何かがおかしい。ようやくレグルスは、こんな風に考えるようになった。周りにいる人たちにしてみれば、何を今更だ。
レグルスはモテる。想いに強弱の差はあっても、彼に好意を持つ女性は少なくない。婚約者であるアリシアは別にしても、フランセスとエリザベス王女、そして周囲はエリカも怪しんでいる。さらに花街の、これを知っている人は極少数だが、百合太夫と朝顔太夫。朝顔も名はそのままに太夫になった。それ以外にも、学院生の中で好意を向けている女性は一人二人ではない。さらに、これは数に入れるかは微妙だが、ココのレグルスに対する甘えも、かなりのものだ。女性としての好意からの行動とは違うかもしれないが。
そうであるのにレグルスにはモテているという自覚がない。それが周囲は不思議で、許せなくもあった。
ただレグルスにも言い分はある。周囲はまだ認識していないが、近頃接近を図ってくるサマンサアンは間違いなく何かを企んでいる。フランセスも恋愛ごっこの相手として。エリカはそもそもそういう相手だと思っていない。百合太夫と朝顔太夫は幼馴染として、お互いに好意を持っているというだけ、とレグルスは勝手に思っているのだ。
純粋な恋愛感情を向けている女性は誰もいない、はさすが無理があるが、と思っているのだ。レグルスがおかしいと思っているのはモテることではなく、女性のほうから近づいてくること。これもまた今更だが、そう思うきっかけが出来たのだ。
「……何を考えています?」
以前にサマンサアンに向けたと同じ質問を、今度はキャリナローズに言う羽目になったのだ。
「別に」
「何も考えていない人が腕組みます? ここ学院の廊下ですよ?」
キャリナローズと二人で話すのは、それほど珍しいことではない。だが今日の彼女はレグルスの腕に自分のそれを絡めてきた。明らかにおかしな行動だ。二人は学院の廊下で話しているのだ。そうでなくても、そんな真似をするキャリナローズではない。
「別に良いじゃない。私と君の仲なのだから」
「どういう仲でした? キスは寸前で止めたつもりですけど?」
しかもそれは恋愛とはまったく関係のない行動。駆け引きを行っただけだ。
「私をきつく抱きしめた。あんな風にされたの私、初めて」
「……ああ、やっと分かった。キャリナローズさん、時々、馬鹿になるのですね?」
すぐにレグルスはキャリナローズの意図を理解した。理解したが、まったく意味のないことだと思っている。
「はい? 馬鹿は失礼じゃない?」
「だって、学院にいる間だけ誤魔化して意味あります? 問題になるのは卒業してからですよね?」
自分の恋愛対象が女性であることを誤魔化す為。だがそれをすることに意味はないとレグルスは思う。卒業すれば結婚の話が必ず出てくる。それをどうするかが問題なのだ。
「何の話かしら?」
「ここで惚けたら話が進まないから。まったく……じゃあ、絶対に口外しないと誓う。これで良いですか?」
「だから何の話?」
口外しないと約束されても、それを信じられない。レグルスの話に乗る気にはなれない。
「……じゃあ、何も知らないということで、キャリナローズさんの誘いに乗れば良いですか? 俺はキャリナローズさんなら抱けると思います」
「ば、馬鹿じゃないの!」
腕を組むくらいであれば、そうしようと決めてきたのだから、何とも思わない。だが、それ以上の話をされると恥ずかしくなってしまう。恋愛対象がどうかは関係なく、そういう話を普通に出来るほどキャリナローズは大人ではないのだ。
「ほら、そうやって真っ赤になると……あっ、これがツンデレ? キャリナローズさんはツンデレなのか」
「……何なの? そのツンデレって」
「普段はツンと澄ましているのに、恋愛になるとデレデレと甘える人のことらしいです。まさにキャリナローズさんですね?」
アリシアが時々使う意味不明な言葉。ツンデレはそのひとつで、その意味をレグルスは教わっていた。こういう言葉はいくつかある。レグルスが自分と同じ異世界からの転生者であることを疑ったアリシアが、試す為にわざと口にしていた時期があるのだ。
