王都で会議が開かれる半月前――エリザベス王女拉致事件の発生から、現地では何度も作戦会議が行われていた。だがいくら会議を重ねても、妙案は出てこない。逆に、救出作戦の成功を困難にする事実が増えるばかりだ。それでも諜報部は諦めることなく、調査を続けた。諦めることなど出来るはずがない。エリザベス王女は彼らの目の前で拉致されたのだ。
それだけではない。諜報部では無理でも、王国騎士団であれば可能な作戦があるはず。そう信じて、作戦立案に必要な情報をひとつでも多く集める責任もあるのだ。
「裏口の場所は発見出来たのか?」
「おおよその場所は分かっておりますが、まだ近づいてはいません。入口周辺に仕掛けがないかを調べているところです。安易に接近して、こちらが入口に気付いたことを悟られてはいけないと思いまして」
「正しい判断だ。情報は得られていないのか?」
諜報部は自分たちで屋敷を調べるだけでなく、周辺での聞き取り調査も行っている。全てをテイラー伯爵家の人員だけで出来るはずがない。屋敷を建築するにあたって職人や作業員が雇われたはずだと考え、周辺の町や村で聞き込みを行った結果、見つけた人たちから情報を集めたのだ。
「内部の情報しか得られておりません。正面の森と同じで、魔道具の設置は伯爵家の人員だけで行われた可能性が高いと考えております」
「そうだな。内部は……」
「裏口は脱出用に作られたものだと想定されます。通路は狭くなさそうですが、いくつも扉があり、その全てに鍵がつけられているとのことです。外部から潜入するには鍵を開けるか、扉を壊すかとなります」
エリザベス王女が監禁されているテイラー伯爵屋敷は、完全に計画用に建築されたもの。利便性などまったく考えられていない。外からの侵入は極めて困難、ようやく見つけた裏口もこのような状態だ。
「……問題は特選騎士が配置されているかどうかだが」
「それは……分かりません」
「いると考えるべきだな。正面からの突入で陽動。それでどれだけ引き付けられるか」
侵入は裏口からと考えている。脱出用ということであれば、建物の奥に繋がっている可能性が高いからだ。人質になっているエリザベス王女の居場所は分かっていない。だが正面入り口近くではないことは推測できる。裏をかかれる可能性はあるが、それを考えると何も出来ないのだ。
「扉の鍵だけでなく、魔道具も仕掛けられている場合は?」
「……敵次第だ」
突入を知られた瞬間にエリザベス王女が殺される可能性はある。敵にとって最後の切り札、簡単に殺すことはしない可能性も。どちらであるかは分からない。タイラー伯爵次第なのだ。
「内部の構造は分かりましたが、そこに何人の騎士がいるか分かりません。エリザベス王女がどこにいるかも」
制圧は出来ても、エリザベス王女を救える可能性はほとんどない。あまりに情報が足りなさすぎるのだ。
「どうした? 何かあったか?」
部屋に部下が飛び込んできた。その様子から何か大きな問題が起きたことだけは分かる。
「要求が分かりました」
「接触してきたのか?」
「いえ。近隣の町や村で噂になっております。今後、さらに広がるものと思われます」
「どういうことだ?」
何故、テイラー伯爵の要求が近隣で噂になっているのか。諜報部長はすぐに理由が思いつかなかった。予想外のことなのだ。
「わざと広めているものと思われます。エリザベス王女が監禁されていることを知らしめようとしているのではないかと」
「……要求は?」
「ジークフリート王子との交換。二か月以内にジークフリート王子が現れない場合、王国騎士団が来た場合はエリザベス王女を殺すというものです」
「そういうことか……」
これでジークフリート王子がこの地に現れなければ、王国はエリザベス王女を見捨てたということになる。それが分かっていても、ジークフリート王子が来ることはない。人質が代わるだけ。わざわざジークフリート王子を指名してくるということは、殺害が目的である可能性も高い。王国は要求を受け入れられない。
「王国騎士団が作戦に参加できないとなりますと……」
さらに王国騎士団の介入も禁じられた。テイラー伯爵家の特選騎士と対等以上に戦える戦力を加えることを封じられたのだ。もともと成功可能性が低い作戦が、これで意味のないものになった。
「陛下のご判断を待つしかない。待つしかないが……我々だけで作戦を実行することも考えなければならない」
「……成功するでしょうか?」
分かりきっていることを遠回しに尋ねる部下。失敗するとは言葉に出来ないからだ。敵の特選騎士を倒せなければ、屋敷は制圧出来ない。エリザベス王女が捕らわれている場所に辿り着くことさえ出来ないだろう。
「諜者にすぎない私が考えるべきではないことだが、王国への批判を和らげるには犠牲が必要だ」
