兵士候補たちの訓練は陽の日を除いて毎日行われている。週休一日となっているのだ。兵士候補の数は五百名まで増えた。目標の半分といったところだ。再度、募兵対象地域で告知を行うこととなっているが、その効果はあまり期待されていない。
テレビもラジオも、インターネットもないこの世界だが、町長や村長が発した情報は確実にそこで暮らす人々に伝わる。他人と一切接することなく暮らしている人など、滅多にいるものではない。最初の告知を知らなかったなんて人はまずいないのだ。その気のある人はすでに応募していると考えられている。
「……あれで強くなるのかしら?」
今日もルシェル王女は兵士候補の訓練を見学している。自分が始めたことであるので、様子が気になるのだ。行われているのは号令に合わせて並ぶ、歩く、右を向く、左を向くといった全体行動の訓練。統率のとれた動きが出来ることは軍隊では重要なことだと頭では分かっているが、見ていて面白いものではない。
「弱いところを隠せるようにはなるのではないですかな?」
「サー・バルナバス。貴方も見学ですか?」
現れたのは王国騎士のバルナバス。ルシェル王女も良く知る相手だ。
「自分のようなものにサーの敬称は無用です」
「王国最強の騎士である貴方以上にサーの称号が似合う人はいないと思いますけど?」
「……そのように申されるのは殿下だけですな」
バルナバスは強い。ルシェル王女の言う通り、王国最強騎士の一人だ。だが厳つい上に無愛想な風貌と、騎士らしくない礼儀知らずの言動などから批判されることも多い。強くはあっても上品ではない。ナイトの称号は不釣り合いだと。
バルナバスに対して尊敬を示すのは、城内にはルシェル王女の他、数人しかいないのだ。
「兵士候補に興味があるのは意外です」
バルナバスが強さを極めることにしか興味がないことはルシェル王女も知っている。他人などどうでも良いと考えていることも。
「興味があるのは自分ではなく、リーンバルト卿です。質の高い兵士候補が集まったと考えているようですな。それを見極めろ、もしかすると、何かあったら対処しろということかもしれませんが」
「ローマン局長が言っていた人たちですね? クリスティアン王子の従士をしていたという」
才能があるだけでは断定は出来ないが、「何かあったら」という言葉がルシェル王女に、彼ら四人であることを分からせた。竜王に仕えていた彼らは眷属化しているのではないか。それを恐れ、期待もしているのだと考えた。
「近衛であろうと従士は従士。騎士未満だと自分は思うのですが、卿の考えは違うようです」
こうして自分が所属する組織の頂点に立つ人間についても平気で否定的なことを行ってしまうことも、バルナバスが批判される原因のひとつ。実績からナイトの称号を与えざるを得なかったが、機会があれば取り上げたいと考えている者たちもいるのだ。
バルナバス自身も、宴の場などに参加しなければならなくなるナイトの称号など、許されるなら喜んで捨てるだろうが。
「今は足りない部分があっても鍛えれば騎士になれます」
「それはその者たちに限った話ではありませんな。誰もが、少しの才能と多大な努力によって騎士にはなれます」
自分に対する偏見の目を持たないルシェル王女相手だと、バルナバスも口数が多くなる。こうして口から出た言葉がまた、ルシェル王女の彼に対する印象を良くする。
今もそうだ。バルナバスは才能よりも努力を重視する。自分自身も強くなる為に、他人の何倍もの努力をしていることが分かる。
「……若さも才能かしら?」
「若さ、ですか?」
「あの、私と変わらない年齢の人が一人いて。その年齢で戦場に出るのは大丈夫かと思ってしまうのです」
「殿下の年齢であれば初陣を果たしていてもおかしくない。結婚も出来る。十分に大人ですな」
王侯貴族の子弟であればバルナバスの言う通りだ。成人してすぐに、形だけであるが、総指揮官として初陣を終える者は珍しくない。結婚は当たり前に行われている。若くして妻を娶り、一人でも多くの子をつくる。無事生まれることが、大人になるまで生きていられることも当たり前ではない、この世界では必要なことなのだ。
「そうですけど……」
「ふむ……若いのは…………あれですな」
やけに気にしている様子のルシェル王女を見て、バルナバスはそうさせる相手を探した。訓練は全体行動から少し兵士らしい訓練に移っている。とはいえ、号令に合わせて一斉に槍を上下に動かしているだけだが。
「……なるほど……分かりました。才能の有無は自分が確かめてきましょう」
「えっ? あっ、サー・バルナバス! 彼は兵士、いえ、兵士候補です。貴方の相手が出来るような立場では」
バルナバスは強くなる為の努力に妥協がない。立ち合う相手にも妥協がない。容赦がないと言い替えたほうが分かり易い。このこともルシェル王女は、よく知っているのだ。
「……殿下。自分にもそれくらいのわきまえはあります。ちゃんと相手の力量に合わせた対応をします」
「……よろしくお願いします」