「……馬鹿にされているみたい」
「いや。魅力の一つみたいですよ? 周りから取っつきにくいと思われている人が、自分だけに甘えてくるって悪くないですよね? 特別感があります」
「それは、そうかもしれないけど」
説明されれば、そう悪いことではないかもしれないとキャリナローズも思う。だが自分がそれだというのは、なんとなく受け入れ難いのだ。
「ほら、デレて。俺だけにデレを見せてください。ほらほら」
「殺す」
揶揄う材料を見つけたレグルスは、すぐにそれを使ってきた。
「ツンのほうか。まあ、良いですけど」
「……いつ、そういうの覚えたの? ツンデレって言葉じゃなくて、そういう人を揶揄うやり方」
「勉強したつもりはありません」
「一応、昔から知っているつもりだけど、今の貴方は別人みたい。幼馴染という感じが……いえ、今のほうが幼馴染感はあるわね。不思議」
こうして話をしているレグルスは、昔から仲が良かった幼馴染のよう。そう思えるくらいの親近感を覚える。実際に幼馴染ではあるが、かつてのレグルスにはそういう感覚がなかった。それをキャリナローズは不思議に思った。
「幼馴染と言えるような相手がいたのですか? 小さな頃から知っているということではなく、その幼馴染感というのを昔から感じていた相手が」
昔から知っている相手というならレグルスとキャリナローズはそうだ。タイラー、クレイグもそう。ジークフリート第二王子だけでなくジュリアン第一王子とエリザベス王女もそういう関係だ。だがレグルスには、キャリナローズが言うところの幼馴染感がある相手はいない。そういうものを感じるのはアリシア、百合太夫と朝顔太夫といった転生後に知り合った人たちなのだ。それ以前の記憶は失っているので、当然ではある。
「……いるような、いないような。最初はそうだったけど、ある日、気が付いたの……好きだって」
「初恋相手ということですか……」
そして恐らくは、初めてキャリナローズが自覚させられた相手。それを誰と聞くわけにはいかないだろうと、レグルスは思った。
「貴方の初恋は? アリシアがそうなの?」
「それ言う必要あります?」
「私ばかり話すのは不公平だわ」
「いや、何も話していないと同じだから。俺も詳しくは聞かないでいたのに」
キャリナローズが話したのは初恋相手がいたというだけのこと。そんなものは秘密でも何でもない。それを聞いたからといって、自分のことを話す義務は生まれないはずだとレグルスは思っている。
「まさか……アリシアではないの? えっ、じゃあ、誰? もしかして、私?」
「キャリナローズさんも人を揶揄うの上手ですね?」
「揶揄っていないから。貴方が昔から知っている他家の女性なんて王女殿下と私しか、あっ、もう一人いたわ」
守護家にはもう一人、同い年の女性がいる。サマンサアンだ。その存在をキャリナローズは思い出した。
「そのもう一人は違いますから」
サマンサアンを初恋相手だと思われるのは、なんとなく嫌だった。彼女を嫌っているのではない。この先、サマンサアンとの関係はどうなるか分からない。過去の人生のようになる可能性もある。そうなった時、初恋の相手だから味方しているのだと、なんとなくだが、思われたくないのだ。
「……そう。そういうことね。分かったわ」
「勝手に納得しないでもらえます?」
「だって、他にいない」
サマンサアンははっきりと違うと言った。自分もまず間違いなく違う。そうなると残るはエリザベス王女。こうキャリナローズは考えた。まったく気付いていなかったが、二人は幼い頃に好き合っていたのだと。
「選択肢が限定され過ぎ。世の中に貴女たち三人しか女性がいないわけではありません」
「だとすると……使用人とか……あとは……」
「考え事に夢中になるのは結構ですが、いつまで腕を組んだままで? もう十分だと思いますけど?」
