王国騎士団との合同演習を終えた王立中央学院生たちの実技授業への取り組みは それ以前よりも、さらに熱を帯びるようになった。王国は反抗心を押さえつけることには失敗したが、学院生たちから驕りを取り除き、やる気を引き出すことには成功した。このほうが健全な結果だ。
そんな中、変わらずマイペースで鍛錬を行っているのは、他の学院生たちに熱を与える要因のひとつであるはずのレグルスだった。
「お前な。もう少し真剣にやってくれるか?」
そんなレグルスに不満をぶつけるタイラー。
「真剣にやっている」
レグルスにとっては、ただの言い掛かりだ。レグルスには手を抜いているつもりなど、まったくない。今やるべきことをやっているつもりだ。
「合同演習の時のお前はもっと速かった」
だがタイラーはレグルスの言葉を素直には受け取らない。合同演習の時のレグルスはもっと凄かった。そのレグルスと立ち合いを行いたいのだ。
「それ、どの時だ?」
「どの時って、ずっとだ」
「それは嘘だな。分かっていないみたいだから教えてやる。速く動くだけなら、確かにもっと速く動ける。でもそれに何の意味がある?」
ようやくレグルスは、タイラーが誤った認識をしていることが分かった。ずっと絡まれるくらいなら、きちんと説明したほうが良いと考えた。
「何の意味と言われても……速く動いたほうが良いだろ?」
「良くない。速く動くだけじゃなく、速く、自分が思う通りに動けることが必要だ」
「……なるほど。そういうことか」
タイラーも武に関しては理解が早い。レグルスが何を言いたいのか、全てを聞く前に分かった。
「今の俺は完全にコントロール出来る速さ、そのわずか上で動いているつもりだ。合同演習の時は確かにそれを超えた。でも、それはわずかな時間で、大きく動く必要がない時だけだったはず。連撃の時とか?」
「あれか……いつ練習していた?」
「練習というか……ラクランの防御魔法を見ただろ? あれを打ち壊すことが出来るかと試していた。本当はお前にやってもらいたかったのだけど、中々、機会がないから、まずは自分でと思って」
レグルスはディクソン家の技を盗もうとして練習していたわけではない。ラクランの巨大な防御魔法を見た時に思った「タイラーはこれを壊せるのか」という疑問を解消しようと考え、とりあえず自分で試してみたのだ。いざやってみると、かなりきつくて体力作りになると思った。それで何度も何度も行うようになったのだ。
「それで十旗将を? なんだか、むかつくな」
「怒るな。本物にはほど遠いものだっただろ? 別に俺には連撃を極めようという気はない。それはタイラー、お前がやることだ」
レグルスの求める速さは、連撃のそれとは違う。連撃、猛撃は基本、一対一での戦いの技。レグルスが学ぶ舞術のように戦場で、不特定多数を相手にする戦い方とは違うのだ。
「そうだな。そういえば、まだきちんと聞いていなかった。騎士団長はどうだった?」
「見てただろ? 惨敗だ」
「あれを惨敗とは言わない。お前は戦っていた。惨敗だったのは戦えなかった俺たちだ」
レグルスは騎士団長の前に立ち続けていた。タイラーは自分にそれが出来たとは思えない。後ろに下がっていても、騎士団長が発する気に圧倒され、動けなかったのだ。
「戦って死ぬより、逃げて生き延びたほうが正解だ。また戦うことが出来る」
「あれは演習だった」
本当の戦場であれば、一時の負けを受け入れることも必要だ。だが合同演習は戦場ではない。それに戦って逃げたのではない。戦うことから逃げ出したのだとタイラーは思っている。レグルスの指示で引いたことを言い訳にしたくないのだ。
「何を言っても納得しないか。まあ、それでもっと強くなろうと思えるのだから、それで良いのか。じゃあ、ひとつ教えてやる。騎士団長は全てにおいて優れているとお前は言っていたが、間違いだな」
「間違いではないことは証明されたと思っていたが?」
騎士団長との戦いでレグルスは完敗だった。くじけず最後まで戦う姿勢は、それを見ていたタイラーたちの心を熱くしたが、実力の差は明らかで勝ち目がないのは分かっていた。
「少し違う。全てにおいて敵を衰えさせることが出来るが正解だと思う。絶対とは言わない。あくまでも俺の推測だ」
「……あの覇気のようなもの……あれは魔法なのか?」
騎士団長の覇気にタイラーは完全に気圧され、動けなくなった。王国最強の実力者が持つ威。そういうものだとタイラーは思っていた。
「その可能性があると俺は思っている。まあ、そうでなくても強いのは間違いない。俺はそんな影響を受けていたとは思わないからな」
