モルクインゴンの街に大きな動きはない。新たな戦いに向けての動きがないだけで、崩壊した砦の再構築作業などは行われている。モルクブラックバーン家の戦いは防衛戦。山岳地帯への侵攻など出来ない、行っても大きな被害を出すだけなので、ゲルメニア族側から攻めてこなければ戦いは起こらないのだ。
もちろん警戒は怠っていない。だがゲルメニア族が再侵攻してくる気配は、今のところは、ない。これまでであれば気配がないというだけでは安心出来なかったのだが、今は少し安心出来る材料が出来たのだ。ドミニクやディアーンにとっては、束の間の休息。そう言える時だったのだが。
「……諜報部長が自らこんなところやってきて、何の用だろう?」
王国の諜報部長がいきなり現れたのだ。やましいところがなくても警戒心が湧く。
「単刀直入に言わせてもらう。レグルス・ブラックバーンはどこにいる?」
「彼は死んだ」
「それは事実なのか?」
「疑うなら好きに探せば良い。諜報部長であれば簡単に見つけられるだろ? 生きているのであれば」
捜索されても困ることはまったくない。モルクインゴンにレグルスはいないのだ。モルクブラックバーン家が王国に責められることにはならない。
「……彼に危害を加えるつもりはまったくない。我々は彼に助けて欲しいのだ」
「そう言われてもな。こちらにはどうにも出来ない」
諜報部長の言葉を鵜呑みにすることはない。任務を達成する為であれば、平気で人を騙す。諜報部とはそういうところだと、ドミニクに限った話ではなく、認識されているのだ。
「……助けて欲しいのは我々ではない。エリザベス王女だ」
ある程度、事情を話さないと協力が得られない。諜報部長はこう考えた。ここで隠しても、いずれ知られることなのだ。
「どういう意味だ? どうしてエリザベス王女の名が出てくる?」
「まだ現地以外では公になっていないが、エリザベス王女が拉致された」
「何だって……?」
驚きの事実。まったく想定していなかった事実にドミニクは動揺している。王女が拉致されるなど、あってはならないことなのだ。
「救出作戦の実行に彼の力が必要だ。彼がいるといないでは成功の可能性が大きく変わる……いや、正直に話そう。今のままでは作戦は成功しない。エリザベス王女は救えない」
「……王国騎士団は何をしている?」
「王国騎士団は監禁場所に近づけない。近づいたことが分かるとエリザベス王女を殺すと警告されている」
「分からん。どうしてレグルスなのだ? 王国騎士団に出来ないことが、どうして彼に出来る?」
ドミニクはレグルスの能力を知らない。当然だ。諜報部長が求めるレグルスの能力を知る者は、彼の仲間しかいないのだ。仲間以外で知った中で、生きているのは諜報部長の部下くらいなのだ。
「彼は我々と同じ力を持っている。求めているのは特選騎士を倒せる諜者なのだ」
「レグルスにそんな能力があるなど、知らない」
「そうだろう。だが彼の部下は分かっているはずだ。いるのだろう? この街に入った時に、知った気配を感じた」
今はもう諜報部長はレグルスが生きていると確信している。彼の仲間がこの街にいることが分かったからだ。彼らがこの街にとどまっているのは、ここにレグルスがいるからだと考えたのだ。
「嘘偽りのないことを話そう。レグルスが生きているか、死んでいるか私は知らない。どちらかといえば、死んだと諦めているほうだ」
「だが彼の仲間たちは諦めていない」
「それは彼らに聞いてくれ。私が答えることではない」
レグルスの生死を諜報部長に伝えるのは自分ではない。伝えて良いか決める権利もない。それが許されるのは、レグルスの仲間。彼が生きていると信じて、活動している彼らだとドミニクは考えた。それを正直に諜報部長に伝えた。
「その彼らはどこに?」
「息子が案内する。ディアーン」
「……分かりました」
父の判断が正しいのかディアーンには分からない。レグルスが生きていることを否定しているようで否定していない。そう聞こえたのだ。
