ドイル伯爵領に到着したエリザベス王女一行は、伯爵からの晩餐会への招待を、形としては丁寧に、実態として断固とした態度で拒絶して、目的地であるフルド族の居住地にまっすぐに向かった。事実確認を行うことが最優先。伯爵と接するのは、それが明らかになってからにするべきという考えだ。招待を断った時点で、こちらの考えは相手に知れるという懸念もないわけではないが、伯爵に非がないのであれば、そもそもそのような受け取り方もしないはず。こういう結論になった。
ドイル伯爵家に代わって、居住地への案内役となったのは教会の聖職者。聖パンティオン教会本部の中でも西地区と呼ばれる管理区にある教会のひとつを任されている司祭だ。
「……女性?」
「はい。ドイル伯爵はフルド族に女性を差し出すように求めておりました。一度や二度ではありません。もう何年も、悪神が生贄を求めるかのように年に数回、一人の女性を差し出すように命じていたのです」
「そんな酷い真似を……」
駐留地に着く前に詳細を把握しておこうと、現地の情報を持つ司祭から話を聞いていたエリザベス王女。その顔は怒りで赤く染まっている。このような非道はあってはならないこと。許されない大罪だと考えているのだ。
「ずっとそれを受け入れてきたフルド族が、どうして今回に限っては反抗を?」
レグルスの怒りはエリザベス王女ほどではない。少数民族に限定しなければ、そのような真似をしている領主は他にもいる。領民の中から美しい女性を選んで強引に自分に仕えさせるなんて所業は、特別珍しいことではないのを知っているのだ。
「ドイル伯爵が族長の娘を差し出すように要求してきたからです」
「他の女性であれば受け入れることも、自分の娘は嫌だと?」
それで族民に多くの犠牲を出したのだとすれば、フルド族、というより族長にも非がある。レグルスはこう思う。
「そこは難しいところです。彼らにとって族長は王のような存在。王の娘、つまり、こういう例え方は殿下に失礼かと思いますが、王女を差し出せと言われているということですから」
「なるほど……皆の総意とまではいかなくても、多くが族長の判断を支持した可能性はありますか」
「それについては、はっきりとしたことは分かりません。これまでお話したことも、いくつかの証言を結び合わせた結果の想像に過ぎません」
状況を説明しているこの司祭も、全てを知っているわけではない。何もかも打ち明けてもらえるほど、フルド族に信頼されていないのだ。
フルド族にはフルド族が信じる神がいる。聖パンティオン教会の神の一人でもあるとされているが、それは教会の主張に過ぎないのだ。
「ちなみに、その族長の娘は?」
「無事です」
「それなのにこの一か月、いや、事件からは二か月以上ですか。ドイル伯爵は何もしてこなかったのですか? 教会が調査に来ることは、かなり前に分かっていたはずです」
フルド族に大きな犠牲を出した事件があってからこれまで、ドイル伯爵が何も動かなかったことがレグルスには不思議だった。目当ての族長の娘もそのまま。もっといえば、自分の罪を訴える可能性のある者を生かしておくのもおかしい。
「それは……」
レグルスの問いに口ごもる司祭。理由はある。だがその理由を話すことに躊躇いを覚えているのだ。
「それについては私からお話しします」
代わりに口を開いたのは王都から来た教会の代表者。今回の慈善活動における責任者ということになっていて、実際にその通りなのだが、監察部の人間でもある。
「伯爵にとって教会は味方なのです。もちろん、過去においてはそうであったということで、今は違います」
「……それは、悪事に協力していたということですか?」
悪人の味方であれば、その味方も悪人。教会であれば、かつての教会であればだが、あり得る話だ。
「その通りです。差し出された女性の何人かは教会に送られていたことを確認しております。それが今回、我々が動くきっかけになったのです」
「ああ……伯爵は教会の改革を知らない?」
聖職者がどういう目的で女性を引き取っていたのか。これをあえて、エリザベス王女の前で確認する必要はないとレグルスは考えた。
