王国騎士団の施設は、王城のすぐ隣の広大な敷地の中にある。王国騎士団と呼ばれるのは特選騎士と一般騎士、従士、それに後方支援要員を合わせても二千名ほどの人数。だが訓練施設を利用するのは王国騎士団の騎士に加えて職業兵士、そして徴兵を加え、最大で三万という数になるのだ。もちろん、常に三万の軍が王都に常駐しているわけではなく、全軍での訓練が必要となった場合に備えて、それだけの広さにしているというだけだ。
日常の訓練では、そのような大規模訓練が行われることはない。大きくても十旗将、正式な階級でいうと少将が率いる大隊単位での訓練だ。
今日行われているのは、さらに小規模。中隊単位での訓練が行われていた。カート少将の黒犬軍だ。通称、百人将と呼ばれるカート少将の部下たちが、それぞれ自部隊の訓練を行っている。
その様子をレグルスは、訓練場の端で見学していた。
「……謹慎中のはずだが?」
そのレグルスに、カート少将が声をかけてきた。
「すみません。エリザベス団長に呼び出されて……少し寄り道を」
謹慎中のレグルスが訓練場にいるのは、王城に行く用事があったから。少し早めに来て、王国騎士団の訓練を見学していたのだ。
「……そうか。何か得るものはあったかな?」
レグルスは小脇に本を抱えている。背表紙でそれが軍事教本の類だとカート少将は分かった。
「いえ、そう簡単にはいかないことは分かっています」
教本に書かれていることが訓練ではどのように活かされているのか。それを確認していただけで、まだ得られたものがあるとは言えない状況だ。
「見学するのであれば、徴兵されたばかりの者たちの訓練が良いかもしれないな。残念ながら、今はその時期ではないが」
レグルスが学ぶべきは兵士の訓練、それも軍事には素人の徴兵たちがどうやって一人前になっていくかだとカート少将は考えた。歩く、立つなんてことから訓練するのだ。その動きを一糸乱れるものにしていくのだ。
「……個性が強すぎますか?」
暁光騎士団のメンバーは皆、戦い方の個性が強い。戦い方がバラバラなのだ。兵士の訓練を見たほうが良いというカート少将の意図は、そういうところにあるとレグルスは考えた。
「それ自体は悪いことではないと思う。ただ、どう組み合わせるか。たとえば、全て同じ形の積み木を綺麗に並べるのは簡単だけど、形がバラバラな積み木だと難しい……分かりづらいか」
「いえ、伝わりました。なるほど、積み木ですか」
丸、三角、星の形。暁光騎士団のメンバーはバラバラだ。そこに兵士、綺麗に整えられた、それも同じ形で同じ大きさの四角がいくつも追加される。こう考えたほうが、なんとなくイメージし易いとレグルスは感じた。異質なのではなく、形と大きさが違う個性が加わるだけだと考えたほうが分かり易いと。カート少将が伝えたかったこととは少し違う。
「……今回はすまなかった。私の判断ミスで君たちが処分を受けることになってしまった」
訓練を離れてカート少将がレグルスに話しかけたのは、これを伝えたかったから。以後はすべて単独任務となる予定のレグルスとは、次にいつ話せるか分からないと思ったからだ。
「謝罪されるようなことは何もなかったと思いますけど? 自分たちの未熟さを思い知る良い機会になったことを感謝しているくらいです」
「そうか。次に一緒に戦う時が楽しみだな」
「期待に応えられるように頑張ります。では、そろそろ時間ですので」
姿勢を正し、騎士らしく上官に対する礼をして、レグルスは城のほうに向かって行く。
「気付いていたのだな……こちらも頑張らなくては」
レグルスは自分に足りないものに気が付いていた。気づき、それを直そうとしている。次に一緒に戦う時には、必ずその欠点を修正してくるはず。さらに強くなっているはず。カート少将はこう思った。追いつかれ、追い抜かれないようにする為には、自分も頑張らなければならないと思った。
◆◆◆
エリザベス王女がレグルスを呼び出した用件は、まったく予想外のことだった。固い表情のエリザベス王女に迎えられたレグルスは、そのまま城の応接室に連れて行かれた。これまでエリザベス王女と打合せを行ってきた時とは、異なる応対だ。
その理由は、応接室に入った途端に分かった。正確には、漠然とあの件が関係しているのだろうと分かった、だ。
応接室にいたのは苦虫をかみつぶしたような顔の国王。国王だけではレグルスは何の件か分からない。分からせたのは、何を考えているか分からない厳つい顔の男と、その隣で申し訳なさそうにレグルスを窺っているキャリナローズ。男はキャリナローズの父、現東方辺境伯ヴィクター・ホワイトロックだった。
「…………」
さらにエリザベス王女まで、そのまま国王の隣に座ってしまう。レグルスと二人の女性の間に何か約束があるわけではないのだが、レグルスはこれ以上ない気まずい雰囲気の中に立たされることになった。
「さて、まずは事実関係の確認からだな」
口を開いたのは国王。何故、国王がこの場を仕切るのかと思ったレグルスだが、それを声にしない分別はある。
「この子の父親は間違いなくお前か? レグルス」
「この子?」