それでも命じられれば、案内するしかない。ディアーンも、レグルスに関わることは自分が判断できることではないと考えているのだ。
◆◆◆
諜報部長はディアーンの案内で、舞術の道場にやってきた。案内されたのは、道場そのもの。今の時間は、そこにほとんどが集まっていることを知っているのだ。
思った通り、そこに皆がそろっていた。いるとは思っていない人までいた。諜報部長が、身分までは分かっていないが、王国の諜報部門であることは間違いのない人物が現れたのを彼らは分かっていた。エモンが気付いた。そのエモンが諜報部長に気づかれたのだ。
「……なるほど。知った顔がある。あるが……まあ、良い。レグルス殿の居場所を知りたい」
知った顔はロジャーとその息子二人。レグルスが剣術を学んでいたことは王都にいる時に調べていた。相手が何者かも。だが諜報部長がいると思っていた人物の気配がない。そう思ったが、話を始めることにした。時間は限られているのだ。
「尊大な人物だな。人にものを尋ねる態度とは思えない」
反応したのはリーチだ。彼は諜報部長について何も知らない。王国に仕えている人間が来たとしてか認識していない。
「丁寧に頼めば教えてもらえるなら、そうしよう」
「人に秘密を聞く時は、まず自分の秘密を話すべきではないかな? それが公平だ」
「……エリザベス王女が拉致され、監禁されている。助け出す為にはレグルス殿の力が必要だ。これが私の秘密だ。事件について知っている者はまだ少ない。公式には王国上層部、あとはさきほどドミニク殿に話したくらいだ。これでどうだ?」
「なるほど……さて、どうすれば良いのかな? 多数決でも取ってみるか?」
図々しいリーチだが、自分の立場というものをわきまえているところもある。レグルスの居場所を、それ以前に生きていることを認めるか認めないかを自分が決めてはいけないと考えた。では誰が決めるのか、というのも分からない。この集団の決定権者はレグルスだ。ナンバーツーもいない。
「王女様は良い人」
「まず賛成に一票」
ココはエリザベス王女と面識がある。優しくしてもらえて好意を持っている。エリザベス王女を助ける為であれば、レグルスの居場所を教えるべきだと考えた。実際にここまで考えているかは微妙だが。
「俺も」
「二票」
ココが賛成ならスカルも。スカルはエリザベス王女とレグルスを結婚させたい派だ。彼女をレグルスが助けるのは良いことだと考えた。
「僕は……分からない」
「棄権」
カロには判断する材料が何もない。エリザベス王女に対する特別な想いは、何もないのだ。だからといって反対もしない。反対する材料もないのだ。
「御三人も棄権かな?」
「我々が関わるべきことではない」
ロジャーたちも棄権。舞術の師ではあっても、それ以上ではない。スカルとココ、カロもレグルスを兄、家族と思っている。その彼らと自分たちを同列に考えるべきではないと考えているのだ。
「私は反対。賛成二票、反対一票、棄権四票。さて、これで決めて良いのかな?」
「……賛成にもう一票」
「おや? 出てきて良いのかな?」
賛成票を投じたのはエモン。諜報部長の前に姿を現さない予定のエモンだった。エモンが現れたことに諜報部長は、表情には一切出していないが、驚いている。エモンが、すぐ近くにいるとは思っていなかった。気配を感じ取れていなかったのだ。
「出てこないと話が進まない」
「信用出来る人物なのかな?」
リーチも基本、他人を信用しない。裏切られてばかりの人生だった。特に、魔道具士を抱えられるような権力者は恨みの対象。王国に仕えている人間は、信用する気もない。
「信用はしていない。でも技量は俺より上だ。そいつにレグルス様を連れて来ることが出来るなら、やらせたほうが良い」
「やはり、生きているのだな?」
「生きている。生きてゲルメニア族のところにいる。ただし、俺たちの誰も会えていない。ゲルメニア族がそれを許さない」
