平日は、昼は学院、夕方からは道場で鍛錬。休日も午前中は道場に通い、午後からは「何でも屋」の仕事を手伝うというのがレグルスの毎日。中央学院の授業が再開されたことで、この日常も元に戻ることになった。余計なことに巻き込まれなければ、勉強と鍛錬ばかりの毎日をレグルスは続けることになる。それを苦にすることはない。力をつける為の努力は義務ではない。レグルス自身が望んで行っていることなのだ。
それでも息抜きの時間というのは必要、というより、自然にある。休日の午後がその時間だ。
「アオ~」
営業前の酒場、何でも屋の事務所でもある建物に入った途端に、ココが名前を呼びながら駆け寄って来た。レグルスの足に、ぎゅっとしがみつくココ。
「どうした? 何かあったのか?」
「…………」
レグルスが問いかけても黙ったまま、抱きついているココ。
「何もねえよ。ただ甘えているだけだ。学院が休みの間は毎日会えたのに、今は週一だからな」
レグルスに問いかけの視線を向けられたスカルが事情を説明してきた。
「そうか……元気にしてたか、ココ? いつも通り、可愛いな」
「……私、可愛い?」
「ああ、可愛い。ココは世界一、可愛いな」
「ふふ」
レグルスに可愛いと褒められて、笑顔を浮かべるココ。寂しくて拗ねていたのを、もう忘れてしまったかのようだ。
「いつも可愛いココだけど、笑っている時が一番だな」
さらにココを褒めるレグルス。
「まったく……アオはココを甘やかしすぎ。そんなんじゃあ、駄目な女になるだろ?」
それは兄のスカルが呆れるほどだ。妹は大切な存在。ずっと守り続けてきたスカルだが、近頃は、ただ可愛がるだけでは駄目だと思うようになったのだ。
「可愛いは武器だ。諸刃の剣になることもあるけど、武器は大切に磨かないとだろ?」
「意味分かんねえ。どうでも良いけど、いつまでココの相手をしているつもりだ?」
「ん? お前も抱きつきたいのか?」
「んなわけねえだろ!? 鍛錬を始めねえのかと言っているんだ!」
レグルスが顔を見せるのを待っていたのはスカルも同じ。彼の場合は、ただ会いたいというだけでなく、鍛錬の相手をしてもらいたいという理由がある。
「ああ、そうだな。ちゃんと教えたことは続けているか?」
「やってるよ」
強くなりたいという思いは、スカルもレグルスに負けていない。それが分かっているレグルスは、相手をしてやれない平日にやっておくべき鍛錬方法を伝えていたのだ。
「それが嘘か本当かは、立ち合えばすぐに分かるからな」
「さぼってねえから」
「当たり前だ。サボって基礎が出来上がるのが遅れると、それだけ道場に通うのも先延ばしになるからな」
「えっ? 道場?」
レグルスの言葉を聞いて、驚いた顔のスカル。今初めて聞いた話なのだ。
「師匠のお許しが出た。お前も弟子にしてくれるっって」
「弟子って……」
「師匠に対しては礼儀正しくしろよ? 偉そうにするような師匠たちじゃないから安心しろ。普通に教えを受ける側として、師への敬意を示せば良いだけだ」
「……おう」
かなり不安そうな答え。他人に対して敬意を示したことなどない。そうしろと言われても、どうすれば良いのかスカルには分からない。
「しばらくは俺たちの真似していろ。教えを受ければ、凄い人たちだって分かる。自然と尊敬出来るようになるから」
「それは……いや、分かった」
「アオよりも凄いのか?」という言葉は飲み込んだ。口にするのが、なんとなく、恥ずかしかったのだ。
「基本、平日は毎日夕方から鍛錬だけど、仕事がある時は休んで良い。自分の力で稼ぐというのも、お前にとっては大切なことだからな」
「そうだけど……」
生活力よりも戦う力を得ることのほうをスカルは求めてしまう。仕方がない。今、スカルに見えているのは、自分よりも遥かに強い存在という、レグルスの一面だけなのだ。
「ああ、そうだ。ココも来るか? 稽古の邪魔をしないと約束出来るなら、連れて行ってやる」
「行く~!」
道場に行けば、毎日レグルスに会える。ココに行かないという選択肢はない。大喜びのココ。そうなると自分も道場に行きたくなる人がいる。
「あの……僕は?」
カロだ。
