レグルスは大きな荷物を背負って街道を歩いている。同行しているのはスカルとココ。他の団員たちも同じ目的地、旧テイラー伯爵領に向かっているのだが、別行動をとっているのだ。そうする理由は。
「騎士には思われないかもしれないけど、隠密行動にはなっていないな」
エリザベス王女に先行して、現地の様子を調べておく為。暁光騎士団であることを知られないようにして、潜入しようとしているのだが。
「う~ん。ココ、次の街で新しい服を買おうか?」
「いらない。ココ、これ気に入っているの。可愛いから」
「そう可愛い。可愛すぎて、とても目立っている」
愛らしいココの姿に行き交う人々が視線を向けてくる。かなり目立っているのだ。
「ええ~。ココ、隠れるの得意だよ?」
「隠れるのはね? でも今は堂々と道を歩いているから」
実際に目立っているのはココだけではない。レグルスも目立つ。本人は普通に歩いているつもりでも、放つ雰囲気が普通の人のそれではない。その二人と一緒にいることで、スカルまで目立ってしまう。美男美女の二人と、何故この男が一緒に、という悲しい視線を向けられている。
「堂々としているから駄目なのか……じゃあ、魔法の訓練だ」
本当に普通にしていると三人は目立つ。そうであれば普通ではない状態、魔法を使って気配を消せば良い。潜んでいるわけではなく、街道を歩いている状態で、それを行って意味があるのかとなるが。
別にどうでも良いのだ。ココとスカルに訓練させる口実なのだから。
「王女様は来ないの?」
だがココはその口実に乗ってくれない。訓練よりもレグルスと話しているほうが楽しいのだ。この移動が始まるまでは、あまり話す機会がなかったのも影響している。それも、三人だけなのは、かなり久しぶりだ。
「後から来る」
「結婚はまだか?」
「……どうしてそういう質問になる?」
ココとスカルの兄妹はエリザベス王女に好意を向けている。それはレグルスも良いことだと思う。だが、スカルがやたら結婚を勧めてくるのは理解出来ないでいる。
「好きな人とは結婚するものだろ?」
「好きだからといって……いや、待て。この前提はおかしい」
二人は恋愛関係にある。周囲の認識はこうなっている。それをレグルス本人は受け止められていない。エリザベス王女を一人の女性として見ることへの躊躇いが消えないのだ。
「前提って?」
「俺とエリザベス王女が、そういう関係だってこと」
「どう考えても、そういう関係だろ?」
レグルスがエリザベス王女との関係を認めないことが、スカルには不思議だ。恋愛については無知同然のスカルであっても、二人から伝わる雰囲気はそういうものだと分かるのだ。
「あのな、王女となると色々と複雑な事情がある。結婚する相手は自分では決められない」
「どうして?」
「王女だから……じゃあ、分からないか。個人の感情よりも、国の都合が優先されるから。王国にとっての良い結婚相手が選ばれることになる」
「それ間違っている」
好きな人と結婚出来ない。スカルはそれを正しくないと思う。
「そう思うのは正しい。でも、王女であるということで背負わなければならない責任もある。国にとって、そこで暮らす人々にとって一番良いと思われる選択を行うこともそのひとつだ」
「……良く分からない」
スカルには王族の責任というものが分からない。別にスカルが特別、無知なわけではない。庶民で王国や政治について、全てを分かっている人などいないのだ。
「……えっと、じゃあ、これは? エリザベス王女と結婚する為には、ココと家族でいては駄目という条件がある」
「いやっ! 絶っ対、いやっ!!」
レグルスの説明にココのほうが大きく反応した。
「例え話。それにまだ途中だから」
「いやだもん」
ココが嫌がる例え話を選ぶレグルスが悪い。ただ、スカルたちに理解させるという点では良い選択だ。
「俺がエリザベス王女のことを好きでも?」
「……いや」
「じゃあ、止める。という選択をすることもある。俺にはココとスカルを守るという家族としての責任がある。その為には、自分の感情を無視する選択を行わなければならない。分かった?」
「……分かった」
完全には納得していない。だが、レグルスの説明については理解した。スカルはこんな感じだ。
「よし。じゃあ、ココを連れて離れろ」
