は考えた。
「はい。そうです」
「……そうか」
実際にどれだけの新騎士候補生が帝国騎士団を進路に選んでくるかは分からない。それでも質が低いよりは高い方が良い。入学前に少し期待したところがあったので、帝国騎士団長は残念に思っている。
「ただ、何人か評価が難しい者もおります」
「……従士か?」
評価が難しい学生については帝国騎士団長も心当たりがある。毎年のことなのだ。
「そうです。なかなか全力を出しません。自分を鍛えるよりも主を守ることを優先しているので仕方がないのかもしれませんが」
「騎士養成学校内にどれだけ危険があるのか、か……」
貴族の子弟と共に入学してきた従士たちは、学校内での世話や護衛が仕事。仕える相手の側を離れようとしないのは分かるが、騎士養成学校の授業中にどんな危険があるというのかという思いはある。護衛などそもそも必要ないのだ。
「基礎体力の鍛錬など必要ないと考えている面もあるとは思いますが」
「現状に満足しているようでは、高が知れるか」
「そう思います」
お付きの従士たちの実力は今はまだ分からない。だが、今の自分に満足し、さらに高みを目指そうとしない姿勢は、帝国騎士団長も部下も認められない。優れた騎士になるとは思えない。
「……イザール侯爵家の従士も同じか?」
「ああ、彼は少し違います。主であるローレルの側を離れて走っていることも少なくありません。ただ、全力かとなると、そうではないような」
「どういうことだ?」
他の従士とは異なる。それでも怠けていることに変わりはない。部下の今の話だけではこうなる。ただそれは帝国騎士団長が求めていた答えではなかった。
「疲れを見せません。本人に聞いたわけではありませんので、あくまでも推測ですが、物足りないのではないでしょうか?」
「……スコールと同じか」
騎士養成学校の基礎訓練に物足りなさを感じていた騎士候補生は以前もいた。それを帝国騎士団長は思い出した。
「彼と同じであれば、首席卒業の最有力候補になりますね?」
「まだ始まったばかりだ。その判断は早過ぎだろう」
「追い込みますか? 余裕など持てないくらいまで」
「……いや、今は必要ない。従士である彼の為に授業内容を変えるわけにはいかない」
仮にローレルが帝国騎士団を進路に選んでも、従士であるリルも同じ道に進むわけではない。普通はそうならない。お役御免ということで別の仕事、自家の騎士団に戻ることになる。そういう騎士候補生の力試しの為に授業を変えることに意味はない。いくら帝国騎士団長がそれを望んでも、認められない。
「では騎士養成学校についての報告は以上となります。本題のほうですが、かなり良くない状況です。今に始まったことではありませんが」
「治安が乱れているのか?」
「目に見えて治安が悪化しているという状況ではありません。ただ、帝都を拠点にする騎士団の数はさらに増えました。素性を洗いきれないほどの勢いです」
帝都を拠点として活動する騎士団の数が増えている。部下が口にした通り、今に始まったことではないが、その数は異常だ。騎士団が拠点を構えるのには帝国の許可が必要で、本来、十分な時間をかけて審査が行われる。帝国に害意を持つ騎士団に帝都で活動させるわけにはいかないからだ。
だが今、その審査は十分とは言えない。数が多いというだけでなく、審査そのものがなおざりにされている。官僚の腐敗は、そんなところまで進んでいるのだ。
代わりに必要とされる審査を、事後になるが、行っているのは帝国騎士団公安部。だがその調査も思うようには進まない。これは単純に数の問題だ。
「登録停止を決定するだけなのだが……」
必要以上の騎士団を帝都周辺で活動させても意味はない。騎士団側も請け負える仕事が減るだけ。これ以上、許可を出すことを止めても、まったく問題はないはずだ。
だが帝国はそれを決断しない。帝国騎士団長にはまったく理解出来ない。
「仮に、万が一ですが、全ての騎士団が反旗を翻した場合、帝国騎士団だけでは抑えきれない可能性も無ではありません」