「……どうしてお前は平気だったのだ?」
確かにレグルスには気圧されている雰囲気はなかった。強がっていた可能性はあるが、それでもレグルスは前に出た。多くが動けなくなっていた中、騎士団長に立ち向かって行けたのだ。
「気持ちの問題? 物理的な作用ではなく、精神的な影響を与えるのではないかな?」
「だからそれでどうして平気だったのだ?」
「さあ? そこまでは分からない。あれが魔法だというのも推測だ。心に作用する魔法というのもそう。心が騒がしかったからそう思っただけだ」
心の奥底で眠っている暗い感情が刺激された。恐れるよりも強い反抗心を覚え、怒りが燃え上がった。殺戮衝動のようなものが湧き上がり、抑え込むのに必死だった。他人の殺気によって抑え込めなくなりそうになったのは初めてだった。
「それが事実だとして、どうすれば良いのだろう?」
「それも分からない。俺は、俺だけではなく、ジュードも平気そうだった。経験か元々持っている資質か、何かがあるのだろうな。だから気持ちの問題だと言った」
「……まったく参考にならないが、情報としては覚えておく」
情報としては、かなり曖昧なもの。王国騎士団長と戦う機会も、普通に考えれば、もうない。タイラーは参考程度に心にとどめておくことにした。
「騎士団長より、十旗将について考えたほうが良くないか?」
「どうしてそう思う?」
「手が届く範囲にいる、っていうか、手が届かないと駄目だろ? あいつらとの差が何で生まれるのかは、俺も気になる」
持って生まれた才能の差、とはレグルスは思わない。持っている才能だけで言えば、アリシアやタイラーたちのほうが、十旗将の全員がそうとは限らないが、上ではないかとレグルスは思っている。根拠があってのことではない。ただ、戦った感覚がそう思わせるのだ。
「十旗将か……彼らの実力については、俺も調べてみた。調べたと言っても、我が家の騎士団に尋ねただけだ。ディクソン騎士団の将と比べて、どうかと」
「答えは?」
「副団長以上であれば、ディクソン騎士団のほうが上のはずだと。ただ、この情報も根拠があってのものではない」
「副団長か……そうかな……?」
ブラックバーン家でいえば、ジャラッドだ。だが、レグルスにはジャラッドのほうが上に感じられる。ジャラッドとは鍛錬と喧嘩で戦っただけで、どちらも完敗。その完敗も、ジャラッドに余裕を持たせたままの完敗だったとレグルスは考えている。
「そうは思えないか?」
「ブラックバーン騎士団のジャラッドは、もっと底が見えなかった。魔法なしの素での戦いだったが、なんというか……怖さ? そんなものがジャラッドにはある」
「十旗将は怖くなかった? お前という奴は……騎士団長に立ち向かうような奴だから当然か」
十旗将は強い。無策で挑んだせいだと今はもう分かっているが、それでも一対一では敵わないだろうと思うほど強い。そんな十旗将を低く評価出来るレグルスは、自分とは違うとタイラーは考えた。
「何か誤解しているようだ。俺は別に十旗将はたいしたことないと言っているわけではない」
「そうとしか聞こえない」
「個人の戦闘力としてはジャラッドのほうが、かなり上だと言っているだけ。これは後から考えたことだけど、一軍の将を任される人物は、ただ強ければ良いってわけにはいかないはずだろ?」
これは演習前に、騎士団長についてタイラーと話していた時にも思ったこと。一軍を率いる将であれば、個人の武勇よりも統率力や指揮能力のほうが重視されるのではないかとレグルスは考えているのだ。
「……それでも強いことは間違いない」
「そう。もし、持って生まれた戦闘能力はそれほどでもないとすれば、それであれだけの強さを身につけたのは凄い。方法があるのなら、是非知りたい」
レグルスが十旗将を気にするのは、この点だ。実際のところは分からない。だが、そもそも騎士、それも特選騎士と貴族は何が違うのかという思いがレグルスにはある。受け継がれる力に違いがあるのであれば、それでも貴族以上に強くなれる騎士はどういう鍛え方をしているのかと思うのだ。
「……鍛える方法が違うと?」
「可能性としては。実際にどうかは知らない。知らないから知りたいと思う」
特別な鍛錬方法があるのなら、それを知りたい。レグルスにとってはそれだけのことだ。ないと分かれば、それはそれは仕方ないと思うだけのことだ。
「俺が知る限り、違いはないはずだ」
タイラーは、自家の騎士団がどういう鍛錬を行っているか、詳しく知っている。特別なことはないはずだと思っている。
