今回の教会が行う慈善活動の目的は、内乱で荒廃した戦争被害者の救済を行うというもの。内乱といっても王国を揺るがすような大規模なものではない。王国支配に反抗的な少数民族のひとつが、その少数民族の居住地を統治する貴族家と揉め事を起こし、暴動に発展したというもの。王国全土で見れば、特に珍しくもない出来事だ。
ただ今回、その珍しくもない出来事を受けて教会が動くには訳がある。貴族家による暴動鎮圧が容赦のないもので、暴動を起こした少数民族側は壊滅的な被害を受けたからだ。教会は暴動を起こした側の救済に動いたのだ。
「それは前から知っています」
その経緯については、レグルスも改めて説明されなくても知っている。レグルスはこの活動を行う上で必要な物資の調達を、教会から依頼されていたのだ。
「あら、どうして知っているのですか?」
そんな事情は、エリザベス王女には分からない。きちんと説明してあげたのに「知っている」とレグルスに言われてしまって、少し不満そうだ。
「それは……陛下から説明を受けて」
「……それもそうね」
エリザベス王女はあっさりと騙されてくれた。そもそも深く追求しようなんて思いもない。
「私が疑問に思っているのは、どうして私が同行しなければならなかったのか、です」
レグルスが聞きたかったのは自分が同行しなければならない理由。国王から説明を受けたが、「お前の力を評価しているから」なんて言葉は信じられない。これをレグルスに告げた国王の顔は、評価している相手へのそれではなかった。不満の気持ちが、まったく隠せていなかった。
「私がお願いした」
「そうでしたか」
そうではないかと思っていた。ただ自分の口からそれを言うのは、自惚れているみたいで、口に出来なかっただけだ。
「と思っているとしたら間違いですよ?」
「えっ?」
だがその考えは間違い。レグルスの同行はエリザベス王女が望んで実現したものではない。
「私がそんな我儘だと思った? 貴方の学院生活を邪魔するような真似は、私はしません」
同行させれば二か月も拘束することになる。レグルスが日々、忙しくしていることくらいはエリザベス王女も分かっている。自分を鍛えることに、かなりの時間を費やしていることも。その邪魔をするような真似をエリザベス王女はしたくない。レグルスの同行は、エリザベス王女も知らないところで決められたのだ。
「……では、どうしてでしょう?」
「考えられる一つは、出来るだけ前回と同じにしたかった」
「でも前回は花街でしたから」
前回、レグルスが教会の活動にがっつりと絡んだのは、場所が花街であったから。仲介役がいなければ、上手くいかないのが分かっていたからだ。
だが、今回の目的地はレグルスにとって縁もゆかりもない場所であり相手。同行する理由にはならない。
「ではもうひとつ。貴方を王都から遠ざけたかった」
「……遠ざける理由は何でしょう?」
「分かっているのでしょ? 結婚の申し込みが多くて、大変だと聞いていますよ?」
「いや、結婚が本当の目的ではなくて……というか、王女殿下のお耳にも入るくらいなのですか?」
エリザベス王女まで、貴族からのアプローチが頻繁にあることを知っているとは思わなかった。貴族側のアプローチの仕方が密やかなものなので、そこまで話が広がっているとは思っていなかったのだ。
「社交の場は大きなパーティーだけではないのです。特に貴方の噂となると、積極的に届けてくれる人がいます。一応、言っておきますけど、私が頼んだわけではありません」
親切心というより野次馬根性のような感覚で、レグルスの情報をエリザベス王女に届けてくれる人たちがいる。エリザベス王女に伝え、その反応を、また別の人たちと話題にするのが楽しいのだ。
「……接触させない為ですか……そんなに心配することではないと思いますけど……」
「人はその立場によって様々な考えを持つものです。特に貴方は、見る人によってその色を変えてしまう。両極端に」
光と闇、善と悪。立場によって相手に対する評価は変わる。これはレグルスに限った話ではないのだが、彼の場合はそれが極端なのだ。そうであることをエリザベス王女は知っている。
「やっぱり目立つような真似しなければ良かった」
「それは私も不思議に思っていました。意外でしたね」
レグルスは、ある時から目立つことを避けるようになっていた。パーティーに参加しても会場の隅で何をするでもなく立っているだけ。こちらから話に行かないと、最初の挨拶以外は一言も発することなく帰ってしまう始末だ。
そんなレグルスが、王国騎士団との合同演習では前面に出て、皆を引っ張っていた。エリザベス王女は意外に感じていたのだ。
