ゲルメニア族にとっての誤算は、一族で五本の指に入る、馬鹿力だけであれば一番の戦士が、これまで見たことのない正体不明の敵騎士に討たれたこと。それも、ゲルメニア族から見て、完敗と言うべき内容で討たれたことだ。
今回の戦いの為に用意した巨大ブーメランを扱えるのは、その戦士だけ。飛ばすだけであれば他にも使える者はいるが、敵の砦を粉砕するという目的を果たす為には攻撃の正確性が必要。威力を増す為にぎりぎりまで大きくしたブーメランで、満足行く結果を残したのは彼だけだったのだ。
作戦は失敗。それが分かったところで、ゲルメニア族は引いた。突撃してきた騎馬隊を削るという選択肢もあったが、それはあまり意味のないこと。まだ作戦は残っているのだ。出来れば使いたくなかった作戦が。
「D% t#nk&r v&rkl$g&n g@r# d&t, &ll&r h%r?(本当にやるのだな?)」
「D&t #r r&d#n b&st#mt(もう決まったことだ)」
最初から決まっていた作戦。そうであっても実行には躊躇いを覚える。そういう作戦なのだ。だが昨日の作戦が失敗に終わったことで、実行せざるを得なくなってしまった。
「……@k&j(……分かった)」
頭では分かっていても、やはり躊躇いは消えない。
「@m d&tt# f@rts#tt&r k@mm&r v$ #tt g# %nd&r(このままでは我らは滅びる) D&t #r $nt& d#gs #tt #ngr# s$g(惜しんでいる場合ではない)」
作戦で使うのはゲルメニア族にとっては最後の切り札。それを投入する覚悟を決めたのだ。この戦いが消耗戦であることはゲルメニア族も理解している。このまま続けば、自分たちが負けることも。
絶対的な数が違う。補充能力も、ゲルメニア族は無に等しいが、ブラックバーン家は領地外からも人を集めることが出来るのだ。
「J#g v@t(分かっている)」
それでもこの戦いは勝たなければならない。死は覚悟している。だが敗北は受け入れられない。ゲルメニア族の誇りを汚されたままではいられない。
「P#nd@r#s v#ls$gn&ls& t$ll d&g(汝らにパンドーラの加護を) P@rt$#s k#rl&k(ポーティア様の愛を)」
「「「M$nns pr#ns&ss#n P@rt$#s d@d!(ポーティア姫の死を忘れるな!)」」」
ゲルメニア族は最後の勝負に出ようとしている。自分たちが何者を敵にしているか分からないままに。
◆◆◆
砦は、まさかの襲撃を前にして、大慌てで迎撃準備に入っている。まだ日は高い。ゲルメニア族が攻め寄せてくる時間ではないはずだった。
夜の戦いに備えて、魔道具や矢を回収したり、昨晩の戦いで痛んだ壁の応急手当を行うなど、戦いの合間もそれなりにやることがあって忙しい。騎士や兵士が作業に動き回っている中での奇襲は、完全に不意を突かれた形だ。
それでも外に出ていた味方は無事に砦に帰還出来た。壁の内側で戦うことが出来る状況になった。あとは弓矢を揃え、敵が近づくのを待って、迎撃を始めるだけ。その様に、戦いの前のわずかな時間に、緊張は続いているものの、一息つけた時だったのだが。
「……何だ、アレ?」
ゲルメニア族は何かを転がしてきた。それを行っているのは十名程度で後続の姿は見えない。そんな少数で砦にどんどん近づいてくる。レグルスはその意図を測りかねている。何らかの作戦であるのだろうが、その中身が読めないのだ。
「門を壊すつもりか?」
大きな丸い岩を砦の出入り口にぶつけて破壊しようという作戦。ディアーンはそう考えた。攻城戦では行われること。岩ではなく、もっと取り扱いがしやすい大きな丸太をぶつけてくるのが、一般的なはずだが。
「坂道を利用してか……あり得なくはないけど」
戦場には緩やかな傾斜がある。ここは山岳地帯に入ってすぐの場所、山の側が高くなっているのだ。ただ、いくら坂があるといっても、転がしている物の勢いはそれほどには見えない。砦の門がそれで壊れるとは、レグルスには思えなかった。
「何発もやられると壊れる可能性はある」
一撃では無理だろうとディアーンも思う。だが昨晩の巨大ブーメランと同じで、何度も繰り返されれば、破壊されてしまうと考えた。
