ドイル伯爵の後は、あくまでも王国の正式決定がなされるまでの暫定的なものだが、息子が継ぐことになった。ドイル伯爵家内の混乱を最小限に抑える為の選択であるが、無条件にそう決めたわけではない。息子は父親の行いに否定的な考えを持っていた。本人の言葉だけでなく、家臣たちの証言などで裏付けを取った上で、そう判断された。
仮にそれが虚偽であったとしても、もう死んだドイル伯爵の罪は確定しているのだ。王女暗殺未遂だけでお家取り潰しになってしまう重罪。下手をすれば一族郎党、処刑台の上に昇ることになってもおかしくない。これ以上悪いことは出来ないだけでなく、息子が正式に跡を継ぐにはエリザベス王女の慈悲に縋らなければならない。普通であれば、大罪人の血筋が領地を継ぐことなど許されるはずがないのだ。
エリザベス王女の仕事は暫定的な跡継ぎを決めただけでは終わらない。ドイル伯爵が他にも悪事を行っていないのかの調査。それに関わった者たちを洗い出し、今の地位から追い出さなければならない。ドイル家は全ての不正を排除した上で再出発する。これを王国に信じさせるだけの処置を行わなければならないのだ。
その間、レグルスはフルド族の居留地にいる。エリザベス王女に協力するという選択もあったが、完全にドイル伯爵家を信用することは出来ない。エリザベス王女とレグルスは別々の場所にいたほうが、良からぬことを企むのが難しくなって安全だろうという判断からだ。
「……これは?」
「我が一族に代々伝わっている剣だ」
「ええ? そんな物は受け取れない。そもそも御礼なんていらないから」
フルド族の族長から贈り物として渡された剣。だが、「代々伝わってきた」なんてものを受け取るわけにはいかない。そんな資格は自分にはないとレグルスは思う。
「これはレグルス殿が持つべきものだ。パンドーラの使いであるレグルス殿の為の剣なのだ」
「パンドーラの使い? そういう者になった覚えはないけど?」
「レグルス殿が纏う黒い炎は闇の神パンドーラの力。我らの誰も持たない力だ」
フルド族に伝わる言い伝えだ。闇の神パンドーラは、その力の源も漆黒。レグルスが纏う黒い炎のような魔力を、族長はパンドーラの力だと信じ込んでいるのだ。
「闇の神……」
「闇が深ければ深いほど、光のありがたみが増す。闇夜が明けたあとの朝の光が人々の希望になる。パンドーラの教えだ」
「……そういう意味なら悪くない。ただ、それでも受け取るわけにはいかない。フルド族の物はフルド族の物だ」
悪くない教えだとレグルスは思った。暗闇の中の一点の光は、確かに希望だ。だがそれと代々伝わって来た剣を受け取るのは違う。さすがに畏れ多い。
「ではフルド族になれば良い。我が娘は独り身だ」
「……そういうことは勝手に決めては」
「我らは救ったレグルス殿は勇者だ。さらにパンドーラの使いでもあるとなれば、娘が嫌がるはずがない。喜んで妻になるだろう」
「困ったな……」
剣を断るのは簡単だ。だが娘との結婚を断っては、族長が気を悪くするかもしれない。そんな気を使っても、受け入れるわけにはいかないのだが。
「族長。残念だが少し遅かった。彼はエリザベス王女の夫となることが決まっている。彼は王女の想い人なのだ」
助け舟、になっているかは微妙な口出しをしてきたのはリーチ。
「エリザベス王女の……そうか……いや、あの王女であれば二番目でもかまわない。彼女は我らを守ろうとした。王国の民と言ってくれた」
王国の王女が、自分たちを王国の民として見て、王国貴族から守ろうとしてくれた。それはフルド族にとって嬉しいことだった。支配者と被支配者。王国とはそういう関係だと思っていた。族長が生まれる前からそうだった。エリザベス王女はそれを変えてくれたのだ。
「えっとだな……そうであってもエリザベス王女の許しがいる。女性の気持ちは私にもよく分からないが、独占したいという気持ちがあるのではないかな? それは王女として立派であるということとは別だ」
「……確かに」
これは、一応は助け舟になった。結論を先送りしただけではあるが。
「あと剣だが……良ければ私が預かろうか?」
「……何故?」
剣はレグルスに譲渡そうとしているのだ。リーチに預ける理由はない。
「時間をかけて彼を説得しよう。必ず受け取る気にさせるから、それまで私が預かるということだ」
「おい?」
まったく理由になっていない。族長は、もしかすると騙されるかもしれないが、この場にはリーチが説得すると言っているレグルス本人がいるのだ。
「……説得には時間が必要かもしれないが、必ず」
「必ずじゃない。俺がお前の説得など聞くはずがないだろ? それにお前は長い時間、俺と一緒にはいられない。すぐに死ぬのだから」
「……健康なつもりだが」