テイラー伯爵の要求に応じることは出来ない。さらに何もすることなくエリザベス王女を見捨てたとなると、民衆は王国を批判するだろう。貴族家も同じだ。王国の威信は地に落ちることになる。自分がテイラー伯爵であれば、そこまで持って行こうとすると諜報部長は考えた。
「……すべては陛下のご判断だが、覚悟はしておけ。あと、里に戻る時間は与えられない。許せ」
死の覚悟だ。二か月の時はあるが、家族に別れを告げることも出来ない。ぎりぎりまで手は尽くす。死の覚悟が出来たからといって、成功を諦めて良いわけではないのだ。
「……あ、あの」
場を沈痛な雰囲気が支配する中、一人の部員が恐る恐るという様子で声をあげた。諜報部の中でも一番下の身分。会議の場で発言することは、報告者でないかぎり、ない部員だ。
「どうした?」
厳しい視線を向ける諜報部長。死の恐怖に臆したと思ったのだ。
「その、私は、自分以上の動きが出来て、特選騎士も倒せる力を持つ人物を知っています」
「なんだと?」
「レグルス・ブラックバーン殿であれば、きっと!」
臆した様子を払い、諜報部長を真正面から見つめてレグルスの名を告げる部下。
「……レグルス・ブラックバーンか」
まさかの名。それでいて納得してしまう名でもある。諜報部長でさえ、根拠のない期待を抱いてしまう名だ。
「ご存じの通り、私はレグルス殿の尾行を行っておりました。ですが、何度も見失っております。最後は、気配を感じることも出来ずに倒されました」
この部下はジークフリート王子の命令でレグルスの調査をしていた。それが明らかになって罰を受けた部下だ。
「……そうか」
「自分の未熟さと思っておりました。里に帰されるは当然だと。しかし……私は、里で自分の未熟さではなく、レグルス殿の優秀さを知ったのです」
彼は諜報部に戻ってきた。里で鍛え直しはした。だが、里で修行中の誰も彼の技を上回っていなかった。自分が諜報部の一員に相応しい技量を持っていることを彼は知った。そしてその自分を上回ったレグルスに、遅ればせながら、驚いた。
「……モルクインゴンまでは」
「およそ一月。我々の足であれば半月で着きます」
「問題は生きているか……いや、生きてどこにいるかか……分かった。私が行く」
レグルスは死んだ。だがエリザベス王女を生きていると信じていた。だから行方を探そうとしたのだ。そのせいで、こんなことに巻き込まれたのだ。
ならば、事件の解決にレグルスが関わるのは当然。論理的とは言えないが、諜報部長はこう考えた。そういう定めなのだと。
◆◆◆
例によって、何のためか分からない食事会が開かれた。これはレグルスにとってであり、ゲルメニア族には彼を知るという目的がある。同時にゲルメニア族を知ってもらうという目的も。
ただ今日の食事会はいつもとは違う。雑談だけでなく、ちゃんと話さなければならない話題があった。
「これは?」
「葬儀の時にお前が話すことだ」
レグルスが戦死者を送る。これはもう決定事項になった。最初に話を聞いた女性が、同じような境遇の人たちに教えてしまったのだ。やらないとは、さすがにレグルスも言えなくなった。
「文字は読めない」
「一番上が名前。次の行がどんな人物だったか。あとは祈りの言葉だ」
「書かれている内容が分からないと言っている」
ゲルメニア族の文字はレグルスも読めない。口語、それも簡単な口語しか頭に浮かんでこないのだ。ブラックバーン家の屋敷で文字を教えることは出来なかった。紙に書かれていれば、すぐにバレてしまうからだ。
「それは伝える。沢山書いてあるように見えるかもしれないが、最後の祈りの言葉は全て同じだ。名前とどんな人物かだけを覚えれば良い」
「名前と次の一行以外は同じ……確かにそうだな」
意味は分からなくても文字の形が同じであることは分かる。もっとも長い文章である祈りの言葉は、誰のものも、同じだ。
「当日は名前が書かれている墓標が並べられる。墓標の名に合った、これを語り、隣に移動して語る。これを繰り返すことになる。人数が多くて大変だろうが、それが送るということだ」
「……葬儀はいつ?」
「三日後を予定している。三日あれば、なんとか覚えられるか? 別に、忘れた時の為に紙を忍ばせておいてもかまわない」
葬儀の日にちも、もう決まっている。もともと行わなければならないこと。準備は進んでいた。あとはレグルスが語る言葉を覚えるだけ、と言っても良い状態だ。
「……駄目だ。一週間後に変えろ」
「覚えるのにそんなに必要か?」
「これを覚えるのにそんなにかかるか。一時間あれで全て覚えられる。でも、そんなので送ることになるのか? たった一時間で憶えられる、薄っぺらな言葉で死んだ奴らは、家族は喜ぶのか?」
「お前……」
