募兵はまだ続いている。二日目は百名と初日の三分の一まで減ったが、王都から少し離れた土地からやってくる応募者の到着が遅れているようだという情報が伝わり、軍政局、そしてルシェル王女の不安はそれほど強いものではなくなっている。
募兵の目標数は千名。到着が遅れている応募者がまだいるとはいえ、さすがにこの目標には到達しないことは予想出来る。元々、予算に余裕を持たせるという理由もあって、高めに設定されている目標だ。到達しないことに対する落ち込みはない。どれだけ千名に近づけるかだ。
兵士候補の訓練は募兵受付の完了を待たずに開始されている。一日でも早く兵士を育てたいという当然の理由と、脱落者数は早めに把握したいという理由からだ。
伍と呼ばれる五人一組の編成が行われ、訓練はその伍単位に行われる。走り込みなどの個人の能力を鍛える訓練も、伍で行われる。兵士の訓練は飛びぬけた一人を育てるのではなく、平均を上げることが目的だからだ。
「で、俺たちはこのメンバーと。一人、外れが混ざっているな」
「えっ、外れって誰ですか? 嫌だなぁ。外れの人と一緒なんて」
「お前だ! ガキんちょが同じ伍なんて、外れ以外の何でもないだろ!?」
伍のメンバーは軍政局が勝手に決める。一応は個々人の能力を考え、平均点が同じになるような編成が考えられている。訓練が始まる前の能力評価など、判断する人の主観でしかないが。
「年齢だけで外れ扱いするのは間違っていると思います」
「お前、いくつだ?」
「多分、十六?」
「外れだ」
成人年齢、募兵の年齢制限は十五歳以上。若いといっても成人している。ただ、年齢が成人年齢に達しているからといって、大人扱いされるわけでもない。身分の高い者たちであれば、十五歳で結婚するなど当たり前にあることだが、庶民の場合は独り立ち出来ていない者がほとんどで、半人前扱いなのだ。
「本当に外れであれば、すぐに脱落する。そこまで文句を言う必要はないな」
別の伍のメンバーが窘めてきた。
「ま、まあ、そうだけど」
成人したばかりの彼が平均点を下げる存在であれば、その分、あげる存在もいる。窘めてきたのは見た目そういう人物。強面のその男相手には、文句を言っていた男も同意以外は返せなかった。
「それに若造の言う通り、年齢だけで外れ扱いは間違っている。若造呼ばわりも同じか。小僧、名前は?」
「あっ、ソルです」
「ソルか。俺はヴェルナーだ。若いのに良く鍛えているな? 前は何をしていた?」
年齢だけで判断するのは間違っている、は、ただソルを庇うための言葉ではない。ソルの体はヴェルナーには、かなり鍛えられているように見える。剣や槍は使えなくても、基礎体力は馬鹿に出来るレベルではないと判断しているのだ。
「小銭を稼ぐ為に色々と。どれもきつい仕事だったので、体力には自信があります」
「……そうか。言葉通りであれば、俺たちは幸運だな?」
「幸運ですか? それは大げさです」
自分の存在は幸運と思われるほどのものではない。外れ扱いは嫌だが、褒められる過ぎるのもソルにとっては気持ちが悪い。
「大げさかもしれないが、運が良いのは確かだ。伍はどこも同じ実力になるように組まれている。上の人間もソルを年齢で下に見たのだとすれば、俺たちの伍は他よりも能力が高いってことになる」
「なるほど……詳しいですね?」
伍がどのように編成されているかなど、普通は知らない。文句を言っていた男も平均的になるように編成されていることを知らないから、ソルがいることを当たり前と思わなかったのだ。
「兵士になるのはこれが初めてではないからな」
「出戻りということですか?」
「まあ、そんなものだ。それでお前は? 訓練が始まる前に名前くらい教えておけ」
ヴェルナーは話を文句を言っていた男に振った。詳しく聞かれるのを避けたようにソルには思えたが、どうでも良いことだ。
「俺はマルコ。兵士になるのは初めて。ここに来る前は、小僧と同じ。稼ぐ為に何でもしていた」
「ソル」
「ああ……ソル。よろしくな」
「よろしくお願いします」
マルコも詳しい自己紹介を避けている。人には言えない仕事もしてきた。命を落とす危険のある兵士になろうなんて人物は、志が志願理由でなければ、こんなものだ。他にはいられないから、ここに来たのだ。
「俺はトーニオ」
「私はジルです。八人兄弟の三男。食い扶持を減らす為にここに来ました」
トーニオは何も語らず、ジルは家族の生活の為であることを説明した。全員にとってどうでも良いことだ。伍の仲間に対して興味があるのは、強いか弱いか。自分が生き残る為に役に立つか、そうでないか。もしくは足を引っ張る存在でないかだ。
皆で協力し合って、戦いを生き延びる。そんな意識は出会ったばかりの五人には、まだ生まれていないのだ。
◆◆◆