周囲の視線はもう十分、二人に集まっている。レグルスとキャリナローズ、まさかの、そして新たな組み合わせに周囲は興味津々な様子だ。少なくとも、今この時は、キャリナローズの思惑通りに進んだ。あくまでも今この時だけであるが。
「言い訳が必要ならご自分でどうぞ」
「言い訳なんて必要ないわ」
「それはアリシア次第ですよね? 俺に詳しい事情を話されたくないでしょうから、ご自身で対処してください」
「あ、ああ……分かったわ」
遠巻きに二人を見ている学院生たちの中には、涙目でこちらを睨んでいるアリシアもいた。間違いなく言い訳が必要な状況。キャリナローズにもそれが分かった。
◆◆◆
国王は、居住空間に近い場所にある応接の間に、客を迎えている。王都を訪れた北方辺境伯だ。わざわざこの場所を選んだのは、北方辺境伯が王都に来た目的を知っているから。公的な色が薄れる場所で会いたいと考えたからだ。
部屋にいるのも国王と北方辺境伯の二人だけ。実際は護衛として諜報部長が控えているが、その存在は感じられない。仮にそれを知っても北方辺境伯は何とも思わない。当然の処置だと思うだけだ。
「……これが最後となります」
「そう言わず、長生きしてくれ。伯は王国の支えだ」
「その役目は代々受け継がれてきたものです。私が退く時がきて、代わりが立つだけ。そうして王国は続いてきたのです」
代々の辺境伯が王国を守ってきた。支えであることを否定することはない。辺境伯家の重要性を、国王には理解してもらいたいのだ。
「……確かにその通りだ。だとしても伯に長生きして欲しいという気持ちに変わりはない」
「ありがたいお言葉。そのお気持ちだけで十分です」
「今更だが、無理して王都まで来る必要はなかったのに」
体調が悪い中、無理して王都に来る必要はなかった。領地で安静にしているべきだったと国王は思う。辺境伯家は王国にとって脅威ではある。だが、支えであるという言葉にも嘘はないのだ。
「最後に我儘を通したいと思いました。失礼ながら、陛下に最後のご挨拶をすることだけが目的ではないのです」
「その我儘とは?」
寿命を縮めるリスクを冒してでも通したかった我儘。それがどういうものか国王は気になった。
「……花街に遊びに行く予定です」
「なんと?」
「北方辺境伯家の者として、ブラックバーン家の当主として、他家に侮られないような生き方をしてきたつもりでした。だが、最後の最後になって、それは正しいことだったのかと思いまして……ただの未練かもしれません」
「……なるほど。気持ちは分からなくもない」
花街で羽目を外して遊ぶ、なんてことは国王も出来ない。花街でなくても、国政を蔑ろにして遊びに夢中になっているなどと思われるような行動をとることは出来なかった。北方辺境伯の思いは理解出来る。
「陛下もご存じかと思いますが、私の孫はかなり常識から外れた生き方をしております。その一端でも見てみたいという気持ちもあるのです」
「だから花街か」
レグルスと花街の関係は国王も知っている。北方辺境伯家の人間がそこまで深い関係になって良いのかと懸念するくらいのものだ。
「……あれはブラックバーン家には収まらないかもしれない人間です。もし、そうなったら、どうされますか?」
「どうというのは……もしかして、リズのことか?」
「次の次に北方辺境伯となる孫は、王女殿下の夫にはなれません。これは私がどう考えようと変わりません」
ブラックバーン家に王女を迎え入れるつもりはない。当主である北方辺境伯に受け入れるつもりはあっても、それは通らない。当主であっても何もかも思い通りに進められるわけではない。まして、その当主の座はもうすぐ別の人間、北方辺境伯にとって息子のものになる。
「ブラックバーン家は長幼の序を無視するつもりなのか?」
「あくまでも可能性。そうなった場合に陛下がどのようにお考えになられるかを尋ねているだけです」
「……ブラックバーン家を離れて何者でもなくなった男に、娘を嫁がせろと?」
ブラックバーン家を離れたレグルスは、エリザベス王女の夫に相応しい人物か。財政面だけでも国王は不安に感じる。娘に苦労させたいと思うはずがない。