そんな風に言われてしまうと止めることは出来なくなる。ルシェル王女の為を思った善意の行動、であるはずなのだ。
観覧場所と訓練場を隔てる壁を乗り越えて行くバルナバス。その威圧感のある背中を見て、「やっぱり止めるべきだったかも」とルシェル王女は思ったが、手遅れだ。訓練は壁を超えて、すぐのところで行われている。ルシェル王女が見学していることに気づいた訓練教官が気を使って、見やすい場所まで近づいていたのだ。
「……何か、おっかなそうな人が来ますけど?」
そんなバルナバスが近づいて来ていても、ソルには他人事のようだ。
「ま、まじめにやれ……怠けると……み、皆が、罰を受けるのだぞ?」
疲れて苦しそうにしながらもソルを注意するマルコ。伍はただ一緒に訓練を行う為だけに組まれているわけではない。一人が問題を起こせば全体責任。伍の全員が罰を受けることになる。そうやって相互牽制を働かせるのだ。
これは軍だけではなく、普段の暮らしでも同じ。近所の誰かが問題を起こせば近隣全員が罪に問われる。実際に適用されるかどうかは問題の内容によるが、定めになっている。問題が大きければ村全体、町全体なんてこともある。
こちらは相互牽制というより相互監視。問題を起こしそうな者がいれば、実際に起こす前に周囲に炙り出させる、もしくは、言葉は悪いが、密告させる為の制度だ。
「ふざけては、げっ!?」
頭上から降って来た影。ソルは咄嗟に後ろに跳んで、それを避けた。
「退屈そうだな?」
降って来た影はバルナバスが振り下ろした剣が作りだしたもの。ソルが少し目を離した隙に、バルナバスはすぐ目の前まで来ていたのだ。
「申し訳ございません。そう見えたのであれば反省し、真面目に取り組みます」
「ああ、そうしろ。俺の用が終わった後はな」
「……御用というのは?」
問いを返しながら周囲を見渡してみるが、皆、ソルの視線を避けようとする。それは訓練教官も同じだ。訓練教官といっても兵士候補相手となると、騎士の中でも若手が担当させられている。訓練の邪魔をするバルナバスを注意する勇気など持っていないのだ。
「退屈そうだから少し相手をしてやろう」
バルナバスのこの言葉を聞いて訓練教官がソルに同情の目を向けてきた。ただ、同情はしても止めるつもりは彼にはないようだ。
「……そんな、騎士様のお相手なんで。私には無理です」
相手の意図はソルには分からない。分からなくても避けた方が良いことは、訓練教官の様子で分かる。
「本気の立ち合いではない。少し体をほぐすだけだ」
「ああ、それなら……なんて言うと思い、だからっ!?」
ソルの了承などバルナバスは必要としていない。またいきなり剣を振るってきた。また大きく後ろに下がってそれを避けたソル。だが今度はそれだけでは終わらなかった。さらに横なぎに振るわれた剣。持っていた槍を立てて、それを防いだソルだが、そのまま吹き飛ばされて地面に転がることになった。
「……これが体をほぐす、ですか?」
相手を警戒しながら、ゆっくりと立ち上がったソル。立ち上がるまでバルナバスの追撃はなかった。バルナバスはソルを倒す為ではなく、試す為に立ち合いを無理強いしているのだ。隙を突いても意味がない。そう考えていることは試されているソルには分からないが。
「ほぐれたか? そうなら、もう少し上げるぞ?」
「いやいや……」
この状況をどのように終わらせれば良いのか。バルナバスへの視線を外さないまま、ソルは考えている。「もう少し上げる」というのは、どの程度のものなのか。それを考えてみる。
今の状況はソルにとって都合が悪い。孤児の若造が騎士の剣を受け続けることなど出来るはずがない。だが、バルナバスの剣は、受けるか避けるかしなければ、大怪我をすると思われるくらいの威力なのだ。
「サー・バルナバス! もう充分です!」
助けの声は観覧席から届いた。ある意味、予想通りのバルナバスのやり方を見て、ルシェル王女が制止の声をあげたのだ。
「……では、あとは真面目にやれ」
バルナバスは素直に引き下がろうとしている。ルシェル王女の制止を無視してまで続けるつもりなど、初めからないのだ。
「……はい。以後、気を付けます」
ソルも一安心だ。これ以上、悩まなくて済むというだけの安心だが。
「……どこかで会ったことがあるか?」
帰り際、バルナバスはソルと同じ伍のヴェルナーに声を掛けた。知り合いに対するものとは思えない鋭い目で、彼を睨みながら。
「……以前も兵士として働いていたことがありますので、もしかするとその時に」
「そうか」
ヴェルナーの答えを聞くと、バルナバスはまた歩き始める。それ以上、足を止めることなくルシェル王女のいる観覧席に向かって行った。
「……あれ、誰ですか?」
バルナバスが仕切りの壁を越えたところでソルはヴェルナーに問いかけた。ヴェルナーはいきなり現れた騎士を知っている。二人のやりとりからこう考えたソルは、騎士が何者かを聞いてみようと思ったのだ。
「サー・バルナバス。ナーゲリング王国最強の騎士だ」
ソルの思った通り、ヴェルナーはバルナバスを知っていた。彼がナイトの称号を得ていることまで。