「お前の本職は猛獣使いだろ? お前自身が強くなる必要……なくはないか。でも、まだ早いな?」
「僕も頑張って鍛錬している」
「いや、表を歩くのは早いってこと」
「ああ……」
ジークフリート第二王子襲撃事件の調査は、実質打ち切られた。だが、まだ安心するのは早いとレグルスは考えている。カロの顔を憶えている人と、偶然出会ってしまったらと考えてしまうのだ。
「でも、そうだな。ずっと籠っているだけというのもな……」
何も得るもののない日々というのは、レグルスには耐えられない。カロに自分が嫌な状態を強いるというのは可哀そうだと思った。
「……いつとは今は言えないけど、郊外に出てみるか? 獣に出会えそうな場所を探して。簡単には見つからなくても、探す為に走り回っていれば鍛錬になる」
「行きたい」
「人が訪れないような場所に拠点を作れれば良いのだろうけどな……これも考えてみるか」
カロが安全に、人目を気にしないで過ごせる場所。仲間に出来る獣がいる場所であれば、尚良い。そんな拠点を用意出来れば良いのにとレグルスは考えた。カロだけの為ではない。他のことに気を取られることなく、ただただ鍛錬だけに集中できる環境が欲しいなと、ふと思ったのだ。
「よし。調べてみよう」
そんな風に思っていながら、新しくやることが増えたことを喜んでいるレグルス。地道な鍛錬を飽きることなく続けられるのはレグルスの才能だが、新しい試みを億劫に思うことなくすぐに始められるのも才能。ただ本人は才能とは考えない。そうする以外にない、と言うだけだ。
「……なあ、聞いて良いか?」
「何だ?」
「アオはどうして、そんな色々と頑張るんだ?」
レグルスが良いところの出であることは、もうスカルも気づいている。自分とは違って、生活に困ることはない。個人の強さを追及しなくても、オーウェンのような人間が代わりに戦ってくれる。とても真似できないという思うような辛い努力をする必要はないはずだと、スカルは思うのだ。
「ああ……答えが難しいな。なんていうか……明日を変えたいと思ったら、今日を変えないとだろ?」
「……全然っ、分かんねえ」
レグルスにとって日常は、未来を変える為の、無駄に出来ない時なのだ。
◆◆◆
五校剣術対抗戦。対抗戦の名称はこう決められた。何のひねりもない名称。意味のある名称を考える時間を惜しんだ人が、学院関係者に多くいたということだ。実際にそれほど時間をかけられるイベントではない。王立中央学院が、そしてそれ以外の騎士養成学校四校も、自ら企画したのではなく、守護家からの要請を受けて、急遽行うことになった予定外のイベント。通達すべき有力家に大会の開催を知らせ、観戦参加の希望を募るだけでぎりぎり。大会名の決定に時間をかけている余裕などなかったのだ。
開催までの期間は、騎士養成学校四校が代表を決定し、王都まで移動してくるのに必要な期間。中央学院の選手たちは、騎士養成学校の参加者たちが王都まで移動している間、しっかりと鍛錬を行えるのであるから有利といえるのだが、そんな事実は王立中央学院の参加選手たちは知らない。知る必要もないことだ。条件など関係なく、その時、勝利した者が強者。それだけだ。
「……そんな、まさか」
まして中央学院側の選手が負けてしまったのだから、そのような条件など意味はない。それが優勝候補の最右翼と評価されている二年Aチームの選手となると尚更だ。
「……ごめん。油断したつもりはなかったのだけど……」
二年Aチームの先鋒はクレイグ。そのクレイグが負けてしまったのだ。クレイグ本人だけでなく、メンバー全員が信じられない結果。剣術の技量だけではまだ番狂わせはあるかもしれないが、対抗戦は身体強化系に限って魔法の使用が許されている。それで自分たちが負けるはずがないと思っていたのだ。
「勝敗は紙一重だった。俺はそう思う」
負けて落ち込んでいるクレイグを、タイラーが慰める。タイラー本人は事実を伝えているつもりだ。負けた原因は、わずかなズレ。運と言っても良いと考えているくらいだ。運もまた実力だが。
「相手はブラックバーンか」
「えっ?」
ジークフリート第二王子の呟きにアリシアが反応した。対戦相手がブラックバーン家の人間であると分かっていなかったのだ。