レグルスは気付いていなかった。この場所にはもう一人いることを。いつの間にかキャリナローズの膝の上にいる赤ん坊。その赤ん坊がレグルスに向かって、手を振っていた。キャリナローズが子供の手を持って、振っているのだが。
「ああ……そのお子様ですか……」
こんな時に、どうしてそんなおふざけが出来るのか。この想いもレグルスは口にしない。
「お前の子か?」
「……キャリナローズさんが生んだ子であれば、そうです」
「貴様という奴は!?」
何故、国王が怒るのか。これを聞けば、国王は怒っていないと否定するだろう。娘がいながら別の女性との間に子供を作った、なんて理由を口にするはずがない。
「何故、このようなことになった?」
怒っても良いはずの東方辺境伯の口調は静かだ。内心でどう思っているかは、声だけでは分からないが。
「それを私に聞きますか? 跡継ぎを必要としているのはホワイトロック家です」
「それは当然、分かっている。私が聞きたいのは、どうして君なのか。それも形を整えることなく、こうなったのかだ」
「それは……私が答えて良いことではありません。私が言えるのは、それをキャリナローズさんが望んだから。私がそれに応えたいと思ったからです」
キャリナローズは男性を愛せない。これは自分の口から話して良いことではないとレグルスは考えている。キャリナローズが自分の口で、それも彼女の意志で話すべきことだと。
「……そうだな。はっきりと私の懸念を伝えよう。ブラックバーン家が当家に介入してくることは受け入れられない」
「それはありません。そもそも私はすでにブラックバーンの人間ではありません」
「それを信じろと?」
簡単には信じられない。すでにキャリナローズから、この件にブラックバーン家は関係ないと聞いている。それでも東方辺境伯は不安なのだ。
「はい。私はキャリナローズさんが望まないことをするつもりはありません。私は彼女の望みを叶える為に協力したのですから」
「……娘は君の子供を欲した。だが君を夫にするつもりはないと言う。夫にならないのは君の意志ではないのか?」
これは東方辺境伯というより、父としての問い。レグルスがホワイトロック家に婿入りすることは東方辺境伯は望まない。だが父親としては、娘は弄ばれたのではないかと不満に思っているのだ。
「夫になることが条件であれば、その子は生まれていないはずです」
「その言葉は、娘の好意を弄んだと受け取れるが?」
「いや、それは違うのですけど……」
「では、何だ?」
東方辺境伯の顔に苛立ちが浮かんできた。父としての感情が高まってきて、抑えられなくなってきたのだ。
「私が男性を愛せないから」
「……何だって? もう一度、言ってくれ」
ようやく真実がキャリナローズの口から語られた。だが、東方辺境伯は自分の耳を疑うことになる。まったく想定外のことに、思考がついてこなかった。
「私は男性を愛せない。好きになるのは女性なの。それでは結婚は出来ない。家の為に我慢しなければならないと思っていたけど、無理だった」
「…………」
「ごめんなさい。今まで本当のことを言えなかった」
「……しかし、その子供は彼との……」
東方辺境伯にとって衝撃の告白。衝撃的すぎて感情が動かない。
「レグルスのことは男性ではなく、人として好きなの。彼ならもしかしてと思って、私からお願いした。それでこの子が生まれたの」
「彼であれば夫婦としていられるということではないのか?」
「一緒には居られるかもしれない。でも、そんなひどいことをレグルスには頼めない。父親になってもらうだけで、十分に酷いことだわ」
一緒に暮らすことは出来るかもしれない。だが、自分の我儘の為にレグルスの人生を犠牲にすることは出来ない。キャリナローズはそう思っている。
「……すまない。まだ頭と心の整理が出来ていない。君には何と言ったら良いのか……その……」
「伯から何か言ってもらう必要はありません。ホワイトロック家の為ではなくキャリナローズさんの為ですから」
ホワイトロック家と特別な関りを持つつもりは、レグルスにはまったくない。キャリナローズと、そして子供とも本当は会うつもりはなかった。
「……事実関係の確認は出来た。その子の父親はレグルス、お前で、お前はホワイトロック家とは関りのないままに生きる」
「はい。そうです」
「それを信じろと?」
「……陛下に信じていただく必要がありますか?」
国王まで父親である東方辺境伯のような問いを向けてくる。それに素直に答えるのは、なんとなくレグルスは違う気がした。国王はこの件に関しては、部外者なのだ。
だが、これはレグルスの間違い。この場に国王がいる理由があるのだ。
「必要はある。この場は、その子を東方辺境伯の跡継ぎとして認めるか決める上での前準備のようなものだ。父親が誰か分からない。その父親がこの先、ホワイトロック家とどう関わるのか分からないでは、認めるわけにはいかなくなる」
「その子の父親が誰であれ、間違いなくキャリナローズさんの子で、伯の孫です。それで十分ではないですか?」
「分かっているはずだ。辺境伯家は王国の国境防御の要。要というか全てを任せている。王国が信頼できる人物でなければならない」
