レグルスとキャリナローズとの間に生まれた子供についての話が終わった後も、東方辺境伯は城に残って、国王との話し合いを続けている。普段は領地にいる東方辺境伯だ。こうして王都に来て、国王と話をすることなど頻繁にあることではない。国のこと、国境を接する隣国のこと等々、この機会に情報を共有し、相談することが色々とあるのだ。
「レグルス・ブラックバーンとは、ああいう男でしたか……」
それでも、すぐに別の話題ということにはならなかった。レグルスに会って、話を聞いて、東方辺境伯には思うところがあった。
「意外だったか?」
「陛下はご存じだったのですか?」
レグルスの悪評は、領地にいる東方辺境伯の耳に届くくらい広まっている。その世間の評判と今日会ったレグルスは、東方辺境伯にしてみれば別人。「意外か?」という国王の問いこそ、意外だった。
「あれは難しい男だ。良く知っているとは言えない。ただ、今日の奴の態度は意外でも何でもない。前からああいう男だ」
「……世間の評判が間違いだと?」
「いや。伯が耳にしている評判は、奴の敵に対して容赦のない所業からのものだろう。今日、あの男が見せたのは味方に対する態度。そういうことだ」
敵と味方で向ける態度が違うのは当然のこと。ただレグルスの場合はそれが極端なのだ。さらに北方辺境伯家の公子という立場も、世間の評価に影響を与えている。「そういう立場にある人間として、あるまじき所業」といった感じに。
「……つまり、当家を討つという言葉は嘘ではない?」
「そうでなければ私は納得しない。あの男にとって守るべき味方は、伯の娘とその子供だけ。ホワイトロック家ではないということだ」
だから国王は「命令があれば東方辺境伯家を討つ」という答えで納得した。いかにもレグルスらしい答えで、王国にとって都合の良い考えだと思ったのだ。
「本人も口にしていました。ホワイトロック家ではなく、娘の為だと」
「そういうことだ」
「……行く行くは王女殿下のお相手にと考えておられますか?」
王国はレグルスにとって味方か。味方に決まっているとは東方辺境伯は考えない。自分自身が、王国の臣であるが利害が対立する立場にいる。真の味方ではいられないと考えているのだ。
「……難しいだろうな?」
「陛下のご命令には逆らえないのではありませんか?」
レグルスは、相手が誰であろうと、結婚は望んでいない。それは東方辺境伯も分かっているが、国王の命令となると従わないではいられないはずだ。北方辺境伯の公子のままであれば話は別だが、今のレグルスは王国の小貴族の一人に過ぎないのだ。
「あ奴の気持ちの問題ではない。私の父親としての気持ちの問題でもない。奴は味方だけでなく、力ない者たちに対しても優しい顔を向ける。先日の任務では、指揮官を無視して、それを行った」
「……王国は常に力ない者の味方ではいられませんか」
王国の正義と、弱者にとっての正義は必ずしも一致するわけではない。有力者の利を優先し、力ない者の犠牲に目をつむらなければならないこともある。王国の都合を考えることなく、無条件で弱者に味方されては困るのだ。それは東方辺境伯も良く分かる。彼も弱者の味方ではないのだ。
「王国の貴族家が全て、弱者の味方であってくれれば問題ない。だがそうではない」
「施政者はより大切なものを守る為に、非情な選択を行う覚悟が必要です」
「分かっている。そして、もしかするとあの男も分かっているのかもしれない。だから、ブラックバーンであることを捨てた」
ブラックバーン家の公子、将来の北方辺境伯となると、この二人と同じ考えで決断しなければならない。弱者を犠牲にする決断もしなければならない。それをレグルスが嫌がった可能性を、国王は考えている。考えるようになった。
「北方辺境伯も分かっていたということですか?」
「それはどうだろう。分かっている範囲では違う理由のように思える。ああ、これについては伯の意見も聞きたい。北方辺境伯とはどういう人物だ? 年齢が近い伯であれば、私よりも知っているのではないか?」
「陛下がそれを気にするような理由だということですか……北方辺境伯を任せられる人物だと、私は思いますが」
飛びぬけて優秀だとは東方辺境伯も考えていない。だからといって無能とも思わない。北方辺境伯としての責任を果たせる能力はある。それはかなり優秀な人物だということだ。
「だが、目立たない跡継ぎの評価は低い。目立たないおかげで、それが知られていないだけだ」
「……娘から少し聞いています。話をしたくないと思うような人物だと」