「ディクソン家はそうかもな」
「どういう意味だ、それは?」
「怒るな。別にディクソン家が悪いと言っているわけじゃない。守護家の血筋は武勇に優れている。当然、仕える騎士よりも上。こう考えている貴族家の騎士団が、隠れて当主より強くなる方法を考えるとは思えないからな」
貴族の中でも守護家の血筋は、王国でもっとも優れた能力を持つ。これが常識。この常識にとらわれれば、当主とその血筋は、仕える騎士の誰よりも強いということになる。ちょっと考えれば、常にそうであるはずはないと分かるはずで、実際に異なる時代もあったはずなのに。
レグルスはこういう、自家も含む守護家の思い上がりを否定しているのだ。
「王国騎士団は違うと?」
「だから可能性。戦場経験は辺境伯家のほうが多いから、辺境伯家の騎士団のほうが王国騎士団よりも強い、なんていうのは思い込みに過ぎないかもしれない。経験が少ない自覚があれば、それを補う訓練をしないはずがない」
「……そうだな」
タイラーにも、レグルスが言うような思い込みがあった。ディクソン騎士団は王国騎士団よりも、他の辺境伯家の騎士団よりも上。願望でもあるが、そうであることが当然だと思っていた。そんな自分の考えも思い上がりなのかもしれないとタイラーは思う。
「全部が推測だけどな……聞いても教えてくれるはずないよな。俺もブラックバーン家の人間だ……ジュリアン王子なら……あの人、知らなそうだな」
強くなれる方法があるのであれば、相手が誰であろうと教えを乞いたい。レグルスはこう思っているが、王国騎士団相手では無理だろうと、ほとんど諦めている。北方辺境伯家の自分に教えるはずがないと。
「……とりあえず、聞いてみたらどうだ?」
「ああ。一応は聞いてみるつもりだ。ただ、いつ会えるかな?」
ジュリアン王子には、気軽に会いに行けるわけではない。エリザベス王女が、国王に内緒にしなければ合同演習の観戦も出来ないと知った後は、尚更そう思う。
「今、聞いてみろ。王子殿下ではなく、あの将に」
「あの将? えっ? あの人って……」
タイラーは何を言っているのかと思ったレグルスだが、彼が指さす方向に視線を向けて、その意味が分かった。噂をすれば影、の言葉通り、合同演習で戦った十旗将の一人であるカートが立っているのが見えた。
「レグルス殿。客人が来ております。約束はないとのことですが?」
さらに教官が、カートが用があるのはレグルスであることを告げてきた。
「ああ……授業を抜けても?」
「そうしたいのであれば」
「では、失礼します」
何の用件か、レグルスにはまったく心当たりはないが、授業中だからといって追い返すわけにもいかない。これを逃せば、次に話す機会は永遠にないかもしれないのだ。
カートが待っている場所に向かうレグルス。
「授業の邪魔をして申し訳ありません。無理を言って抜けてきたものですから、時間が限られておりまして」
カートの第一声は、合同演習の時の印象とはまったく異なるものだった。
「……敬語は無用です」
「そういうわけには。今の貴方と自分には特別な関係性はありません。一般の序列に従えば、子爵に過ぎない自分のほうが下です」
「一般の序列に従っても、辺境伯家の公子であっても無位無官の私は貴方の下です……というのはどうでも良くて、年上の人に敬語を使われるのは気持ち悪くて」
序列が厳密にはどうなのかをレグルスも知らない。自分の考えが正しいと思っているが、それを押し付けるのもおかしいと思う。
「……貴方の立場で?」
多くの貴族家の公子は、将軍であっても騎士のほうが下だと考えている。敬語を使ってくる公子など、それほど接点があるわけではないが、まずいないのだ。
「私は特殊かもしれませんけど……時間の無駄ですね? ご用件は何ですか?」
「ああ、そうですね。まずは先日の非礼についてお詫びを」
「無用です。それに。お詫びして良いのですか? 演技だったと、ばらしてしまうことになりますけど?」
上から目線の、こちらを蔑むような態度は目的を達成する為の演技。それを認めてしまえば、目的の存在も認めることになるとレグルスは思う。
「貴方はすでに見抜いているはずです」
「いえ、そういうこともあるかなとは思っていましたが、確信はありませんでした。今、確信を持ちましたが」
「……困りました。団長に怒られてしまうな」
「正直に報告すればの話です。ああ、そうするのか。それはそうですね? 虚偽の報告など絶対に許されることではありません」