「嫁がせろとは申しておりません。可能性はないのであれば、そういうことだと受け取ります」
「……何故、二人のことをそこまで気にする?」
これが最後の対面。そう言っている北方辺境伯が、何故、エリザベス王女とレグルスとのことを話題にするのか。それが国王には分からない。もっと重要な話があるはずなのだ。
「ただ祖父として気にしているだけです。孫は生まれた時から色々ありまして、家族の温かみというものを知りません。それは私のせいでもある。その償いの思いがあるからです」
「……詳しい事情は、聞けないのだろうな?」
レグルスについて北方辺境伯が言うような情報を国王は知らない。これまで明らかにしてこなかった出来事であれば、ここでも詳細を話すことはないだろうと思った。
「我が家にとって恥ずべきことですから。正直申し上げて、王女殿下であれば孫と良い家庭が作れると思っているわけではありません。個人の感情よりも王家を、国のことを優先する。そのようにお育てになられたはずですから」
「一人の女性としての幸せを得られることを、私も望んでいる。ただ、それは伯の孫なのだろうか? 平穏という言葉は、彼とは遠いところにあるのではないのか?」
「……そうかもしれません。難しいですな。そういう孫であるから、特別な女性でなくては駄目なのではないかと思うのですが、そうなるとますます普通からはかけ離れてしまう」
レグルスは普通の人生を歩まない。北方辺境伯にも、もうそれが分かっている。そうであるから彼の隣にいる女性もまた、普通では付いていけない。そう考えて、エリザベス王女ならもしや、と思ったのだが、それは更に二人の人生を波乱万丈のものにするだけ。国王と話していて、北方辺境伯はそれに気が付いた。
「伯はこの先、世が乱れると思うか?」
「先を見通す力は私にはありません。ただ、その予兆はあるように感じております」
「そうか……伯もそう感じているか」
王国のあちこちでなんとなく不穏な空気が流れている。具体的に何かが起きているわけではない。だが、北方辺境伯が言った予兆のようなものを、諜報部も掴んでいるのだ。
未然に防ぐことが国王の役割。だが、果たしてそれは可能なのか。未来視の能力を持たない国王だが、先行きに不穏なものを感じているのだ。
「王国は何度もそういう時代を乗り越えてきました。乗り越えられる力を生み出してまいりました。それを信じても良いのではありませんか?」
「乗り越えられる力か……そうであって欲しいが……」
それは自分ではない。自分は乱世に向いた人間ではないと国王は思っている。乱世の始まりは、自身が退く時になるのではないか。北方辺境伯の言葉は、それを示すものになってしまう。信じる、という思いだけでは終わらない。
「……よろしければ、陛下もご一緒にいかがですか?」
そんな国王の憂いを、北方辺境伯も感じ取っている。国王がどういう人物かは良く理解している。北方辺境伯として、そうでなければならなかったのだ。
「一緒にというのは?」
「花街に行きませんか? もちろん、お忍びで」
「いや、それは……それは……」
そんなことが出来るはずがない。これをはっきりと言葉にすることを国王は迷った。本当に無理なのか、と考えた。花街で遊びたいという欲求からではない。花街と王家は特別な関係にある。そうでありながら一度も花街を訪れたことがないのは、どうなのか。そう思ったのだ。
「事が露見した場合は、この私の最後の我儘に付き合っただけということにすればよろしい。死後に何かを言われても、私は何も困りません」
「……少し考える時間が欲しい」
「問題ありません。お忍びですから、事前に伝える必要はございません」
本当に国王がお忍びで花街を訪れることになれば、レグルスも含めて皆が驚くはずだ。それで構わないと北方辺境伯は思っている。これは我儘。周りに気を遣うことなく、自分が楽しければ、それで良いのだ。今回、北方辺境伯はそう決めていた。