ジークフリート第二王子暗殺未遂事件の影響で、王立中央学院はしばらく休み。空いた時間をレグルスは道場と「何でも屋」の仕事にあてた。当初は自主鍛錬の時間も増やすつもりだったのだが、それは断念。時間がたっぷり取れると分かった師匠たちが張り切り過ぎて、道場での稽古だけで体力的にいっぱいいっぱいなのだ。
結果、体を休める時間を日中にも取ることにしたレグルス。だからといって、ただ寝ているだけでいられるはずがない。
「駄目駄目。もっと周囲を把握しないと。スカルは視野が狭すぎ」
酒場でスカルたちに稽古することにした。
「店が狭すぎんだ」
レグルスたちはテーブルや椅子を片付けることなく、そのままの状態で稽古をしている。それらが邪魔で、スカルは思うように動けないのだ。
「言い訳はいらない。敵がわざわざスカルに有利な場所を選んでくれるはずないだろ?」
「それは、そうだけど……」
「ちゃんと敵の攻撃を見極めれば、この場所でも戦える。それをしないで大きく動こうとするから駄目なんだ」
テーブルを片付けないのは、そういう稽古だから。狭い空間で敵の攻撃を防ごうと思えば、きちんと受け止めることが必要。それをスカルに学ばせようとしているのだ。
「避けられるなら避けたほうが良くないか?」
「もちろん。ただし、最小限の動きで、という条件が付く。言葉で説明するだけではあれだろうから、ちょっとスカルから攻撃してみろ」
「……おう」
初めて出会った時は、まったく自分の攻撃は通用しなかった。今なら、というほど強くなったとはスカルは思っていない。レグルスがどう動いて自分の攻撃を避けるのか。それを確かめられるのが楽しみなのだ。
少し緊張した面持ちのスカル。「よし」と小さく呟いて気合を入れると、レグルスに殴りかかった。
「はい。こんな感じ」
「えっ……?」
後頭部を軽くこづかれた感触。スカルには何が起きたのか分からなかった。
「大きく動いて避けると、反撃するにも大きく動く必要があるだろ?」
「今のどうやって?」
「そんなに複雑なことはしていない。ただ横に避けただけだ。あとはお前が勝手に目の前に来たので、俺は背中側から攻撃しただけ」
実際にそれほど難しいことは行っていない。スカルの技術がまだその程度だというだけだ。
「避けただけ……」
「自分がいかに相手の動きを見ていないかが分かっただろ? 攻撃でも防御でも、きちんと相手の動きを捉えていないと」
「……そうか」
腕っぷしには自信があった。誰が来ても妹を守れると思っていた。だがそれは思い上がり。自分は極めて狭い世界で、調子に乗っていただけだとスカルは思って、情けなかった。
「そんなに落ち込むな。お前は運動神経に優れている。俺の昔に比べて、遥かに優秀だ。ただ、才能だけに頼っていては駄目だってだけだ」
「……俺は強くなれるか?」
「努力を続ければ必ず。お前には、人にはない才能がある。それについては自信を持って良い」
我流どころか何の鍛錬もしていないのに、スカルは妹を守る為に戦い、それに勝ってきた。才能があるのは間違いないとレグルスは思っている。ただレグルスは、才能だけでは届かない領域があると考えているのだ。
「才能……」
落ち込んでいた気持ちが一気に軽くなる。レグルスに褒めてもらえたのが嬉しいのだ。
「アオはスカルに甘いね?」
その様子を見ていたジュードが口をはさんできた。レグルスには、基本的にこれで十分というところがない。自分にも他者にも厳しいはずなのだが、スカルにはいつもとは違った対応をしている。それを羨む、というほどではないが、疑問に思っているのだ。
「そうか? 事実を言ってるだけのつもりだけど……少しは甘いか」
「少しね?」
その評価がすでに甘いとジュードは思う。ただレグルスのこれは、「努力するかしないかはスカルが決めること」という思いがあるから。自分の人生に巻き込むつもりがないからだ。
「ということで、後は頼むな」
「ということって、どういうこと?」
「ジュードにとっても弟みたいなものだろ? たまには面倒見てやれ。俺はカロの相手もしてやらないといけないから」
「カロ?」
カロという人物をジュードは知らない。
「新しい居候。カロという名前で戸籍申請したから、今後はカロと呼ぶように」
猛獣使いの男の子のことだ。戸籍登録申請をする上でレグルスは、もちろん了承を得た上でだが、新しい名前を使うことにした。戸籍登録は別人になる為でもある。偽名を公式のものとしたのだ。