「すでに気が付いているかもしれません。ただ、少なくとも教会が人を送り出すと伝えた時は分かっておりません。自分に罪のないことを教会が証明してくれるくらいに思っていたはずです」
教会がそう思わせたのだ。教会が不正の摘発に動いていることにドイル伯爵は気が付いていないと考え、これまで通りに味方であるように振舞った。教会も事実が明らかになっては困る立場だと思わせて、慈善活動という名目の調査、それも形だけの調査を受け入れさせたのだ。
「今もそう思っていたとしても、伯爵にとっての邪魔者は他にもいるということですか……」
「王女殿下が評判の悪い人物であれば、伯爵も安心していたかもしれませんが、そうではありません」
教会は味方だと思っているとしても、エリザベス王女に対してはそんな考えは生まれない。何らかの方法で懐柔できるなどという甘い考えを持っているとも思えない。
「……そうですね」
王国は分かっていてエリザベス王女の同行を決め、自分を護衛に付けたのか。一瞬そう思ったレグルスだが、すぐにそれを否定した。国王がエリザベス王女を危険な目に遭わせるとは思えない。それでも教会に同行させなければならないとすれば、もっと信頼している人物をもっと大勢、護衛としてつけるはずだ。
「どうして王国にこの事実を伝えなかったのですか?」
「伝えたはずですが?」
「えっ?」
この事実を出発前に知っていれば、国王はエリザベス王女の同行など考えなかったはず。こう思ったレグルスだが、答えは思っていたものではなかった。
「教会以外については、確たる証拠はないとした上ですが、今お話したことは王国に伝わっているはずです。全てとまでは申しませんが」
「それで王女殿下を?」
レグルスの視線が近衛騎士の責任者に向く。王国は軽率な判断をした。それを責める視線だ。
「……疑わしい点があるので調べるようにとは命じられておりますが、ここまで具体的な話は聞いておりません」
だが視線を向けられた近衛騎士も、今話した内容については知らなかった。
「そうですか……」
どこで情報が止まっているのか。これを今考えても仕方がない。考えて分かることとも思えない。
「とにかく現地に急ぎましょう。今は無事であったとしても、明日はどうか分かりません。少しでも早く現地で事実を確認し、それを王国に伝える必要があります」
エリザベス王女も今は無駄なことに時間を使っている場合ではないと考えた。フルド族の居住地に急ぎ入ること。それが彼らを守ることになると考えたのだ。
間違いではない。そう考えるもっとも重要な前提が狂わなければ――
◆◆◆
数はおよそ五百。エリザベス王女と教会一行がフルド族の居住地に入るのを待っていたかのようなタイミングで現れた盗賊の数だ。
それに対してエリザベス王女側の戦力はレグルスと近衛騎士が三名、そして教会騎士が四名という数だ。数の上では圧倒的に不利。希望があるとすれば、相手が盗賊であるということ。個の戦闘力ではエリザベス王女側が圧倒しているはずだ。レグルスも含めて魔法を仕える特選騎士が五人いるのだ。一人で百人を倒すというのは楽な戦いではないが、魔法が使えるか使えないかで、それくらいの実力差は出る。
「ただし、あれが本当に盗賊であればの話です」
レグルスは現れた軍勢をただの盗賊とは思っていない。こんな都合の良い、レグルスたちにとっては都合の悪いだが、タイミングで盗賊に襲われるはずがないと思っている。
「伯爵の手の者と考えておられますか?」
「断言出来る証拠はまだありません。分かっているのは、盗賊ではないということだけです」
「一応、理由をお聞きしても?」
盗賊を装っていることは近衛騎士にも分かっている。だが、それは今の状況からの推測。証拠があってのことではない。
「王国に五百人規模の盗賊団は片手もいません。そしてそれらの盗賊団の活動地域はこの辺りではありません」
「そうですか……」
そのような情報は近衛騎士団にはない。盗賊討伐は近衛騎士団の任務にはならないのだ。
「いくつもの盗賊団が集まった可能性も低いです。まったくゼロではありませんけど、居留地を襲って得られる物は、いくつもの盗賊団が集まるだけの価値があるとは思えません。自分たちの活動地域から遠く離れた場所まで来るという点で」
