砦から退却したドミニク率いるモルクブラックバーン家軍。そのままモルクインゴンの街で籠城戦を挑む、ということにはならなかった。ゲルメニア族がいつまで経っても、侵攻してこないのだ。何も分からないままでは対処のしようがない。ゲルメニア族相手では情報を得るのは難しいことは分かっているが、物見を出して前線を探らせたところ、砦は破壊されていたが、ゲルメニア族の姿はどこにもないという結果。どこかに隠れている可能性も考え、犠牲が出るのを覚悟で、深く調べさせても結果は変らない。物見も何事もなく戻って来た。
そうなってようやくドミニクは再度、軍勢を前進させる決断を行った。本当にゲルメニア族が引いたのであれば、砦の修復に取り掛からなければならない。砦がないままでは、本当にモルクインゴンで籠城戦を挑むことになってしまう。そこで同じ魔道具を使われたら。ドミニクのモルクブラックバーン家は負けだ。
「これを修復? 新しく作ったほうが早いのではないか?」
砦は残骸の山となっている。修復可能な箇所はないに等しい状態だ。そうであることは軍事の素人であるリーチにも分かる。
「そのつもりだ。まずは瓦礫の撤去。それから新たに砦を築くとなると……いつになったら完成するのか」
やることはディアーンには分かっている。分かっているから、それを考えると頭が痛い。かなりの時間が必要で、その間、ゲルメニア族の侵攻がないという保証などないのだ。
「敵地に侵攻するという手もある」
「無茶を言うな。ただの自殺行為だ」
それが出来るのであれば、とっくに行っている。出来ないから防戦一方なのだ。
「ではレグルスの生死を確かめるつもりはないということか?」
「…………」
リーチの問いにディアーンは答えられない。肯定も否定も出来ない。感情はそうしたいが、理性が無意味だと思わせるのだ。
「彼の死体はなかった」
「ああ、見つかっていない。だがゲルメニア族の死体もなかった」
「仲間の遺体を運ぶのは私にも理解出来る。だが敵の遺体を運ぶ理由は、天才リーチ様でも思いつかないな」
レグルスは死んでいない。その可能性はあるとリーチは考えている。死体がないことは、そう考える理由のひとつだ。
「こんな有様にする魔道具のすぐ側にいて、無事だったと?」
「無事とは言っていない。死んだ証拠はないと言っているのだよ」
「……リーチ。生きている可能性を示したい気持ちは分かる。分かるが、それは却って、彼らにとっては残酷ではないか?」
リーチはレグルスが生きている可能性を主張してくる。それは後から来たレグルスの仲間の気持ちを思ってのこと。こうディアーンは考えている。
「残酷? それはどうして?」
「生きている可能性を信じて、ずっと……上手く説明出来ないが、とにかく叶えられない希望を与えるのは残酷だ」
レグルスは死んでいる。そうであるのに生きていると信じて、ずっと再会を待ちわびているのは辛いことだとディアーンは思う。現実を受け入れ、新しい一歩を踏み出すべきだと。
「君は勘違いしているね? 私は彼が生きていると信じたいのではない。生きている事実を明らかにしたいのだよ」
「死体がないだけでは生きている証拠にはならない」
「そう。だからさらなる証拠が必要だ。ああ、証拠にはならないが、ひとつの事実を伝えておこう。いや、これも証拠が必要か……まあ、今は仮説ということで」
リーチはディアーンの知らない事実を知っている。本人が言う通り、まだ証拠はないので仮説だ。だが、間違いなく証明できるとリーチは考えているのだ。
「……どういう話だ?」
「砦を破壊したのは敵の魔道具ではない。恐らく、彼の魔法だ」
「……ば、馬鹿な。そんなことはあり得ない」
人の使う魔法で、砦が瓦礫に変わる。そんなことがあるはずがない。そんな魔法があったら戦いは変わる。今でも戦況を決める特選騎士の価値は、さらに高まる。
だが、そういうことではない。特選騎士であるはものの、あくまでも武が専門のディアーンは、レグルスのようにリーチの話し相手にはなれないのだ。
「あの日、魔力の膨張、活性化と言い替えても良い。それは二度起きた。魔道具でそれはない。起動し、活性化したあとに発動を止め、また最初からやり直すなんてことは、この天才魔道具士リーチ様の魔道具でも出来ない」
リーチでも感じ取れる、という言い方は正しくない。リーチだから感じ取れた感覚。魔道具が起動したあとの魔力の感覚に、経験からリーチは敏感になっているのだ。
「どういうことだ?」
「二つの魔法が発動した可能性が高い。一つは敵の魔道具、では残りの一つは何だ? 敵の魔道具が発動した後で、それと同じ、まず間違いなく、それ以上の威力を感じさせた魔法は誰が放ったものだ?」