「健康は関係ない。俺に殺されるのだからな」
暗殺者を生かしておく理由はない。実際はここまで生かしているので、言葉で言うほど、すぐに殺すつもりはないのだが、族長を騙そうとしているのを黙って見ているわけにはいかないのだ。
「君と私の仲ではないか」
「暗殺者と狙われている側な」
「分かった。暗殺はもう諦める。いや、すでに諦めているのだ。魔道具を全部使ってしまったからな」
リーチにはすでにレグルスを殺そうという思いはない。依頼人からどう逃げるかという問題はあるが、なんとかなると思っている。レグルスの後を追ってのこととはいえ、王都を出ることを許しているのだ。監視の目は緩い。もしかすると監視そのものが行われていないのではないかと考えている。
「すでに実行した件がある」
「過去のことは忘れたまえ。若者は未来を生きるべきだ」
「……じゃあ、どうして剣を欲しがるのか教えたら、考えてやる」
すぐに殺すと決めているわけではない。先送りにすることに何の問題はない。それでも勿体つけることで、リーチから聞きたいこを聞き出そうとレグルスは考えた。
「……古い物に興味があって」
「嘘だな。本当のことを言え。言わないなら殺す」
こう言って、実際に剣を抜くレグルス。ここまで誤魔化そうとされると、意地でも聞き出したくなってしまうのだ。
「……その剣が」
「剣が?」
「……魔道石で出来ているから」
「えっ……剣が魔道石って……魔道石ってこんな普通の鉄みたいなのか?」
石と呼ばれているのだから、見た目は石なのだと思っていた。だが族長が持っている剣は、鉄製としか思えない。柄の部分などは複雑な文様で飾られているが、刃の部分はただの鉄にしか見えないのだ。
「君は何も知らないのだな? 魔道石といっても、その種類は様々だ。魔力を宿すことが出来れば、全て魔道石なのだ。この剣はそんな魔道石の中でも最上級の物で出来ている。しかも剣の形に出来るほどの大きさ。こんなものは滅多にあるものではない。国宝とされてもおかしくない」
自分の知識をひけらかすリーチ。欲しがる理由を隠そうとしていたことを、もう忘れている。
「国宝級ね。そんな凄い物、お前に預けられるわけないだろ?」
リーチが欲しがる理由が分かった。絶対に渡してはいけないことも。
「どうしてだ!? 誰よりも私がこの剣の能力を最大限に活かせる! 天才魔道具士である私が持つのが一番なのだ!」
「それは無理だな」
だが族長はリーチの主張を否定した。
「君は私の能力を知らないのか? 知らないはずがないな。君たちを救ったのは私が作った魔道具だ」
「お前にはこの剣は扱えない。これは闇の神パンドーラの力しか受け入れないのだ」
族長は魔道具について詳しいことを知らない。魔道石についても同様だ。リーチの能力がどうこうではなく、レグルス以外には使えないと思っているのだ。
「……受け入れる魔力に制限があるということか?」
「パンドーラの剣はパンドーラの力しか受け入れない。それだけのことだ」
「……使ってみろ」
族長の話は事実なのか。リーチは確かめずにはいられない。確かめる方法はあるのだ。それを行わないという選択は、研究者であるリーチにはない。
「それは俺に言っているのか?」
「族長は君にしか使えないと言っている。それが事実であるか、確かめる必要がある」
「確かめると言っても……」
何を行えば確かめることになるのか。魔道石で作られた剣など、レグルスは使ったことがないのだ。
「とにかく剣を持って、魔法を使ってみろ。それで何か分かるかもしれない」
「……分かった」
レグルスも確かめる気になっている。自分の魔力が、族長の言うパンドーラの力だとは思わないが、普通とは違うことは間違いないらしい。レグルスにとっても、何故か使える得体の知れない力なのだ。
族長から剣を受け取って、魔法を使う、のではなく魔力を伸ばしてみる。
「ええっ!?」
剣は見事に反応した。黒い炎が刃から噴き上がったのだ。それを見たフルド族の人々からどよめきが起きる。レグルスは間違いなくパンドーラの使い。そう確信した。してしまった。
「……君……今、何をした?」
レグルスは魔法を使っていない。リーチの常識ではそうだ。だが剣は反応した。何らかの作用があったはずだと思っている。
「魔力をちょっと」
「それは分かっている……検知しづらい点はあっても私の魔道具は反応はした。魔力であることに間違いはない。だが魔法が発動したにしては……いや、剣の仕様か。魔法を発動すること、いやいや、炎を噴き出したのが発動だ。そうだとすると……」
「……何を悩んでいる?」
ぶつぶつとなにやら呟き始めたリーチ。結果を知りたいのはレグルスも同じ。リーチが何を考えているのか気になる。