「あれは……なんだか、力で無理やり押さえつけられているような気がして、すごく反発したくなってしまいました」
レグルスも最初から目立とうと思っていたわけではない。最後の演習は、総がかりの対戦では、あまり鍛錬にならないと判断し、十旗将の実力を測り、自分の立ち位置を確かめるくらいの気持ちで臨んでいた。
それだけで終われなくなったのは、十旗将の挑発が原因だ。彼らには自分たちを鍛えようという気持ちはない。実力差を見せつけ、嘲弄することが目的だと思った瞬間に、怒りの感情のままに動いてしまったのだ。
「大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「これから行く場所は、力で押さえつけられて傷ついた人たちが暮らす場所です」
「……大丈夫ですか? 王女である貴女がそのようなことを言って」
その力で押さえつけたのは王国貴族。王国に反抗する少数民族を制圧するという、王国にとっての正義の為だ。それを王女であるエリザベスが批判的な言い方をして良いのかとレグルスは思った。
「事実です。それに話している相手は貴方ですよ?」
「まあ……」
制圧された少数民族に同情的になるほど、レグルスは事情を知らない。だが教会が、教皇が教会を動かすべきだと考える理由があるはず。教会は暴動を起こした少数民族の側を救済しようとしているのだ。
「私が同行するのは、王国に後ろめたいところがあるからです。その後ろめたさを誤魔化す為に、私は王家を代表して、現地に赴くのです」
「……そういうことですか。詳しい情報は与えられなかったのですか?」
エリザベス王女が王都を出て、往復二か月もかかる教会の活動に参加する理由。レグルスも何かあるとは思っていたが、それほど深く考えていなかった。
「暴動鎮圧の為とはいえ、与えた被害が大きすぎたから、とは聞いています。でも、きっとそれだけではないのでしょう」
「王女殿下にまで隠す必要のある何か、ですか?」
「王国も詳細を掴んでいない可能性があります。今回の件は教会が言い出したこと。教会が知っていて王国が知らない何かがある可能性はあります」
エリザベス王女の推測通り、王国は事態の詳細を掴んでいない。王女に同行してきた近衛騎士たちは、護衛だけでなく、事実を調べる役目も帯びている。レグルスが思っていたよりも、状況は複雑なのだ。
「教会は知っているか……教えてもらえないのですか?」
「教えるつもりがあるなら、とっくに教えているのではありませんか? いえ、それでも聞いてみるべきですか……そうですね。夕食の時にでも尋ねてみましょう」
教えてくれないだろうと最初から聞くことを諦めていたエリザベス王女であったが、それは間違いだと思い直した。結果として教えてもらえないかもしれないが、それでも尋ねることはするべきだと。知ろうとする努力をしないで、情報を手に入れられるはずはないのだ。
「……それが良いと思います」
レグルスも聞いてみようと思った。その内容によっては、エリザベス王女の護衛に大きな影響を与える可能性もある。自分が護衛として付けられた意味は、本当にあるのかもしれないのだ。
◆◆◆
王都からレグルスがいなくなったことで、彼にアプローチをかけていた貴族たちは、その動きを止めるしかなくなった。王国のやり方に不満を覚えている人はいるが、さすがに国王に文句は言えない。より良い、実際にどうかは別にして、条件を提示しようにも、その相手であるレグルスにコンタクトする術がない。王国の思惑通り、事態は一気に沈静化した。もともと、そう長く続くことではない。王国が何もしなくても、レグルスが仕官の可能性がないことを、はっきりと示せば、それで終わった話なのだ。
そのような状況で、変わらないのは学院生たちの熱意。レグルスがいてもいなくても彼らは、新たに目標に掲げた高みに向かっての歩みを止めることはない。授業は変わらず、熱のこもったものになっている。
レグルスがいないという事実は心に引っかかっていても、その状況はアリシアの望むもの。雑念を忘れて鍛錬に打ち込める、と思ったのだが。
「…………」
アリシアの表情は暗い。
「大丈夫? 具合が悪いのかな?」
そんなアリシアに、心配そうに声をかけるジークフリート王子。彼にとっては楽しい歓談の時であるはずのこの場が、暗いものになってしまっている。
「……平気です。少し考え事をしていて」
「それは……レグルスのことかな?」
アリシアの答えを聞いたジークフリート王子の顔が、愁いを帯びたものになる。
「あっ、いえ、違います」
それを見て、アリシアは慌てて否定した。実際にアリシアが考えていたのは、少しは関係しているが、レグルスのことではない。
「では、何かな?」
