花祭りは、過去に何度も行われている花街最大のお祭りだ。ただこの十年、一度も開催されていない。準備にそれなりに手間がかかること。日常業務だけで十分に忙しい花街の人々にとって、結構な負担になるのだ。さらに花祭りは店側の持ち出しになる。祭りには、普段お金を落としてくれるお客様への感謝という意味があり、料理や酒などは格安で提供されることになっている。さらに働く女性たちの慰労という面まであるので、当日は商売が休み。稼ぎがないのだ。それを嫌がる店が増え、開催されていなかった花祭りが十年ぶりに開催されることになった。
実現出来た理由は、強力なスポンサーをつけたから。北方辺境伯家がそうだ。店の持ち出しがないとなれば反対する組長は減る。さらに準備の人手も借りられるとなれば、反対する理由はなくなった。
祭りを楽しむ気持ちは、ケチな組長にだってあるのだ。彼らも日常のストレスから、少しでも開放される何かを求めているのだ。
「ということですので、本日、花街内はかなり賑わっております。警護の方々はそのおつもりでお願いします」
花街の入口、大木戸橋の手前でレグルスはブラックバーン家の人々に、事前説明を行っている。説明されている側は戸惑うばかりだ。自家の公子に敬語で語りかけられても困ってしまう。
「武器の持ち込みは禁止。これは本日も例外ではございません。不安に思われるかもしれませんが、どのお客様も同じ。誰も武器を持ち込めないということですので、逆に安心です」
「……レグルス様?」
戸惑う家臣の中で、声をあげたのはジャラッド。ブラックバーン家の副騎士団長である彼は、今回も護衛として同行していた。
「何でしょうか? ジャラッド様」
「いや、ですから、その敬語です。レグルス様にそのように話されては、我らはどう対応して良いか分かりません」
「……今日の私は「何でも屋」のアオ。レグルス・ブラックバーンではござませんから」
花街ではあくまでもアオで通すつもりのレグルス。ブラックバーン家の人たちが一緒であろうと、それを諦めるつもりはないのだ。
「では、せめて敬語は止めていただけますか? こちらも頑張って、普通に話します」
「……それをお望みなら。えっと、どこまで説明したっけ? ああ、武器の持ち込み。ジャラッドは前に来たから知っているな。今回も同じ」
「……それはそれで知らない者たちは戸惑いそうですね?」
レグルス・ブラックバーンとして話す時とはまったく雰囲気が違う。そのレグルスしか知らない家臣たちは、敬語を止めてもやはり戸惑うことになる。
「これ以上はどうしようもない。続き。重要なのは絶対にブラックバーン家だ、北方辺境伯家だなどと威張らないこと。これをすれば、ブラックバーン家は王都で恥を晒すことになる。北方辺境伯の顔に泥を塗るような真似はしないように」
「それは事前にしつこいほど言い聞かせております。いや、言い聞かせた」
レグルスにジト目で睨まれて、言い直すジャラッド。事情が分かっているジャラッドであってもこうなのだ。他の家臣はもう黙っているしかない。
「俺が今着ているような服。これを着ているのは、基本、花街で働いている男衆。彼らの中には、極一部だけど、武器を持っている人もいる。花街の治安を守る為なので、文句は言わないように」
花街の男衆は、かなりの数が働くことになっている。客と女性たちを接待する側なのだ。それでも交代で休憩時間がもらえるので、普段の日よりはマシだ。
「とりあえず、こんなものかな? では行きましょうか?」
護衛を担う家臣たちへの説明は終わり。いよいよ花街の中に向かう、はずだったのだが。
「ああ、少し待ってくれるか。同行したいという人がいてな。連れてきている」
「同行ですか? それはどのような……御方かは分かりました」
同行者の話など聞いていない。誰を誘ったのか聞こうと思ったレグルスだが、その前にその同行者であろう人が姿を現した。
「アオ、久しぶりですね?」
「えっと、リズとお呼びしたほうが?」
「そうね。それが良いわ」
エリザベス王女だ。だが、まだ分かったと思うのは早い。エリザベス王女もまた付き添い。本当の同行者は別にいる。
「後ろの人は……」
「自国の王の顔を忘れるやつがおるか? 別人になりきっておっても、アルデバラン王国人であることに変わりはあるまい」
すぐに誰か分からなかったことで、祖父である北方辺境伯に怒られることになってしまったレグルス。一応、言い訳はある。いくら北方辺境伯の公子であるといっても爵位のないレグルスは、拝謁する資格がない。会場にいるな、くらいの距離感でしか会ったことがないのだ。公式には。非公式の場で会ったことは、完全に忘れている。
「……陛下を花街に連れてきます? 花街の人たちも、陛下には失礼ですが、困ってしまうのではありませんか?」
「それは、なんとかしろ」
