エリザベス王女救出作戦において、レグルスの参加は公式の記録には残されていない。作戦は諜報部と王国騎士団だけで行われ、そして成功した。こういうことになっている。レグルスの参加は公式には諜報部の独断。国王を始めとして分かっている人は分かっていたが、会議の記録にレグルスの名は残っていない。当然、ブラックバーン家の許可など得ていない。作戦への参加はなかったものにされた。
諜報部は、命令など必要なく、作戦について口外することはない。王国騎士団とはレグルスは一切接触していないので、あとはエリザベス王女が黙っていれば、それでレグルスの参加はなかったものに出来る。王国は、というより国王はそうすることにした。王国の為ではなく、レグルスにとってそのほうが良いと判断した結果だ。
「難攻不落と思われていた屋敷が、あっさり落ちたか……どうやら思っていた以上のようだな?」
作戦の詳細を諜報部長から報告を受けた国王。感心しているような、呆れているような。どちらともとれる表情を見せている。
「魔道具の探知を躱し、最新式の鍵をほんの数秒で開けてしまう。泥棒としても超一流です」
「あの男はどうしてそうなのだろうな? 辺境伯家の公子が必要とする技ではないだろう?」
レグルスの意外な才能。どうしてそのような技を身につけているのか。怪しさしか感じられない。まさか辺境伯家の公子が、王都で泥棒をしていたとは思わないが、怪しげな仕事をしていたことは想像がつく。ついてしまう。
「自分を辺境伯家の公子だと思っていないのではないでしょうか? もうずっと前から」
「今の状況を予見していたと?」
「そこまでは考えておりません。ただ、ブラックバーン家に頼らず生きていく力を得ようとしていたのは間違いありません」
「何でも屋」などという良く分からない商売を始めたのもそう。郊外の農地も、これは思い違いだが、そういうことかもしれないと諜報部長は考えている。とにかくレグルスは自ら稼ぐ手段を得た。これも辺境伯家の公子には必要のないことだ。
「……母がゲルメニア族だというのは間違いないのか?」
「事実なのでしょう。驚きの事実ではありますが、これでブラックバーン家の考えが理解出来ます。あくまでも、馬鹿げた判断を行う理由が理解出来るというだけですが」
今回の件で、ますます諜報部長はブラックバーン家の判断の愚かさを知った。レグルス・ブラックバーンは、その仲間も含めて、驚くべき力を持っている。それをブラックバーン家は自ら手放したのだ。
「辛口だな。コンラッドだろうな。コンラッドであれば、そういう思い切った政治判断が出来る」
「コンラッド殿が亡くなって、もともとあった不満が表に、いえ、表には出ていましたか。より分かり易く差別を行うようになったが正確です」
ブラックバーン家は元々レグルスを将来の北方辺境伯とは扱っていなかった。コンラッドの目の届かないところでは、そうだったのだと諜報部長は考えた。
ただ、これは少し誤りだ。王都ブラックバーン家の人間でこの事実を知らされているのは極わずかだった。母親が何者かに関係なく、レグルスを侮辱していたのだ。
「……難しい判断だが、上手く行っていれば良い例になったな」
「王国貴族の頂点のひとつ、ブラックバーン家にゲルメニア族の血が入るわけですから。画期的です」
それを知った他の少数民族も期待するかもしれない。少数民族であっても貴族になれると考え、反抗心が薄れるかもしれない。実際にどうかは分からないが、そうなる可能性はゼロではない。
「だが、そうはならなかった……大丈夫だろうな? あの男、ゲルメニア族としてブラックバーン家と戦うのではないか?」
「可能性は否定しませんが、大丈夫だと思います。いくらレグルス殿に力があっても、全力のブラックバーン家には敵いません。善戦は出来ても、犠牲者はかなりの数になります」
レグルスのほうが遥かに理性的な判断が出来る。諜報部長はこう考えている。この考えに、ブラックバーン家への不審とレグルスへの信頼が影響している可能性は、本人も否定しない。そういう影響を与える事実を重ねているということが、今のブラックバーン家の問題なのだ。
「……そうだとしても引き離しておくべきか」
レグルスを自由にさせておく危険性。今回の件で、改めて国王はこれを考えることになった。ブラックバーン家の本家から追放されたことは、かえって危険性を高める結果になったと分かったのだ。