「魔法の発動には順序があってね。まず魔力を活性化させる。魔道具でいう起動だ。それを変化させるのが魔道文字。火であったり、水であったり、変化は様々だ」
「知っている。魔法の詠唱と発動の関係性については俺たちなりに研究した。魔道具とは違うみたいだけど、結論として、詠唱における魔力の活性化部分は無駄」
「なんだって……?」
リーチの知らない理論。そんはずはないのだ。リーチの知識こそ、正しいものであるはずなのだ。
「活性化と属性変化は同時に出来る。そうなると、理屈上は複数魔法の利用が可能になる。今の俺には出来ないけど、こんな感じ」
レグルスの両手に火がともる。黒い炎ではない、普通の赤い火。これは初歩の火属性魔法と同じものだ。
「……普通と何が違う?」
「まず体内の魔力を必要量だけ両手に移動させる。分かり易くするために、あえて活性化を分けると」
今度は火ではなく、ぼんやりとした光。魔力が活性化した状態だ。
「ここから属性変換。ただ両手別々の属性を意識するのが難しくて、上手く出来ない」
光は火に変わった。両手ともに火だ。これで属性変換まで完了。これを敵に向けて飛ばせば攻撃魔法。そのままにしておけば、ただの灯りだ。
「……魔力を必要量だけ取り出す。どうやったらそれが出来る?」
そんなことは出来ない。活性化前の魔力を自由に扱うことなど、出来ないはずなのだ。
「訓練次第。魔法が使える素質があるなら、まず出来る」
「そんな馬鹿な…………いや、違う。出来るのだ。魔道具の制作過程はそういうものではないか」
活性化前の魔力を分離することは出来る。魔道石に魔力を込めるとはそういうことだ。実際は活性化させた魔力を魔道石に移す段階で、活性化前の状態に戻す。そのままでは意図しない魔道が発動してしまう可能性があるので、そうしなければならないのだ。当たり前に出来ていることを出来ないと思い込んでいた。それにリーチはショックを受けている。
「ただし、これには問題がある。実際に試したわけではないけど、制限が働かない可能性がある」
「制限とは何を指している?」
「魔力使用の制限。詠唱を使って魔法を使い続けていても、完全には魔力切れにはならない。一定量を残して、魔法が発動しなくなるのが分かっている。これは実際に何度も試した」
「詠唱を使わない場合は……それはそうか。全部使おうと思えば使えてしまうのだな?」
魔力量は自分自身で制御しなければならない。それは全てを使おうと思えば、使えてしまうということだとリーチは理解した。
「魔力が完全に枯れたら、多分、人は死ぬ。ぎりぎりまで使った段階で、かなりヤバかったみたいだから」
この仮説を知らない時のことだ。完全な魔力切れ、ぎりぎりのところまで行った時、レグルスは死ぬ目にあった。本人は覚えていない。気を失ったまま、何日も目を覚まさなかったのだ。
「詠唱には魔力量の上限を制御する部分があるということか」
「恐らくは。気になるなら研究してくれ。俺にはその時間がない。必要のない研究だからな」
「他に詠唱を使わないことによる問題点は?」
レグルスは魔法について、かなり研究を行っている。それが分かると、もっと知りたくなる。知的好奇心は良くも悪くも、リーチの原動力なのだ。
「さあ? ただ魔法の威力、変換効率の部分かな? それは詠唱を使ったほうが良いのではないかと思っている。具体的な検証は出来ないから、仮説にもなっていないけどな」
「どうして検証出来ない? 両方をやってみれば良いだけではないか」
「詠唱の本当の意味を理解していない。ただ、これも想像だ」
詠唱には意味がある。それぞれの部分で、魔力に作用する隠れた意味がある。それは実際に言葉にしているものとは異なるものではないか。レグルスはこう考えているのだ。
「……元は別の言葉、いや、言葉でもないかもしれない何かを、我々が理解出来る言葉に置き換えたということか」
「さすが、天才。その先も解き明かしてくれたら、本物の天才だけどな」
「面白い。実に面白い。魔道文字は何故、魔道文字なのか。この疑問にも繋がる仮説だ。魔道文字のほうが、より元の何かに近い可能性があるな」
魔道文字は、いつ誰が考えたものか分かっていない。この世界に何故かある。誰もそれを言葉にして読めないというのに、それはあり、魔道具は作られているのだ。
魔道具士であるリーチにとって最大の疑問。何故、自分は、人間は魔道文字を使えるのか。文字の意味が分からないくせに、作用が理解出来るのか。多くの資料が現存するからだが、最初にそれを考えた人はどうしてそれが出来たのかが説明出来ないのだ。
この世界には様々な疑問がある。仕方がない。完璧な設定など作れない。作っている時間がない。お約束で許されることが、この世界を作った人たちの中には沢山あるのだ。