フルモアザ王国のクリスティアン王子の従士であった者で、募兵受付の初日に応募したのは四人。トビアス、アルヴィ、ドミトリー、イゴルの四人だ。クリスティアン王子と最後の時を過ごした従士は、全部で八人。まだ半分だ。もっともすでに兵士候補となった四人が、それについて語ることはない。ナーゲリング王国の兵士になることは自由意思。四人はクリスティアン王子の意思を繋ごうと考えたが、そうでない仲間がいても批判は出来ない。逃亡生活の五年は、生活こそクリスティアン王子から与えられた金銭でまかなえたものの、そう思わせる苦労があったのだ。
「見たか?」
「何のことだ? 見たかだけでは何のことか分からない」
トビアスの短い問いに、聞かれたアルヴィは戸惑っている。「見たか?」だけでは何のことかさっぱりなのは、トビアスだって分かるはずなのだ。
「……イグナーツ様らしき方がいた」
アルヴィの耳に口を寄せ、囁くような声で問いに答えるトビアス。短い問いには意味があった。他には聞かせられない話なのだ。
「……見間違いではないのか?」
それが分かったアルヴィの声のトーンも一気に低くなる。
「五年振りだ。間違いである可能性は否定しない。だが……」
トビアスも自信があるわけではない。最後に会ったのは五年以上前。まだ相手は十歳か十一歳という若さだ。その年齢の五年間は、容姿を大きく変えることがある。だがトビアスにはその人物が知った相手だと思う理由がある。光の加減によって違って見える瞳の色。印象的な青紫色の瞳だ。
「ここにいる可能性はある。イグナーツ様は元はシュバイツァー家の人間。戻っているのはおかしなことではない」
彼らがイグナーツ様と呼んでいるのは、ルナ王女の婚約者だった男の子のこと。竜王弑逆事件以降、行方が分からなくなっていた、といっても逃亡中の彼らにはイグナーツの行方を探すことなど出来なかった。行方が分からないのは当たり前だ。
「私が見たのは兵士候補の中でだ」
「……どういうことだ?」
「分からない。だから私の勘違いである可能性は高い。高いのだが……」
元いた家に戻るのに、どうして兵士候補になる必要があるのか。どうして自分たちと同じタイミングでそうなったのか。五年間、どこで何をしていたのか。トビアスにはまったく思いつくことがない。
「イグナーツ様が亡きベルムント王の庶子だという話は嘘。これは知っているか?」
「ああ、クリスティアン殿下が話してくれた。外部の人間と会った時に礼儀作法で粗相があったら、上手く誤魔化すように言われて」
竜王の周囲では公然の秘密。そもそも隠すようなことではない。嘘であることが公になって困るのは、騙したシュバイツァー家のほうなのだ。
だが竜王は、その家族もその事実を隠した。周囲の者に外部には知られないようにフォローするように命じた。バラウル家の結婚相手として重要なのは家柄ではなく、適正。イグナーツは適正があると判断されたのだ。
「……我々とは違い、今もシュバイツァー家を憎んでいる可能性はある」
イグナーツとルナ王女の仲睦まじさを彼らは知っている。まだ成人には遠い二人だったが、精神的にはすでに夫婦だった。二人の様子を見ていた彼らも、イグナーツの家柄などどうでも良いと思える仲の良さだった。
「もし、そうだとしたら……どうする?」
「たった一人で復讐を企んでいると言うのか?」
「憎んでいる可能性があると言ったのはお前だ。その通り、あくまでも可能性の話だ」
あくまでも可能性の話。決定的な話をトビアスはしたくない。彼はナーゲリング王国に忠誠を向けると決めて、ここに兵士候補としている。イグナーツが本当にシュバイツァー家への復讐を考えているのであれば、それを止めなければならない。だが、そうすべきとも言えないのだ。
「まずはイグナーツ様であるかどうかも可能性だ」
結論づけるような話をしたくないのはアルヴィも同じ。自分たちもクリスティアン王子の言葉がなければ、シュバイツァー家を恨んでいた。それが分かっているのだ。
「悩むのはそれから……ドミトリーとイゴルだ」
「……そうだな」
元クリスティアン王子の従士だった残りの二人。ドミトリーとイゴルも二人に近づいてきた。トビアスがアルヴィのところにやって来た時と同じような顔をして。
二人が近づいてきた理由が、その顔を見ただけでアルヴィには分かった。
◆◆◆
四人で相談した結果の結論は、まずは本当にイグナーツかどうかを確かめるべきだということ。相談するまでもないことだ。だが、本当に本人であるのかを確かめることも、許されるなら避けたいのだ。その思いを乗り越えることが出来たのはイゴルの「もし本当にイグナーツ様で、シュバイツァー家の誰かに危害を加えるような真似をされたら、自分たちも疑われるのではないか?」という言葉だった。
