通路に金属音が響いた。見張りとしてその場にいたテイラー伯爵家の騎士にとっては驚きの出来事。開くはずのない鍵が、勝手に開いたのだ。驚かないではいられない。
何が起きたのか分からないまま、あまり考えることなく、扉に近づいたのがその騎士の不幸。とは言っても、扉に近づかなくても、ほんの数秒だけ、人生が長くなっただけだ。
うめき声をあげることも出来ないまま、真後ろに倒れていく騎士。その顔面にはブーメランがめり込んでいる。開いた扉の隙間から飛んできたブーメランだ。
「便利な武器」
扉の中に飛び込んできたレグルスがこう呟いた時には、先の扉にエモンが張り付いている。そこからわずか数秒、扉が開き、その隙間からブーメランが、そしてレグルスが飛び込んでいった。
そのあとに続く諜報部長たち、王国諜報部のメンバー。
「段取りが……速ければ良いのか」
すでに見張りは死んでいて、レグルスが先の扉の鍵を開けにかかっている。鍵を開けるのはレグルスとエモンが交代で、という段取りは守られていない。だが速ければそれで良いのだ、と考えている間にまた扉が開いた。
先行するのはまたブーメラン。ゲルメニア族の男が投げたブーメランだ。人が通れる隙間が開く前に攻撃出来るというだけでブーメランは重宝する。それが敵に当たっていれば、尚更だ。
「忍びは忍びでも戦忍びか……とんでもないな」
難攻不落。こう思っていたのは、なんだったのか。すでに三枚目の扉も突破。レグルス、エモン、そしてゲルメニア族の男たちは先に進んでいる。
「魔道具は?」
魔道具が反応した様子もない。仕掛けられていないのかと思ったが、そうではなかった。
「なるほど……ここを壊せば良いのか」
魔道具は壊されていた。ナイフの一撃を受けただけで動作しなくなったのだと諜報部長は判断した。鍵を開けた瞬間にブーメランで攻撃。それで見張りを倒せていれば良し、駄目でも続くレグルスが倒す。では、魔道具は誰が壊しているのか。
「部長!」
「あ、ああ。急ごう」
それを考えている時間はなかった。そうしている間に、レグルスたちが通路を突破しようとしていた。エリザベス王女の捜索にすぐに取り掛からなければならない。作戦はまだ成功したわけではないのだ。
◆◆◆
扉の外が騒がしい。最初にテイラー伯爵が思ったのは、その程度のことだった。重大な事件を起こしている当事者にしては、気持ちが緩んでいる。こう責める者はいないが、その通りだ。すでに潜入を許しているのだから。
ただテイラー伯爵としては、言い分がある。この場所は屋敷の最奥。位置的には一番奥というわけではないが、迷路のように入り組んだ廊下を進む入口からもっとも距離がある場所にある。易々と辿り着ける場所ではないのだ。
「……静かにさせてくれ。王女殿下に失礼だ」
「はっ」
とりあえず近侍の騎士に命じて、静かにさせようと考えた。エリザベス王女との時間を邪魔されたくないのだ。目の前の彼女は、そんなことは望んでいないが。
「すぐに静かにさせますので」
「別に構いません。このような場所に閉じ込められていては、騒ぎたくもなるでしょう」
軽い嫌味を口にするエリザベス王女。扱いは丁寧なものだ。王女に対する礼儀を忘れていない。侍女も付き、身の回りの世話は全て行ってもらえる。城での暮らしと変わらない。
だが、監禁されているという事実が、全てを台無しにする。厚遇を喜ぶ気にはなれない。
「……申し訳ございません。ジークフリート王子がご自分の身を犠牲にする覚悟がおありなら、王女殿下はすぐに解放出来るのですが」
「どうしてジークを?」
何度口にしたか分からなくなるほど、繰り返している問い。テイラー伯爵の目的をエリザベス王女は知らない。ジークフリート王子と交換という要求は聞いているが、何故、そうしたいのかが分からない。
「彼が生きていると不幸になる人が大勢生まれます」
「それは何度も聞きました。ジークが何をすると言うのです?」
「話しても殿下は信じないでしょう」
