東方辺境伯家、ホワイトロック家の王都屋敷でアリシアは、キャリナローズとタイラー、そして今はタイラーの妻となっているフランセスの三人と久しぶりに会っている。こういう機会は卒業してから一度もなかったのだが、いきなりキャリナローズに呼び出されたのだ。誘われて、それを断るという選択は、よほど外せない別件がない限り、アリシアはしない。いざホワイトロック家の屋敷を訪れてみるとタイラーもいた、という状況だ。
「お久しぶりです」
「ええ、久しぶりね」「久しぶりだな」
まずは挨拶から。呼び出された理由をアリシアは知らないので、挨拶以外に口に出す言葉がない、と部屋に案内された直後は思ったのだが。
「フランセスさん。お子さんが生まれていたのですね?」
フランセスが子供を抱いているのに気が付き、お祝いの言葉を述べようと問いを向けた。
「いいえ。この子は私ではなく、キャリナローズさんの子供よ」
「えっ!? キャリナローズさん、子供が? いえ、結婚していたのですか?」
キャリナローズの子だと教えられて驚くアリシア。
「結婚はしていない」
「えっ……?」
そして、結婚していないと言われて、戸惑った。
「知らなかったのね?」
アリシアの反応は、レグルスが子供のことを黙っていることを意味している。ただキャリナローズは意外には思わなかった。レグルスのことを昔よりもずっと理解出来るようになっているのだ。
「知りませんでした。おめでとうございます」
未婚の母だとしても、子供が生まれたことはおめでたいこと。お祝いの言葉をアリシアはキャリナローズに伝えた。
「ありがとう……やっぱり、教えたほうが良いのかしら?」
「何の話ですか?」
「……教えることにする。でも、絶対に口外はしないと約束してもらえる?」
「口外はしません。でも、知らなくて良いことだったら、話してくれなくてもかまいません」
口外するなと言われれば、しない。だが重要な秘密であれば、わざわざ自分に教える必要はないともアリシアは思う。
「そこの判断が難しいのだけど、私は知っておいたほうが良いと思うわ」
「じゃあ、お願いします」
「レグルスの子供なの」
「…………」
さらっとレグルスとの間に出来た子供であることを伝えるキャリナローズ。それに対してアリシアは無反応、というか、固まってしまった。
「恋愛感情はないわ。事情があって、ほとんど無理やり、レグルスに協力してもらったの」
「……事情」
どんな事情があるとキャリナローズとレグルスがそういう関係になるのか。アリシアにはまったく分からない。考える頭が働いていない。
「やっぱり、ショックを受けるのね?」
「えっ? あっ、いえ、内緒にするなんて水臭いと思って。それがショックだっただけです」
「ふうん。まあ。良いけど。レグルスを庇うわけではないけど、内緒にしていたのは私の為だと思うわ。レグルスが父親であることは公にはしない。知る必要のある人だけ知っていれば良いの」
「……どうして秘密にするのですか?」
どうしてレグルスが父親であることを秘密にしなければならないのか。子供の親を隠さなければならない事情なんてものは、良くないものに決まっているとアリシアは考えた。勘違いだ。
「公爵家の生まれとは思えないくらい政治に鈍感ね?」
「……すみません」
公爵家の生まれではない、とは言えない。アリシアのこの秘密は誰にも話せない。
「除名されているとはいえ、ブラックバーン家の公子であったレグルスとホワイトロック家の私の間に子供が生まれた。王国はこの事実を喜ばないわ。警戒すると言ったほうが分かり易い?」
「辺境伯家の結びつきが強まることをですか?」
「そう。辺境伯家が二家結びつくくらいであれば、まだ脅威とまでは言えない。でも三家が連合したら、王国に抗う力はない。残りのもう一家が王国に味方して五分五分かしら?」
タイラーに視線を向けながらアリシアに説明するキャリナローズ。今話している内容は厳密に軍事力や財力を比較したものではない。感覚で話しているので、間違っていたら訂正してもらいたいという意志表示だ。
だがタイラーもそういう比較を行ったことはない。実家はともかく、彼自身には王国と戦うことを考える気持ちはないのだ。
「……じゃあ、この子も」
「この子については、父親が誰かを陛下に伝えているわ。この子をホワイトロック家の跡継ぎと認めてもらう為に必要だったから」
「……跡継ぎ……それはそうですね」
レグルスの子がホワイトロック家の跡継ぎ、将来の東方辺境伯になる。ようやくアリシアも事の重要性が分かってきた。