特別な財宝があるというのであれば話は別。仮にそういう物があるとしても、きちんと分配出来る物でなければ、後で揉めるだけだ。わざわざ他所に声をかける理由はないとレグルスは思う。あくまでも盗賊の仕事としては。
「伯爵に雇われた盗賊である可能性は?」
「それは十分にあり得ます。その場合、目的は財宝の強奪ではなく、我々の殲滅ですか」
「王女殿下がいらっしゃるのにですか?」
王国貴族が王族であるエリザベス王女の命を狙う。それは大罪で、一族郎党、死罪となってもおかしくないほどのもの。そんな選択をドイル伯爵がするはずがない。
この前提条件が間違っていたのだ。
「殿下がいらっしゃるから、誰一人として生かしておくことは出来ないのではないですか?」
どれほど疑われたとしても証拠がなければ王国はドイル伯爵を裁けない。せいぜいが領地で盗賊が暴れるのを許した罪を問われるくらいだ。エリザベス王女が亡くなることになれば、その程度でも重い罰が課せられるかもしれない。だが、死罪はもちろん、領地没収というほどの罰にはならないはずだ。
「……殿下を逃がします。どこかに逃げ道はないか!? 知っている者は道案内を!」
エリザベス王女を逃がす。近衛騎士はそう決断した。近衛騎士として、このような場所でエリザベス王女の命が奪われるような事態は、絶対に避けなければならないのだ。
「……レグルス。私が逃げたら、彼らは助かりますか?」
だがエリザベス王女本人は、別のことを考えている。自分が逃げることの是非を判断しようとしている。
「…………」
エリザベス王女の問いにレグルスは答えられない。嘘をつくべきだとは分かっている。だが、エリザベス王女を騙すことに躊躇いを覚えてしまった。
「レグルス!」
「……私はすでに答えを口にしています」
エリザベス王女殺害の事実を知る者を、ドイル伯爵が生かしておくはずがない。この場にいる全員を殺そうとするはずだ。すでに、そういった状況になっているのだ。
「では私は逃げるわけにはいきません! 民を見捨てて逃げる王女など、どこにいますか!?」
「殿下!?」
エリザベス王女の宣言を受けて、困惑する羽目になるのは近衛騎士たち。彼らにとって最優先すべきは護衛対象であるエリザベス王女の安全。他を犠牲にしてでも彼女を守ることが、彼らの使命なのだ。
「私はフルド族の人々を助ける為に、ここに来たのです! 彼らを自分の犠牲にする為に来たのではありません!」
「しかし! このままでは事実が闇に葬られてしまいます! 殿下が生き延びてこそ、真実は明らかになるのです! 違いますか!?」
王国に真実を伝えるのはエリザベス王女。そうであるから王国は動くのだ。告発者が教会であっても王国は動くかもしれないが、王国貴族の恥は王国の恥でもあるなどいう考えが強ければ、その動きは鈍くなる。そういうことは過去にいくらでもあったのだ。
「それは……そうかもしれませんが……」
「お逃げになるべきです。逃げて真実を明らかにすることが、彼らを救うことになります」
真実が明らかになった時には、もうフルド族で生きている人はいないかもしれない。それは近衛騎士も分かっている。誤魔化しだと分かっていても、彼らの立場では、エリザベス王女を説得しなければならないのだ。
「……でも……私は……」
王国の民を見捨てて逃げた。その事実を許せるとは思えない。自分で自分が許せなくなる。
「逃げるといっても逃げ道があればの話です」
「レグルス?」
「あれば彼らはとっくに逃げているのではありませんか?」
逃げ道の存在を知っているとすれば、それはずっとこの場所で暮らしているフルド族の人々。だが、彼らは動こうとしていない。それがエリザベス王女への忠誠からの決断であるはずがない。フルド族に限らず、ほとんどの少数民族は王国への忠誠心など持っていないのだ。
「探すにしても、彼らに聞くにしても時間が必要です。その時間をちょっと作ってきます」
すでに盗賊団、もしくはそう装っている軍勢は動き出している。戦いの時は、待ってくれないのだ。
「……出来るのですか?」
「出来る出来ないではなく、やるのです」
一人、前に進み出て居留地の入口、その先にいる軍勢に向かって歩き出すレグルス。その背中に悲壮感などない。やるべきことをやる。レグルスはそう決めたのだ。