領地替え。それもこれまでのゲルメニア族の居住地を領地としていたのとは異なり、きちんと領地を運営しなければならないことにレグルスはなった。ただ住む場所を引っ越せば良いというわけでは、当然ない。様々な役割の家臣を揃えていかなければならい。ましてレグルスは騎士団の任務で、領地を離れることが多くなる。その間を任せられる信頼出来る人物でなければならないのだ。
この信頼出来る人物というのが、レグルスの場合は、かなりのハードルになる。元々、そのような相手はほぼ無だったところから、ようやく二桁になったかというレグルスなのだ。これまで必要としなかった文官となると、まったく心当たりがない。
「不合格」
「えっ!? まだ私、何も話していません!」
ということで募集を行うことにした。特別な方法ではない。領地が広がって家臣を増やさなければならなくなった時など、当たり前に公募して、新しい家臣を探すものなのだ。
「領主を馬鹿にするような人は不合格」
ただ領主が一次面接から参加するのは特別だ。一人も家臣がいないので、そうするしかないだけだが。
「ですから、私はまだ何も話していません。座っただけで不合格というのはおかしくないですか?」
「だって、お前、ブラックバーン家の人間だろ?」
「…………」
「気づかれないと思っていたというのは、俺を馬鹿にしているということだ。不合格」
だが応募者の中にはこういう者もいる。ライラスが密偵をさせようと考えて送り込んできた者。ブラックバーン家に限った話ではなかったりするのが、面倒だったりする。一人一人の素性を洗うエモンたちは大忙しなのだ。
「次……えっ?」
「覚えていていただけましたか?」
「アウグスト」
レグルスの家庭教師だったアウグストだった。ほんの数日だけの家庭教師。だがその数日でレグルスを変えてくれた人物。レグルスと同じ、人生を繰り返している人物だ。
「何故か生き延びておりまして。そうなるとこの先どう生きたら良いのか分からなくなる。困っていたところに御曹司が家臣を探していることを知りました」
とっくに人生は終わっているはずだった。過去の人生ではそうだった。だがアウグストは今も生きている。それが不思議ではあったが、なんとなく理由は分かった。家庭教師を辞めたあとも気にしていたレグルスの動向。それは過去の人生とはまったく異なるものだった。
「もう御曹司ではない」
「そうでした。すでにご領主様ですな」
「再会は嬉しい。だけど贔屓は出来ない。家庭教師以外に何が出来る?」
昔馴染みだからといって無条件で採用しようとはレグルスは思わない。嫌々であっても引き受けると決めたからには、きちんと責任を果たす。その為には出来るだけ優秀な家臣を集めなくてはならない。それも適正な数で。こう考えているのだ。
「バトラーの仕事は経験があります」
「嘘? どこで?」
アウグストは貴族家で仕えていた。バトラーの経験があるということはそういうことだ。
「南方辺境伯家のご長男、クリスチャン様にお仕えしておりました」
「えっ……」
南方辺境伯、ディクソン家の長男クリスチャンは、何度も弟のタイラーの暗殺を試みている。何度もレグルスはそれを邪魔している。嫌でも、アウグストを疑わないではいられない状況だ。
「何かありましたか?」
「どうしてディクソン家を辞めて、俺のところに? 後継者からは外されているといっても、王国の外れに領地を持つ子爵家よりもずっと待遇は良いはずだ」
「ご存じないのですか? クリスチャン様はディクソン家の一員と認められておりません。与えられた屋敷はかなり大きなものですが、領地と言えるようなものはありません」
領政というものは必要ない。アウグストが行っていたのは屋敷内の仕事のみ。例外はあるが、バトラーとはそういう役職なのだ。
「追放されたのは知っている……そこでどういう仕事を?」
そのような状態でどうして暗殺者を雇えるのか。クリスチャンには支援者がいる。今初めて思ったことではない。前からそうではないかと考えていたことだ。
「屋敷内のことを色々と。全てを私が行っていたわけではなく、他にも仕えている者はおりましたので、その者たちの監督も私の仕事でした」
「バトラーだからな……他には?」
「他ですか……監督も含めて、屋敷内の様々なことですので、他というご質問に答えるのは難しいところがあります」
「そうか……クリスチャン殿はどういう人だった?」
タイラーの暗殺計画を手伝っていた、なんて話は、事実そういうことがあったとしても簡単に聞き出せるはずはない。レグルスはアプローチを変えることにした。
