教会による花街での事前活動。王国の許可が得られるとすぐに準備は進められた。派遣する医師を集めるのは難しいことではない。教会には医療知識がある人たちがそれなりの数いる。慈善事業としての医師の派遣は、以前から行われている。それ以上に、小国乱立の戦乱時代から、戦場への医療スタッフの派遣は教会の重要な使命とされていた。そういった命がけの活動が、信者を増やせた理由であった。その組織は今も教会に残っているのだ。
準備が必要だったのは清掃作業。清掃を行う必要があるのはどれくらいの広さの場所で、どの程度、人手が必要となりそうかを見積もる為に、現地を確認する必要があった。それが思いの外、大変だったのだ。
現地調査そのものが大変というわけではない。その結果が教会の想像を超えていたのだ。寝たきりの人も少なくない。そういった人の面倒を見てくれる人はいても、せいぜいわずかな食べ物を届けるだけで、掃除などしてくれない。ゴミの中で病人が寝たきり。そんな場所がいくつもあったのだ。
そこから準備は加速する。準備すべきことは予定よりも増えたが、そのような悲惨な状況を長く放置しておくわけにはいかない。教皇のその意思が、教会組織の動きを活発化させたのだ。
そして当日。仲介役のレグルスも、本人にとっては困ったことに、花街を訪れている。
「本当に来た」
木戸大橋に立つレグルス。その視線の先には、王家の紋章が描かれた馬車が止まっている。エリザベス王女が到着したのだ。
レグルスが慈善活動の手伝いを休んで、ここにいるのは、エリザベス王女を迎える為。速足で馬車に近づいて行った。
「レグルス。迎えに来てくれた……変わった格好をしていますね?」
レグルスはいつもの通り、羽織を着ている。エリザベス王女が初めて見る姿だ。
「えっとですね……事前に説明しておくことがありまして」
「何かしら?」
「花街でのしきたりを説明する前に、まず私のことです。私はこの街ではアオと名乗っています。姓を知る人は極一部で、多くの人が自分と同じ身分だと思っています」
まずはエリザベス王女に、自分のことを話しておかなければならない。今のところ、花街でブラックバーンを名乗るつもりは、レグルスにはまったくないのだ。
「アオ……私もそう呼ぶのですね?」
「はい。お願いします。口調も普段とは違うものになります。礼儀知らずな言葉遣いもあるかもしれませんが、お許しください」
「……なんだか楽しそうね?」
花街でレグルスは別人を演じている。そうする理由は、まだエリザベス王女は分かっていないが、そんなレグルスを見るのは面白そうだと思った。
「楽しくはないと思いますけど……」
「私はなんて名乗るのが良いかしら?」
「はい? 王女殿下は偽名を使う必要ないと思いますけど?」
エリザベス王女はエリザベス王女として花街を訪問するのだ。身分を隠す必要も、名を隠す必要もない。
「父上からは、花街では外での立場や身分を忘れなくてはならないと言われているわ」
国王も花街を訪れるエリザベス王女に、心構えだけは伝えていた。何も知らなくても、王家の一員であるからには花街との約束を破ることがあってはならない。それは王国が誓約を破ったも同じになる。こう考えたからだ。
「それは、花街はそういう場所ですけど、今回は遊びに来ているわけではありませんから」
「私だけが普段のままなんて、楽しくないわ」
「そう言われても……相手のほうが困ってしまいます」
エリザベス王女を王女として迎えようとしている花街の人たちにとっては、面倒なことだ。どう接して良いか分からなくなって、混乱してしまうことは目に見えている。
「つまらない」
それが分かっても我儘を続けるエリザベス王女。レグルス相手に甘えているのだ。
「……じゃあ、歓迎の場に着くまでは普通、普通は違うか。いや、わざわざ演じるのも違うから、やっぱり普通。普通に歩くということで……良いのですか?」
レグルスが確認した相手は同行してきた諜報部員。騎士には見えないが、護衛役であることが明らかな彼らの意向を無視して決めるのは悪いと思ったのだ。
「問題ありません。我らも普通の客のように振る舞います」
