いつもは実技授業を行っている訓練場に多くの人が集まっている。武系コースの学院生だけでなく、文系コースの学院生たち、それといくつかの有力貴族家の人たちが集まっているのだ。
行われているのは、卒業を目前に控えての求人求職フェアのようなもの。貴族家側は優秀な学院生を自家の家臣にすべく、学院生側はより条件の良い仕官先を求めて、この場に集まっている。毎年行われている恒例行事、ではない。今年だけ特別、このような場が設けられることになったのだ。
その理由は、守護家の公子たちが同学年に集まっているから。例年であれば、全ての守護家の公子と接することなど出来ない。運良く守護家から仕官の話が届いたら、すぐに飛びついた。悩むことなどなかった。
だが今年は違う。優秀な学院生ほど仕官先に迷うことになった。待っているだけでなく、売り込む手段があるのだ。さらに守護家の側も、優秀な学院生の見極めが出来ている。公子たちが自分の目でそれを確かめているのだ。優秀な学院生への勧誘は重なることになる。
そんなことで、例年と違い、いつまでも仕官先が決まらない学院生が多くいることに焦った学院側が、この場を企画することになった。さっさと仕官先を決めて、これ以上、学院側の手間をかけさせないでくれ。という教官たちの思いが、この場を実現したのだ。
「おい? あれ、エリザベス王女だよな?」
「ほんとだ。何しに来ているんだ?」
この場にはエリザベス王女もいる。多くの学院生たちは、その理由が分からない。
「ジークフリート王子と一緒。自分の騎士団を作るらしい」
中には事情を知っている学院生もいる。王国の事情に詳しい、それなりに力のある貴族家の公子だ。
「王女が? ジークフリート王子ならまだ分かるけど」
「やることがないからだろ?」
エリザベス王女が騎士団を作ることに否定的な考えを口にする学院生。騎士団を作ること事態に否定的なわけではない。それをする理由を、勝手に、邪推しているのだ。
「やることはないって……確かに王女の仕事は何か分からないけど」
「公務はあるけど、あまり人前には出られない。結婚も、難しいだろ? あんな事件があった後じゃあ」
拉致監禁事件での偽情報を、この学院生は信じているのだ。
「ああ、そういうことか……でもそれで騎士団って……騎士じゃなくて、相手をしてくれる男が欲しいのかな?」
この学院生も信じている一人だ。信じて、エリザベス王女に侮辱的な考えを持っている。
「ええ? それなら俺、立候補しようかな?」
「俺も考えても……痛いっ! 誰だ!? 気を付け、ろ……」
体に受けた衝撃を、誰かが誤ってぶつかって来たのだと思った学院生。まったく勘違いというわけではない。ぶつかられたのは事実だ。ただ、誤ってではなく、相手はわざとぶつかってきていた。
「なんだ、痛みを感じることが出来たのか。人の痛みが分からないようだから、痛みを感じないのかと思った」
「タイラー様……冗談が過ぎるのではないですか?」
タイラーにぶつかられた学院生たちは、まだ状況を分かっていない。タイラーが本気で怒っていることに気が付いていないのだ。
「冗談……確かにそうだな。自国の王女を侮辱されて、ただぶつかるだけなんてあり得ない。この場で斬り捨てるべきだ」
「斬り捨てる!?」
「王家への誹謗中傷は、立派な犯罪行為。切り捨てられても文句は言えないだろ?」
こう言ってタイラーは実際に剣を抜いた。本物の剣ではない。訓練用の模擬剣だ。だが、そんなことは脅されている学院生たちには分からない。普段であればすぐ分かるのだが、タイラーの怒りを理解して、気持ちの余裕がなくなっているのだ。
「じ、冗談、あっ、いえ、冗談ではなく……と、とにかく違います! 俺たちは!」
「消えてくれるか? 目の前にいられると怒りが収まらない」
「わ、分かりました!」
全力で駆け去っていく学院生たち。助かったという思いだが、実際に助かったかはまだ分からない。少なくとも彼らの中でも実家を継ぐ権利のない学院生は、仕官先を減らした。ディクソン家の公子であるタイラーの怒りを知った貴族家が、仕官を受け入れるはずがないのだ。
「……なんということだ。だから情報統制をきちんとするべきだったのだ」
当事者たちがいなくなってもタイラーの怒りは収まらない。このような場で、自国の王女への侮辱を口させてしまう。その状況そのものが許せないのだ。
「彼らの親が喜んで噂を広めているのだから、どうにもならないよ」
クレイグはタイラーのような憤りを感じていない。エリザベス王女に限らず、王家に対する忠誠心が薄いのだ。今の西方辺境伯家、ブロードハースト家は、他家に比べて、王国との距離を離している。
「……そうだとしても……失礼とは思うが、王女殿下に話してくる」
「えっ? 何を話すつもり?」
