五校剣術対抗戦は、大会としては、期待に反して盛り上がりに欠けるものとなってしまった。優勝した中央学院二年Aチームで、本当の意味で、負けたのはクレイグだけ。そのクレイグも負けたのは北部騎士養成学校三年Aチームとの一戦だけで、他の試合は、他のメンバーの出番がないままに終わるのが悪いからと不戦敗にした以外は、まったく危なげなく勝利している。他のメンバーもほぼ同じ。出番を回す為の不戦敗以外は全勝で大会を終えることになった。
中央学院と他の姉妹校との実力差、というよりは、守護家とそうでない者たちとの実力差を見せつけるだけの結果。まったく番狂わせのない、接戦ともならない対抗戦では盛り上がるはずがなかった。
そんな中、周囲を驚かせたのはアリシアの存在。守護家の公子たちと比べてもまったく遜色のない、それどころか上回る実力を見せつけたアリシアは、その存在を中央学院内だけでなく、他校にも知られることになったのだ。
もっとも、すぐにアリシアが北方辺境伯家公子、レグルスの婚約者であることも知られ、注目度は弱まることになった。普通は、北方辺境伯家の婚約者に手出しなど出来ない。スカウトすることが出来ないとなれば、興味は薄れる。騎士養成学校四校の関係者が王都を離れてしまえば、もう話題にもならないかもしれない王都にいる中央学院の関係者にとっては、既知の存在であるアリシアよりも、驚かされた存在がいるのだ。
「どこに行こうとしているの?」
誰とも立ち合いを始めることなく歩き始めたタイラーに、キャリナローズが声を掛けた。
「決まっている。レグルスのところだ」
「懲りないわね? 彼が相手をしてくれるわけないでしょ?」
タイラーの目的は聞くまでもなく分かっていた。レグルスに立ち合いを挑もうというのだ。ようやく、はっきりとしたレグルスの実力。それを知ったタイラーの行動など、容易に推測出来る。それに対するレグルスの反応も。
「常にそうとは限らない。実際に、新しい相手と鍛錬をしているではないか」
今もレグルスは、ラクランと立ち合いらしきことをしている。”らしき”となるのは、すぐに対戦を止めてしまうからだ。少し動いては何かを話し合い、また対戦を始める。それを何度も繰り返しているのだ。
「仮にそうだとしても、相手はタイラーではないわね」
「俺でなければ……そういうことか」
キャリナローズに声を掛けられて、タイラーが足を止めている間に、レグルスに近づいた人物がいた。クレイグだ。五校対抗戦でクレイグが負けた相手に、レグルスは圧勝した。レグルスはクレイグよりも強いと認識され、それが周囲を驚かせたのだ。
「あれでプライドが高いのかしら?」
「悪い意味でそれを言っているなら間違いだ。前を走っていたつもりが、いつの間にか先に行かれていた。それが分かったのであれば、追い越す為の努力をするのは当然だ」
「それは貴方も?」
タイラーとクレイグに実力差はない。手の内を隠すというのとは少し違うが、制限を受けることなく全力で戦えば、もしかすると差があるかもしれない。だが基本能力には、速さと力という特徴の違いがあるだけで、大差はないはずなのだ。
対抗戦と同じ戦い方であれば、タイラーもレグルスに負ける可能性は高いとキャリナローズは考えている。
「……まだ負けを認めるつもりはない。それを確かめる為に挑みたかったのだが、今日は俺の出番ではないな」
「クレイグだって相手してもらえないと思うわ。二人の戦いを私も見てみたいけど」
二人が立ち合いを行えば、さらにレグルスの実力ははっきりする。実現しないと思っていても、見てみたいという気持ちはあるのだ。
「しかし……何をどうすれば、ああなる? ブラックバーン家は、魔力爆発を隠していたということなのか?」
レグルスは優れた魔力の持ち主であることを示す魔力爆発を経験していないことになっている。だから北方辺境伯家の出来損ないと言われていたのだ。だが、魔法を使わないで、対抗戦の時の動きが出来るはずがない。しかもクレイグを超える動きということなのだ。
いつもの様にタイラーの視線がアリシアに向く。彼女が答えを持たないことが多いのは、もう分かっているのだが、他に問いを向ける相手がいないのだ。
「私には分かりません。分かっているのは人の何倍も努力を続けてきたということだけです」
魔力爆発についてアリシアは良く分かっていない。彼女も経験した覚えがないのだ。分かっているのは、レグルスが自分の怠惰を反省し、真似できる人は滅多にいないだろうと思われるほどの努力を続けてきたこと。それさえも、リサとして一緒にいた時の情報しかないのだ。
「努力だけでどうにかなるものではないと思うが……」