「最初に転がされた岩が邪魔してくれそうだけどな?」
レグルスはその考えに否定的だ。門にぶつかった岩はそこにとどまることになる。その後からいくつも岩を転がしても、先の岩が邪魔して門には届かないはずだ。攻めるゲルメニア族にとって邪魔になるだけで、砦側にとっては脅威とはならないと考えている。
「……じゃあ、アレは何だ?」
「だから俺は最初にそう聞いた」
敵の意図が分からない。少人数というだけで、砦を出て戦って良いのか。何らかの罠である可能性もレグルスは考えている。
「……分かった」
「おっ、さすが天才。答えを教えてくれ」
「分かった」の声はリーチのもの。どうせ、いつものように見当はずれのことを言い出すのだろうとレグルスは思っていたのだが。
「分かったが……自信はない」
「はっ? 自信がないなんて珍しいな?」
自信しかないリーチが「自信がない」と口にした。それはまだ短い付き合いであるレグルスも、意外過ぎて驚いた。間違ってもリーチの口からは出てこない言葉だと思っていた。
「逃げろ」
「……理由を言え。あれは、何だ?」
リーチの様子がおかしい。ようやくレグルスはこのことに気が付いた。リーチの顔は血の気が引いて、真っ青になっていた。
「魔道石だ」
「魔道石? 魔道石というより魔道岩だな」
魔道石にしては大きすぎる。レグルスの知る限りにおいて、ゲルメニア族が運んでいるような大きさの魔道具は存在しないのだ。
「魔道岩でも何でも良い! 早く逃げるぞ!」
「……まさか……あれは、本当に魔道具なのか?」
焦るリーチを見て、ようやくレグルスも事態の深刻さを理解した。敵が転がしてきたのが魔道具だとすれば、それはどのような魔道具なのか。岩のような大きさの魔道石が放つ魔道の威力はどれほどのものなのか。
魔道具の威力は魔道石の大きさと質に比例する。リーチから何度も聞かされている言葉だ。
「そうでなくて、どうして敵が運んでくる?」
「あれが攻撃兵器だとして、その威力は?」
魔道石が大きければそれだけ威力が大きい。知っているのは、それだけで具体的なことはレグルスには分からない。今は自分が分からない具体的な情報が必要なのだ。
「……最低でも、この砦は吹っ飛ぶ。大きさだけでなく質も高いとなると……この一帯が吹き飛ぶ」
「逃げろ! ディアーン! すぐに皆を退避させろ!!」
考えている時間はない。とにかく逃げること。そうすべきだとレグルスは判断した。ここで砦にこもる戦力が全滅するような事態になってしまえばどうなるか。
考えている時間もない。とにかくそういう事態は避けなければならないのだ。
「逃げろって……父上に、まずは父上に報告を!」
その決断はディアーンには出来ない。当主の息子であっても戦場全体の指揮権はない。父であり当主であるドミニクがこの場にいるのだから尚更、ディアーンは決められない。
「じゃあ、さっさと伝えに行け!」
「わ、分かった!」
レグルスに怒鳴られて、慌てて駆け出していくディアーン。状況を理解していないわけではない。ただ、この一帯が吹き飛ぶと言われても、実感が湧かない。衝撃が強すぎて、思考が鈍ってしまったのだ。
「……有ったな。一撃で戦況を決める魔道具」
そんなものはないはずだった。あるべきではなかった。
「いくつもあるものではないはずだ。世界であれただ一つである可能性のほうが高いと私は思う」
岩と呼ぶべき大きさの魔道石。そんな話をリーチは聞いたことがない。魔道石の採掘跡を見たたことがあるが、そのような物が採れるはずがない。それが世界の常識だ。
「逃げろ。お前たちは命令を待つ必要はない。すぐに逃げろ」
リーチ、そして同行してきた騎士たちは命令を受けて、この場にいるのではない。ドミニクの判断を待つことなく、逃げることが許されるはずだ。許されないとしてもレグルスは「逃げろ」と告げただろうが。
「……君はどうする?」
「俺は命令を待たなければならない立場だ。それに……間に合うと思うか?」
「私の計算ではぎりぎりだ。計算というより勘だな」
細かな計算など行っている時間はない。その為の情報も不足している。だがリーチの感覚は、長年の経験で身につけた勘はもう時間はないと告げている。