意外な反応だった。レグルスは嫌々引き受けた。引き受けざるをえない状況に追い込んだからだ。とにかく形を整えればそれで良い。それで死者と死者の家族、そして誰よりレグルスが納得すればそれで良いと、ゲルメニア族の重鎮たちは考えていたのだ。
「俺は何も知らない。刃を交わすことさえしていない。それでは駄目だ。俺は、自分が何者を殺したかを知らなければならない。それは殺した俺の義務だ」
「……分かった。一週間先にする。死者については」
「お前たちが教えろ。知っているだろ? どういう奴だったか。どう生まれ、どう育ったか。知っていることを全て語れ」
「人の一生は、一人のものでも一週間では難しいな。だが……分かった。死んだ彼らとの想い出を語ろう。ここにいる皆で」
男の言葉に、他の人たちも大きく頷いて同意を示した。誰からと決めることなく、思いついた思い出話をそれぞれが語り始める。食事会の場は死者との想い出にひたる場となった。
――そして葬儀当日。日が落ちて暗くなってからゲルメニア族の葬儀は行われる。篝火があちこちに立ち、炎が参列者と正面に並ぶ墓標を照らしている。
一人前に出て、墓標の前に立つレグルス。
「M##m#. D% v#r &n l%st$g m#n. D% skr#tt#d& #llt$d, D&t f#nns #llt$d &tt l&&nd& r%nt @mkr$ng d$g,」(マアマよ。お前はお道化た男だった。お前はいつも笑っていた。お前の周りにはいつも笑顔があった)」
墓標の前で語り始めるレグルス。わずかに起きた騒めきは、過去の葬儀とは異なる語りに戸惑う声。
「J#g h#r #llt$d t#nkt p# m$n f#m$l$. D$tt l&&nd& str#l#d& n#r d% t#l#d& @m d$n f#m$l$.(いつも家族のことを考えていた。家族のことを語るお前の笑顔は輝いていた)」
本来の儀礼を無視し、墓標を背にして、参列している家族に向けて語り始めるレグルス。伝えたい人は誰か。これを考えて、とった行動だ。
「(お前の笑顔は一族の癒しだった。家族を、仲間を大切する優しいお前。敵として向き合った俺は、そんなお前の優しさを知らない。それが残念だ。味方として知り合い、仲間と認め合いたかった)」
参列者からすすり泣きの声が聞こえてくる。儀礼がどうであれ、レグルスの気持ちは伝わったようだ。
「(だからせめて、お前との戦いを誇りに思うことにしよう。勇敢な戦士マアマ。お前と戦えた運命に俺は感謝する。安らかに眠れ)」
また墓標に向くレグルス。ゆっくりと前に出て、マアマの墓標のすぐ前に立つと、腰に差していた剣を抜き、それを高々と掲げた。
剣から噴き上がる黒い炎。どよめき声があがった。
「(……あれは?)」
驚いたのは葬儀を取り計らっている重鎮たちもだ。
「(彼の剣だ。葬儀の時だけで良いから返せというから、何に使うかと思えば)」
レグルスが掲げた剣はフルド族から与えられた剣。レグルスの魔力に反応する魔道石の剣だ。ゆっくりと剣を降ろし、墓標に当てる。黒い炎が墓標を包み込んだ。
「(嘘だろ……?)」
「(闇の神パンドーラの炎で送られるのだ。マアマも満足だろう)」
そして家族も。黒い炎は、ゲルメニア族が崇める闇の神パンドーラの力とされている。その力で弔われるのだ。最高の送り方ということになる。
「(……知っていたのか?)」
「(今、知った。だからといって俺は別に変わらない。お前はどうだ?)」
早くからレグルスと接していたこの男は、とっくにレグルスを受け入れている。だから他の者も自分と同じ気持ちになるように、レグルスに葬儀を任せたのだ、そうなるように仕向けたのだ。
「(……あれを見て、拒絶出来るか? すでにゲルメニア族の王ではないか?)」
この男はレグルスに対して否定的だった。ゲルメニア族の血が混じっているとはいえ、レグルスはブラックバーンで育った人間。ゲルメニア族ではないと考えていた。殺すべきだと。
殺すべきについては、レグルスに何度か会って、その気持ちは薄れていた。だがゲルメニア族と、それも王族と認めることは受け入れられない。そう思っていたのだが。
「(……問題は本人だ。自らゲルメニアの王族であることを示しておいて、血の繋がりを否定するのだからな。困ったものだ)」
ゲルメニア族が受け入れても、肝心のレグルスが拒絶したままでは意味がない。だが、レグルスの気持ちを変えさせる方法が思いつかない。これまで、事情はそれぞれ違うが、多くの人が変えようとして変えられなかったレグルスの悪いところ。簡単でないのは当たり前だ。
葬儀は夜遅くまで続くことになる。一人一人に多くを語るのだ。過去の葬儀の何倍もの時間がかかることになる。だが誰もそれに文句をいう者はいない。過去にない、最高の葬儀に文句を言うはずがない。