この答えも毎回同じだ。エリザベス王女としては、何を勿体ぶっているのかと思うが、テイラー伯爵は決して話を先に進めない。目的を語ろうとしない。
「……ジークが作る血塗られた未来が原因ですか?」
ここでエリザベス王女は、彼女もずっと話すことをしなかったことを口にした。
「ま、まさか……殿下。貴女も……私と同じ……」
「……同じとは?」
驚愕の表情のテイラー伯爵。ここまでの反応はエリザベス王女も予想していなかった。しかも、「同じ」という言葉は。未来視の能力は王家独自のもの。テイラー伯爵が持っているはずがないのだ。
「それは」
テイラー伯爵が先を続けようとした瞬間、部屋の扉が衝撃で大きく揺らぐ。
「うるさい! 大事な話を……お前、誰だ?」
家臣と思って怒鳴りつけたが、扉のところに立っていたのは見たことのない人物。この状況では少しずれた質問をテイラー伯爵は発してしまった。
「レグルス!?」
問いの答えはエリザベス王女が教えてくれた。
「レグルス……まさか? レグルス・ブラックバーンか!?」
この問いに答える人は誰もいない。問われたレグルスは、テイラー伯爵の横をすり抜けて、エリザベス王女に近づいていた。
「…………」
本当にレグルスなのか。目の前にいるレグルスの頬にエリザベス王女は手を伸ばす。
「あ、あの、まだ取り込み中でして」
「……確かにレグルスね」
この反応はレグルスのもの。レグルスは生きていて、まさかのことに助けにきてくれた。それが、たまらなく嬉しいエリザベス王女であるが、状況はまだ少し好転しただけ。浮かれている場合ではない。
「レグルス・ブラックバーン……何故、君がここに?」
「それ聞く必要あるか? 王女殿下を助ける為に決まっている」
「そうではない! どうして……! どうして君が、ジークフリートを助けるような真似をする!?」
「……そのつもりはない。俺が助けに来たのはエリザベス王女だ」
エリザベス王女の手を引いて、部屋から出ようとするレグルス。テイラー伯爵はその邪魔を、出来るほどの力はない。レグルスに蹴られただけで、大きく後ろに吹き飛んだ。
そのままエリザベス王女と共に部屋を出るレグルス。まだ合流しただけ。屋敷の外に連れ出せなければ、作戦は成功とは言えないのだ。
「急ぎます」
「えっ、あ、ええ」
エリザベス王女に走らせるより、自分が背負ったほうが速い。レグルスはそう考え、実際にそうした。廊下を全力で駆けるレグルス。だがその足は少し走っただけで、すぐに緩むことになる。
「合流した! 突破する!」
敵の接近を防いでいた味方がそこにいたのだ。その先には敵も。
「前に出る! 殿下を頼む!」
エリザベス王女を下ろして、そのまま前に駆け出していくレグルス。剣が振るわれ、血しぶきが舞う。何人か立っていた敵は飛んできたブーメランに頭を砕かれて、床に倒れて行った。
「急げ!」
ここを突破したからといってまだ安心できない。これまで戦った相手で手応えを感じたのはエリザベス王女がいた部屋から出てきた騎士だけ。他の特選騎士は別の場所にいるということだ。
迷路のような廊下を迷うことなく進んでいくレグルスたち。先導者がいるのだが、その存在に敵は気付かない。たとえ、小さなネズミが駆けていることに気付いたとしても、そのネズミが道案内しているとは思わない。
「通路を塞がれた! どうする!」
また待機していた味方と合流。侵入路であり、脱出路でもある裏口の通路を見張っていた諜報部員だ。
「騎士団への連絡は!?」
「……鳥なら飛んで行った」
その鳥が伝令役。騎士団には、カロから報告を受けた諜報部員が伝えることになる。鳥の伝令では、カロでも、騎士団が怪しむと思って、そういう段取りにしている。
「裏口に回った敵の騎士は何人!?」
「二人です! 特選騎士かは分かりません!」
「……正面口を突破する! 良いですか!?」
「同意だ! 急げ!」
連絡が届いていれば、王国騎士団が正面入り口から突入してくるはず。援軍が来る正面入り口のほうが安全だとレグルスは判断した。諜報部長も同じ考えだ。