「カロ、カロ…………ああ、森の神マカロン?」
スカルと彼の妹のココの名は神の名の一部を使っている。それを知っているジュードは、カロという名はどの神からつけたのかと考えた。
「そう。獣の神とかいれば良かったのだけど、そう都合良くはいかなくてな。じゃあ、よろしく」
そのカロはすでに少し先で立って、レグルスを待っている。稽古をしてもらえると分かって嬉しそうな様子のカロ。待たせるのは可哀そうだと思って、レグルスは話を強引に終わらせてしまった。
「……弟ね」
残されたジュードとスカルは気まずそうだ。
「別に無理して弟扱いしてもらわなくて良い」
「初めから無理するつもりはないから。ただ……あまりにも似ていない」
「弟いるのか?」
ジュードの言葉はそれを示している。興味を惹かれた、というほどではなく、他に話すことがないからスカルはジュードの弟について尋ねたのだが。
「……いる、じゃなくて、いた」
「あっ……悪い」
「別に。ただその点で僕はアオと同じ気持ちだ。僕は守れなかった。頑張って守ってきたお前を応援したい気持ちは、一応はある」
ジュードも弟を守れなかった。救う力がなかった。その点でレグルスと同じ思いを、スカルに対して持っている。性格の違いで、レグルスのように積極的に何かをしようとはしないが、気にはしていたのだ。
「殺されたのか?」
「そう。屑みたいな男にね。まっ、それを何も出来ずに見ていた僕も屑だけど」
「その弟を殺した屑は、生かしたままなのか?」
スカルのほうも似た境遇であると知ったことで、ジュードに対する心の壁が低くなっている。ジュードの弟を殺した人物を憎む気持ちが湧いていた。
「殺した。苦しんで苦しんで、もう殺してくれと懇願してくるまで痛めつけてね。あれは少しだけ、スーっとしたな」
「スーとするのか?」
「僕はね。そんな風に感じないほうが良いと思うよ。人の死に様を楽しむようになったら、最悪だよ」
その最悪が自分。ジュードはそんな風に思っている。人が死ぬ瞬間を、それも死の恐怖に怯える様を求めていながら、そんな自分を強く嫌悪している。
「俺は……その最悪だ」
自分に人を殺せる力があることを喜んでいた。自分の強さに優越感を感じていた。自分を蔑んでいた奴らが地に伏して自分を見上げている姿が、それを見下している自分が、好きだった。
「……そう。だったらお前もアオの側にいれば良いよ」
「側にいるとどうなる?」
「人を殺せる。それと……こんな自分でも、生きていて良いんだと思える」
「……そう、か」
ジュードが伝えたいことの半分もスカルは理解していない。理解出来るはずがない。それは、レグルスの側にいなければ分からないことなのだ。
◆◆◆
アリシアの日常も変わっている。学院での授業がなくなった分を、アリシアの場合は白金騎士団としての鍛錬に充てることとなった。個の力を高めるだけでなく、騎士団としての訓練も加わることになる。やるべきことは沢山あって、学院の臨時休業によって空いた時間を埋めるには十分だ。
訓練の質も高い。白金騎士団の訓練は、王国騎士団の施設を使って行われている。学院の施設と同じか、それ以上の対魔法措置が施された訓練場、広大な騎乗訓練場、そして、常にとはいかないが、王国騎士団の騎士からの指導も受けられる。アリシアにとってはこれ以上ない鍛錬環境だ。
その結果、ジークフリート第二王子と過ごす時間も増えることになる。
「どうだろう? 口に合うかな?」
「口に合うか、なんて……こんな美味しい料理を食べたのは初めてだわ」
朝から夕方まで、ずっと訓練を続けているということにはならない。休憩時間があり、その時間は二人だけの語らいの場となる。当然、そうなるようにジークフリート第二王子が周囲を動かしているからだ。
「アリシアは何を食べても喜んでくれる。料理人も嬉しいだろうね?」
「本当に美味しい料理だわ。きっとジークは食べ慣れてしまったのね?」
料理を褒めているのはお世辞ではない。王家に供される食事なのだ。美味しくないはずがない。元の世界の食事のほうが美味しい、ということもない。ゲームの世界に時代や食材の良し悪しなど関係ない。城の食事はどこよりも一番美味しいという設定だから、美味しいのだ。
「そうだとしたら反省しないといけないね? 食事のありがたみを忘れてしまっているようでは、国民の気持ちを理解出来ない」
「そう思えることが大切なの。異なる環境で生まれ育った人のことを理解するのは簡単ではない。理解したいと思うだけでも素晴らしいことだと思うわ」