そういった演技は彼らの得意とするところ。諜報活動を主な仕事とする彼らは、素の自分で行動することのほうが少ないのだ。
「じゃあ、行きますか」
「じゃあ……リズで」
「はい?」
「わざわざ偽名を考えるのも面倒だと思いました。私のことはリズと呼びなさい」
嬉しそうにレグルスに告げるエリザベス王女。学院では話す機会がほとんどなかったので、愛称で呼ばれることがなかった。リズと呼ばせる機会を得られて嬉しいのだ。
「呼ぶ必要があれば、そうします」
「そういうひねくれた態度は良くないわ」
「これはひねくれているのではなく、恥ずかしいのです」
エリザベス王女に対しては、どうしても他の人とは異なる意識をしてしまう。ここで恥ずかしがるのはおかしいと思っても、そういう気持ちが湧いてきてしまうのだ。
「……とりあえず、行きましょう」
素直に「恥ずかしい」と言われると、エリザベス王女のほうも意識してしまう。可愛い弟を揶揄っているというのとは、違う感情が湧いてきてしまう。
「はい。この橋を渡るともう花街。昼間だから、そんなに賑わっていないけど、他の場所とは別世界に感じると思う」
「……そう。それは楽しみね」
レグルスの口調が変わったことに気が付いたエリザベス王女。普段よりも子供っぽさを感じる口調を意外に思ったが、それそれで新しい発見というものだ。
躊躇うことなくレグルスのすぐ隣を歩くエリザベス王女。王女と臣下とは違う立場の男女であれば、これが当たり前。そう考えて、あえて真横に並ぶことにしたのだ。
「……もしかすると、騒がしい奴らがいるかもしれないけど気にしないで」
「騒がしいというのは?」
「馴れ馴れしく声を掛けてくる奴ら。初めて見るエリザ……リズには話しかけてこないとは思うけど……そういう常識もない奴もいるから」
レグルスが歩いているのを見れば、声を掛けてくる人たちは大勢いる。その中には挨拶代わりに、からかってくる人もいる。隣に女の子が歩いていれば尚更だ。それをレグルスは心配している。エリザベス王女は、まず間違いなく、そういう経験はないはずなのだ。
「おい、アオ! 仕事サボって女の子とデートか!?」
そして不安は現実のものになる。木戸大橋を渡って、門をくぐるとすぐに声をかけてきた男がいた。
「サボってない。これも仕事だ」
「ああ、そういうことか。これはまあ、上玉を仕入れてきたな。その娘は間違いなく稼ぐぞ」
「ば、馬鹿! そういうんじゃない!」
デートでなく仕事だというなら、花街で働く女の子を連れてきたということ。花街の男衆であれば、当たり前に考えることだが、それは王女に向かって言って良いことではない。知らないのだから責められないが。
「こら、アオ! てめえ、浮気か!? 前に連れてきた可愛い子はどうした?」
「違うから!」
そうかと思えば、浮気を責める男もいる。アリシアのことを覚えている男衆だ。
「おやおや。アオは相変わらずモテるねえ? 今日はその女の子とデートかい? じゃあ、おすそ分けはいらないね?」
「デートではないけど、おすそ分けは今日は良いや。いつも気を使ってもらって悪いな」
「気を使ってなんていないよ。アオは孫のようなものだからね。孫が喜ぶ顔を見るのが嬉しいのさ」
いつも何かと気にかけてくれるお婆さんも、レグルスを見かけるとすぐに近づいてきて、話しかけてきた。いつものことだ。彼の隣に誰がいようと、彼らには関係ないのだ。
「アオ……この場所は貴方にとって、とても良い場所なのですね?」
レグルスにとっては、いつものことだが、エリザベス王女はこんな彼を見るのは初めてだ。別人のような彼に驚き、喜んでもいる。この場所でのレグルスは、人々と親し気に話すレグルスは光に照らされている。エリザベス王女にはそう見えるのだ。
「良い場所というか……なんだろう……俺が俺でいられる場所?」
「それは良い場所ということですよ」
「そうか」
花街は自分にとってどういう場所なのか。レグルスは分かっていない。憧れるマラカイとリーリエが育った場所ということなのだが、それ以上の何かがあるかとなると何もない。何もないが、マカライとリーリエはすでにこの世にいないが、レグルスは花街が好きなのだ。それだけなのだ。