「……俺はここに残ります」
レグルスは裏口に向かった二人を特選騎士だと考えた。二人だけで裏口を封鎖出来ると考える実力がある。こう考えたのだ。
「レグルス!?」
「あとで会いましょう! ご無事で!」
レグルスが残ると知って、声をあげたエリザベス王女。それに、わざと明るくレグルスは言葉を返す。とにかくエリザベス王女を外に連れ出してしまえば、外にいる味方のところまで届ければ勝ちなのだ。心配させて、脱出を躊躇われたら困る。
正しく状況を把握している諜報部長はエリザベス王女を、少し強引に、連れて行く。作戦の目的はエリザベス王女救出。それを成功させることが、なにより優先するのだ。
「……J#g b&@rdr#d& d&m $nt& #tt st#nn#(残れとは言っていない)」
エリザベス王女と諜報部長たちが去った場に残ったのは、レグルス一人ではない。ゲルメニア族の二人も残っている。
「V$ k@mm&r #tt skydd# d$g(我らが守るのは、お前だ)」
同行してきたゲルメニア族の目的はエリザベス王女救出ではない。レグルスを無事に連れ帰ることなのだ。
「……まあ、無茶するはずないか」
先には特選騎士が待ち構えているかもしれない。状況を考えれば、まず間違いなくいる。だが諜報部長は無理はしないはずだとレグルスは考えた。敵の追跡を防ごうとしているレグルスと、戦闘に巻き込まれないように距離を取って待機していれば、正面入り口側にいる敵は突入してきた王国騎士団が倒してくれるのだから。
「……三人、と一人か。殺しておくべきだったかな?」
予想通り、追手が現れた。三人の騎士、とテイラー伯爵本人だ。騎士の一人はエリザベス王女がいた部屋から出てきた特選騎士。急いでいて、とどめをささなかったことをレグルスは少し後悔した。
三対四、テイラー伯爵の武は大したことないとしても、三対三で数は五分。そうなると勝負を決めるのは、個々の力。特にゲルメニア族の男二人が五分以上に戦えるかだが、それは戦ってみなければ分からない。
「レグルス・ブラックバーン……」
忌々し気な表情でレグルスの名を口にするテイラー伯爵。
「いちいちブラックバーンを付けるな。それに、俺は追放された身だ」
「貴様は何も分かっていない。自分が何をしでかしたのかを分かっていない」
「……確かに俺は分かっていない。俺は何をしでかした?」
部屋に飛び込んだ時からテイラー伯爵の反応は、どこかおかしい。レグルスには会った記憶がまったくないのだが、相手は何かを知っている様子だ。それがレグルスには理解出来ない。
「……大罪人をこの世から消すのを邪魔した」
「エリザベス王女が何の罪を犯した」
「エリザベス王女は何もしていない。そもそもジークフリートが罪を犯すのも先の話だ」
テイラー伯爵の目標はあくまでもジークフリート王子。エリザベス王女はジークフリート王子を殺す為に利用したのだ。
「……何を言っているか、さっぱり分からない」
これは嘘だ。レグルスはまさかの可能性を考えている。テイラー伯爵の言葉はそれを示している。
「愚かな……愚かすぎるぞ、レグルス・ブラックバーン! 北部動乱の英雄も、今はまだ、ただの頭の悪いガキか!」
「……北部動乱?」
また分からない言葉がテイラー伯爵の口から飛び出してきた。北部動乱など初めて聞いた。歴史の勉強はそれなりに行ってきたつもりのレグルスだが、そんな戦乱は知らない。まして、自分は英雄ではない。
ただこれではっきりした。テイラー伯爵は未来を語っているのだ。
「……分かるはずがないか。今の君には、分かるはずがない」
だがテイラー伯爵は問いの答えを与えてくれなかった。声はしぼみ、かなり落ち込んだ様子に変わった。その理由は分かる。後ろのほうから聞こえてくる喧噪。王国騎士団が突入に成功したのだ。
「ようやく……ようやく、ここまで出来るようになったのに……今度こそ……こう思ったのに……」