アリシアのジークフリート第二王子に向けての態度も、かなり柔らかくなってきた。さすがにレグルスに対するようには、それをしては貴族であることを疑われてしまうので、いかないが、必要以上に気を遣うことはなくなっている。
「料理人だけでなく私のことまで褒めてくれる。素直に喜んでおくよ」
「本当にそう思っているから。本気で世の中を良くしたいと思うジークがいて、この国の人々は幸せだと思う」
ジークフリート第二王子の存在は、アルデバラン王国の光。動乱を乗り越える力になる。それをアリシアは知っている。
「でも、思うだけでは駄目だね?」
「……そうね。具体的な行動を起こさないと。でも、それはもう少し先の話ね?」
アリシアたちが活躍するのは王立中央学院を卒業してから。騎士として働くようになってからだ。それまでは、ひたすら自分たちを鍛える。こうアリシアは考えている。
「そういえば、王国の状況だけど」
「何か分かったの?」
それでもアリシアは、わずかなことでも出来ることはしておきたいと考えた。実際はジークフリート第二王子に頼りっきりであるとしても。
「分かったというほどの情報はない。ただ、なんとなく不穏な様子を父上も感じているみたいだ」
「……不穏な様子というのは?」
今はまだその程度の状況かもしれない。逆に、すでにそう感じ取れるくらいの状況になっているとも言える。この時点での王国の問題については、アリシアの知識にはないのだ。
「詳しいことまでは教えてもらえなかったけど、気になる動きが王国のあちこちであるという状況みたいだね。たとえば、以前から反抗的だった少数民族に武器を買い集めている様子があるとか、貴族家の内輪もめが周囲にも分かるくらいに大きくなっているとか」
「そう……そういうことが起きているの」
アリシアには心当たりがある内容。少数民族や貴族家の反乱鎮圧は、騎士になってからのイベントである。数年後に起こる争乱の兆候、すでに見え始めているということだとアリシアは理解した。
「偶然なのか、それとも何か理由があるのか。理由があるとすれば、それは何だろう?」
「長く続く戦乱は、たとえ勝っていても人々を疲弊させるものだわ。長い間に少しずつ積もり重なった不満が、悪い方向に動き出しているのかもしれない」
「戦乱か……ひとつひとつの戦場で勝ったからといって、国民が何かを得るわけではないからね。恩恵を受けられるのは、戦争そのものに勝って、平和な時代になってからだ」
一つの戦いに勝って、前線が進んだからといって、国民には得られるものはない。国民が何も得られないまま、戦争だけが続いているのが今の状況だ。アルデバラン王国が拡張を続けていた時代とは違い今は、決定的な勝利、敵国を滅ぼすなんて結果は、簡単に得られるものではないのだ。
「戦争そのものを終わらせるのは難しいの?」
「今のアルデバラン王国は周辺国全てと戦争しているような状態だからね。全面戦争となると、負けることはないだろうけど、苦しい戦いになる。相手の隙を見つけて、少しずつ削り取るという戦い方をしている」
それは敵国も同じ。自国だけがアルデバラン王国と本格的な戦闘状態になるような事態は、絶対に避けなければならない。では周辺国全てで協力して、というわけにもいかない。そこまで信頼関係が出来ているわけではない。自国を守る為に裏切ってアルデバラン王国に付く国があっても、おかしくないくらいの関係性なのだ。
「周辺国との全面戦争を行うには、最低限、国内がひとつにまとまっていなければならない。でもそれが出来ていないのね?」
「その通り。まずは国内の問題を解決するのが先だ」
これはゲームで定められた通り。そして国内問題には、四辺境伯家も含まれる。王国と守護家の間では相互信頼が成立していない。四辺境伯家は常に王国の動きを疑い、その不安に備える為に、隣国との戦争に余力を持って臨もうとする。王国も四辺境伯家を疑っている。隣国と協力して辺境伯家が独立を図る、もっと言えば王国を奪おうとする可能性を考え、全面戦争には踏み切れない。王都を、王国中央を守る軍事力を、隣国との国境に散らせることを躊躇ってしまうのだ。
この状況を解決するのがアリシア、そしてジークフリート第二王子だ。国内問題を次々と解決して王国を一つにまとめあげ、隣国の脅威を討ち払うことになる。その前に動乱を経ることにゲームではなっているが。
現実にはどう物事は進むのか。まだアリシアには分からない。