「……レグルスだと?」
「可能性の一つとして。これは君に話すべきか迷うが……まあ、良い。彼の魔力は少し変わっていてね。黒い炎のように見える」
「まさか……いや……」
黒い炎にディアーンは心当たりがある。レグルスのことではない。ゲルメニア族の戦士の魔力もそのように見えるのだ。あり得る話だとディアーンは思った。レグルスの体にはゲルメニア族の血が流れていることを彼は知っている。
「心当たりがあった? ゲルメニア族が同じ魔力であることを知っているのは分かる。でも今のは……そういう反応ではないね?」
今度はディアーンが話すことを躊躇う番。レグルスの秘密を、ブラックバーン家の秘密でもあることを話すことは、かなり躊躇われる。
「……レグルスの母はゲルメニア族だ」
「父上!?」
躊躇うディアーンの代わりに秘密を暴露したのは、ドミニクだった。
「なるほど。だから魔道具は同じような魔力」
「父上。良いのですか?」
「ここなら聞いているのは彼らしかいない。彼らが知っていてもレグルスから聞いていたことにしてもらえば良い」
リーチたちに秘密を知られることをドミニクはなんとも思っていない。彼が気にしているのはリーチたちではないのだ。
「……ブラックバーン家とゲルメニア族が……本来、政治には興味のない私ですが、これは気になりますね」
「これを政治とは言わない。ただの嫌がらせ、いや卑劣な罠だ」
今日のドミニクはかなり辛口だ。本音をストレートに言葉にしている。彼なりにこの事態を悔やみ、怒りを覚えているのだ。
「おや? 自家の、いえ、本家というのですか。本家批判ですか?」
「別に聞かれて困る相手ではない」
「……なるほどなるほど。彼と付き合うようになって、少し私もその手のことが分かるようになってきました。だから彼の捜索は行えない?」
ドミニクの決断は、本音とは異なるもの。そうしなければならない原因がある。それをリーチは理解した。少し間違えているが。
「捜索は関係ない」
「おや? まだまだでしたか」
「だが、この先は関係してくるかもしれないな。生死を明らかにしたいと考えれば、我々は捜索を行うことになる」
かなり危険が伴う、不可能とも思われる捜索だ。ドミニクはそうなることを望んでいない。だが本家がそれを求めれば、従わざるを得なくなる。
「……生きている可能性を口にするなと?」
「そうしてもらえると助かる」
「……分かりました。私もそれが最善と思えてきました。しかし……分からないのはどうして彼はそこまで?」
そこまで本家に嫌われいるのか。レグルスはブラックバーン家の公子。現北方辺境伯の息子だ。ゲルメニア族を母に持つということだけで、ここまで嫌われるのはリーチには理解出来ない。
「……これもレグルスから聞いたということで」
「もちろん」
「実の父は亡くなった先代だという噂があった。私は事実ではないと思っている。侮蔑と差別ばかりの中で、彼の母が唯一頼れる存在は先代だった。それだけのことだ」
レグルスの母にとって味方と言えるのは、血の結びつきでゲルメニア族との和解を実現しようと考え、実際に結婚をまとめた先代のコンラッド。辛い状況になればなるほど、コンラッドと過ごす時間が増える。それが噂になった原因だとドミニクは考えている
「……なるほど」
もしその噂を現当主であるベラトリックスが信じているとすれば、レグルスへの仕打ちも理解出来る。ベラトリックスにとってレグルスは、自分の地位を脅かす存在なのだ。
ただし、理由として理解出来るというだけで、確たる証拠もないのにそれを行えるベラトリックスの心情は、リーチには理解出来ない。そもそもレグルスの母にとって、夫でありながら、頼れる存在ではなかったことで、信用できない人物だと思う。
「こんな機会だから、はっきりと教えておく。本家の息がかかった家臣がいる。信頼している家臣が刺客となった可能性もあったのだ。今もその状況に変わりはない」
「そ、そんな……」
ディアーンが知らなかった事実。家臣の中には本家の息がかかった、ドミニクよりも本家からの命令を優先する者がいる。そういう人間を本家は、他の分家にも忍ばせている。反乱などを許さない為の措置。昔からあったことだ。
だが、ブラックバーン家全体の為ではなく本家だけ、本家の一部の人間の為だけにそれが利用されるようなことになったら。分家にとっては堪らない。
「捜索には動けない。動かない方が、生きている彼の為だ」
「……分かりました。捜索は我々だけで行います」
「それは無茶ではないか?」
