レグルスがいない間もオーウェンとジュードは中央学院に通い続けている。本当はレグルスに同行したかったのだが、それは許されなかった。王国側がオーウェンとジュードの存在を無視していたからだ。認識していても恐らくは同行は難しかったはず。二人はレグルスの従士、言ってみれば護衛役でもある。護衛に護衛がつくなどおかしな話だ。守護家のひとつ、ブラックバーン家の公子であるレグルスに護衛をさせること自体が、そもそもおかしいのだが。
二人は学院ではラクラン、だけでなくタイラーとキャリナローズとも一緒に実技授業を行っている。オーウェンたちの側から頼んだわけではない。タイラーとキャリナローズ、特にタイラーが進んで、一緒に鍛錬を行おうとしてきたのだ。
「ちょっと待ってくれ。どうして、その動きになる?」
「どうして? そうしたいから?」
「そうしたいって……」
ジュードの動きが、どうしてもタイラーには理解出来ない。非効率な動き方に思えるのだ。ただ、思えるというだけで、実際にはタイラーはジュードの変則的な動きになんとか付いて行っているという状態。それが尚更、タイラーを混乱させている。
「タイラー様。あまり頭で考え過ぎないほうがよろしいと思います。私もよくレグルス様に注意されました」
戸惑うタイラーに助言してきたのはオーウェン。助言といっても、自分がレグルスに言われていることを伝えているだけだ。タイラーの様子を見ていて、自分と同じだと思ったのだ。
「それは……直感で対応しろということか?」
「いえ、ただの勘ということではないようです。レグルス様は『流れを読む』という言い方をされます」
これには少し嘘が混じっている。「流れを読む」はレグルスではなく、舞術の師であるロジャーの言葉。舞術の極意に繋がるものだ。
「流れ。彼の動きにも流れがある。それを読むのか」
変則的に見えても全体としては動きに流れがある。それを自分が読めていないだけだとタイラーは考えた。レグルスの言葉と聞くと、それを素直に受け入れ、理解しようとする。かつてのタイラーでは考えられなかったことだ。
「私は少し読めたけどね」
「何? それはどういうものだ?」
キャリナローズには、自分には見えない流れが見えている。それにタイラーは驚いた。
「教えない。ジュードに悪いもの。ちゃんと自分で見つけなさい。それに、私も完璧に見極められているわけではないわ」
キャリナローズに見えているのは、ジュードの動きには最後に至る目標があるということ。変則的に見えても、全体としては連動していて、目標に辿り着こうとしている。その最後の目標を早い段階で見極められば、攻撃をほぼ完璧に防げるかもしれないが、そこまでは出来ていないのだ。
「それでも流れは確かにあるということだな。ジュード、もう一度だ」
ジュードとの立ち合いを再開させようとするタイラー。
「ああ、ごめん。僕と代わって」
だが、クレイグがその邪魔をしてきた。
「後にしろ。お前にはラクランという相手がいるだろ?」
クレイグはラクランと立ち合いを行っていた。キャリナローズはオーウェンと。三組になって立ち合いを始めてから、まだそれほど時間は経っていない。クレイグのほうが我儘を言っている状況だ。
「相性が悪すぎる。ラクランの防御魔法を破ろうとする間は、ただ打ち込みを行っているのと同じだから」
「それは誰が相手でも同じだろ?」
「そうだけど、タイラーと僕では力が違うよね? タイラーなら僕よりも早く防御魔法を打ち破れるはずだ」
単純な力ではクレイグはタイラーに遠く及ばない。力技でラクランの防御魔法を打ち破るのに時間が掛かり過ぎる。それがクレイグの言う相性が悪いということだ。
「防御魔法を使わない鍛錬を行えば良いだろ?」
そうであるならラクランに防御魔法を使わせなければ良い。タイラーもジュードとは魔法を使わずに立ち合いを行っているのだ。
「そうすると今度は、まったく相手にならない。まっ、つまりラクランは、まだ自分の戦い方を模索中ということだね」
防御魔法なしではラクランはクレイグの攻撃をまったく防げない。それはそれで立ち合いにならないのだ。
「……すみません。僕が未熟なせいで」
ラクラン本人はそれが良く分かっている。自分がクレイグ、クレイグだけでなくタイラーやキャリナローズに相手をしてもらうのは、まだ早いと思っているのだ。
「いや、未成熟かもしれないけど、未熟ではないね。手を焼くほど強力な防御魔法ということだからね」
「ラクランはどういう戦い方を身につけようと思っているのだ?」
ラクランの実力はタイラーも分かっている。ただ防御魔法が凄いのは分かるが、それに頼りきりになるのはどうかと思っていた。