「俺の勘もそう言っている。魔道具を止める方法は?」
「……魔道具によって違う」
「じゃあ、良い。全ての説明を聞いている時間はない」
壁から飛び降りていくレグルス。逃げても間に合うかどうかはギリギリ。残る方法は魔道具の発動を止めることだ。
「まったく……どうして彼は……?」
いつも自分の命を投げ出すような方法を選ぶのか。リーチにはそれが分からない。分かるのは、それが他人の為であるということだ。
「………逃げる」
では自分はどうするのか。リーチは逃げる選択を行った。
「レグルス様を置いて逃げるのか!?」
反射的にそれに対する批判の声をあげた騎士だが。
「残っていても我々には何も出来ない! 彼を信じる以外に何も出来ないのだ! 別に信じて、ここに居続けるでも私は構わないがね?」
「…………」
リーチが話した通りの魔道具だとすれば、レグルスが失敗すれば、この場にいる人たちは死ぬ。二か月以上を共に過ごして、レグルスに対する忠誠心が生まれている騎士たちだが、命を捨てられるかとなると、やはり躊躇いを覚えてしまう。死を目前にして怯えるのは当然のこと。彼らにはそれを乗り越える為の強制力、命令もないのだ。
「逃げるぞ。彼は戻ってくる。それを信じて、我々は街に戻るのだ」
「……分かった」
リーチの気遣い。逃げることへの躊躇いを消そうとしてくれているのだと分かった騎士は、素直にそれを受け入れることにした。死ぬ覚悟は出来ていない。だったら生きる選択をするしかない。彼らには他に出来ることはないのだ。
彼らの決断とタイミングを合わせたかのように「撤退」の声が砦に響いた。ドミニクも決断したのだ。砦から逃げ出す人々。レグルスはその彼らとは逆の方向に駆けていた。
(気づかれた……当たり前か)
近づくレグルスに魔道具を運んでいるゲルメニア族は気が付いた。太陽が空にある明るい中、何も遮るもののない場所を走っているのだ。気付かれるに決まっている。
(だから今、攻めてきたのか……駄目だ。これは偏見だな。俺は生きてきた世界が狭すぎる)
ゲルメニア族もちゃんと考えて作戦を行ってきた。こう考えたレグルスだが、それは当たり前。そんな風に思うのはゲルメニア族を下に見ているからだと思って、反省した。フルド族との交流もあったのに、まだ少数民族への偏見を持ち続けていた自分を嫌になった。
(……その程度の人間。その程度の価値だ。俺なんて)
ゲルメニア族はレグルスに向かってこない。巨大魔道具を運ぶことも止めて、何かを始めている。何を行っているかなど悩む必要はない。レグルスに邪魔される前に魔道具を発動させようとしているのだ。
後ろを振り返って砦の様子を確認するレグルス。壁の上に人影がないのは分かった。それで納得することにした。
(……まっ、こんなものだろ。俺の人生なんて……それに、これまでの中では一番マシなほうだ。いや、最高だと喜ぶべきだな)
死が迫っている。魔道具が発動すれば、まず間違いなく自分は死ぬ。レグルスはそう考えている。過去の人生に比べて、さらに早い死だ。だが悔根に苛まれて死ぬことにはならない。それは恵まれているとレグルスは考えた。
(……これでもう……何も考えなくて済む……)
この結果を自分は望んでいたのではないか。こんな思いが頭によぎる。もう自分の人生を終わらせたい。この先は知りたくない。自分の人生は良いものだった。こう思って死んでいきたい。これを絶好の機会だと、無意識のうちに考えていたのではないかと、レグルスは思った。
(…………)
魔道具が発動した。それをレグルスは感じた。魔力が爆発的に膨れ上がるのが、はっきりと分かった。走るのを止めて、空を見上げたレグルス。
(……赤い月なんてあるわけないか……赤くなくても良いから、月を見たかったな)
最後に見る空は雲一つない青空だった。普段であれば心地良く感じるだろうそれが、今のレグルスには物足りなかった。漆黒の夜空とその夜空に浮かぶ白く輝く月が恋しかった。
(……夜空みたいだな)
膨れ上がる魔力がその青空を黒く染めていく。レグルスの視界を覆っていく。巨大な魔道具から広がった黒い影が、レグルスを飲み込んでいった。