そのあとも、花街の人々と言葉を交わしながら、レグルスは目的の場所に辿り着く。花街の親分の店。そこでエリザベス王女を迎えることになっているのだ。
「あっ、リズ。この人が花街の親分」
「……アオ。それはお前だから、その口調なのか? それともそういうことで良いのか?」
軽い調子の紹介に戸惑う親分、だが、それがエリザベス王女の希望である可能性についても頭に浮かんでいる。
「こういう感じがお望みのようです。でも、無理に砕ける必要もありません」
「そうか……まずは、わざわざ花街に足を運んでくださったことに、花街を代表して、御礼を申し上げます。ありがとうございます」
「いえ。この度は無理を言って申し訳ありません。前例のないことと聞いております。戸惑ったことでしょう?」
王女が花街を訪れるなど初めてのこと。エリザベス王女が初めてなのではない。花街が出来てから初めてのことなのだ。どう迎えて良いか分からなかっただろうことは、想像がつく。
「戸惑いはありましたが、アオに任せておけば大丈夫だろうという甘い考えもありました。謝罪など無用のことです」
「私などは、アオに任せるとなると不安で不安で夜も眠れなくなりそうですけど、花街の彼は別人のようですね?」
「それは……視点が変われば見え方も変わるのでしょうか? 私にとってアオはアオ以外の何者でもありません」
エリザベス王女は冗談を口にした。そう思ったが、勘違いである可能性もある。親分は自分の思いをそのまま伝えることを選んだ。
「そうですか……それは私にとっても嬉しいことです」
花街でのレグルスは演じているのではなく、自分自身をさらけ出しているだけ。そうであって欲しいとエリザベス王女は思う。
「さて、酒の席を用意するのも違うと思い、軽食を用意するだけに致しました」
「私は教会の活動を視察に来ただけ。そのような気遣いは無用ですわ。すぐに現場に向かおうと思います」
「そうですか……」
エリザベス王女が望まないのであれば、強制は出来ない。そう思って、がっかりした親分だが。
「今、現場に向かわれても困ると思う。皆、休憩中。食事をしている時間だ」
「そうなのですか?」
「そうだから、軽食を用意した。遊びに来たと思われると困ることくらいは分かるから」
レグルスが、考えを改めるように伝えた。せっかく用意した食事の場を無駄にしたくないという思いがあってのことだが、嘘をついているわけでもない。エリザベス王女の到着時間を考慮にいれて、スケジュールが組まれているのだ。
「……分かりました。ではご好意に甘えることにします」
「では、ご案内いたします。二階の鳳凰の間になります」
親分の説明を聞いて、護衛の人たちが動きだす。先に部屋に行って、安全を確かめるつもりなのだ。危険などない。ないと分かっていても、それを行うのが彼らの仕事。親分も何も言わない。護衛の仕事を疎かに出来ないことは分かっているのだ。
護衛が一人戻ってきて異常がないことを伝えたところで、親分を先頭に二階にあがる。用意した部屋は二階の奥。万が一、襲撃があっても逃げやすい部屋が選ばれている。
「あれ? 百合太夫も一緒?」
「あら、お邪魔でしたかしら?」
部屋では桜太夫と百合太夫が待っていた。花街の女性代表として桜太夫が挨拶することは予定にあったことだが、百合太夫が同席することは、レグルスも知らなかったのだ。
「邪魔とは言っていない。でも予定になかったから」
「それはアオが私の名を入れてくれなかったからでしょ?」
「えっ、なんか機嫌悪い? 何かあったのか? それとも、そんなに同席したかったのか?」
百合太夫は明らかに機嫌が悪い。その理由がレグルスには分からない。
「百合太夫。お客様の前でそういう態度はいけませんよ」
「……ごめんなさい。姉さん」
そんな百太夫を桜太夫が窘める。この場にはお客としてエリザベス王女がいる。彼女を無視して、話をすること自体があってはならないことなのだ。