「まさかの無茶振り。そういう人でしたか?」
北方辺境伯にとってアオとしてのレグルスを見るのが初めてなら、自分の立場を一時忘れて我儘を平気で言う祖父もレグルスが初めて知る顔だ。
「花街のほうは問題ない。内々ではあるが、訪問は伝えてある。護衛もこちらで手配済みだ」
「そうでしたか……なるほど。ちょっと失礼いたします」
国王の話を聞いて、逆に浮かない顔になったレグルス。国王に一言断って、皆から離れて行った。何をするのかと見ていれば、不意に現れた何者かと話をしている。わずかな時間だ。すぐに戻って来た。
「ではお揃いのようですので、参りましょう」
すぐに花街に向かおうとするレグルス。それに対して、誰も何も言わない。特にブラックバーン家の人たちは何も言わないということは知られたくないことと察して、国王が問いを返す間を与えずに動き出した。
「ああ、親分さんもお迎えに来ていますね」
大木戸橋の向こう側に親分の姿が見えた。レグルスが聞いていない対応なので、国王の出迎えだと判断した。
「事前にお話は伺っておりましたが、どうお迎えして良いものか戸惑っております」
事前に話は聞いていた。だがそれはレグルスに相談することも出来ない直前のことだ。花街に国王を迎えた経験などない親分は、どうすれば良いのか分からなくて、かなり困っている。
「本日の客は北方辺境伯だ。私はその同行者に過ぎない。特別な配慮は無用ものと考えるが良い」
「そう申されても……アオ、任せた」
どうして良いか分からない時は、レグルスに任せるしかない。ブラックバーン家の公子であることを頼りにしようと親分は考えた。
「絶対にそう言うと思った。俺にとっても別格な人なのですけど?」
「儂よりはマシだろう?」
「……とりあえず、先に進みましょうか? 陛下の護衛は……貴方、だけですか?」
親分と一緒に一行が橋を渡るのを待っていた人物。その人が国王の護衛だとレグルスは考えた。顔を知らないというのが一番の理由だが、それだけではない。花街の男衆とは明らかに異なる雰囲気を放っているのだ。
「部下たちはすでに配置についている」
「では、問題なしと。行きましょう」
橋を渡ったところにある門をくぐれば、そこはもう花街。お祭りが行われている場所だ。
「一応、申しあげておきますと普段の道はもっと広いです。今日はお祭りということで、特別に出店を出しております」
道の両側には出店が並んでいる。普段、茶屋でしか出ないものを手軽に食べられるようにして売っているのだ。もともと気安く入れる食堂も同じように出店を出している。それはそれで人気で、客が並んでいた。一行でそれが分かるのは、親分とレグルスくらいだが。
「おう! アオ! 食っていくか!」
そして出店の人たちはいつものように遠慮がない。誰と一緒にいようが、さすがにその中の一人が国王だと知れば変わるだろうが、レグルスに声をかけてくる。
「ああ、ありがとう! でも今は良いや! 後で頼む!」
「おお! じゃあ、待っているからな!」
さすがに国王一行をほったらかしにして、立ち食いというわけにはいかない。
「アオ! 楽しんでいるか!? 今日は……おい、てめえ! その娘は前に連れて来ていた娘じゃねえか!?」
「あ、ああ、まあ」
中にはエリザベス王女を覚えている人もいる。王女であることは知らないままに。
「この野郎! てめえばっかり、どうしてモテる!? ズルいぞ!」
「ち、ちょっと俺、今、仕事中!」
声を掛けるだけでなく絡んでくる男、笑いながらレグルスの首を絞めようとしている。
「今日は祭りだ! 仕事なんて忘れちまえ!」
「て、てめえ! 酔っているだろ!」
「酔って何が悪い! 今日は十年ぶりの祭りだぞ!」
相手の男はすっかり酔っぱらっている様子で、周りの様子にまったく気が付いていない。さすがに自家の公子の首を絞めるなどという真似は許しておけない。男を引き離そうと動いたジャラッドだったが。
「いつもあんな調子ですから」
「オーウェンか」
その動きをオーウェンの声が止めた。
「いちいち咎めていたら、この辺りにいる者たち全員を締め上げなければならなくなります。放っておいても大丈夫です」
放っておくべき。あれは二人とも楽しんでいるのだということをオーウェンは知っている。ただ黙ってやられているだけのレグルスでもないことを。
「痛いって言っているだろ! この馬鹿!」
その通り、レグルスは首を絞めていた男を地面に放り投げてしまう。当然、手加減をして。投げられた男は笑いながら立ち上がると、今度はレグルスに抱きついて、背中を叩いている。それが終わりの合図。「じゃあ、またな」と言って、歩いて行った。
「……いつも、あの様なのか?」
「酔っぱらっているから、いつもよりも更に質が悪いですね。まあ、あいつはあんな感じか」