「レグルスだから認められたようなものね? 彼のブラックバーン家嫌いは陛下も良くご存じみたいだったから」
「そうですか」
「ということで、この子の政治的な問題について理解したところで、次の問題。これが今日の本題よ」
「えっ? そうなのですか?」
てっきり、レグルスと子供のことを伝えることが今日の目的だと思っていた。何かのついでに話すようなことではないのだ、アリシアにとっては。
「貴方の発言が私たちの耳にも届いた」
「私の発言ですか? どれのことでしょう?」
「……やっぱり、鈍感。スタンプ伯爵に向かって、貴方が言ったことよ」
本来は関係者だけしか知ってはいけないはずの情報が、辺境伯家に漏れている。珍しいことではない。問題はアリシアの発言が辺境伯家が気にするような内容だったということだ。
「……えっと……どれでしょう?」
「はあ……これだからか……」
アリシアはまったく分かっていない。分かってないからこその発言なのだが、ここまで鈍いとキャリナローズも呆れてしまう。それはタイラーとフランセスも同じ。特にフランセスは、キャリナローズと同じように、わざとらしくため息を吐いて、呆れているのを伝えている。
「……ごめんなさい」
「貴方の領地は陛下から預けられたもので、領民は王国の民でもあるって発言」
「何か問題が?」
どの発言か教えられても、アリシアには問題点が分からない。
「貴族の土地は国王に預けられているだけで、貴族が得ている税は本来、国王の物であると言い替えたら?」
「……少し分かりました」
アリシアのこの発言は間違ってはいない。国王は領地を与えることも、奪うことも出来る。領主が得る利は、正しくは国王の物で、それを国王から貴族へ領主という仕事の報酬として与えられているのだ。
だが本来はこうであるということを、貴族は受け入れられない。いつでも国王は領地を取り上げることが出来るなんてことを認めるわけにはいかない。領地からあがる税収もそうだ。本来あるべき、一度王国が全てを吸い上げてから、貴族家に配分するなんてやり方をされては、生かすも殺すも王国の意のままになってしまう。そういうやり方は膨大な手間と時間が必要となるので現実的ではなく、実現はしないとしても。
「貴女の発言はかなり問題視されている。逆に辺境伯家は私たちがいるから良いわ。ただの馬鹿なの、の一言でかなり和らぐから」
「馬鹿……」
「馬鹿でしょ? 今の貴女は、政治的立場ではただの公爵家の令嬢。何の力もないの。仮にジークの妃となっても難しい状況になるわ。貴女の発言は王家の考えと思われる可能性がある」
政治的にはアリシアは無力。守護家がその気になれば、表舞台から消し去ることなど簡単に出来る。生きていられるかも分からない。
「……ありがとうございます。私にことを心配してくれて」
この場は自分のことを心配して、設けられたもの。それにアリシアは感謝した。
「それでどうなんだ?」
これまで発言していなかったタイラーが問いかけてきた。
「これからは発言に気を付けます。でも」
正しいと思うことを飲み込むことは出来ない。心配してくれていることには深く感謝しているが、これを曲げるわけいにいかない。
「そうではなくて、ジークとはどうなんだ?」
「はい?」
だがタイラーの問いはそういうことではなかった。
「いや、まったく進展が見られないから心配になって」
「……心配はそっちですか?」
「今回の一件で、話がなくなる可能性もあるからな。心配して当然だ」
発言について心配はしている。だがディクソン家は、タイラーとフランセスの二人でアリシアの為人を説明したこともあって、特に動くことはない。キャリナローズに聞く限り、ホワイトロック家も同じ。今日は参加していないが、クレイグのところも似たような雰囲気であることが、今日の日を迎える前に分かっている。
アリシアを呼び出した時点に比べると、三人の気持ちは緩んでいるのだ。
「その心配はいりません」
「なんだ、順調なのか?」
「違います。ジークの妃はサマンサアンさんです。私が入る隙間はありません」
入る必要がない。元いた世界と違うのは仕方がないと思っているが、それでも一夫多妻には、自分自身がそうなることには、抵抗を感じる。真面目にジークフリート王子とのことを考えてみて、そう思う自分にアリシアは気付いたのだ。
「……まさか、振られたのか?」
「違うから! タイラー、結婚して性格変わった?」