「……俺だってやれる」
レグルスの言葉の意味を、スカルはすぐに理解した。若くても、経験豊富なスカルだ。殺気に対しては敏感だ。
「お前にはココを守る責任がある。今はこっちが優先」
「分かった」
ココの手を引いて、レグルスから離れて行くスカル。すでに周囲には人影はなくなっている。剣を持って、レグルスを囲もうとしている者たち以外の、旅人の人影は。
前後から駆け寄ってくる者たち。あらかじめ、ここを襲撃場所と決めていたのだとレグルスは考えた。どうでも良いことだ。どこで襲撃を受けようと、準備は出来ている。
後方から近づいてくる刺客の一人が、地面に倒れる。
「当たり」
レグルスが放ったブーメランをまともに受けたのだ。その一人少なくなった後方に向かって、レグルスも走っていく。スカルとココもそれを見て、距離を保つように移動している。
後方から近づいてくる刺客は、倒れた一人を除いても、まだ四人。その四人にレグルスは、躊躇うことなく、斬りかかって行く。
そんなレグルスを包囲しようと動く刺客たち。その動きはかなり速い。特選騎士が存在していることが、それで分かる。
「ぐっ、あっ……」
だが、その特選騎士の一人は、すぐにレグルスに討たれることになった。レグルスのさらに速い動きに反応出来なかったのだ。
「囲め! すぐに味方が来る! それまで距離を取れ!」
あっという間に二人が倒された。ただ刺客たちの作戦は変らない。もともと数を頼りにレグルスを討つつもりだったのだ。数的優位が、完全に確保出来るまで、粘るつもりだ。
だが、当たり前だが、それを待ってあげる優しさなど、レグルスにはない。
「う、後ろに!?」
「そんな!?」
数的優位を許すつもりもない。刺客を、さらに後方から追いかけてきたのはセブとロス。刺客の背後から、二人が放ったブーメランが襲い掛かる。さらに二人が地面に倒れ、これで三対二。レグルスたちのほうが優位に立った。
その三対二もつかの間だ。動揺している刺客たちの隙を、レグルスは見逃さない。残った二人もすぐに討たれることになった。
「ああ、そいつらは生かしておけ」
ブーメランの直撃を受けて地面に倒れている刺客たちに、とどめを刺そうとしたセブを、レグルスは止めた。
「どうして?」
「全員殺したら証人がいなくなるだろ? それに、多分一人は知った顔だ」
「そうか。では前から来る……」
残る、前から来る五人を殺そう、と思ったセブだったが、それも許されない。街道一杯に広がっている炎。レグルスが置いておいた魔道具が、刺客が接近したことで発動していた。
火に巻かれて苦しんでいる刺客たち。その刺客たちにとどめを指したのは。
「間に合いましたか」
テイラー伯爵に仕えていた騎士たち、アンガス、シアレ、ヘイデンの三人だ。彼らは旧テイラー伯爵領から移動してきていて、レグルスと合流する手前で引き返し、一定距離を置いて先行していた。襲撃に備えてのことだ。
「ああ、良いタイミングだった。ありがとう」
「いえ、御礼など」
「でも、まさか、ブラックバーンが本当に襲ってくるとはな。分かっているのかな? 自家内の問題ではなく、王国騎士団を襲撃させたのだということを」
刺客は間違いなくブラックバーン家が放った者たち。それはもう分かっている。レグルスの知った顔、モルクインゴンに同行していた騎士がいたのだ。
襲撃の可能性を知った時、レグルスは信じられなかった。今のレグルスは王国騎士団の騎士で、同行しているスカルとココもそう。しかも今は任務中だ。ブラックバーン家内の揉め事では済まない。
「それとも家臣が勝手に行ったことで済むと思っているのか? どちらにしても、間抜けだな。多分、ライラスか」
北方辺境伯の指示ではない。そこまで愚かではないはずだ。考えられるのは弟のライラス。深く考えることなく暴走した可能性をレグルスは考えている。
レグルスにとっては好都合だ。ブラックバーン家が王国騎士団を襲撃したという事実を手に入れられたのだから。
◆◆◆
ブラックバーン家はアルデバラン王国北部に広大な領地を有している。隣国の領土を奪い、国境を北に進める度に、その領地は大きくなっていった。小国をいくつも飲み込んできたアルデバラン王国だ。北方侵攻を担当する北方辺境伯家、ブラックバーン家の領地はそんな小国の領土よりも広くなっている。