さすがに北方辺境伯も驚いている。どこに平気で、北方辺境伯家の公子の首を絞める庶民がいるのか。それが花街では、素性を知らないとはいえ、普通だというのだから驚くに決まっている。
「あれで、良いのか?」
レグルスが我慢していることが北方辺境伯には不思議だった。彼が知るレグルスは、ああいう真似は決して許さない。冗談が通じない相手だったはずなのだ。
「はい? ああいう奴ですから。どんな時でも変わらない態度で接してくる。あいつなりの気遣いというやつです」
「あれが気遣い……」
「まあ、こんな俺でも色々ありましたから。元気な時も、酷く落ち込んでいる時も変わらないでいてくれるというのが、ありがたいことだと教わりました」
「そうか……」
マラカイとリーリエを失って、ひどく落ち込んでいた時も、復讐を初めてギラギラしていた時も同じように接してきた。近づくのを躊躇う人がいる中で、変わらないでいてくれた一人なのだ。
「さて、俺のせいで遅れていますね。オーウェン?」
「問題ありません」
「分かった。では、少し急ぎましょう」
前を進む足をわずかに速めるレグルス。といってもそれほど大きく変わるわけではない。国王を速足で歩かせるわけにはいかない。その必要もない。
「……予定通りなのか?」
歩きながらジャラッドは、小声でオーウェンに声をかけた。オーウェンが同行する予定は聞いていなかったのだ。
「少し変更があります。閣下の護衛を強めました」
「何か、問題が?」
「問題と言いますか、陛下が同行しているとなれば、閣下の護衛が疎かになる可能性あるとレグルス様が申されたので」
国王の護衛として付いてきた者たちはもちろんのこと、花街の護衛も国王を優先する可能性が高い。レグルスはそれを考えて、自分たちは北方辺境伯の護衛に集中することにしたのだ。
「なるほどな。つまり、お前だけではない?」
「はい。周囲に展開しております」
口で言うほど花街を安全だとはレグルスは考えていない。誰が来ているか分からない。武器の持ち込みは禁止されていても、その気になればいくらでも方法はある。襲撃は可能なのだ。
それに備えて、レグルスは護衛を展開させている。この場にいないジュード、そしてエモンとその仲間たちだ。
「……そうか」
ブラックバーン家の出来損ないという評価は間違いであることを、すでにジャラッドは分かっている。その上で、さらにレグルスがどれほどのものなのか。今回はそれを確かめたいと思っていた。ほんの少しだが、それを見ることが出来た。
そしてレグルスについて探りたいと思っているのは、ジャラッドだけではない。
「我ら以外にも周囲に展開している者どもがおります。花街の者とも違います」
「ブラックバーン家だな」
王国諜報部でも花街でもなければ、残るはブラックバーン家。国王はそう考えた。
「ブラックバーン家はブラックバーン家でもレグルス殿の手の者ではないかと」
「……なるほど。どれほどの者たちか分かったか?」
「姿を現したのは味方だと分からせる為だと思われます。実際の力量は何事か起こらなければ分からないかと」
「起こってもらうわけにはいかないな。分かった」
国王が北方辺境伯の誘いを受け入れたのは、一度は花街を訪れておきたいという理由だが、いざ訪問が決まるとそれだけでは終わらない。何かと気になるレグルスがどのような人物かを確かめておきたいという思いもあった。
今のところは、なんとも掴みどころのない人物というところだ。
「じゃあ、親分さん、あとはお願いします。オーウェン頼むな」
花街の奥まで進んだところで、レグルスはこんなことを言い出した。
「同行しないのか?」
北方辺境伯はそれに驚いている。レグルスが離れることは、事前に知らされていなかったのだ。北方辺境伯がそう思っているだけだが。
「一度、離れます。喧嘩祭りに参加しますので」
「ああ、我らも見学する催し物か」
喧嘩祭りについては、祭りの催し物として聞いていた。それを一行は見学する予定になっている。
「では、時間が迫っていますので」
実際に時間がないようで、レグルスは全力で駆け出していく。喧嘩祭りはトーナメント戦。北方辺境伯一行以外にも一般客が見学するので、きちんとスケジュール通りに進めているのだ。
「事前に聞いてはいたが、本当に参加するのだな」
まさに喧嘩、という対戦だと聞いている。それにレグルスが参加するというのが、話は聞いていたが、北方辺境伯はまだ信じられないでいる。
「花街の花は美女と喧嘩と申しまして、祭りにも喧嘩は欠かせません。そしてアオは、失礼、アオと呼ばせてもらいますが、その花をさらに彩る男ですので」
レグルスがいなくなれば説明役は、元々そうでなければならないのだが、親分が努めることになる。
「花を彩る男……?」
「御覧になられれば分かります。では、会場にご案内いたします」