「……難しい方です。不遇である点には同情致しますが、ご本人はそれに拘り過ぎております。不遇であるからといって、何を行っても許されるわけではありません」
「何を行ってもか……」
「もしかして……クリスチャン様の企みをご存じなのですか?」
意外なことにアウグストからクリスチャンに企みがあることを話してきた。
「……例えば、弟のタイラーの暗殺とか?」
「ご存じでしたか……ブラックバーン家のレグルス様の耳にまで届いていたとは……いずれ広く知れ渡るとは思っておりましたが」
アウグストはあっさりとタイラー暗殺未遂について認めた。クリスチャンを庇うつもりは、まったくない様子だ。
「いずれ広く知れ渡るというのは?」
「クリスチャン様はその罪を問われて死にます。公にならないように密やかに殺されます。過去の人生ではそうでした。今回はまだそうなっておりませんが、あの様子では結果は変わらないと思います」
「……そういえば、話せるのだな?」
繰り返す人生では何らかの制約を受けていて、重要なことを話そうとするとひどく苦しむことになる。場合によっては気を失ってしまうくらいの苦しみだ。レグルスは今回の人生でその制約から何故か解放されているが、アウグストは以前会った時、制約を受けたままだった。
「はい。苦しむことなく話せるようになりました。本来死すべき時を乗り越えた以降、解放されたようです」
「貴方も死んでいるはずだった?」
「クリスチャン様と共に。企みを知ってしまっていますので口止めとして殺されるはずが、その時が来ない。もしかすると殺される運命から逃れられられるのではないかと考え、クリスチャン様から離れました」
過去の人生では出来なかったことが、この人生では出来る。すでに死期はずれているが、それ以上に人生を変えようとアウグストは考えた。その為には、クリスチャンから離れなければならないと考えたのだ。
「なるほどな」
「この件で、ご領主様に申し上げておかなければならないことがあります」
「何?」
「穏便に辞職出来たわけではありません。多くを知っている私を手放すはずがありませんから、密かに逃げ出してきました。これによりご領主様にご迷惑をお掛けする可能性があります」
クリスチャンに追われている可能性がアウグストにはある。それをレグルスに正直に話した。
「……嘘だな。そんな風には思っていない」
が、レグルスは嘘だと受け取った。
「何故、そのように思われるのですかな?」
アウグストの顔には笑みが浮かんでいる。レグルスの指摘を肯定する笑みだ。
「そこまでのことを知っているなら、俺が何度も暗殺計画の邪魔をしていることも知っているはずだ。すでに俺はクリスチャンに恨まれている。今更、お前を受け入れても変わりはない」
「なるほど……私が貴方の暗殺を企んでいる可能性は?」
「お前と俺に繋がりがあることを知っていたなら、もっと早くそうしているはずだ。そうせず、俺が王都を離れることが決まってから、暗殺者を送り込む? ないな。タイラーが王都にいるのだから、俺の存在はもう障害とならないのに」
これまで邪魔されたことの恨みを晴らす為、というのはある。だがその可能性は低いとレグルスは考えた。アウグストはタイラー暗殺計画の証人となれる存在。そういう人物を王都まで送り込むはずがない。ディクソン家はよく王都まで来ることを許したなとレグルスは思っている。
「……勉強されていますな。活躍を耳にして、そうだろうとは思っておりましたが、こうして実際に会い、話を聞くと改めて喜びが湧いてきます」
「試しは良いけど、本気で働く気はあるのか?」
「もちろん。ご迷惑でなければですが」
「正直言うと俺よりもお前のほうが危険だ。俺に近づくことで、さらに危険視される可能性がある」
クリスチャンの支援者。もしかするとそちらが首謀者ではないかと思う存在。その存在はレグルスが真実に近づくことを嫌がるはずだ。そうさせまいとアウグストを消そうと動く可能性をレグルスは考えている。
「本来であれば、すでに失っている命です。これから先は自分がしたいように生きる。それがたとえ短い期間であっても、これ以上の喜びはありません」
死の恐怖などとっくに乗り越えている。今日か、明日かと毎日怯えて暮らしていた。逃げ出したい。心からそう思っているのにそれが出来ない苦しみ、恨み。来るはずの時が来ないことで、アウグストはそれを乗り越えた。いつ死んでも良い。その時まで自由に生きることが出来ればと思えるようになったのだ。