「えっと……普段お見せしている戦い方です。ただ防御魔法はもっとピンポイントで展開しなければならないのですけど……まだ上手く出来なくて……」
「ピンポイント? それは、防御魔法の威力を制限するということか?」
タイラーには今一つ、ラクランが言っていることが理解出来ない。たとえば火属性魔法であれば、威力に応じて異なる詠唱を唱えることになる。ラクランが詠唱を使ってないことは、もう分かっているが、そうであれば尚更、威力の制御など出来ないのではないかと思うのだ。
「威力というか、展開範囲をもっと小さくです。使う魔力を」
「あっ、ラクラン!」
「えっ? あっ、何ですか?」
いきなりジュードに声を掛けられて驚いているラクラン。彼はまだ分かっていないのだ。
「僕が立ち合いの相手をしてあげる。最近はやっていなかったからね。楽しみだ」
「……ええっと……よろしくお願いします」
確かにジュードとは最近、立ち合いを行っていない。タイラーとキャリナローズ、クレイグの相手ばかりだった。ただ、今この状況でジュードが立ち合いを申し入れてくる理由がラクランは分からない。まだ分かっていない。
戸惑うラクランを連れて、ジュードはその場から離れて行った。
「……何を隠そうとしているのかしら?」
ラクランが分かっていないことが、キャリナローズには分かっている。ジュードはラクランに話を続けさせない為に、立ち合いを口実にしてこの場から引き離したのだ。
「ちょっとしたことです。ただ、ちょっとした違いが大きな結果の違いを生むこともあります」
問われたオーウェンも、ジュードの意図が分かっている。分かっているから話そうとはしない。
「ちなみにそれは……それはアリシアも知っていること?」
レグルスは当たり前、というかレグルスが考えたことであるに違いない。そしてジュードもオーウェンもそのちょっとした違いを持っているはず。キャリナローズはそこまで考えて、アリシアはどうなのかと思った。
「さあ、どうでしょう? 私はアリシア様とは深く話をしたことがありませんので、分かりません」
「意外。貴方もこれくらいのお惚けは出来るのね? レグルスとずっと一緒にいれば、嫌でも身に付くか」
「それに関しては、その通りだと認めます」
それでも自分はまだまだだとオーウェンは思っている。真顔で嘘をつくことは出来ない。嘘をついても不自然さが表に出てしまう。今は、嘘をついていることが相手も分かっているから自然に答えられているだけだ。
「では、あとひとつだけ教えて。合同演習の時、レグルスはそれを見せた?」
「…………答えを悩んでしまいました。やはり、私はまだまだです」
「いえ、その答えは正解だわ。それでは推測出来ない」
どのようなことか推測されない為に見せていることを隠そうとしているのか、それともまだ奥の手があることを隠そうとしているのか。オーウェンの答え、ではないが、言葉はどちらにも受け取れる。分かるのは事実を伝えるつもりがないということだ。
「だがラクランには教えた。何故だ?」
タイラーも当然、オーウェンとジュードが何を隠そうとしているか気になる。話す気がないのは分かったが、ラクランには教えて、自分たちには教えないというのは納得出来なかった。
「我々はレグルス様ではないからです。ラクランには必要だと思ったからレグルス様は教えました。恐らく秘密なんて意識は、ご本人にはないと思います。ですが、我々が勝手に皆さんに教えるのは違うと思います」
「その通りだな。レグルスが戻ってきてからか……まったく、あいつは……その場にいなくても気になる男だな」
「今頃、何をしているのかしら? まあ、彼のことだから、一部の人たちが期待しているような展開には絶対になっていないでしょうね?」
エリザベス王女との恋の進展。それを期待している人は多い。ゴシップで盛り上がりたいだけという理由で。
「素敵な女性をほったらかしにして、当たり前のように馬車や馬に乗る事なく、ずっと走っていそうです」
「オーウェンも言うわね。でも、それ想像出来るわ。私、少しレグルスのことが分かってきたわ」
「あの男を理解出来るとは、お前もただならぬ関係なのか?」
タイラーも雑談に乗って来た。授業には極めて真面目に取り組むタイラーだが、これくらいの遊び心はある。こういう会話が出来る相手に、キャリナローズたちがなったということだ。
「レグルスのことは、人としては好きよ。でも恋愛では、想われるのは良いけど想うのは無理。彼はそういう面では、ひどく子供なのよ。平気で恥ずかしい口説き文句を口に出来るのも、本人には口説いている自覚がまったくないからね」
「……なるほど。同感だ」
