エリザベス王女の護衛任務を引き受ける上で、レグルスがもっとも懸念していたのは鍛錬と勉強が出来なくなること。授業は欠席。当たり前だが、舞術の道場にも通えない。往復の二か月間、一人で出来る鍛錬を行うしかなくなってしまう。
魔力の制御や魔法の訓練は一人でも出来る。このところは時間を割くことがあまりなくなった基礎体力作りを頑張るのも良いかと考え、なんとか自分を納得させていたレグルスであったが、実際は、良い意味で、想定外の状況になった。
「……レグルスは強いのですか?」
教会との打ち合わせを終えて戻って来たエリザベス王女。レグルスが近衛騎士を相手に鍛錬しているのを見つけて、側に立っていた別の近衛騎士に尋ねてみた。
鍛錬をしている様子は、すでに何度も見ているが、動きが驚くほど速いのは分かっても、それ以上のことは判断できない。エリザベス王女は武のほうはそれほど熱心ではなかったのだ。サボっていたわけではない。必要がなく、他にやるべきことが沢山あるからだ。
「私も驚いています。王国騎士団長との戦いも見ていたのですが、あの時は力の差があり過ぎました。今、鍛錬をしている彼を見て、ようやくその実力がはっきりと分かりました」
「そうですか。やはり、強いのですね」
ブラックバーン家の出来損ないと呼ばれていたレグルスが、その実力を多くの人に認められるようになっている。エリザベス王女は、改めてレグルスのそこに至るまでの努力に感心した。
「近衛騎士団にしたらいかがですか?」
「あら? 貴方までそのようなことを言うのですか?」
「他にも薦めた者がおりましたか?」
「ええ、いました。でも私が言っているのは、貴族たちのことです」
「いっそのこと殿下の近衛になさったら良いのに」は社交の場で令嬢たちに言われた台詞。彼女たちは何かの話に出てくるような王女と近衛騎士の恋愛物語を妄想して、そんなことを言っているのだ。
だがエリザベス王女が近衛騎士に向けた言葉の意味は、それとは異なる。レグルスの力を自家の物にと考える貴族たちのことだ。
「私も噂には聞いております。ただ、近衛騎士団入団は、それらに比べて、十分にあり得る話です。彼はブラックバーン家の跡継ぎではないわけですから」
王家の人々の側で仕える近衛騎士は、王国騎士団の騎士とは違い、品位を求められる。その為、貴族家の次男、三男など、継ぐ家のない公子がなるものとされている。
今でこそ王国騎士団の騎士も、きちんと教育を受けた者たちばかりになり、礼儀も身につけているが、昔は違ったのだ。強さが何よりも優先され、ならず者のような騎士も多かった。王家の人々への礼儀をわきまえない者たちばかりで、とても側に置けなかったという事情があった。
「跡継ぎでなくてもブラックバーン家の公子であることに変わりはありません。近衛騎士団が、いえ、王国が受け入れないでしょう」
貴族家の公子であれば、誰でも良いということではない。王家に対する強い忠誠心が求められる。城内をある程度、自由に動き回れる近衛騎士だ。まったくないとは言えないが、出身家の為に動くような人物を近衛騎士には出来ない。 レグルスは王国が、もっとも警戒する辺境伯家の公子。城に入ることを許すとは、エリザベス王女には思えない。
「その点は……いえ、邪推でした」
エリザベス王女に軽く睨まれて、近衛騎士は語るのを途中で止めた。ブラックバーン家よりもエリザベス王女を大切に思う気持ちがあれば心配無用、とは言わせてもらえなかった。
「それにレグルスのような攻撃的な人間が、近衛向きとは思えません」
「ああ、その点も大丈夫……あっ、いえ、その点、は、大丈夫です」
またエリザベス王女に睨まれる近衛騎士。側で護衛を務める近衛騎士とエリザベス王女には、この程度の慣れあいはあるのだ。
「……何が大丈夫なのですか?」
「彼の剣は守りに強い。流儀は分かりませんが、守りの固い剣を使います」
近衛騎士は守ることが仕事。攻勢に出るよりも、ただひたすら守りを固めて、援軍が到着する時間、もしくは護衛対象が逃げる時間を作るのが役目。剣も守備に強いことが求められるのだ。
レグルスが学んでいる舞術は、守りの型については、近衛に合っている。勝てば何でもありが本質の舞術が、近衛騎士に合うと評価されるのは、おかしな話だが、そうなのだ。
「流儀が分からない?」
エリザベス王女が言った「攻撃的な人間」は剣ではなく性質的なことなのだが、近衛騎士の勘違いを訂正するよりも、このことが気になった。レグルスの剣はブラックバーン家の剣。異なる点はあるとしても、元は王国に広く伝わる流儀に繋がるはずで、近衛騎士も知っているものだとエリザベス王女は考えていたのだ。