貴女の卑猥な噂が流れています、なんてことは、忠誠心の薄いクレイグでも、本人に向かって言えない。
「仕官を希望する者はいないので、引き上げたほうが良いと言うだけだ」
クレイグが考えたようなことを口する勇気は、タイラーにだってない。ただ、エリザベス王女が好奇の目に晒されていることは我慢できない。それを向ける者たちがどうにもならない以上は、エリザベス王女に引いてもらおうと考えた。
訓練場の隅のほうで、一人で座っているエリザベス王女に近づくタイラー。
「……仕官してくれるわけではないですね?」
そのタイラーに笑みを浮かべてエリザベス王女は問いかけてきた。
「はい。仕官は致しません。そしてそれは私だけではありません。恐れながら、この場にいることに意味はないかと」
「分かっています。私は人を待っているだけです。入団を希望してくれる奇特な人がいる可能性を考えて、ここを待ち合わせ場所にしていましたが、期待はしていません」
「そうでしたか……待ち人は」
理由としては、今一つ、納得できない。誰を待っているのかも気になった。
「もうすぐ来るはずです。貴方も勧誘に忙しい身でしょう? 私の心配をしている暇はないのではないですか?」
だが、エリザベス王女は最後までタイラーの問いを聞くことなく、口を開いた。一言にすると、「どっか行け」だ。
「……分かりました」
エリザベス王女が何を言いたいのかはタイラーに、きちんと通じた。エリザベス王女が、特に周りの視線を気にしている様子もないので、素直に引き下がることにした。
実際にタイラーにはやることがある。なんとかして説得したい相手がいる。その相手をディクソン家の受け付け場所で待たせているのだ。
「……ラクラン。待たせてしまって、すまない」
「いえ、別に」
タイラーが勧誘を試みているのはラクランだ。ラクランの防御魔法は、今では、かなり高く評価されている。手を伸ばしているのはタイラーのディクソン家だけではない。
「どうだろう? 少しは前向きに考えてくれる気持ちになったか?」
タイラーがいない間も、ディクソン家の家臣が説得を試みていた。仕官条件を、それがどれだけ良いものかをアピールしていたのだ。
「……あの、僕は、もう」
ラクランの仕官先は決まっている。亡くなった父親が仕えていた貴族家。ラクランが中央学院に通う為の支援もしてくれている。
「事情は分かっているつもりだ。だが、ラクラン。お前の力はもっと大きなことに使うべきだと俺は思う。それだけの力が、お前にはある」
ラクランの意向はタイラーも知っている。だが、タイラーの力を小貴族家の領内の野盗退治に使うというのは違うと考えている。もっと大きな、他国との戦いで活躍出来る力がラクランにはあると思っている。
「気持ちは嬉しいのですけど、僕は……」
何度、説得されてもラクランには考えを変えるつもりはない。タイラーには良くしてもらっているという思いはあるが、領主以上にお世話になっているわけではない。比較出来る相手ではないのだ。もし、ラクランの決断を揺らすことが出来る人がいるとすれば、それは。
「……タイラー様」
ここでディクソン家の家臣が、タイラーに声を掛けてきた。
「どうした? またふざけたことを言っている者がいるのか?」
「いえ、そうではありません」
「では、何……」
ラクランとの大事な話を邪魔しなければならない出来事。それは何だと、少し苛立ちながら、思ったタイラー。その答えは、周囲のざわめきが教えてくれた。
「おい、あれ?」
「嘘だろ? 死んだはずじゃなかったのか?」
現れるはずがない人物が現れたことに驚いている学院生たち。そんな彼らの視線の先にいるのは。
「……レグルス」
レグルスだった。レグルスが訓練場に姿を現したのだ。
◆◆◆
ざわめきが広がっていく訓練場を、レグルスは歩いて行く。自分の登場に驚く学院生たちのざわめきを気にする様子もなく、エリザベス王女が待つ場所にまっすぐに向かうレグルス。
訓練場に来たのはレグルスだけではない。学院の人たちで誰か分かる者は数人しかいないが、スカルとココも、カロもいる。ゲルメニア族の戦士二人、セブとロスまで一緒だ。
エリザベス王女が待っていたのは彼らなのだ。
「お待たせしました。やっぱり、ここである必要はなかったのでは?」
ざわめきも好奇の視線もそれほど気になるわけではないが、それは自分自身に向けられたものに限ってのこと。エリザベス王女もその対象にされることに関しては、レグルスは嫌な気持ちになる。
「お披露目の場としては悪くありません。二度とお披露目される機会はないのですから。それで?」
「思っていたよりも、あっさり学院は認めてくれました。もしかして、圧力かけました?」
「圧力なんて……陛下にお願いしただけです」
そして国王から学院にエリザベス王女の要求が伝わる。エリザベス王女が直接言うよりも、学院側は圧力を感じたはずだ。