エモンは何度も潜入を試みたが、レグルスを見つける前にゲルメニア族に気付かれてしまう。どういう仕組みか分からないが、気配を消しても発見されてしまうのだ。
「……何故、生きていると分かる?」
「ああ、正確な説明ではなかった。レグルス様の友達と、仲間の友達は会えている。居場所もそいつ等が知っている」
「友達というのは?」
仲間と友達で何が違うのか諜報部長には分からない。分かるはずがない。この表現はこの集団独特のものだ。
「たとえば……あれ、友達か?」
「そうだよ」
エモンも、ケル以外の友達は良く分かっていない。それが分かるのはカロだけだ。
「……あれは鳥では?」
エモンが指さしているのは縁側にいる小鳥。それ以外の生物は、諜報部長には見えない。
「そう。こいつの友達。こいつは猛獣使いだ。ただ他の猛獣使いと違って、こいつは友達と呼ぶ」
「他の人たちがおかしいんだ」
カロにとって従えた動物は友達だ。従えたではなく、仲良くなれたなのだ。それをカロは当たり前のことだと思っている。子供の頃から当たり前に出来ていたことなのだ。
「はいはい。案内はあの友達が行う。付いて行って。ゲルメニア族に邪魔されなければ、レグルス様に会える」
「……あの鳥がレグルス殿を見つけ、お前たちに生きていると知らせた、ということか?」
「そうだ。先に見つけたはずのケルは、いつまで経っても帰ってこないからな。ケルはどこであろうとレグルス様と一緒に居られれば、それで満足なのだと思う」
「……少し頭が混乱してきたが、とにかくあの鳥が居場所まで案内してくれるのだな?」
ケルとは何者なのか、何の説明もない。そのケルはすでにレグルスの側に居る。それも良く分からない。そして何より、鳥がレグルスを見つけ、それを知らせてきたという。それが事実であれば、とんでもないことではないか、と諜報部長は思ったが、深く考えられるほど頭が整理されていなかった。
とにかくレグルスは生きている。それが明らかになったのであれば、なんとしても作戦に参加させなければならない。まずはそれを実現することだ。
◆◆◆
レグルスの日常が少し変わった。体力づくりとブーメランの練習、ブーメランの練習でもある子供たちとの遊びに、剣の鍛錬が加わった。奪われていた剣が、葬儀以降、戻って来たのだ。正しくは剣の鍛錬と子供たちとの剣術遊びが加わった、だ。
とにかくレグルスは子供たちに人気だ。中には父親を殺された子もいるのだが、そういうことまで子供は理解していない。楽しく遊んでくれる人で、葬儀の時がそうだったように、なんだか格好良い人。この程度の認識なのだ。嫌がることなく遊んでくれるのが子供たちは嬉しい。だから大人たちに怒られるまで、ずっとレグルスの側にいるのだ。
今もそう。新しい遊び、剣術遊びに夢中だ。
「ん?」
子供の相手をしているレグルスに、振り下ろされてきた剣。子供の剣ではない。鋭さがまったく違う。だがその剣はレグルスの体に当たる前に、受け止められた。
「……なんだ、お前? いい大人が、子供の邪魔するな。あっ、通じない――」
男の攻撃は止まらない。わずかに後ろに下がると、今度は斜め下から剣を振り上げてきた。剣を合わせることなく、後ろに下がって、それを躱すレグルス。相手の剣が反転してきたが、それも横にずれて躱した。
「……通じても止めないか」
無言のまま、薄気味悪い笑みを浮かべてレグルスを見つめている男。止めろと言っても素直に従う様子ではない。
棒立ちに見えた男が剣を振り上げてきた。完全に不意を突かれた、とはならない。舞術もこれという構えはない。どんな体勢からでも攻撃を仕掛ける、それも致命傷を与えられる攻撃を繰り出すことが出来ることが目指す在り方なのだ。
「nh……」
男の口から初めて声が漏れた。剣を躱され、がら空きになった腹に蹴りを受け、うめき声をあげた。さらにレグルスはやや前かがみになった男のこめかみに拳を叩きつける。それをまともに受けた男は、大きく吹き飛んだ。