「王女殿下。ようこそ、花街にお越しくださいました。今年の一番太夫を努めております桜太夫と申します。隣に座るのは百合太夫」
「百合太夫と申します。挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます」
「エリザベスです。お会い出来たことを嬉しく思います」
太夫という女性たちが、どのような存在かもエリザベス王女はあらかじめ聞いている。彼女たちの在り方を損ねないようにということも注意されているのだ。
「本当でしたら唄と踊りで楽しんでいただきたいところですが、本日は宴を開くのには相応しくないご用件と伺っております。それはまたの機会として、簡単な食事を用意しておりますので、お召し上がりください」
「ありがとうございます。遠慮なく頂かせてもらいます」
挨拶を済ませ、勧められた通りに、用意された食事に手を伸ばすエリザベス王女。
「それで? 百合太夫は何を怒っているんだ?」
「この場でそれを聞きますか?」
話を戻したレグルスも、桜太夫に叱られることになった。
「気になるから。リズとの話があるなら遠慮しておく」
レグルスも何も考えずに話を戻したわけではない。エリザベス王女と二人の会話が盛り上がるようなら黙ってきているつもりだったが、そのような雰囲気ではないと感じたのだ。
「そう呼ぶのね?」
レグルスがエリザベス王女をリズと呼んだことに、百合太夫は反応する。
「えっ? ああ、そう呼ぶように言われたから。花街に合わせようということで」
「……じゃあ、いつもはどのように呼んでいるの?」
「それは殿下とか……あれ?」
どうして百合太夫は「いつも」という言い方をしたのか。それがおかしいことにレグルスは気がついた。
「それについては私が謝るわ。同席にするにあたって、知らせておいたほうが良いと思ったの」
「ああ……隠していたことを怒っているのか。でも、仕方ないだろ? 花街はそういう場所だ」
素性を隠していたことを百合太夫は怒っている。レグルスはそう思った。間違いだ。身分を隠していたことに関係はあるが、隠していたことそのものを怒っているわけではない。
「隠していたことは怒っていないわ。いつになったらお客になってくれるのかと思っているだけ」
「……はい? お客って、百合太夫のお客ってこと?」
「他に誰のお客になるのよ?」
百合太夫が怒っているのは、ブラックバーン家という大貴族の公子でありながら、自分の客になってくれないこと。花街で遊べる財力があるのに、自分の相手をしてくれないことを不満に思っているのだ。
「いや、だって、百合太夫とは幼馴染だろ? さすがに客は……お互いに恥ずかしくない?」
「それは。そうかもしれないけど……でも、そうしてくれても良いじゃない」
いざレグルスに抱かれるとなると、恥ずかしいと感じるだろうと百合太夫も思う。女性としての好きという感情だけでなく、レグルスの言う通り、幼馴染という感覚もあるのだ。
「ああ、宴席だけなら有りか。でもな、もう少し稼げるようになってからでないと無理。百合太夫を呼ぶのは自分で稼いだ金じゃないとな」
「……楽しみに待っている」
そういう言われ方をすると、こう返すしかない。自分で稼いだ金で遊ばなければならないという拘りは、百合太夫としても嬉しく思える。
「二人は幼馴染なのですか?」
二人の会話に驚いているのはエリザベス王女だ。レグルスがどのような経緯で、花街の太夫と幼馴染になったのか、まったく分からない。
「初めて会ったのは十歳? 話すようになったのは十一歳になってからか。百合太夫とは同い年なんだ。まだ桜太夫の付き人だった頃からの付き合い」
「そんな前から……」
「あっ、念のために言っておくけど遊びに来ていたわけじゃないから。俺の親代わり、あっ……」
エリザベス王女相手に話し過ぎ。それに気づいたレグルスだが、すでに遅かった。
「親代わりって?」
問答無用という雰囲気の、レグルスが拒否しにくい表情で問いかけてくるエリザベス王女。彼女がレグルスにとって特別な女性である点のひとつだ。