「ナーゲリング王国最強ですか……ちなみにフルモアザ王国最強の騎士だった人は、どこで何をしているのでしょうか? ナーゲリング王国に仕えていないのですか?」
「死んだ。あのバルナバスに殺された」
「色々知っていますね? そうですか。殺されたのか」
ヴェルナーは「討ち取った」でも「殺した」でもなく「殺された」と言った。この違いがソルは気になった。小さな違和感だ。だが無視しないほうが良い違和感だと考えた。
他の伍の仲間たちも色々とありそうだが、ヴェルナーの事情が一番興味深い。こう思っているのだ。自分のことは棚に上げて。
「やはり、彼だ」
ソルたちからは少し離れた場所で、トビアスたちはバルナバスとの揉め事を見ていた。
「そうか? 彼はあの……あの方に、英才教育を受けていた。あんなものではないのではないか?」
ドミトリーはソルがイグナーツであれば、もっと出来るはずだと考えた。だからといってイグナーツであることを否定しているわけではない。自分の印象とは異なっているという思いを、ただ口にしただけだ。
「英才教育。自分にはしごき、いや、虐めにしか見えなかった」
イゴルにはそう見えた。それくらい凄まじい鍛錬だった。ルナ王女が止めなければ、殺されてしまったのではないかと思うくらいの勢いだった。
イグナーツが城で暮らすようになったのは、まだ八歳。その年齢の子供の体に、情け容赦なく竜王は剣を打ち込んでいた。人並外れた怪力の竜王がそれを行っていたのだ。殺されてしまうのではないかと思うのも当然だ。
「そうであっても、ずっと続けていた。二年くらい毎日のように続けられていたのだ。見ていられないくらい酷い鍛錬だったが、それでも成長は感じられた」
「さっきのは手抜きだろ? ただ完全に素人のふりは出来ないくらい、あの騎士の剣は鋭かった。こういうことだ」
「そうなると問題は、あの騎士がどうして試そうと考えたのか、か」
ナーゲリング王国もイグナーツの存在に気が付いた可能性。彼らにとっては望ましくない可能性だ。イグナーツの目的を疑われれば、自分たちも巻き込まれてしまう可能性がある。胃が痛くなりそうな状況だ。
「やり過ぎではないですか?」
これからのルシェル王女とバルナバスの会話を彼らが聞くことが出来るなら、胃の痛みも少しは和らぐのだろうが、彼らは常人を超える能力の耳を、残念ながら持っていない。
「せいぜい地面を転がった時に擦り傷が出来たくらいです」
「そうかもしれませんけど……それで、どうでした?」
「御覧になった通り。あれは簡単には死にませんな。殿下のご心配は無用のものでした」
ルシェル王女の問いに対するバルナバスの答えはこれだけ。はっきりと分かったことだけを答えているのだ。兵士候補になったばかりの者の動きとは思えない。分かったのはそれだけだ。
「そうですか。それであれば良かったです」
「兵士候補の訓練が終わると同時に、騎士昇格試験を行ってみるのも良いかもしれませんな」
「三か月で騎士になれるほどの実力ということですか?」
バルナバスの攻撃を防いだのは見ていた。だがルシェル王女では、それだけではどれほどの実力かは分からない。「逃げるのは上手いな」くらいの感想だったのだ。
「あの者がどうというのではなく、他にも面白そうなのがおりました。何人かは今すぐ騎士に昇格出来るかもしれません」
「……それは、もしかして、フルモアザ王国で従士ではなく騎士として仕えていた人たちもいるということですか?」
バルナバスは最初、「従士は従士。騎士未満だ」とクリスティアン王子の従士だった彼らを低く評価していた。その評価をいきなり変えたとは、ルシェル王女には思えない。強さに対して妥協のないバルナバスの評価は簡単に変わるものではないと思っている。
そうなると、バルナバスが言う「今すぐ騎士に昇格出来るかもしれない」人は、別の人ということだ。
「どこで騎士をしていたかまでは自分には分かりません。ただ騎士であったのは間違いないと思っております」
「一目見て分かるものなのですか?」
「分かります」
「そうなのですか?」
一目で相手の実力を見極めることが出来るなんて、さすがはバルナバス、とルシェル王女は思ったのだが。
「騎士は常に剣を腰に差しております。片側だけが重い状態でずっといると、いつの間にか体が傾くのです。何年もそうしていると、剣を外しても傾いた姿勢が癖になっていて直らないものなのです」
バルナバスが見極めたのは実力ではなく、体の傾き。騎士であれば、よほどの新米でなければ、誰でも知っていることだ。
「そういうものなのですか……」
「騎士たちを見て、どういうものか覚えておかれるが良い。変装に慣れたものでなければ、癖は出てしまうものです」
「……そうします」
変装した者を見破る必要性。これからはそういうことも必要になるのだと、バルナバスの話を聞いて、ルシェル王女は思った。王女である自分も敵のターゲットになる。そんな正々堂々とは程遠い戦いが、これから始まるのだと。