「そういうこと出来る人でしたか?」
王女の立場を利用するなんて真似は、エリザベス王女が嫌がるものだと思っていた。
「貴方に習ったのです。考えたのも貴方」
今回の件はレグルスが考えたことだ。エリザベス王女はそれを実現する上で、必要と思われることを行っただけ。
「そうですけど……悪事ではないですしね?」
「そうですね。規則の抜け穴を利用しただけ。学院で学ぶことなく、従士候補の資格だけ得ようなんて誰も思わなかったでしょうからね?」
レグルスとエリザベス王女は、学院で定められている規則の抜け穴を利用して王国騎士団の入団試験資格、学院を卒業したという資格を得た。二人ではなく、スカルたちをレグルスに仕える家臣として入学させることで、その資格を与えたのだ。
貴族家公子に仕える騎士、従士であれば無条件に入学出来るという規則を利用して。入学時期が定められていない、さらに卒業に必要な単位も定められていないという抜け穴を利用して。
「でも、本当にココも王国騎士団に入団させるの?」
ココもレグルスの従士として入学し、王国騎士団の入団試験の資格を得た。試験といっても、エリザベス王女の騎士団への入団は、王女が了承すればそれで決定。ココは王国騎士団所属になれるのだ。
「どうしても譲らなくて」
レグルスもココを入団させる気はなかった。ココの強い希望で、こうなったのだ。
「ココには令嬢教育をさせてあげたかったわ。ココは学びたくなかったの?」
「ココは騎士が良いの」
「まあ、そう。では一緒にいられる時に、私が教えるわ。そのほうが楽しいかもね?」
エリザベス王女には戦う力はない。ココにもないと思っている。現場の最前線にいられない時間は、ココと過ごすことになるとエリザベス王女は考えた。
「では行きましょうか? ここには連れてこられなかった者もいますので、紹介します」
「……分かったわ」
連れてこなかった者の中には、エリザベス王女が複雑な思いを抱く相手もいる。テイラー伯爵に仕えていた騎士だ。彼らは正式にはエリザベス王女の騎士団には入団しないが、活動を手伝うことになっている。行き場のない彼らが望んだことだ。
さらにエモンと元からレグルスに協力している一族の者たちが、すでに資格を得ているジュードは正式に、エリザベス王女の騎士団のメンバーとなる。
「レグルス様!」
そして、もう一人。
「……ラクラン、どうした?」
「僕は……僕は……」
「ラクラン。お前には守るべき人がいて、守るべき土地がある」
ラクランには仕えるべき相手がすでにいる。その人を裏切るべきではない。裏切らせてはいけないとレグルスは考えていた。だから、ラクランにはエリザベス王女の騎士団について話をしていない。してはいけないと考えていた。
「……分かっています」
レグルスの言葉は拒絶。こう受け取って、落ち込んでいるラクラン。
「では、最初の任務はその彼の守るべき土地にしましょう」
「殿下?」
「そうすれば、彼は自分の気持ちに正直になれるのではなくて?」
ラクランの気持ちは、聞くまでもなく、エリザベス王女にも分かる。レグルスに付いて行きたい。付いて行きたいが、それを言葉に出来ないのだと。
「一度行っただけでは問題は解決しません」
「それをなんとかするのが貴方の役目です。良い案を考えなさい」
「……まさかの無茶ぶり。我らの主はこういう人だぞ? 仕えると苦労するかもな」
「レグルス様が選んだ方です」
レグルスが従うと決めた人だ。エリザベス王女は絶対に尊敬できる人だとラクランは思っている。ラクランにはレグルスに対する絶対的な信頼がある。誰にも顧みられることのなかった自分を見い出し、少し自信が持てるくらいに引き上げてくれたレグルスは、領主に対する感謝を超えられる唯一の存在なのだ。
「……分かった。考える。ラクランが領地を離れていても大丈夫だと思ってもらえる方法を考えれば良いのだろ?」
「じゃあ、僕は?」
レグルスに付いて行ける。ラクランの心は、それを思って、沸き立った。
「まだだ。とりあえず、お前の故郷に一緒に行く。話はそれからだ。お世話になった人に会って、きちんと自分の口で説明して、納得してもらってからだ」
「はい。分かりました」
レグルスはやはり自分の気持ちを理解してくれる人だと、ラクランは改めて思った。自分がどうしたいかを話さなくても分かってくれる。自分が大切に思う人の気持ちも考えてくれる。迷いなく仕えられる唯一の人。またその人に再会出来たことが、ラクランはたまらなく嬉しかった。
後に騎士団、ではなく黒色兵団と呼ばれる初期メンバーがここに揃った。たんに装いに黒色が多いから、さらに騎士として認めないという侮蔑の意味で付けられた黒色兵団という通称は、やがて敵対する者たちにとって恐怖の対象となるのだ。