「また皆と一緒に鍛錬出来るかと思っていたのに、そうなっていないのが少し寂しくて」
アリシアが考えていたのはタイラーたちのこと。タイラーとキャリナローズはある時から、授業中だけの話だが、レグルスたちと鍛錬を行うようになっていた。彼らがそうした理由は理解出来る。アリシアも出来るものなら一緒に鍛錬をしたいと思っていたくらいだ。寂しいのは、そのレグルスがいないのにタイラーたちが戻ってこないこと。一緒に鍛錬してくれないことだ。
「……少し溝が出来てしまったね?」
「どうしてでしょう?」
「それは……そうだね。アリシアには本当のことを話しておくよ」
ジークフリート王子は、何故こうなったかを知っている。その理由をアリシアに説明することにした。最初からだ。
「騎士団との合同演習には隠された目的があってね」
「隠された目的ですか?」
そういうことをアリシアはまったく考えていない。周囲の人々に比べて、彼女に欠けている部分のひとつは、政治的な感覚。そういう感覚を身につけられる環境で育っていないのだから仕方がないことだ。
「実はあれは、王国騎士団の力を見せつけて、貴族たちから無用な野心を取り除こうと考えて行われたことなのだよ」
「……どういうことですか?」
「私も詳しいことまでは知らないのだけど、王国のあちこちで不穏な動きが確認されている。王国は、それらは野心を抱いた貴族家の仕業である可能性を考え、もっと大きな動きになるのを未然に防ごうと考えた。簡単に言うと、下手な野心は身を亡ぼすと教えてあげようとしたってこと」
「……それで?」
裏に貴族家がいる可能性。それであればアリシアも知っている。この世界の現実ではなく、ゲーム知識で。守護家の野心が、それによって生み出された様々な謀略が王国の平和を乱すのだ。
その謀略の中心にいるのはレグルスとサマンサアン。ブラックバーン家とミッテシュテンゲル家だ。王国が何を、どこまで掴んだのかは、アリシアもかなり気になる。
「レグルスが邪魔をした」
「…………」
ジークフリート王子の答えを聞いて、より一層アリシアの顔は愁いを帯びたものになる。彼女はジークフリート王子の言葉を誤解している。すでに王国とレグルスが敵対関係にあるのだと受け取ったのだ。
「こちらの思惑を何らかの形で知ったレグルスは、妨害に出た。どういう妨害かはアリシアも知っているね?」
「……私もそれに加わりました」
アリシアもレグルスと共に王国騎士団に立ち向かった。レグルスの側に立った。それを後悔する気持ちはないが、ジークフリート王子の話を聞くと、悪いことをしてしまったように思えてしまう。
「ああ、あれはレグルスに踊らされただけだよ。彼は、実際には無に等しい勝機を、あるかのように演出し、周囲を騙したのさ。騙されたのは学院生だけでなく、来賓としてその場にいた貴族たちも」
「……野心を取り除けなかったということですか?」
「いや、もっと悪い。野心をさらに煽り、王国と貴族の間に溝を作った。王国騎士団に対抗する為に学院生たちがひとつになったように、王国に対抗する為に貴族家はまとまろうとしている」
「…………」
王国と王国貴族の対立。それが深まり、決定的になった時が動乱の始まりだ。王国は今、その最初の一歩を踏み出してしまった。良くない方向に進もうとしている。
それがレグルスの企みであるとすれば、この世界はゲームと何も変わっていないことになる。レグルスによって多くの血が流れることになってしまう。それを知って、アリシアは言葉を失ってしまった。
「タイラーもキャリナローズも、そしてクレイグも守護家の人間で、王国とは対立する立場。アリシアと私で、三人とはこれまで良い関係を築けてきたと思っていたけど、レグルスはたった一度の出来事でそれを壊してしまった」
「まだ壊れたというほどでは……」
その結果が今の、別々で鍛錬を行うという状況。そうだとしてもアリシアはこれで終わりだとは思いたくない。諦めてしまえば、それで本当に終わりだと考えている。
「ああ、もちろんだよ。まだまだ関係修復の機会はある。幸いというか、今、彼はいない」
「……もしかして、その為に王女殿下の護衛をさせたのですか?」
「そうだよ。彼の好き勝手を許すほど、王国は愚かではない。打つべき手は打っているよ」
「そうですか……」
では自分がやるべきことは何なのか。それをアリシアは考えた。レグルスを止める。これはずっと前から心に決めていたことだが、具体的に何をするかは考えてきていない。今までは「とにかく強くなる」、これだけを考えていた。
それでは済まない事態になろうとしている。アリシアは改めて、これからの自分を、レグルスとの向き合い方を考えなければならないと思った。