この世界は生まれ持った才能が全て。その才能は血に宿り、故に守護家は偉大な存在、という常識をタイラーも信じている。努力という言葉への反応は鈍い。
「……天才だからね」
「何?」
レグルスの才能を認める言葉。それは意外にもジークフリート第二王子の口から零れたものだった。タイラーにとっては信じられないことだ。ジークフリート第二王子がレグルスを認めることなど決してないと思っていたのだ。
「あっ、いや、魔力はあれだけど、子供の頃、暴れる彼を誰も止められなかったよね?」
「子供の頃の話と今は」
「運動能力は私たちの中の誰よりも高かった。それも才能だと私は思うな。太る前の話だけどね」
「……そうだったかな?」
タイラーには、ジークフリート第二王子が言うような記憶はない。レグルスが乱暴者であったことは、はっきりと覚えている。だがそのレグルスを大人しくさせようとして失敗した記憶はない。あるのは、相手にすることなく冷めた目で見ていた自分の記憶だ。
「レグルスはブラックバーン家の血を受け継いでいる。過去の彼のほうが異常だったということだと思うよ」
「……その通りだが」
それで終わらせられるようなことではないとタイラーは思う。恐らくは自分たちを超える速さで成長してきたレグルス。その秘密を解き明かさないと、この先、追いつけなくなるほど先に行ってしまうのではないかという恐れがあるのだ。
「大丈夫。成長期は人それぞれ違うものだ。今は彼に勢いがあるとしても、それはいつまでも続かない。すぐに追いつき、追い越せるよ」
タイラーとは異なり、楽観的な考えのジークフリート第二王子。このほうが彼らしくあるとタイラーは思うが、話の持って行き方が強引だ。それもジークフリート第二王子らしいと言えば言えるので、追及する気にはならないが。
ただ、なんとなく腑に落ちない。モヤモヤした気持ちがタイラーの心に残った。
◆◆◆
一人離れてレグルスのところに向かったクレイグ。結果は、キャリナローズの予想通り。まったく相手にされることなく引き下がる羽目になった。クレイグはレグルスと接した時間が無に等しい。記憶を失っているレグルスにとっては、本当に無だ。嫌いという印象だけが残っている相手で、タイラーとは異なり、それがわずかでも書き換わる機会がなかったのだ。レグルスが相手をするはずがない。それどころか、不快感を隠すことなく応対することになる。
それに反発すれば、ますますレグルスも頑なになる。悪印象は。お互いにだが、さらに悪化してしまった。レグルスも大人げないのだが、一応、言い分はある。嫌いな相手というのは過去だけでなく、将来も敵対する相手である可能性が高い。そういう可能性を持つ相手に、なんであろうと協力する気はないというのがそれだ。こんなことは誰にも言えない、言ってもまともに受け取ってもらえないだろうことなので、自分の心にとどめて、不機嫌な思いが消えるのを待つしかないのだが。
「……なんだろう、今日は? 神様は俺に恨みでもあるのか?」
それは簡単ではなかった。
「そういう言い方は……いや、文句を言える立場ではないが……」
さらにレグルスを不機嫌にする相手が、学校が終わった後に現れたのだ。分家の、レグルスにとっては再従兄にあたる人物。五校対抗戦でレグルスを侮辱した、そのくせ、レグルスにあっさりと負けたディアーンだ。この時点ではレグルスは名を知らないが。
「どうやって、ここを知った?」
ディアーンは「何でも屋」の店舗兼酒場に現れた。彼が知るはずのない場所に、いきなり訪れてきたのだ。
「それは屋敷で聞いて」
「……まあ、知っているか。だとしても、お前、良く屋敷にいられるな? ブラックバーン家の恥を晒した身で、よくそれが許されているな」
ブラックバーン家であれば、レグルスがどこにいるか把握している。隠そうと思っても隠しきれるものでないことは、レグルスも分かっている。まったく連絡が取れないというのも、さすがに問題と思うのもあって、諦めているのだ。
「……申し訳ない。それを謝罪しにきた」
「今更、謝罪されても。お前のせいで色々と面倒だ。話もしたくない相手に立ち合いを求められる。学院も色々と面倒くさい」
「学院が何か言ってきているの?」
「さらに連れてくる必要のない人間まで連れてきた」
レグルスには、ディアーンに文句を言いたいことがいくつもあるが、その中でも一番はアリシアを同行させてきたこと。アリシアにはこの場所はこれまで教えていなかったのだ。
「それ酷くない?」
「酷くない。ここはお前が来るべき場所じゃない。それに……」