悪い報告であればあるほど、それを隠し、虚偽で誤魔化せば、さらに状況を悪化させることになる。軍組織でなくてもそれは同じだ。
「その通りです。良く理解されている」
「それで、用件は?」
「はい。まず、これはあくまでも私個人の考えであって、王国騎士団は関係ありません。団長には報告しておりますが、賛成も反対もされておりません」
「……はい。分かりました」
王国騎士団としてではなく、カート個人としての行動。ますますレグルスは用件が分からなくなった。
「王国騎士団に入団されませんか?」
「えっ? 勧誘ですか?」
「そうです。貴方がブラックバーン家の公子であることを承知した上で申し上げております。失礼ながら、後継者の座から降りられたことも確認しております」
レグルスがブラックバーン家の後継者のままであれば、カートもこんなことは間違っても言わない。将来、北方辺境伯になる人物が、王国騎士団の騎士になるはずがないのだ。
「……もしかして、敵に回すよりは味方として取り込んでしまえ、なんて考えました?」
何故、自分を王国騎士団に入団させようなんて思ったか。レグルスが思いついたのはこれしかなかった。
「申し訳ない」
「いえ。過度な高評価だとは思いますが、評価していただいたことについては素直に嬉しく思います。ただ……諾否は今はお答えできませんし、可能性は低いと思います」
王国騎士団に入団すること自体は、それほど抵抗はない。鍛えた能力を活かすという点で、さらにブラックバーン家の為には働きたくないという考えにも合致している。だが、それが実現するとはレグルスは思わない。将来の形がある程度見えるまでは、自由な身でいる必要があると考えているのだ。
「それで結構です。良い回答をこの場で頂けるなんてことは、最初から思っておりません。可能性として心にとめておいて頂きたいだけです」
「分かりました……これはお伝えするべきか少し悩むのですが……」
可能性として心にとどめておいてもらいたいことが、レグルスにもある。これを伝えてどうなるとは思わないが、気になることだ。
「秘密は守ります」
「……では今は、貴方と騎士団長だけの秘密ということで」
「団長も。それは、助かります」
騎士団長に隠し事をしないで済む。それはカートにとってありがたいことだ。
「先日の合同演習が、私が思っているようなものであったとしたら、逆効果ではないかと思います」
「それは……どういうことでしょう?」
「王国は知っているのか分かりませんが、守護家にも色々あります。たとえば、私は命を狙われています」
「何ですって?」
レグルスが命を狙われていると知って、驚くカート。彼がその事実を知らないことを示している。それ事態はレグルスにとってはどうでも良いことだ。将軍であるカートが関わるようなことではないはずなのだ。
「詳細はお話しできませんが、ゴタゴタがあるのはブラックバーン家だけではありません。そういったことは各家内部の問題、であれば良いですが、そうでない可能性があるとすれば? 事実がどうかではなく、王国騎士団の敵意はそれを疑わせるものになった可能性があります」
合同演習にどのような意味があったかは、少し考えれば、誰でも分かるとレグルスは思っている。あれは王国騎士団の警告。王国騎士団は、王国騎士団を使って王国は、貴族家を押さえつけようとしていると。
その事実と自家で起こっている出来事を結び付けた時、辺境伯家は王国の、王家の野心を考えるかもしれない。王国はいよいよ自分たちに牙をむくつもりだとまで考えてしまうかもしれない。
「……敵と味方をきちんと見極めて行動するべきでした……いや、これは偉そうですね。とにかく、そういうことです」
王国はわざわざ敵を作ろうとしている。そんな風にレグルスには感じられる。意図したものなのかもしれない。だが、そうでない可能性もある。そうであれば伝えておくべきだと考えた。王国が乱れることなどないほうが良い。英雄など生まれないほうが良い。穏やかな暮らしの中で、普通に幸せを得たほうが良い。レグルスは、こう思っているのだ。
「……分かりました。団長にも必ずお伝えします」
カートはレグルスが伝えたいことを、きちんと理解した。彼にも、自分たちの努力の成果を発揮するのであれば、それは意味のある戦いであって欲しいという思いがある。いたずらに内乱を求める気持ちなど、まったくないのだ。
だが、それでも王国は動乱に向かって、進んでいる。レグルスとカートとは真逆な考えを持つ者も王国にはいるのだ。世界は英雄の誕生を求めているのだ。