「それはまた厳しい評価だな。だが、そういうことなのだろう。北方辺境伯は、そういう人物を後継者に選んだ。正直に言えば、王国にとっては都合の良い人物かもしれない。だがその結果、北の国境で問題が起きるようでは困るのだ」
王国としては、扱い易い人物が辺境伯家を継ぐことは都合が良い。だがそれも、国境を守るという責任を果たせるという前提があってのこと。無能過ぎては困るのだ。
「……彼の武の才能は?」
「個人の能力は、恐らく、極めて高い」
「王国騎士団との合同訓練で活躍したと聞いております」
「ああ。だが実際はその時でも全力ではないというのが、諜報部の意見だ。そうだな。伯は非公式だが、奴の義理の父だ。ある程度の情報は伝えておこう」
レグルスがどういう人間か。全てを話すつもりはないが、ある程度は知らせておくべきだと国王は考えた。東方辺境伯に対して、一定の誠意を見せておくことは必要だという考えだ。後々、レグルスの能力が明らかになった時、王国がそれを隠して抱え込もうとしていたなどと考えられても困る。
「隠密能力は極めて高い。王国諜報部長が即戦力、それもトップクラスの諜報部員になると評価するくらいだ」
「隠密能力ですか……」
どうしてブラックバーン家の公子であったレグルスが、そんな能力を身につけているのか。誰もが思う疑問を東方辺境伯も思った。
「剣術も同年代ではトップクラス。魔法に関しては、中央学院での評価はかなり劣っているということになっているが、これもかなり怪しい」
「中央学院が誤ったということですか?」
そんなことがあり得るのかと東方辺境伯は思う。学院の評価に誤りがあるなど、あってはならないこと。それで卒業生の進路が決まる。王国も貴族家も、その評価で雇う相手を選ぶのだ。
「分からない。モルクインゴンでの戦いで、あの男はゲルメニア族の魔道に巻き込まれた。前線の砦が崩壊してしまうような常識外れの魔道具だ」
「……それが伝わって、彼は死んだと誤解されたわけですか」
「そうだ。だが、伯も恐らく誤解しているな。あの男があり得ないほど強力な魔道の発動に巻き込まれたというのは誤情報ではない。事実だ。そうであるのに、何故か生きていた」
魔法のダメージは軽減できる。攻撃してきた魔法の力を超える魔力を使えば。防御魔法が分かり易い例だ。攻撃魔法の威力を防御魔法のそれが超えていれば、完全に防げる。五分であれば相殺。攻撃魔法のほうが遥かに勝っていれば、防御魔法は粉砕され、突破される。
「…………」
その理屈は当然、東方辺境伯も知っている。だが砦を粉砕する魔道というものが、そもそも信じられない。
「分からないことが多い。それは個人の能力だけでは……そういえば、伯は知っているのか?」
「どのようなことでしょう?」
「あの男の母親が何者か」
「……母親に何かあるのですか?」
つまり、東方辺境伯はレグルスの母親がゲルメニア族であることを知らないということだ。
「……知らせておくべきか。ただし、他言は無用だ。積極的に話そうとは思わないだろうがな」
少数民族に対する偏見は根深い。だからこそ、東方辺境伯は知っておくべきだと国王は考えた。今教えなくても、いずれ知ることになる。レグルスは、自分にゲルマニア族の血が入っていることを、まったく隠そうとしていないのだ。
「……承知しました」
「あの男の体に流れる血の半分は、ゲルマニア族だ」
「なんと……?」
驚愕の情報。ゲルマニア族との関係が深いことは東方辺境伯も知っていた。だがそれは、戦いの結果、生まれた結びつきだと考えていた。
「後継車候補を考え直そうと思ったか? だが、それをすれば、伯は北方辺境伯と同じ選択をすることになる」
「そういうことでしたか……」
北方辺境伯の愚かとされている決断には、こういう事情があった。東方辺境伯は、ひとつ疑問が解けたと思った。自家でも、この事実を知って支持を止める家臣は出ると思うのだ。
「私は承認するだけで、候補を決める権限は伯にある。どうするかは伯が決めることだが、少し擁護させてもらう」
実際にこれでキャリナローズの子が後継者候補から外れることになっては、国王としても申し訳ない。キャリナローズの子を、というより、レグルスの子を選ぶべき理由を伝えることにした。
「ゲルマニア族は、レグルスを次期族長と考えている。あの男は今の族長の孫なので、その資格がある。だが血の繋がりがあるというだけが理由ではないようだ」
「……上に立つ者としての資質を認められているということですか?」
「そういうことだ。リズの騎士団にもゲルマニア族の者が加わっている。そして恐らく、奴が求めればゲルマニア族の戦士全員が動く。ブラックバーン家に平気で刃向かうゲルマニア族が」