「攻撃は今御覧になっている通り、かなり直線的なものです。変化しているように見えても、あくまでも直線の繋がり。ですが守りになると、それが変わります。円を意識した型になっているようです」
騎士であるからには当然、近衛騎士も王家の忠誠心だけでなく、剣の実力が求められる。この近衛騎士もそれなりの実力者で、流儀が分からなくても、レグルスの動きの型を見極める力があるのだ。
こういう人物が鍛錬の相手を務めてくれるのでレグルスの毎日は、当初懸念していたのとは真逆に、充実したものになっているのだ。
「普通は攻守で変わらないものなのですか?」
「攻防一体という考えから申し上げますと、攻守にはそもそも区別がないということになります。ですが彼の剣には明らかな違いがあります」
「あまり良くない剣術なのですね?」
レグルスの剣は常識から外れている。そういう奇抜な剣は良いものではないとエリザベス王女は考えた。剣術に詳しくなくても、基本を外すことが良くないことであるのは分かる。
「そう言いきれるものなのか……攻撃の型は攻撃だけに特化、守りの型は守りに特化という感じでして。そうなると近衛向きではないということになりますが、彼の強さは、そう言いきることを許さず……」
近衛騎士の答えは煮え切らない。鍛錬を見、実際に相手をしてみるとレグルスはかなり手強い。近衛騎士側も鍛錬になっていると思える実力だ。特にレグルスが守りに徹した時の手強さはかなりのもの。その守りを崩せないということは負けも同じだと近衛騎士は考え、レグルスの実力を高く評価しているのだ。
「……剣術がどうかではなく、レグルスが強いということかしら?」
「……そういうことになります。噂というものはあてにならないものです。彼は地道な鍛錬をずっと続けてきたのでしょう。一人で鍛錬している様子を見て、それが分かりました」
立ち合いの相手には困らなかったレグルスだが、それでも最初考えていた通り、基礎体力作りは行っている。これを良い機会と思って、もう一度、土台を固めてみるのも悪くない。こう思ったからだ。
その基礎体力作りは実に地味で、とんでもなく辛そうなもの。その様子を近衛騎士たちは見ているのだ。
「昔は、実際、ただの乱暴者でした。悪い噂も仕方がないと思うくらいの」
「ええ、私も少し覚えています。そうなりますと噂が間違っていたのではなく、彼が変わったということですか」
近衛騎士は若いうちから、最初は見習いとしてだが、城に勤めている。近衛騎士としての心得を教わる為ではあるが、早めに実家から引き離すことで、王家だけに忠誠を向けるようにするという意図もある。
この近衛騎士もかなり前から城勤めで、幼い頃のレグルスを実際に見たことがあるのだ。
「そうですね。変わりましたね」
「それも良い方向に。最近の彼も少しは知っていたつもりでしたが、あの人懐こい感じは、まったく知りませんでした」
「ああ、それは彼が、興味があることと、そうでないことへの態度が極端だからです。レグルスにとって城でのパーティーは、まったく興味がないこと。鍛錬は強い興味を持つものですね」
エリザベス王女はレグルスをこの様に理解している。レグルスは興味を持つと、相手が誰であろうと、それを詳しく聞こうとする。実に素直に、真摯な態度で。教えてもらえたことを素直に喜び、それを言葉や態度で表現する。そうされると相手は、自分に好意を持っていると錯覚してしまうのだと。
一方で興味が惹かれるものを持たない相手には、態度も冷たい。意識して冷たい態度をとっているのではなく、そもそも接触しようという気持ちがないのだと。
「……それはつまり、ジュリアン様への興味はあっても、ジークフリート様には興味がないということですか?」
「お城ではないと思って、好き勝手を言っていますね?」
このような問いは、城中では決して口にしないはずだ。信頼できる相手と陰で色々と話をすることはあっても、それ以外の場で王家の人間について、それがどのようなものであっても、評価に繋がるような話はしない。口は災いの元などという事態に繋がらないように、そういう暗黙のルールがあるのだ。
「申し訳ございません。ただ、結構これは気になっておりました」
レグルスはジュリアン王子とは良く話すが、ジークフリート王子とは最低限の会話しかしない。その様子を端で見ている近衛騎士には、それが不思議だった。どちらも同じ王子で、どうして態度に差が生まれるのか。ジークフリート王子のほうが同い年なので、ジュリアン王子よりも仲が良くてもおかしくないのだ。
「単純に兄上の方が話しやすいからではないですか?」
「殿下はそう思われるのですか……立場によって人の見え方は変わるということかもしれません」