もし今の状況が何者かの、それも帝国に叛意を持つ者の仕業であった場合、帝国は足下に敵を引き入れていることになる。この危機感のなさが信じられない。活動登録の審査を行っている者たちこそ、反逆者ではないかとまで思ってしまう。
「……マグノリアは何と言っている?」
「心配するなら、人を寄越せ。彼女らしいと言いますか、逆に彼女らしくない泣き言なのか」
マグノリアは帝国騎士団公安部の副部長。女性として初めて、公安部のトップに立つかもしれないと言われている人物だ。
「その台詞はここだけにしておくのだな」
「もちろんです」
帝国騎士団のトップである騎士団長相手にも、ずけずけと物言う女性だ。それ以下の立場の人たちにとっては、怒らせたくない相手だ。
「騎士団の抱え込みは上手く行っていないのか?」
帝国騎士団もただ手をこまねいているだけではない。信頼出来る騎士団を抱え込み、協力を得ようと試みている。
「公安部における最終決裁者は副部長ではありません」
「……まさか、邪魔をしているのか?」
公安部のトップは、当たり前だが、公安部長。部下の言葉は、その公安部長が計画の邪魔をしていることを示している。「まさか」という言葉を口にしたが、実際のところはあり得ると思っている。帝国騎士団長の公安部長に対する評価はそういうもの。だから公安部長ではなく、副部長であるマグノリアの考えを聞いたのだ。
「少なくとも決裁が下りた騎士団はひとつもありません」
「……権限の分散は必要なことだと理解しているつもりだが、こういう時は煩わしく思ってしまうな」
公安部長が許可しないのであれば、その上位者である騎士団長が許可すれば良い、ということにはならない。一人に権限が集中しないように、決裁は複数人で行われ、且つ、きちんと経路が決められている。公安部長を飛び越えて、帝国騎士団長が権限を行使することは出来ないようになっているのだ。
過去に起きた様々な不正が、今の制度を作りだしているのだ。
「次の人事で交替というわけにはいかないのですか?」
「それも私一人で決められることではない」
現公安部長を降ろしてマグノリアを昇格させて公安部を任せる。帝国騎士団長もそうしたいと思っている。だがこれも彼の気持ち一つで決まることではないのだ。
「不正を防ぐ仕組みが、結果として不正を許すことになっている。矛盾というやつですね?」
「さすがにそれは言い過ぎだ。不正が行われている証拠はないのであろう?」
証拠があってくれれば、それを理由に公安部長を辞めさせることが出来る。だが、そうはなっていないのだ。
「……非公式に依頼をするわけにはいかないのですか?」
公安部の決裁が下りないのであれば、決済が必要のない方法で抱え込むしかない。部下はこう考えた。
「出来るのであれば、是非、そうしてくれ」
「ん? 出来ないと思っているのですか?」
帝国騎士団長はまったく考える間を空けずに、答えてきた。受け入れられないにしても、これとは違う返答になるはずだ。
「薄給とは言わないが、騎士団をひとつ抱えられるほどは貰っていない」
一人、二人では人手不足は解消しない。何十人という数を雇わなくてはならないのだ。貴族家でも負担となっている騎士団を養うことなど、いくら帝国騎士団長でも、個人で出来ることではない。
帝国騎士団長も非公式に依頼することは考えていた。考えた結果、実現は出来ないと判断し、時間はかかることが分かっていても、正式な契約が結ばれるのを待ち続けていたのだ。
「……確かに」
「今やれることをやるしかない。公安部の仕事を任せられそうな人物を取りまとめてくれ」
「承知しました」
当面は帝国騎士団本体から人を回すことで人手不足を補うしかない。マグノリア副部長の要請に応えるということだ。今はいくら足掻いても、事が大きく改善することはない。帝国騎士団長はそれが分かっている。現体制のままでは、帝国の状況が改善することはないことを。