レグルスも良く知る想い。この人生でこそ。こう思ったのは何度か。数えきれないほど同じ想いを抱いた人生の結末はすべて絶望で終わった。今回もまた。この気持ちはレグルスも良く分かる。
「……貴方は……貴方は何度目だ?」
レグルスはこう問いかけずにはいられなくなった。
「……ま、まさか……そうか……君もか……そうだったか……」
「おい? どうした!? 大丈夫か!?」
レグルスの問いの意味を知り、力ない笑みを浮かべたテイラー伯爵。そのまま、ゆっくりと床に崩れ落ちて行った。
「……私は死ぬ……死ぬはずのない今、死ぬ」
「毒を……?」
テイラー伯爵の口から血が零れ落ちている。毒を含んだのだと、自殺しようとしているのだとレグルスは考えた。王国騎士団に突入されては計画の失敗は確実。自死を選ぶのは貴族らしい考えだ。
「計画は失敗だ……やっと……初めて……実行出来た、のに……」
何度も何度もジークフリート王子の暗殺を試みていたのか。そう思えるが、はっきりしたことはレグルスには分からない。レグルスもあらゆることを試みた。テイラー伯爵のこの計画も、いくつも試みた中のひとつである可能性は高い。
「失敗だ……私は、死ぬ……だから……だから、レグルス・ブラックバーン……後を頼む……」
「…………」
思いもよらない言葉がテイラー伯爵の口から出てきた。テイラー伯爵はレグルスの未来を知っている。過去の人生における未来を、どこまでかは分からないが知っているのだとレグルスは思った。
「……私が……私がここで、死ぬ……ことで……未来は、変わる、だろうか? わ、私は……私の、死は……未来を変える……役に、立つだろうか?」
「……未来は変わる。貴方がいない新しい未来が始まる」
「そ、そうか……変わるか……レ、レグルス……後は頼む……君は……希望なのだ……我々の、希望なのだ……こ、こんどこそ……こんど…………」
沈黙の数秒を待っても、テイラー伯爵の言葉が続くことはなかった。彼は絶命した。
ゆっくりと前に進みテイラー伯爵の遺体の前にしゃがみ込むレグルス。騎士たちは呆然とそれを見つめているだけだ。見開かれたままの目をそっと閉じ、レグルスはそのままの姿勢で口を開いた。
「……お前たちは何度目だ?」
「……私は二回目です。他の者も同じです」
仕えていた騎士三人も人生を繰り返していた。これが二回目、最初の繰り返しだ。
「そうか……北部動乱というのは?」
「伯爵が起こした動乱です」
北部動乱を引き起こしたのはテイラー伯爵。騎士たちはこう認識している。
「伯爵が? ではどうして伯爵が俺を英雄なんて呼んだ?」
「分かりません。私は、いえ、皆、動乱が起きてすぐに戦死していますので」
彼らの人生は短かった。個人の人生の長さではなく、レグルスが死ぬ前に、彼らは先に死んでいるのだ。テイラー伯爵が知っていた未来を彼らは知らない。教えられていたのは、自分たちの死が、ジークフリート王子のせいだということだけだった。
「……分かった。それでどうする? お前たちも死ぬか? それとも生きるか?」
「……生きられるのですか?」
大罪を犯した自覚は彼らにもある。失敗すれば死罪。そして計画は失敗したのだ。
「それは分からない。とりあえず、この場から逃げられるというだけだ」
「……生きたいです」
「分かった。じゃあ、行こう」
立ち上がって裏口のほうに進むレグルス。そのレグルスに三人の騎士、そしてゲルメニア族の男二人も続いた。
「K#n v$ sl#pp# h@n@m?(逃がして良いのか?)」
「H#n #r j#g(彼は俺だ)」
テイラー伯爵は自分と同じ。人生を変えようと足掻き、何度も絶望を味わってきた。それを思うと、仕えていた騎士たちを殺す気にはなれない。彼らも同じように、この先、何度も絶望の人生を味わうことになるかもしれないのだ。
「……V#d m&n#r d%?(どういう意味?)」
「J#g b&h@v&r $nt& v&t#(知らなく良い)」
エリザベス王女救出作戦は成功に終わった。レグルスにとっては、後味の悪い終わり方で。