近衛騎士にとってはジークフリート王子のほうが話しやすい相手だ。ジュリアン王子は時々、気難しい雰囲気を漂わせている時がある。実際に応対がぶっきらぼうになったりする。だがジークフリート王子にそれはない。いつも変わらない、柔らかい態度で接してくれる相手なのだ。
「見えているものが正しいとは限りません。だからといって何でも疑ってかかるのは寂しいことです。難しいですね?」
「はい。今回も……難しいことになりそうです」
教会の慈善活動に同行する今回も、その任務は難しいものになる。
「……先入観を持たず、見たものをそのまま持ち帰るしかありません。ただ、見えないものもあるという不安が私にはあります」
エリザベス王女も、教会から話を聞くことが出来て、自分たちの目的を理解した。疑うべき相手がいて、自分たちは現地で可能な限り、真実を見極めなければならないことを。
「……最大限の努力は致します」
絶対に真実を突き止めるとは近衛騎士は言えない。それが困難であることは、最初から分かっているのだ。仮に真実が明らかになったとしても、裁くべき相手は誰なのか。それは近衛騎士には分からないことだ。エリザベス王女にも裁く権限はない、はずなのだ。
◆◆◆
ドイル伯爵領はアルデバラン王国の中央西部に位置する。大きな領地ではない。極端に土地が枯れているわけでも、豊かなわけでもない。物珍しい特産品もない。どこにでもある普通の領地だ。ただ一つを除いては。
ドイル伯爵領内にはフルド族の居住地がある。教会と同行するエリザベス王女の目的地は、このフルド族の居住地なのだ。
「王女が同行? どうしてそのようなことになっている?」
領主であるドイル伯爵は、エリザベス王女が領地に来ると聞いて、驚いている。教会から連絡が来た時には、そのような話はなかったのだ。
「意図ははっきりとは掴めておりませんが、恐らくは……」
「私は何も悪いことはしていない! 少しくらいフルド族を痛めつけたくらいで何だと言うのだ?!」
使者からはっきりと告げられなくても、ドイル伯爵には思い当たることがある。教会が領地にやってくる目的は知っているのだ。分からないはずがない。
「もちろん、伯に非はございません。ただ、王女殿下は正義感が強い御方。その正義感が間違った方向に走りださなければ良いのですが……」
「そんな馬鹿な。少数民族の一つや二つ、滅んでも王国は困らない。滅ぼしてしまいたいと思っている少数民族だって、いくつもあるはずだ」
つまり、フルド族は王国が滅ぼさなければならないと思うような民族ではないということ。無害なフルド族に、ドイル伯爵は少数とはいえ、軍を差し向けたのだ。
「王国としては少数民族に怖い顔ばかりを見せられないということです。まして、教会が支援の手を差し伸べようとしているのに、自分たちは何もしないというわけにはいかないのでしょう」
「……私はどうなる?」
「どうにもなりません。先ほども申し上げた通り、伯に非はありません。王女殿下が間違った報告を行わない限り。その事態だけは絶対に避けなければなりません」
「……どうすれば良いのだ?」
ドイル伯爵はエリザベス王女と親しい間柄ではない。挨拶くらいは交したことはあるが、その他大勢の中の一人として。そんな存在であるという自覚がドイル伯爵にはある。
その程度の関係であっても、何とかしてエリザベス王女を懐柔しなければならない。
「方法を聞かれましても……非はないのですから、真実を事細かにお伝えして、理解していたくだしかないのではありませんか?」
「それでも誤解されてしまったら、どうする?」
「誤解されてしまったらですか? そうなったら何もやれることはありません。幸運に期待するくらいですか。間違った情報が王都に届かないことを」
「…………」
使者は何が言いたいのか。それを言葉で問うことは、ドイル伯爵には出来なかった。言葉にしてしまって、それが間違いであった場合、エリザベス王女が訪れる前に自分は処罰されることになってしまう。臣下として、決して許されない企てを考えたという罪で。
「では私はお伝えするべきことはお伝えしましたので、これで」
「あ、ああ」
「心配しなくても大丈夫です。間違った情報さえ伝わらなければ、伯が罰せられることは絶対にありません。安心して、やるべきことを為さるように」
「お、おい、それは?」
思わせぶりな言葉。どう考えても使者は自分の考えを支持している。そうとしか聞こえない。事実を確かめようと、使者に問いを発したドイル伯爵。
だが言葉では答えを得られなかった。使者は「分かっている」と受け取れる頷きだけを返して、背中を向けてしまった。あとは伯のご決断次第。その背中はこう伝えているようにドイル伯爵には思えた。思えてしまった。