十分にあり得る話だ。彼らはイグナーツを知っている。そうであることはナーゲリング王国にも分かるはず。今も完全に疑いが解けていないはずの状況で事件が起きれば、確実に彼らも共犯だと思われる。見て見ぬふりは許されないのだ。
かといって四人揃って相手のところに行くのも躊躇われる。それこそ何か企んでいるのではないかと疑われかねない。代表して、くじ引きで負けてだが、トビアスが話をすることになった。
「……えっと……ごめんなさい。何の話ですか?」
トビアスのやや遠回しの聞き方に対して、相手の反応はこれ。どうやら人違いだった。良かった良かった、では終わらせられないのがトラビスの生真面目さだ。
「貴方はイグナーツ様ですよね?」
生真面目さだけではない。近づいて話をして、トラビスは確信してしまったのだ。間違いなくイグナーツだと。
「私の名前はソルです。イグナーツなんて名前ではありません」
「惚けないでください。私のことを覚えていますよね? クリスティアン殿下の従士をしていたトラビスです」
「そんなことを言われても……違うものは違います」
相手はイグナーツであることを認めようとしない。だが否定されると尚更、トラビスの疑いは強まる。相手がイグナーツであることではない。それはもう確信している。イグナーツであることを隠さなければならないような良からぬことを企んでいることへの疑いだ。
「王国に調べてもらう方法もあります。貴方がイグナーツ様であるなら、知っている人がいるはずです」
「困ったな……そのイグナーツ様は貴方にとってどういう人なのですか?」
「どういう……それは……ルナ殿下の婚約者で……」
イグナーツとの関係を問われるとトラビスは答えに困ってしまう。主は竜王であり、直接仕えていたクリスティアン王子だ。ルナ王女も主の一人と言えるが、まだ結婚前のイグナーツはバラウル家の人間ではないのだ。
「良く分かりませんが、仮に私がその人だったとして、貴方は何をしたいのですか?」
「……私は……ナーゲリング王国に仕える身です。ですから……その……ナーゲリング王国に害を及ぼすような真似はしないで頂きたい」
「私もナーゲリング王国に仕える身です。まだ兵士候補なので臣下とは認めてもらえていないですけど」
「それは……ナーゲリング王国に害を及ぼすような真似はしないという理解でよろしいですか?」
相手は遠回しに自分がイグナーツと認めた上で、心配は無用と伝えているのではないか。こんな風にトラビスは受け取った。
「ですから私はそのイグナーツさんではありません。何だかその人は危ない人みたいですけど、そうなら知り合いだとしても、近づかないほうが良いのではないですか? 貴方も悪い人だと思われてしまいますよ?」
「……それはどういう……脅しですか?」
相手の意図を考えたトラビスは、「自分の正体をばらしたら、巻き添えにする」と脅されているのではないかと受け取った。
「どうしても私を悪い人にしたいみたいですね?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、どうしてここにいるのかを知りたいだけです」
何も悪いことを企んでいないのであればそれで良いのだ。だが何を言われても、それを信じられる自信はトラビスにはない。
「……頼まれたからです、ある人に。この国の為に働いてくれって」
「それは……クリスティアン殿下ではありませんね? ルナ殿下がそのようなことを?」
「その誰だか知らない二人ではないのは確かです。それに、ここにいると会いたい人に会えそうなので」
彼は真実を語っている。ここにいる目的は、会いたい人に会える確立が高いのが、ここだからだ。
「兵士でなければならないのですか?」
ベルムント王の庶子であることは嘘とはいえ、公式にはイグナーツはシュバイツァー家の人間。わざわざ末端の兵士として仕える必要はないのではないか。もう一つの疑問にもトラビスは答えを求めた。
「だって、私はその人たちと戦場で会いたいのです。敵として」
「…………貴方はやはり?」
トラビスは彼が、イグナーツがナーゲリング王国に兵士として仕えようとしている理由が分かった。彼の目標はシュバイツァー家ではなく他家。竜王弑逆事件に加わった他の公家を目標としているのだと。
「勝手に納得するのはご自由ですけど、その敬語は止めてもらえますか? 私は貴方よりも年下。敬語を使われるような立場でもありません」
「……分かりました。気を付けます」
トラビスは一旦、納得した。彼の話はつじつまがあっている。これから戦争が始まる。一番に狙われるのはナーゲリング王国。他の公国はナーゲリング王国を滅ぼそうと攻め込んでくるはずだ。これくらいのことはトラビスにも分かる。
だが彼はもっと考えるべきだった。どうして彼が、シュバイツァー家を復讐の対象から外したのかを。今ここでそれを考えていれば未来は変わったかもしれない。トラビスにとって良い未来とは限らないが。