アリシアの畏まった態度を吹き飛ばすような意外な追及。アリシアの知るタイラーではない。
「性格が変わったのではなく、ノロケたいのよ。私にも、どうして結婚しない。結婚は良いものだとうるさくて」
タイラーがジークフリート王子との関係に拘る理由を、キャリナローズが教えてくれた。タイラーは、アリシアとジークフリート王子の関係を気にしているのではなく、近しい人の結婚が気になるのだ。
「ああ……お幸せそうで何よりです」
「アリシアも実は幸せなのではなくって?」
御礼を言われたフランセスが、意味ありげな笑みを浮かべて、問いかけてきた。
「えっ? ジークとは本当にそういう話はありません」
「レグルスと復縁した?」
「……してません」
復縁はしていない。だがフランセスのこの問いは、アリシアを動揺させるものだ。
「復縁は難しいか。でも、一時よりは距離が縮まった。元に戻ったかしら?」
「……どうしてそう思うのですか?」
フランセスの言う通り、昔のような関係性に、共に過ごす時間は比べものにならないが、近くなったとアリシアも感じている。それを、どうしてフランセスが知っているのかが気になった。
「ディクソン家にいると驚くくらい色々な情報が耳に届くの。彼、良くも悪くも話題になるから。その彼の話題に近頃、貴女の名前が出てくる」
「ディクソン家って……」
自分とレグルスが一緒にいる時はそれほど多くない。任務の話は分かる。だがそれ以外となると謹慎中にいつも一緒にいたことと、私用でハートランド子爵領に行ったことくらいだ。そういう私的な時間までディクソン家が知っているのではないかとアリシアは疑った。
「我が家に文句を言うな、悪いのはレグルスだ。守護家が無視できないくらい悪目立ちするあいつが悪い」
実際にディクソン家はレグルスの日常も調べている。レグルスが、その周囲に張り付いているエモンたちが知られても良いと判断した時だけだが。
「無視は出来ないか」
「お前がそう思う何かがあったのか?」
「特別なことじゃない。やっぱり、レグルスは凄いと同じ任務に就いて思っただけ」
「それはホーマット伯爵家の?」
当然、ディクソン家はレグルスが担当した任務の情報を手に入れている。ただ現場にいたアリシアでなければ分からないことがあるのだ。
「そう。ただ強いというだけじゃなく、戦い慣れている。状況判断が速くて、集団としての連携も出来ている。私とは違う」
レグルスにとっては反省ばかりの任務だったが、アリシアの評価は違う。自分と比較しての評価だからだ。
「かなり非道な真似をしたと聞いているが?」
「あれは真似できない。でも結果として犠牲は少なくて済んだ。味方だけでなく、敵の犠牲も」
こういう情報はディクソン家が手に入れた中にはない。元は黒色兵団に対して否定的な感情を持つ王国騎士団の情報なので、そうなってしまうのだ。
「そうだったのか」
「レグルスたちは私たちでは出来ないことが出来る。王女殿下がその覚悟を決めているのも凄いと思った」
「汚名を恐れない覚悟だな。それは騎士団を作った時に分かった。レグルスのやり方を受け入れていないと、あのメンバーにはならないだろうからな」
団員は全てレグルスの関係者。レグルスの騎士団と言われるのも当然の団員構成だ。その上にエリザベス王女は立った。それはこういうことだとタイラーは思っていた。
「だから私も、私でなければ出来ないことから逃げるわけにはいかない」
「お前……全然反省していないだろ?」
「ごめんなさい。でもそうでないと私は……レグルスと向き合えない」
恥ずかしく思うような真似はしたくない。レグルスに堂々と「私は正しいことをしている」と言いたい。
「そうか……お前が覚悟を決めているのであれば、俺はそれを肯定する。楽な道に逃げているわけではないからな」
「ありがとう。タイラー」
「それって、私も認めるしかないじゃない? まあ、頑張りなさい。私は……そういう貴女が好きよ」
「……ありがとう」
キャリナローズもアリシアの気持ちを否定しない。否定出来るはずがない。彼女が好きだったアリシアはそういう人間なのだ。
「私も、何かをしてあげられるわけではないけど、貴女を応援するわ。貴女とレグルスを」
「……ありがとうございます」
フランセスの応援はタイラーとキャリナローズのそれとは違うのではないか。こう思ったアリシアだったが、御礼の気持ちは変わらない。御礼を返すことは自分の気持ちを認めることのように思えて、少し躊躇っただけだ。