「#r d% r&d@ #tt sl%t#?(やめる気になったか?)」
「……mnnnnnnh!!」
「ならない、と」
意味不明な叫び声をあげて、男はまた襲い掛かってくる。先ほどまでとは段違いの速さで。振るわれる剣はその軌道を何度も変え、レグルスに向かってくる。剣というよりは鞭、そんな風に感じる攻撃だ。
だがその攻撃をレグルスは、その場から一歩も動くことなく防ぎ続ける。舞術の防御型、円舞陣。ロジャーから伝えられたものだ。
「……見つけた」
呟きと同時に動き出すレグルス。その動きは攻めかかっている男を超える。大きく吹き飛ぶ男。レグルスは一瞬でまた間合いを詰め、攻撃を繰り出す。それに耐えきれずに地面に倒れた男。
「V$ll d% #tt j#g sk# s@rj# d$g?(弔って欲しいか?)」
男の首元に剣の刃をあてて、相手を見下ろすレグルス。
「……#tt f@rl@r#(負けた)」
負けを認めた男。その言葉を聞いて、レグルスはまた子供たちのところに戻ろうと思った、のだが。
「J#g st#r p# t%r(次は俺の番だ)」
「はっ?」
また別の男が挑んできた。レグルスは分かっていないが、これには理由がある。子供たちはほぼ最初からレグルスを受け入れている。重鎮たちも認めた。戦死者の家族は、何もなかったことには出来ないが、レグルスの誠意は伝わった。そうなると次は、戦士たちの番。彼らはレグルスを試そうとしているのだ。
「……俺の番。正しいか?」
「正しくない。言葉ではなく、戦おうとすることが」
「いや、正しい」
レグルスの了承など相手は必要としていない。彼らはレグルスを試すと決めたのだ。一歩前に踏み出したのだ。後戻りをするつもりはない。
背負っていた長剣を振るってくる男。長身の男と同じくらいの長剣がレグルスに襲い掛かって来た。ずしりとした感触が受け止めた剣を持つ腕に伝わってくる。
だが剣の動きはその重さを感じさせないものだ。間合いを詰めようとするレグルスの動きを先回りして、振られる剣。避ける為に動くと、また間合いが広がる。それは相手の間合いだ。
「……なるほどね」
最初の男より、明らかに強い。自分の戦い方というものを持っている。だが戦い方が分かれば、それを攻略すれば良い。レグルスが考えた攻略法は、極めて単純なものだ。
「N&j!(なっ!)」
相手が剣を振るよりも速く間合いに入る。それだけだ。これまで見せていた以上の加速で相手の懐に入ったレグルス。咄嗟に放ってきた蹴りも躱して背後に回ると、相手の膝に蹴りを入れる。自分の蹴りで片足立ちになっていた相手は、それでバランスを崩して転倒。
それでも地面を転がって、間合いを取り、立ち上がったのだが。
「……#tt f@rl@r#(負けだ)」
その時にはレグルスの剣が喉元に伸びていた。
「J#g st#r p# t%r!(次は俺の番だ!)」
だがまだ挑戦者は残っている。それはそうだ。レグルスのせいで多くの戦死者を出したゲルメニア族だが、成人男性の全てが戦士なのだ。
もちろん全員がレグルスに挑もうとしているわけではない。腕に自信のある実力上位の戦士が戦いを挑んできているのだ。
「何なんだ、一体……まあ……鈍った体を起こすには良いか」
いきなり挑みかかられて、何が何だか分からないレグルスだが、こういう緊張感のある立ち合いは久しぶり。これはこれで良いかと考えて、このまま相手をすることにした。
何度も相手を入れ替えて対戦が続く。それを息をつめて見つめている子供たち。日が暮れるまでそれは続く、と思われるほどの盛り上がりだったのだが。
「客だ」
対戦に割り込んでくる者がいた。ゲルメニア族の重鎮の一人。戦士たちも文句は言えない。
「はっ?」
「本人はそう言っている。あいつだ。知っている奴か?」
「……ああ、顔は知っている」
ゲルメニア族の戦士に周囲を囲まれて、近づいてくる男は王国諜報部長。彼は辿り着いたのだ。生きて、レグルスの前に来ることが許された。