「……これは、事実か?」
ブラックバーン騎士団団長、ウィンダムからの報告を受けて、北方辺境伯ベラトリックスの表情に動揺が見えている。
「王都から届いたものに間違いはございません。内容は信じられないものですが、部下が嘘の報告をしてくるはずもございません」
「馬鹿な……ライラスは何を考えている!? 周囲は何をしていた!?」
王都のブラックバーン騎士団から届けられた情報は、ライラスはレグルス暗殺を計画し、実行に移したという事実。それがどういうことか、ベラトリックスは正しく認識している。
「申し訳ございません」
当然、止めようとした者はいた。だが止められなかった。反対する者は排除して、ライラスは計画を進めたのだ。
「処分は別途、考えるとして」
そうだとしても、ベラトリックスは家臣を許せない。ブラックバーン家の為に、何としてでもベラトリックスを止めなければならなかったと考えている。
「刺客として送り込まれたのは、分かっている限りでは十名とのこと。特選騎士が半分です。レグルス様……対象の同行者は男女二名で、二人とも子供ということまで確認出来ております」
ベラトリックスに睨まれて、ウィンダム騎士団長はレグルスの呼び方を改めた。
「間違いなく討てるか?」
「申し訳ございません。私は対象の実力を知りませんので、正確な判断は出来ません」
ウィンダム騎士団長は、ずっと領地にいるので、鍛え始めてからのレグルスを知らない。どれくらい実力があるか分からないので、ベラトリックスの問いに、間違いなく答えることは出来ない。
「……ジャラッドの話は聞いたか?」
「聞きました。襲撃はほぼ百パーセント失敗すると申しております」
「……理由は?」
「対象はただ強いだけでなく、戦術能力も優れている。さらに、襲撃計画が漏れている可能性もあるとのことです」
ブラックバーン騎士団副団長のジャラッドは、レグルスを高く評価している。レグルスを追放したことを批判している一人だ。だが、この評価は客観的に行われたものだとウィンダム騎士団長は考えている。ジャラッドはそういう人物だと知っている。
「裏切者がいるというのか?」
「そこまでは分かりません。ですが、内通者がいなくても動きを探ることは出来ます」
レグルスに情報を漏らした者をベラトリックスは裏切者と表現した。レグルスに対するベラトリックスの感情が良く分かる。それを正面から間違いだと告げる気はウィンダム騎士団長にはないが、家内に疑いの目が向くことは避けたいと思った。
「……失敗か」
レグルス暗殺計画は百パーセント成功するもの、もしくは失敗しても百パーセント、ブラックバーン家の仕業だとバレない方法でなければ実行してはならない。それがライラスには分からない。ライラスのレグルスに対する、世間とはズレている低評価のせいだ。
だがそんなライラスでも後継者から外すことは出来ない。それを行っては後継者選定の判断が間違っていたことを認めることになる。ベラトリックスの過ちということになってしまう。
「王都に行かれますか?」
失敗となれば、王国に対しての言い訳が必要になる。それをライラスに任せるのは無理だと、ウィンダム騎士団長は考えている。ベラトリックス自らが釈明するべきだと。
「そうだな……」
自分が行かなくてはならないとベラトリックスも思っている。だが問題は、どう釈明するか。ブラックバーン家内部の揉め事にするしかないのだが、そうであると王国に認めさせる方法が思いつかない。
レグルスについて王国はどう考えているのか。エリザベス王女が騎士団を創設し、レグルスはその一員になった。この事実をどう受け止めれば良いのか、ベラトリックスは判断出来ないままでいる。レグルス個人と王国の要である北方辺境伯家、ブラックバーン家のどちらを取るかなどという事態にはなるはずがないとは考えているが、そうであると断言出来るほどの自信はない。王国が、より自分たちにとって都合の良い後継者、将来の北方辺境伯を置きたいと思っている可能性もゼロではないのだ。
誤ったかもしれないという思いが、ベラトリックスの胸に沸く。それをすぐに心の中で否定するベラトリックス。感情がそれを認めることを許さないのだ。
ベラトリックスは見損なっていたのだ。自分の息子、レグルス・ブラックバーンという人物を。