◆◆◆
「えっ? 屋敷が見つかったのですか?」
帰宅後、イザール候に呼ばれて母屋に行っていたローレルが戻ってきて、これを伝えた。帝都で借りられる屋敷が見つかったのだ。
「ああ、そうらしい。帝都で屋敷を借りられれば、通学はかなり楽になる。僕は移るつもりだ」
「……僕は?」
あえてローレルが「僕は」という言葉をつけた意味。
「考えなければならないことがある。プリムのことだ」
「えっ、私?」
帝都で屋敷を借りるのは騎士養成学校への通学を楽にする為。自分には関係のない話だとプリムローズは思っていた。
「プリムも連れて行くかどうかを決めなくてはならない」
「えっと……それは、帝都で三人で暮らすということ?」
リルも帝都で暮らすのかどうか。プリムローズはそれを考える間を必要とした。当然、ローレルと一緒に騎士養成学校に通っているリルも帝都の屋敷に移るものだと考えた。
「ああ、そうだ」
「じゃあ、行く」
「じゃあって……ただこれはプリムの考えだけで決められることではない」
三人だったら自分も帝都に行く。ローレルにはプリムローズはこう言っているように聞こえた。では自分と二人だったら、どう答えたのか。これが気になってしまう。
「どうして?」
ローレルは自分の希望を受け入れてくれない。そう思ったプリムローズは不満顔だ。
「普通に考えれば、帝都に移るよりもここにいるほうが安全だ。僕とリルはずっと一緒にいられるわけじゃないからな」
「……そうだけど」
ローレルが何を懸念しているのかは分かった。また襲われる心配をしているのだ。そうなるとプリムローズも自分の意志を押し通しづらくなる。我儘を言っているように思われるのが嫌なのだ。
「なのに父上はプリムを帝都に移すべきかを考えている。僕にはその考えが理解出来ない」
わざわざプリムローズを危険な場所に移そうとしている。ローレルは父であるイザール候の考えを、そう受け取った。
「それは今この場で結論を出さなければならないものなのですか?」
リルはどうしてイザール候がそんな考えを持ったのか分かっている。プリムローズにとっては、この場所がもっとも危険かもしれない可能性を考えていることが。
ただ、だからといって帝都に移るのが正解ともリルは思えない。危険かもしれないが、この場所で事を起こすのは難しいはず。誰の企てか分かる可能性は高いのだ。
「そういうわけではないが、考えておけと言われた」
「では、じっくりと考えてみてはどうですか?」
リルが結論を先延ばしにしたいのは正解が分からないという理由だけではない。プリムローズに、身内に命を狙われている可能性を知らせたくないからだ。
「それは……僕は良いけど、機嫌を直すのはリルの役目だからな?」
「機嫌? あっ……ああ……えっと……」
機嫌が悪くなったのはプリムローズだ。リルは自分と一緒に帝都で暮らすことを嫌がっている。こう思ってしまったのだ。
顔一杯に不満を浮かべているプリムローズ。
「……万一があると、あれですので」
「……分かっている」
プリムローズがあからさまに不満を表に出しているのは、リルに対する甘えもあるが、帝都に移るという決定が安易には出来ないことが分かっているからでもある。我儘を押し通せない状況が不満なのだ。
「一緒に通えると良いのだがな」
「それ、イザール候も同じことを言っていました」
リルにローレルと共に騎士養成学校に通うように伝えた時のことだ。入学を避ける為にプリムローズの護衛の仕事を口実にしようとしたが、イザール候はローレルと同じことを言った。プリムローズも同行させれば良いと。
「父上が? それって……とりあえず機嫌は直ったから良いか」
「はっ?」
プリムローズの顔に、先ほどとは違って、笑みが浮かんでいる。ローレルの言う通り、機嫌は直っていて。その理由がリルには分からない。父親はすでにリルとの関係を認めてくれている。プリムローズがこんな風に受け取ったなんてことは分かるはずがない。