アリシアが前に出てきた途端、すぐにココがレグルスの足に抱きついて来た。甘えているのではなく、アリシアを牽制しているのだ。
「アオ。退屈」
さらに甘えた声で、レグルスに退屈を訴えるココ。
「遊びの時間を邪魔されて、ココも怒っている」
「……この女の子……もしかして一緒に暮らしているの?」
ココに嫌われている、というより敵視されていることをアリシアは感じている。自分までライバル視するのは大人げないとは思うが、だからといって気持ちの整理が出来るわけではない。
「いや、俺の家はここじゃない。知っているだろ?」
レグルスにとって家は、あくまでもマラカイとリーリエ、そしてリサであった頃のアリシアと暮らしていた家のこと。この場所に泊まることはあっても、暮らしている場所、帰る場所と聞かれれば、その家を答えることになる。
「そっか……えっと……」
聞きたいことは山ほどある。何から聞こうかを考えたアリシアだったが、
「きちんと謝罪させてもらいたい。五校対抗戦の時のことは、本当に申し訳なかった」
アリシアはあくまでも付き添い。レグルスに用があるのはディアーンだ。レグルスに向かって、深々と頭を下げてきた。
「謝罪されても許す気はないから、頭を下げる必要はなかったな」
「許してもらおうとは思わない。この謝罪は、けじめだ。間違ったのであれば、それを正さなければならない。そう思った」
「自分の為か……まあ、良い。用が済んだのであれば帰れ」
レグルスのほうはディアーンに用はない。勝手に謝罪して、勝手に納得したのであれば、あとは帰ってもらうだけだ。
「一つ教えて欲しい」
「はあ?」
「どうして屋敷に住まない? もう何年も屋敷を離れていると聞いた」
「俺は質問しても良いと言ったか? お前、身勝手な奴だな」
相手がどう思っていようと関係ない。自分がやりたいことを行う。レグルスにとって、嫌いな人間に属するタイプだ。
「お前は北方辺境伯を継ぐのだろ?」
「継がない」
「えっ?」「何……?」
北方辺境伯を継がないと即答したレグルスに、問いを向けたディアーンだけでなくアリシアも驚いた。レグルスがブラックバーン家の人たちを嫌っているのは知っている。だが、そうであってもレグルスは後継者であり続けるはずなのだ。アリシアの知識では。
「誰も俺が後を継ぐことなんて望んでいない。お前もそうだ。誰にも求められていないのに、面倒な立場になろうと思うはずないだろ?」
「しかし……」
レグルスの言う通り、ディアーンは北方辺境伯の爵位を、ブラックバーン家の当主の座をレグルスが継ぐことに反対の立場だ。だが、ここまではっきりと継ぐつもりはないと言われると、それを喜ぶ気にはなれない。出来損ないだったはずのレグルスが、実は自分よりもは遥かに強いと知ってしまっては、尚更、喜べない。
「もう話はないだろ? 俺は忙しいんだ」
「……後継者を辞退してどうする?」
「それをお前に説明する義務はない。どうしようと俺の勝手だ」
そもそも北方辺境伯を継ぐことになる時まで、生きていられる保証もない。レグルスの中では、ずっと前に死ぬという前提となっている。
だから北方辺境伯を継がないと言っているのではない。様々な可能性を考えて、そうするのが良いという結論になったのだ。ブラックバーン家の公子という立場を失えば、自分に出来ることは限られる。案外それが、アリシアとサマンサアンの双方にとって良い結果を生むことになるのではないかと考えたのだ。
「……アオ、それは……」
もし本当にレグルスが後継者の座さえも捨ててしまったら。物語が変わってしまうことをアリシアは知っている。実際にどのような結果を生むかは分からない。バッドエンドではなく、アルデバラン王国の争乱の規模がゲームよりも小さなものになる可能性もあるので、アリシアはどう言えば良いのか分からなくなっている。
「……アオ、平気?」
言葉を失ってしまったアリシアとディアーン。その間に割り込んできたのは。酒場に入って来たジュードだった。
「問題ない。すぐ行く」
出かける準備を始めるレグルス。だが、その準備は物騒なものだ。剣を背中に背負っただけでなく、テーブルの上に置いていた何本もの短剣を収めた革バンドを腰に、足首にも巻いていく。
よく見てみれば、服の首元から鎖帷子のようなものも覗いている。どう考えても戦いに行こうとしているとしか思えない装備だ。
「……どこに行くの?」
「仕事」
「ちょっと、アオ!?」
「仕事」の一言だけで出て行こうとするレグルス。それを引き留めようとしたアリシアだが、それはココに邪魔された。行く手を塞ぐココ。そのココを避けて、アリシアが出口に向かった時には、レグルスとジュードの姿はすでに消えていた。