幸先良くバトラーを雇うことが出来た。だがまだまだ準備は必要だ。レグルスは普段以上に忙しい毎日を過ごすことになる。
◆◆◆
レグルスとは、当たり前だが、違う理由でアリシアは忙しい日々を送ることになっている。鍛錬ではない。今一番、アリシアが必要としている鍛錬の時間を邪魔する用事が、次から次へと入ってくるのだ。多くの貴族家からの様々なイベントへの誘いだ。
国王の試みは。アリシアに注目を集めるという点では上手く行った。ただその注目のされかたは、国王が考えていたものとは違っている。
アリシアとレグルスが親しげに話している様子を、そしてジークフリート王子が焦っている様子を見た貴族のご婦人たちは、三角関係の真相を知りたくて、彼女と話す機会を作ろうとしてくる。貴族の男性たちは、どうやらアリシアとジークフリート王子との結婚はまだ噂の段階だと考えて、そうであれば我こそはと、アリシアと知り合う機会を作ろうとしてくる。アリシアにとっては迷惑以外のなんでもない誘いばかりだ。
その状況に、はりきっているのはジークフリート王子。周囲が自分とアリシアとの関係をどう見ているか知った彼は人々の誤解、と彼が決めつけているだけだが、を解こうと積極的に活動している。
アリシアが誘われたイベントには必ず自分も参加して、二人の親しさを周囲にアピールする。そうすることで逆に周りの認識を固めてしまおうという作戦だ。
ただその作戦は必ずしも上手く行っていない。なんといっても相手のアリシアが協力してくれないのだ。人前でジークフリート王子とベタベタすることなど、アリシアが受け入れるはずがない。逆に余所余所しさが強調される結果になっていた。
「……あの、アリシア」
「どうしたの? ジーク」
なんだか思い詰めた雰囲気のジークフリート王子。何か大変な問題が起きたのかとアリシアは考えた。
「このままでは時間だけが過ぎていくような気がして」
「……そうね。もっと鍛錬に時間を使いたいのに。このままではろくに鍛え直さないまま、次の任務に向かうことになってしまうわ」
「いや、そういうことじゃなくて」
この状況でどうしてそういう受け取り方になるのか。アリシアの鈍感さが、少し憎らしくなったジークフリート王子だった。
「……何の話かしら?」
「そろそろ具体的に話を進めないか?」
「話って……」
ようやくアリシアもジークフリート王子が何を言いたいのか分かった。彼女が望まない展開であることを知った。
「結婚の話を進めたい」
「……あっ、サマンサアンさんといよいよ?」
「違うから」
軽く躱そうというアリシアの作戦は失敗に終わった。上手く行くはずがない作戦だ。
「あの、ジーク。まずはサマンサアンさんとの結婚をきちんと進めるべきだわ」
「まずは、か……」
アリシアの言う通りなのだ。サマンサアンとの結婚をきちんと進めるのが本来の形。アリシアとのことはその後だ、というのもジークフリート王子の勝手な考えだが。
アリシアとの関係が思うように進まないことにジークフリート王子は焦っている。サマンサアンとの結婚に関しては障害はないと考えているので、アリシアとのそれを急ごうと考えてしまうのだ。
「サマンサアンさんと話していますか? 二人のことなのだから、きちんと向き合って話すべきだと思うわ」
「……そうだね。アリシアの言う通りだ。ごめん、アリシア。君を待たせてしまう私を許してくれ」
「……私は平気だから」
どうしてジークフリート王子は自分との結婚に確信を持っているのか、アリシアは不思議だった。確かに雰囲気に流されてキスはしてしまった。でもそれだけで結婚というのはどうかと、異世界で生まれ育ったアリシアは思ってしまう。それともゲームストーリーがジークフリート王子の心を支配してしまっているのか。この可能性はあると思っている。ゲームではサマンサアンから妃の座を奪ってしまう自分なのだ。
そんな結末にはなって欲しくないとアリシアは思う。アリシアはサマンサアンを恨みに思う気持ちは薄い。殺されそうになったことはあるが、自分が暗殺されるということへの実感がなくて、サマンサアンが裏で糸引いていることに対して、恨みに思う気持ちが湧かなかったのだ。
そしてなによりアリシアにはジークフリート王子の妃になりたいという強い想いがない。サマンサアンが競争相手を殺そうと思うほど強くその座を求めているのであれば、彼女が妃になれば良いと思ってしまっているのだ。