タイラーはフランセスから、キャリナローズの考えに繋がるような話を聞いていた。恋愛をしているようで、そうではない。恋愛ごっこで止まっている。最初に自分が望んだことだが、それを徹底されると少し寂しくなるという正直な気持ちを。
「今もそうだよね?」
「クレイグにも分かるのか?」
ここでまさかのクレイグまで同調してきた。クレイグはそれほどレグルスとの距離は近くない。それで複雑なレグルスの性質を理解出来ているとは、タイラーには思えなかった。
「人をその気にさせておいて、あとは好きにどうぞってところ。今もそうでしょ?」
「ああ……つまり、あいつは男女関係なく、人に対してそうなのだな」
レグルスのおかげで学院生たちは、以前よりも熱のこもった鍛錬を行うようになっている。以前よりも、もっと高みを目指して頑張っている。だが、今ここに、皆をその気にさせたレグルスはいないのだ。
「線を引いているようなところがありますから。その気持ちを改めて頂ければと思うことはあります」
「……そうか。オーウェンたちはそうだろうな」
オーウェンたちの想いは、自分たちよりも切実だとタイラーは思った。レグルスがブラックバーン家を背負ってくれればという想いがあることは、聞かなくても分かる。レグルスに仕え続けたいのだろうということは。
オーウェンとジュードはブラックバーン騎士団の従士。レグルス個人ではなく、ブラックバーン家、それもブラックバーン本家に仕える身だ。しかも、これだけ優秀であればレグルスに従い続けることが許されるとは思えない。彼らの望みが叶う可能性は、限りなくゼロに近い。
「何をやっているのだ、レグルスは」という思いがタイラーの心に広がる。タイラーも無念の思いだった。
◆◆◆
レグルスへの想いを抱いている人は、タイラーたちだけではない。彼らとは別の理由で「レグルスは何をやっているのだ」という思いを抱くことになった人がいる。理由だけでなく、その意味も違う。言葉通り、レグルスがどこで何をしているのかを知りたがっている人物。それは、リキだ。
「いない? 会えなかったということか?」
「いや、それが王都を離れていて、しばらく帰ってこないそうだ」
「王都を離れて? アオが何の用で王都を離れる?」
レグルスが王都を離れることはない。リキはレグルスと出会ってから一度も、王都を出たという話を聞いたことがない。これが初めてだ。
「用件までは教えてもらえなかった。あまり公に出来ない仕事らしい」
「仕事……王都の外でも仕事をするようになったのか……」
仕事とだけ伝えられると、それは「何でも屋」の仕事だとリキは考える。「何でも屋」は王都の外の仕事にまで手を伸ばしているものと勘違いして、感心している。
「どうする?」
だが「何でも屋」の事業拡張に感心している場合ではない。リキたちは差し迫った問題を抱えている。その相談をしたくて、レグルスがいるはずの酒場を訪れたのだが、彼はいなかった。
「どうすると言われても……アオがいなければどうしようもない。俺たちだけでどうこう出来ることじゃない」
「でも……サムが」
サムはリキたちの仲間。長い付き合いで、レグルスとの鍛錬も一緒にやっていた仲だ。
「……なんとかしたいが、やっぱり、どうしようもない。サムとはもう会わないようにしよう」
「見捨てるのか!?」
「関係を切ったのはサムのほうだ! 俺たちの忠告も、元はアオが忠告してくれたことだというのに無視して……あんな奴らと付き合って……」
リキたちに近いところ、農民たちによって、争乱が起こされようとしている。かつての労働条件の改善交渉とはまったく違う規模で。違う方法で、違う目的で。
リキにもサムを通じて誘いがあったが、同調するつもりはない。レグルスは、はっきりとは言わなかったが、この事態を予測していたとリキは考えている。予測していたから、以前のストライキを主導していた者たちには関わらないように忠告したのだと。
リキはそれを受けて、自分の農場で働く仲間たちにも関わらないように忠告していた。だが仲間からサムという離脱者が出てしまった。サムと彼の新たな仲間たちにとっては、自分たちに同調しようとしないリキたちのほうが離脱者なのだろうが。
「……じゃあ、事が起こる前に」
「こちらの動きは見張られている。お前も、次は今回のようには動けないはずだ」
事が起こされる前に王国に伝える。とっくに考えていることだ。だが、誘いを蹴ったリキは、そのような動きをしないようにサムの仲間に見張られている。レグルスのところにリキ本人が行かなかったのはそれが理由だ。今回、リキの代わりに動いた仲間も、もう相手に認識された。下手な動きを見せれば、何をされるか分からない。リキとしては、これまで同様、関わらないのが一番だと考えている。
レグルスのいない王都で、事が動こうとしている。これは、偶然ではない。