「アリシアは会ったことがないのだね? ブラックバーンはブラックバーンでも分家の人間だからね。会う機会はなかったか」
「分家……つまり、レグルス様の?」
「えっと……北方辺境伯の弟の孫だから……再従兄(はとこ)かな?」
「そう、ですか」
再従兄となるとアリシアの感覚では親戚という感じがしない。一気に心の距離まで遠くなってしまう。これから対戦することを考えれば。それは良いことだ。
「騎士養成学校に通っているのは意外だった」
「どうしてそう思うのですか?」
「彼の家は北部の、かなり危険な少数民族の抑えを任されていると記憶している。彼は私たちの一つ上。すでに戦場に出ていてもおかしくないからね」
騎士養成学校に通っている場合ではない。そうジークフリート第二王子が思うような少数民族と対峙しているということだ。しかも、彼の年齢で戦場に出なければならないくらいの味方の状態で。
「北部にそんなところが……」
アルデバラン王国は国内にそういった敵対勢力を抱えている。それはゲーム知識で知っていたアリシアだが、具体的なことは分からない。こういう敵と戦う、くらいの知識しか、ゲームでは与えられないのだ。
「そういう家に生まれたからこその強さなのかもね? でも、アリシアなら大丈夫。絶対に勝てるよ」
「ええ。頑張ってみる」
次鋒はアリシア。この対抗戦は勝ち抜き戦。先鋒戦で勝ったレグルスの再従兄は続けて戦うのだ。相手はすでに待ち構えている。アリシアも対戦台に進んだ。
「……私の記憶違いでなければ、君はレグルスの婚約者だな?」
「はい。そうです」
相手はアリシアがレグルスの婚約者であることを知っていた。親戚なのだから当然、というだけのことではない。
「おいおい! 我が再従弟殿は婚約者の影に隠れて逃げるのか!? それがブラックバーン本家の跡継ぎか!?」
急に大声でレグルスを侮辱し始める再従兄。彼はこれを行いたくて、アリシアに婚約者であるかを尋ねたのだ。
「逃げるって……参加選手にならなかっただけです」
「それが逃げていると言うのだ! それともあれか!? ブラックバーン本家の跡継ぎともあろう者が選ばれなかったのか!?」
「選ばれなかったのではありません! 自ら試験を受けなかっただけです!」
再従兄は明らかに悪意を持って、侮辱しているのだから当たり前だが、大声で叫んでいる。目的が何かは分からないが、アリシアは腹が立ってきた。
もともとレグルスの話を聞いて、ブラックバーン家には良い印象を持っていないアリシア。こういう何も知らないでレグルスを侮るブラックバーン家の人間は許せなかった。
「それを逃げているというのだ! そうでないと言うのなら、出て来て、私と戦え!」
再従兄の目的はレグルスを引っ張り出して戦うこと。当然、勝つつもりだ。勝って分家の自分のほうが優秀であると示そうとしているのだ。
「貴方の対戦相手は私です。私が相手します!」
「だったら私は、女の背中に隠れているような情けない男を本家の跡継ぎとは認めない!」
「アオ……いえ、レグルス様はそんな男ではありません!」
対戦出来ないなら出来ないで、徹底的にレグルスを貶めようという再従兄。そんな真似をアリシアは許すつもりはない。
「そうでないと言うなら出てこい! 出て来て私と戦え! それとも女の背中は居心地が良いか!?」
レグルスを挑発する再従兄。言葉だけでなく、実力でレグルスを叩きのめしたいのだ。南方辺境伯家、ディクソン家ほどではなくても、ブラックバーン家も個人の武に劣る者を当主に戴きたくないと思う家臣は多い。ここでレグルスが叩きのめされれば、それで後継者としての道は完全に途絶える。そう考えている。
彼は何も知らないのだ。レグルスについて。
「……お前がそこに立っていると、あいつの言う通り、背中に隠れていることになるだろ?」
「アオ!?」
アリシアのすぐ後ろに立っている男子学院生が、対戦を求めているレグルスであることさえ、分からないのだ。
「お前は馬鹿か? 俺の名前は?」
「あっ、ごめん。レグルス……様」
「はあ……もう良い。そこどけ」