「ゲルメニア族に裏切ったと思われない形で、という条件がつきます」
「だから唯一の方法だと?」
その方法はすでにある。国王はまったく納得していないが、上手く行くかもしれない方法はあるのだ。諜報部長はその方法を実行に移すべきだと考えている。
「唯一かは分かりません。ただ、恐れながら、今の陛下に王女殿下の要求を拒絶出来ますか?」
「聞くな」
「では、使者を送ります」
国王はまだ了承していない。だがそれは口に出して認めていないだけ。認めてはいないが、拒絶も出来ないことは諜報部長には分かっている。そうであれば、ある程度、自分の独断という形で事を動かしたほうが良い。諜報部長はそれが出来る。他の家臣とは、ほんの少しだけ、立場が違うのだ。
◆◆◆
レグルスが戻ったゲルメニア族の居住地で、ゲルメニア族とモルクブラックバーン家との会談が行われている。ごくわずかの者、モルクブラックバーン家側は、会談に参加しているドミニクとディアーンしか知らない極秘会談だ。
この極秘会談を仲介したのは、レグルス。彼以外には仲介など出来ない。どちらも相手を信用していない。会談など嘘で、おびき出して殺すつもりだと疑ってしまうので、実現しないのだ。
「……良く分からない。もう一度説明してもらえるか?」
レグルスから一通りの説明を受けたはずが、ドミニクは今一つ、中身が分からない。ここに来る前に考えていた内容と、まったく違っていたのだ。
「もう一度ですか? もっと奥に入ったところに砦を作ってください。戦いはそこで行います」
「……つまり、停戦ではない?」
この会談は停戦交渉だとドミニクは思っていた。だがレグルスは戦いを行うと言っている。場所をゲルメニア族側に寄せる意味も分からない。
「停戦できますか? それを本家は許しますか?」
「……許さないな」
ドミニクはブラックバーン家の代表ではない。戦う意思がなくても、本家の命令に従わなくてはならない。停戦交渉など出来る立場ではないのだ。
「ですから停戦の約束など無意味です。戦い続けるしかない。ですが、ゲルメニア族側には妥協の余地があります。少なくとモルクブラックバーン家を滅ぼすことなど無意味だと理解しています」
「それが分からない。もう少し分かり易く説明してくれ」
「こういうのって具体的に話すことですか? 暗黙の了解でまとまるものだと思っていた」
レグルスはわざと曖昧な話し方をしている。はっきりと言葉にして、それを約束するのは違うと考えていたのだ。
「意味が分からなければ、暗黙も何もない」
「では、はっきりと。モルクインゴンからでは分からない場所で、戦う振りをしてください。それがお互いに犠牲を、これ以上増やさない方法です」
「そういうことか……確かに言葉にするべきではなかったか」
戦う振りをするという約束をするのも良くない。そんな約束をしたことが本家にバレてしまえば、問答無用で罰を与えられることになる。
「だから……もう手遅れですね。どうしますか?」
「……無理だ。戦いたいということではなく、誤魔化すことは出来ない」
「本家に告げ口する奴がいるから?」
「……知っていたのか?」
モルクブラックバーン家には本家の息がかかった人間がいる。誰がそうかははっきりとは分からない。信頼している家臣が裏切っている可能性もある。可能性ではなく、実際にそうなのだ。モルクインゴンにいるのは全員、ドミニクの家臣。いくら本家相手とはいえ、ドミニクの意向を無視して行動するのは裏切りだ。
「なんとなく、そういうこともあるかなと。自分自身が嫌われている自覚はあります。そうであるのに見張りがいない。王都から同行してきた奴らがそうかと思っていましたが、どうやら違う。王都に帰ってしまいましたし」
そうであれば、初めからモルクブラックバーン家にその役目が出来る人間がいるということ。ドミニクが、諜報部長が来た時のように、大切な話に息子のディアーン以外を同席させないことも、それを疑う理由になっていた。ドミニクは家臣を信用出来ないのだと思った。
想定が間違いではなかったと思ったのは、ドミニクの知らないところで、彼の話をエモンから聞いたからだが。
「見張りの目的には、我々モルクブラックバーン家の裏切りを監視することもある。元々、こちらの目的の為に潜り込ませているのだ」