他に候補者がいなければ国王もこんなことは言い出さない。だが次期東方辺境伯候補は他にいる。それもその資格が認められる人物だ。だからこそ、東方辺境伯とキャリナローズは王国に、この子が後継者だと認めさせたいのだ。
「過去と現在、全ての辺境伯を王国は信頼していましたか?」
「その問いに答えるつもりはない。だが、王国の国境は広がることはあっても、狭まったことはない」
王国は最低限、正しい判断を行ってきた。実際の辺境伯がどのような人物であったとしても、国境を守るという義務は果たされてきたのだ。
「では、その子を後継者と認める為には、何が必要なのですか?」
「……お前は、東方辺境伯を討てという命令に従えるか?」
「お父様!? その質問は関係ありません!」
声をあげたのはエリザベス王女だ。国王の問いは、あまりに意地悪で、しかも意味がない。こうエリザベス王女は考えた。
「関係ある。私は国王として最悪の想定をしておかなければならない。たとえば、東方辺境伯の前でこれを言うのはあれだが、あくまでも仮定の話として聞いてくれ」
「……承知しました」
「東方辺境伯が王国に叛意を向けた時、北方辺境伯までそれに同調するような事態になれば、王国は崩壊する。その可能性があるのであれば、別の選択が必要だ」
結局は、父親がレグルスであるということを国王は問題視しているのだ。レグルスの力が肥大化することを恐れているのだ。その力が王国の為に使われるのであれば良い。だが、敵として対峙するような事態は絶対に避けたい。
「質問の答えは、討ちます、です」
「レグルス?」
レグルスは東方辺境伯を討つと答えた。それにエリザベス王女は戸惑った。嘘である可能性は高い。だが、堂々と嘘をつくことも、この場の状況を悪化させてしまうと思っている。
「ただし、キャリナローズさんと彼女の子供の命は全力で守ります」
「それは命令に従ったことにはならない」
「私は命を守ると言っているのです。もし二人に罪があるのであれば、罰を受けて償うことになるでしょう。ですが、命を奪われるような罰には絶対にさせません。それが許されるだけの功を東方辺境伯家との戦いであげてみせます」
二人が地位や立場を失うことになっても、それはどうでも良いことだ。レグルスはそう考えている。命さえあれば、なんとかなる。なんとかなる手助けをすることも出来る。
「……なるほど。それだけの想いがあって、それでも夫にはならない?」
「大切な友と、その友がもっとも大切に想う子供を守ってあげたいという気持ちは、特別なものですか?」
「特別だろう? ただ、友情か……本当に良いのか? それで後悔はないのか?」
国王はレグルスに嫌がらせをしているわけではない。国王として王国の為にどうあるべきかを考えているだけでもない。レグルスとキャリナローズ、そして子供にとって本当に良い形はどのようなものなのかを確かめようとしているのだ。国王の感覚では、子供が生まれた二人の関係は特別なもの。後継者の為というだけで終わらせて良いのかという思いがあったのだ。
「……後悔はあります。私は両親の愛情を知りません。今は、だからこそ、今の自分があると思えるようになりましたが、幼い頃はそれなりに辛い思いをしました。そうであるのに、父親の愛情を知らずに育つ子供を作ることに協力してしまった」
「……そうであれば父親としての愛情を注いでやれば良い」
レグルスがホワイトロック家に入ることを国王は完全には否定していない。それが一番分かり易い形なのだ。
「それは出来ません。私は子供の側にいられません。それは許されず、他にやるべきことがあります」
妻と子供と共に暮らし、波乱のない穏やかな人生を送る。それは自分には許されないとレグルスは思っている。仮にそれを望んでも、叶えられないと考えている。妻と子供まで災いに巻き込むだけだと。
「……そうか。では、せめて今くらいは親として接してやれ」
国王はレグルスの言葉に納得してしまった。レグルスは波乱の人生を歩むことになる。そうなるだろうと国王も思っているのだ。
「親としてと言われても……」
「……抱くぐらいしてあげて」
戸惑っているレグルスにキャリナローズが子供を抱いて、近づいてきた。両の瞳から涙を零しながら。キャリナローズはレグルスの想いを知った。嫌々、手伝ってくれただけ。それ以上は何もないと思っていたのに、レグルスは自分を大切な友だと言い、絶対に守ると誓ってくれた。それが嬉しくて、涙を堪えられなかったのだ。
「……父親の俺はいないけど、お前は家族から愛情を注がれて育てよ。愛されていることを忘れるなよ。ちゃんと大切にしてくれた家を守れよ……絶対に、俺と同じ生き方を選ぶなよ」
恐る恐るといった様子で子供を抱きながら、レグルスは語りかける。
「レグルス……」
そのレグルスの言葉を聞いて、またキャリナローズの瞳から涙が溢れた。どうしてこの人は、自ら辛い生き方を選ぶのか。どうして自分はレグルスを支えてあげられないのか。与えられるだけで与えるものを持たないのか。それがキャリナローズは悲しかった。