わざとらしい溜息をつきながら前に進み出るレグルス。アリシアは横にずれて、レグルスに道を空けると、そのまま対戦台から降りて行った。レグルスがその気になったのであれば、自分の出番はない。そう思ったのだ。
「……レグルス?」
「お前は相手を知らないで喧嘩を売っていたのか?」
「……いや、記憶と違い過ぎていて」
再従兄の知るレグルスは九歳以前の痩せる前のレグルス。今のレグルスを見ても分からないのは当然だ。
「ああ、そうか。俺は記憶もない。誰だ、お前?」
「……何だと?」
レグルスの挑発を受けて、戸惑っていた様子の再従兄の顔が引き締まる。レグルスは事実を伝えただけなのだが、そんなことが分かるはずがない。それに、挑発であることは間違いではないのだ。
「誰でも良いか。さっさと終わらせたいから、掛かって来い」
「……ふざけるなよ」
「俺のどこがふざけている? 真面目に話しているつもりだけどな」
相手を挑発するという点では、レグルスのほうが明らかに上手。再従兄は怒りで顔を真っ赤にしている。これから戦う相手を本気にさせる挑発が必要なのかというのは微妙だが。
「さっさと終わらせるのはこちらだ!」
レグルスとの間合いを一瞬で詰めて、剣を振るう再従兄。
「なっ!?」
だが振るった剣の先にレグルスの姿はなかった。それに気づいて驚きの声をあげた直後、強い衝撃が彼の頭を襲った。
それに耐えきれず、前のめりに対戦台に倒れていく彼。
「……ば、馬鹿な」
「はい。終了」
言葉通り、あっという間に決着はついた。予定通り、レグルスの勝利という形だ。対戦台の降り口に向かって歩き出すレグルス。
「ま、待て! もう一度! もう一度、戦え!」
「はあ? お前、戦場でそれ通用すると思っているのか? お前は死んだ。もう一度なんてない」
「……それでも、もう一度だ。今度は油断しない」
「それだって同じだ。油断してようとしていまいと、急に腹が痛くなったとしても負けは負け。死んだらそれで終わり……だけど、まあ良いか。もう一度だけ相手してやる」
さっさと帰りたいところだが、実際に相手を殺したわけではない。負けた言い訳だけでなく、侮辱を続けることも相手には出来る。今のこの状況でレグルスを侮辱出来る図太い神経を持っていればの話だが。それでも、嫌々ながら相手を黙らせるために出てきたのだ。レグルスは、その目的は果たすことにした。
「……行くぞ」
実際に油断していたわけではないだろが、先ほどよりも気合いが入ったのは確か。二度と不覚は取るまいと慎重に攻めかかろうとしている。
だが、相手の時を待っていてあげるほど、レグルスは優しくない。そもそも隙を見せるつもりもない。自分から相手との間合いを詰めるレグルス。一瞬で懐に入られたことに驚き、慌てて大きく後ろに跳んだが、それだけではレグルスは振り切れない。間合いを詰められたまま、対戦台に降り立つことになってしまった。
それを予測し、先手を取ろうと剣を振るうが、それもレグルスの動きに付いて行けない。剣は空を切り、伸びた腕をレグルスに取られてしまう。
「えっ!?」
景色が回る。そう思った次の瞬間には、背中から対戦台に落ちることになった。すぐに起き上ろうにも起き上れない。いつの間にか奪われていた自分の剣が、喉元に伸ばされていた。
「……さて、それで?」
「………参った。私の負けだ」
完敗。これでもまだ強がるほどは、この再従兄は愚かではない。もともと本当の意味での悪人でもない。この時点のレグルスには分からないことだが。
降参を確認したレグルスは剣を置いて、対戦台を降りていく。
「……やっぱり、強くなっていたね?」
そこには、強い眼差しを向けているアリシアがいた。レグルスの実力を目に見える形で確認出来て、少し興奮しているアリシアが。
「まだまだだ。怪我はさせていないから遠慮はいらない」
「ええ、任せて。私も完膚なきまでに叩きのめしてやる」
レグルスが完勝といえる戦いを見せたのであれば、自分も負けるわけにはいかない。レグルスに劣ることのない圧勝で、アリシアは対戦を終わらせるつもりだ。
実際にその通りになる。その後もアリシアは勝ち続けて、この一戦は勝利。以降の試合も勝ち続け、五校剣術対抗戦は中央学院二年Aチームが優勝となった。