「探ろうとは思わなかったのですか?」
「もちろん試みた。だが私にはその力がない。頼める相手もいない」
調査を頼んだ相手が、本家の見張りかもしれない。それを考えると、ドミニクは何も出来なかった。
「じゃあ、一から調べるしかないですか」
「出来るのか?」
「必ず本家と何らかの手段で連絡を取っているはずです。モルクインゴンから出て行く何か。それを見逃さなければ誰か分かると思います」
レグルスにはそれが出来る。本家と絶対に繋がっていない仲間がいる。調べる方法もいくつか思いついている。だから、この件を話しているのだ。何の手もない状況で、ドミニクとこの話はしない。
「仮に分かったとして、それでどうなる? 連絡が来なければ、それだけで本家は疑う」
「送りたくても送れなくなったと分かれば、疑いません。少しは怪しむかもしれませんけど」
「……それは、どういう状況だ?」
本家に疑いを持たせることなく、報告をさせない。そんな方法をドミニクは思いつかない。思いつけないドミニクは武一辺倒な人、もしくはお人好しなのだ。
「ここは戦場。残念ですが、犠牲者は出てしまいます」
「……口にしないほうが良いのか?」
レグルスは戦死に見せかけて、殺せと言っている。これはさすがに言葉にするべきではないとドミニクも思った。
「最前線の砦は本当に信頼できる人で固めてください。時間が経てば、自然にそうなりますけど、その時期は出来るだけ早い方が良い」
戦闘の中で、狙い撃ちにするとレグルスは言っている。ただ、そうしたくても、疑われない程度に戦うだけでも死傷者が出る可能性がある。無用な死者を減らすには、戦う数を減らさなければならない。戦闘をしなくて済むのが一番だ。
「……新たに送られてきた場合は?」
「調べる必要もなく、即戦力として最前線で戦ってもらうべきです」
「……騎士だけではない」
「事故、流行り病。人は様々なことで亡くなってしまうものです」
文官もレグルスは消すつもりだ。
「さすがに疑われる」
「報告は別の人が行えば良い。方法が分かれば、代わってあげられるのではないですか?」
成り代わりも考えている。本家にこちらの都合の良い情報だけを送る。場合によっては偽情報で騙す。それをしていることを見つけられる人間がいなくなった後であれば、こうしたほうが良い。
「……なるほど。本家が恐れるはずだ。味方でいなかったのが悪いのか」
本家は、現当主ベラトリックスと子のライラスはレグルスを敵と位置付けた。だからレグルスを警戒することになる。頼もしいとは思えなくなるのだ。
「永遠に続ける必要はないはずです。王国が調停に入れば、本家も停戦を考えざるを得なくなります。戦う理由を王国に、正直に話せば、また違ってくるかもしれませんが」
いつか争いは収まる。その方向に進んでいくはずだとレグルスは考えている。そうでなくてはならないのだ。王国全土で争いが巻き起こるような状態になるのでは、王国は間違った方向に進んでいるということになる。自分が暗躍することなく、サマンサアンも大人しくしていれば、そうはならないはずなのだ。そうでなければ自分の選択は何なのかとレグルスは思ってしまう。
「……もしこの提案を拒絶したら、我々は誰を敵に回して戦うことになるのだろう?」
「ゲルメニア族ですけど?」
「ゲルメニア族か……それはそうだな」
ではレグルスはゲルメニア族なのか。これを問うことをドミニクは止めた。一番知りたいことだが、この場ではっきりさせることを躊躇った。
「どうしますか? 前向きに検討出来るというのであれば、こちらはすぐに準備に入りますけど?」
まずは裏切者の洗い出し。新しい砦の構築など、変った動きが生まれることに疑いを抱かせてはいかない。疑われ、本家に報告されそうになった時は、それを防がなければならない。
「……任せる」
ドミニクはレグルスの提案を受け入れた。危険な賭けではある。だが、このままゲルメニア族と戦い続けても、結局はモルクブラックバーン家は滅びてしまう。本家がそういう結果を望んでいることは分かっている。
そうであるなら生き残りを賭けての勝負に出るのも有りではないか。それに、敵に回ったレグルスと戦うことにも躊躇いを覚えてしまう。ドミニクはこう考え、決断した。