「……色々と面倒を見てくれたり、教えてくれた人がいて……俺の憧れであり、親だと思っている人たちが花街に関りのある人で、桜太夫とはその繋がり。百合太夫はさっき言った通り、桜太夫の付き人だったから」
「そう。そういう人がいたのですね。会ってみたいわ」
今の、アオとしてのレグルスはその人たちが育てたもの。エリザベス王女にはそれが分かった。レグルスがアオとしてでなく、レグルスとしても別人のように変わったのはその人たちのお陰なんだと思った。
「……すでにこの世にいない」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はない。知るはずのないことだから……でも、ちょっと気持ちが暗くなった。少しだけ席外します」
マラカイとリーリエのことを思うと、二人が殺されたことを思い出してしまうと、平常心ではいられない。気持ちを落ち着かせるために、レグルスは席を外すことにした。そうしたほうが、感情が揺れたまま会話を続けるよりも良い。何度か経験して、そう思うようになったのだ。
「……ごめんなさい。場の雰囲気を悪くしてしまったわ」
「アオの言う通り、王女殿下は悪くありません。二人のことは私たちもどうにも出来ません。アオにとって二人は、それだけ大切な存在だったのです」
「……悲しい思い出がある場所であっても、ここでの彼は、外での彼より輝いています。きっと貴女がたも彼にとっては大切な存在なのですね?」
「王女殿下?」
いきなり席を立って、床に正座したエリザベス王女。まさかの行動に桜太夫は、隣の百合太夫も驚いている。
「ここに来る直前に少し教わっただけですので、これが正しい作法なのかは分かりませんが」
「どうかお立ちになってください。そのような真似をさせる理由がありません」
「私には理由があります。どうか私の勝手なお願いを聞いてください。レグルスを、どうか、レグルスをお願いします。彼が陽の光の下を歩くように導いてください。この街は、この街に生きる貴女たちは、きっとそれが出来る人たちなのです」
レグルスが纏う闇を憂いていたエリザベス王女。だが、この街でのレグルスは、アオとしてのレグルスは光に満ちていた。多くの人に照らされ、その光を反射して多くの人を照らす彼がいた。彼を救えるのはこの街に生きる人々、エリザベス王女はそう思ったのだ。
そう思うと、行動に移さないではいられなかった。両手をつき、頭を下げるエリザベス王女。
「……王女殿下……貴女は……」
何故、レグルスの為に一国の王女が頭を下げるのか。王女としての行動ではないのは明らか。エリザベス王女は、一人の女性として行動しているのだと桜太夫は理解した。
「……私からもお願いがあります」
そのエリザベス王女に百合太夫が声を掛けた。その百合太夫も、エリザベス王女と同じように、床に正座していた。エリザベス王女の行動に同じ作法で応えようと考えたのだ。
「私が出来ることでしたら、何でも」
「私たちはこの街のアオしか知りません。アオとしか触れ合えません。だから、この街の外では、貴女がアオを温めてくださいますか? 彼の悲しみを癒してあげてください。これが私の願いです」
「……私には……その役目は、私では……」
それは自分が出来ることではないとエリザベス王女は思う。その役目を担う人は、他にいる。花街でのレグルスのように、多くの人を照らす輝きを持つ女性が。
「いえ、貴女です。貴女しかいません。アオの為に、そのように頭を下げられる貴女以外に、大切なアオを任せられる人はおりません」
だが、百合太夫にとってアオを任せられる人はエリザベス王女以外にいない。太夫は王国一の女性たちと持ち上げられているが、それは花街の中だけのこと。花街の外に出れば、金で体を売る女と蔑まれる身であることは分かっている。そんな自分たちに、床に正座して頭を下げる女性など他に誰がいるのかと百合太夫は思う。ましてエリザベス王女は、紛れもなく、王国で最上位にいる女性の一人なのだ。
横で話を聞いている、「これで良いのか」という思いを抱いている桜太夫も、それについては否定出来ない。レグルスをここまで想ってくれているエリザベス王女の存在を知って、嬉しかった。