この分析結果が出た時、王国は少し動揺した。そういった力をレグルスに持たせるべきではないのではないか、という意見もあった。だが、そう考えても防ぐことは出来ない。王国がどう考えていようとゲルマニア族はレグルスに従う。であれば、王国が認めたという形にしたほうが良いということで、ゲルマニア族の居住地はレグルスの領地になったのだ。
「なるほど。そういうことですか」
ゲルマニア族の居住地、レグルスの領地は王国北東部にある。東方辺境伯領からもそう遠くない位置だ。万が一があった時は、娘と孫はそこに逃がせば良い。レグルスは、言葉にした通り、全力で守ってくれるはずだ。
「ブラックバーン家を離れた後も、奴の力は強まっている。ホワイトロック家は関係ないなどと、あの男は言っていたが、何かの時には頼りになるかもしれない。まっ、迷惑を被る可能性もあるがな」
「分かりました。貴重な情報ありがとうございます」
味方になるのは難しくても、わざわざ敵になる必要はない。自分の子をホワイトロック家の跡継ぎにするというキャリナローズの望みを断つということは、レグルスを敵に追いやるということだ。こう東方辺境伯は考えた。
「では私からも情報を。隣国の――」
王国に、王国だけでなく隣国にも不穏な空気が流れていることを東方辺境伯は知っている。レグルス・ブラックバーンという男は、混迷の時代を迎えるにあたって時代が必要とした存在なのかもしれない。そんな風に思うと、レグルスとの繋がりは絶つべきではないという判断になる。東方辺境伯はその判断を選ぶことになる。
◆◆◆
アリシアは謹慎中であるが、白金騎士団は新たな任務に就いていた。ホーマット伯爵捕縛任務での功だけでは不十分。悪目立ちであったとしても、アリシア個人と暁光騎士団に話題を持っていかれたことが、ジークフリート王子は悔しかった。その活躍により注目を集めるのは自分でなければならない。次期国王に相応しいのは自分だと、多くの人に認めてもらわなければならないのだ。
与えられた命令は領主に反抗する少数民族の討伐。また似たような任務だが、それだけ反抗的な少数民族が多いということ。国を奪われたあとも、アルデバラン王国に従わない亡国の人々を、ほぼ全て少数民族扱いしていることにも原因があるのだが、あちこちで争乱が起きていることに違いはないのだ。
今回の任務で白金騎士団は、命令通りに少数民族の討伐に動いた。領主軍と協力しての任務となるので、数も揃っている。質の面でも全員が特選騎士である白金騎士団が上。少数民族側の強者を数人討ち取ってしまえば、それで勝利は決まった。
「……あった。これだ。間違いない」
ほぼ抵抗の消えた居住地の奥深くにある祠で、ジークフリート王子はそれを見つけた。パっと見は、かなり大きな平らな岩。だが、それがただの岩ではないことをジークフリート王子は知っている。
ジークフリート王子の口から洩れる詠唱の言葉。その岩のようなものは、真っ白な光に包まれた。
「ようやく一つか。もっとペースを上げないとだな。こうなったのも、あの女が」
「殿下!」
ジークフリート王子の呟きを遮る声は、白金騎士団の団員のもの。
「こちらでしたか! ご無事で良かった」
彼はジークフリート王子の姿が見えないので、心配して探しに来たのだ。
「……ああ、君も無事だったか。良かった」
「皆、無事です。制圧もほぼ完了。あとは領主軍に任せておけば良いと思います」
「そうだな。じゃあ、集合しよう」
任務は終了。個人的な目的も果たしてしまえば、もうこの場所に用はない。ジークフリート王子は皆が待っているだろう場所に戻ることにした。
「殿下……その盾は?」
そのジークフリート王子は見覚えのない盾を持っている。割と大きな盾なので、部下は気になった。
「これは敵から奪った。なんだか使い心地が良くてね。不思議と私の手に良く馴染むんだ」
「そうでしたか。良く分かりませんが、良い物であるようですね?」
一目見ただけでは盾の良し悪しは分からない。だが、なんとなく良い物であるように見える。部下にとってはどうでも良いことだ。ジークフリート王子が良いと思っているのであれば、そうなのだ。
「あっ、領主には内緒で。泥棒扱いされたくないから」
「戦利品です。遠慮することはありません」
「そうだね。じゃあ、行こう」
白金騎士団は任務を無事に終えて、王都に帰還する。戻ったらすぐにまた別の任務だ。ジークフリート王子が求めるものを手に入れる為に、次々と任務をこなさなければならないのだ。