ゲルマニア族の拠点は、ブラックバーン家が抱えている諜者であっても忍び込むのは難しい場所。拠点の問題ではなく、ゲルメニア族そのものが優れた諜者としての能力を持っているのだ。侵入を試みても、すぐに見つかり、捕えられて終わり。それを何度も繰り返し、もう情報収集を諦めている状態だ。
「いえ、もう、もっとも優秀な捜索担当が動いたようです。彼……彼はオスですかメスですか? そもそも彼と呼ぶのは正しいのですか?」
「それは誰のことを聞いている。そもそもその彼というのは?」
「彼は彼です。見えますか? もうかなり遠くに行ってしまいましたね。それがすでに生きている証拠かもしれません」
砦の先、山のほうを指さすリーチ。だがその先に、ドミニクは何も見つけることは出来なかった。遠く離れた場所にいる変体前の、子犬にしか見えないケルを見つけるだけの視力はドミニクには、ディアーンにもないのだ。
「どうしましょう? 僕の友達も行かせた方が良いですか?」
問いかけてきたのはカロ。猛獣使いのカロは、またかなり友達を増やしている。その友達も捜索に加わらせた方が良いか聞いてきた。
「無用ではないですか? あの勢いですと、もう居場所は分かっているのでしょう」
「さすがだな。僕の友達も、すぐに僕を見つけてくれるかな?」
「さあ、それは私には分かりません。まだ君の友達に会ったこともありませんから」
「えっ、会っているよ。友達」
カロが指さした先には、瓦礫の上に止まっている小鳥がいた。その小鳥もカロの友達の一人なのだ。
「……捜索させても良いかな?」
空を飛べる友達であれば捜索に加わらせるべき。小鳥にレグルスを見つけられるのかは、天才魔道具士であるリーチにも分からないが。
「あっ、じゃあ。頼むね」
「ピイ」という鳴き声を残して、空に舞い上がる小鳥。そのまま真っすぐにケルの後を追って行った。
「……私はまだまだだな。世の中には未知の領域が多すぎる」
天才魔道具士を反省させるという偉業を達成して。
◆◆◆
レグルスの毎日は鍛錬と子供たちとの遊びで、そのほとんどが使われている。そうであるほうが、ゲルメニア族の大人たちと面倒な話をしなくて済む。レグルスはわざとそうしているのだ。
それに子供たちとの遊びは充実感がある。ブーメランの技術を身につける訓練のようなものなのだ。これに関してはゲルメニア族の大人たちも協力的で、レグルスの手の大きさに合ったブーメランが渡されている。ゲルメニア族の人間にとってブーメランは文化のようなもの。それを身につけようとするレグルスの姿勢は、本人の思いとは関係なく、歓迎すべきことなのだ。
「ん? 何だ……何だ、じゃないか。ケルだ」
レグルスの投げたブーメランが戻るのを邪魔したのはケル。離れた場所からでも、レグルスにはそれが分かった。
「そっか。カロも到着したのか」
ケルはカロと一緒にいた。護衛役でもあり、カロが新しい友達を作る手助けもしている。ケルが現れたということは、カロがモルクインゴンの街に到着したということだ。
「おっ、来た来た」
ブーメランを咥えたまま駆けてくるケル。もうすぐ目の前だ。駆けてきた勢いのまま、レグルスの懐に飛び込んでくるケル。そのケルの勢いをレグルスは、わざと地面に倒れることで受け止めた。いつものことだ。
「おお、ケル。元気だったか? 聞くまでもなく元気そうだな?」
レグルスの顔をペロペロと舐めてくるケル。これもいつものことだ。そんなレグルスとケルを不思議そうな顔で見つめている子供たち。突然現れた獣がレグルスと仲良くしている理由が、子供たちには分からないのだ。
「V#d #r d&t?(それ、何?)」
男の子の一人がその疑問を尋ねてきた。
「ああ、えっと……M$n v#n(友達)」
「#v&n @m d&t #r &tt @dj%r?(獣なのに?)」
「そう。V$ll n$ sp&l# t$lls#mm#ns?(一緒に遊ぶか?)」
男の子の答えを聞く前に、レグルスは立ち上がってブーメランを投げる。それを何も伝えなくても追いかけるケル。また跳び上がって空中でブーメランを咥えると、駆け戻って来た。
「「「oooooh!」」」
それを見て、子供たちも喜んでいる。
「K#st# d&n(投げてみな)」
「……nn」
レグルスに言われて、自分のブーメランを投げる男の子。それにもケルは反応して、ブーメランを追いかけていった。戻る途中のブーメランを同じように空中で捕えて、駆け戻ってくるケル。
男の子にはさすがに飛び込むことはせず、目の前に咥えてきたブーメランを置いた。
「V$ k#n sp&l#, &ll&r h%r?(遊べるだろ?) D&t #r d#rf@r v$ #r v#nn&r(だから友達)」
「J#(うん) V#n!(友達!)」
レグルスのゲルメニア族の拠点での暮らしは、こんな穏やかな日々だ。