魔力は遺伝、持って生まれた才能が全て。一部の例外は認めていても、これがこの世界での常識となっている。貴族家の血には魔力が宿る。故に貴族は強大な力を持ち、それに相応しい権限が与えられている。世襲の正当性を、それに異議を唱える平民などいないが、示す理由にもなっているのだ。
それが建前であることは、強い権力を持つ者ほど分かっている。だが、自己の権力を保証してくれる建前を否定する者などいない。稀にいても変人扱いされて終わりだ。建前であることを、真実を、追及しようなんて人はいないのだ。
「……呼吸法? それに何の意味があるというんだ?」
「魔力を鍛える効果があります」
「……馬鹿な。そんなことはあり得ない」
魔力の強弱も生まれた時から決まっている。もっと言えば、誰の血を引いているかで決まる。これも常識。魔力を鍛えるなんてことは出来ないとされているのだ。
「でも、実際に私はそれを行って成長しました」
「……本当に?」
あり得ないと否定した男子学生は、アリシアの言葉を聞いて、すぐに気持ちを変えた。すでにアリシアの優秀さは同級生たちに知られている。優れた能力を持つアリシアが、実体験として話しているとなれば、期待してしまう。
「本当です。地味な鍛錬ですけど、長く続けていれば効果はあります。本当に地味ですけど」
「……それを教えてくれると?」
男子学生はクラスの落ちこぼれ。貴族だけのこのクラスで、魔力判定結果がかなり低く、レグルスと同じ最下位グループになっている。その事実は彼の劣等感を刺激するだけでなく、周囲から蔑みの目で見られることにもなっている。アリシアはそんな彼を見かねて、声をかけたのだ。
「はい」
「どうして?」
もし本当に魔力を鍛えることが出来るとすれば、その方法はとても重要な情報だ。軽々しく人に教えて良いものではないと、男子学生は思う。
「どうして……少しでも強くなれたほうが良くないですか?」
「強くなるのは私だ」
アリシアには何のメリットもないはず。それなのに貴重な情報を伝えようとする彼女の気持ちが男子学生には理解出来なかった。
「はい。あれ? もしかして強くなりたくないのですか?」
「いや……なりたい」
これまで口に出せなかった気持ち。魔力に劣る自分が強くなれるはずがない。強くなりたいなんて口にすれば、周りから馬鹿にされる。そう思って、心に秘めていた思いだ。
「では、がんばりましょう。でも本当に地味ですから。飽きないように、いえ、飽きてしまっても続けてください」
「ああ……それでそれはどういう方法なのかな?」
本気でアリシアは教えるつもり。ここまで話を聞けば、男子学生の疑いの気持ちも消える。
「方法は今教えますけど、実際に行うのは夜寝る前が良いです。絶対に寝る前である必要はないのですけど、横になって静かにいられる環境が必要です。習慣化する為にも寝る前が良いと私は思います」
アリシアが教えようとしているのはレグルスに教わった呼吸法。聞いた内容を、出来るだけ正確に伝えようとしている。
「分かった」
「横になって呼吸を整えます。初めは大きく深呼吸。気持ちが落ち着いたら、呼吸を小さくしていきます。意識を体内に向けて」
「ちょっと待った。意識を体内に向けるって?」
「意味としてはそのままです。場所はおへその少し下くらい。初めは誰かに手を置いてもらうのが良いのですけど、自分の手でも出来ないわけではありません」
「手を……」
実際に男子学生はアリシアが言った場所に手を置いてみる。意識を体内に向けるというのが、言葉だけではイメージ出来ないのだ。
「魔力を感じることが目的です。私は最初、詠唱を唱えていました。最後まで唱える必要はありません。頭の部分だけで、体内の魔力は感じやすくなるはずです」
これはアリシアの応用。ただ嘘だ。アリシアは無詠唱で魔力の活性化が出来る。だが、同じことが男子学生に出来ると思えないので、詠唱を使うことを提案しているのだ。
「詠唱……」
「魔力を感じやすくすることが目的ですから、簡単なものでかまいません。難しければ発動してもかまいません。時間はかかりますけど、それを何度か繰り返していれば、詠唱の途中で魔力を感じられるようになります」
「……その場所がへその下ってこと?」
魔法を発動する時には魔力は感じられる。だが、その位置まで意識したことは男子学生はなかった。
「はい。魔力の存在を体内で感じられるようになれば、次の段階に移ります」
「まだ先があるのか」
「ここからが本番になります。次の段階は、感じ取れるようになった魔力を制御します。簡単に言うと、自分の意思で動かすことです」
「自分の意思で魔力を動かす……まったく想像がつかない」
体内の魔力をはっきりと感じ取れない男子学生には、魔力を動かすということがイメージ出来ない。動かせるものという考えがないのだ。
「想像出来ないのは、良くないですね……そうですね、実際にやってみせましょう」
「実際に……頼む」
実際に行うと言われても、それも想像できない。そもそも魔力が動いているかなど、どうやって分かるのかと男子学生は考えたのだが。
「……えっ……ええっ!?」
すぐにそれを目の当たりにすることになった。白く輝くアリシアの右手。それだけで驚きなのに、その輝きはさらに左手に移動した。
「こんな感じです。ここまで出来るようになると鍛錬の目的はほぼ達成です。制御力があがると自然と変換効率もあがります」
「へ、へんかん、何?」
「とにかく魔法の威力があがるということです。鍛錬方法の説明は以上ですけど、何か質問はありますか?」
「質問と言われてもな……」
何を聞けば良いか分からない。目の前でアリシアがやってみせたことが衝撃的で、こんなことが出来るようになるのかという疑いまで頭に浮かんできてしまっていた。
「まずはやってみてください。それで分からないところがあれば、また教えますから。最初は上手くいかなくても当たり前です。頑張って続けてください。私も応援しますから」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
男子学生の御礼に、一発で惚れてしまうだろ、と思われるような華やかで温かい笑みを返して、アリシアは自分の席に戻る。教わった男子学生と同じような驚きの目を向けているジークフリートたちが待っている場所へ。
「アリシア。あれは?」
問いを向けてきたのはジークフリート。声に出さないが、思いはキャリナローズたちも同じだ。
「あれ? ああ、話を聞いていたのですか?」
「本当に話していた鍛錬方法で君くらいになれるのかい?」
だとすればとんでもない鍛錬方法だ。アルデバラン王国軍を、その結果として世界情勢を変えてしまうくらいの。
「努力次第だと思います」
「……事実なら優れた鍛錬方法だ。それを軽々しく人に話してしまうのは、どうかな?」
「……それで皆が強くなるなら、私は他の人にも教えます。戦争で同級生が死んでしなうなんてことは耐えられませんから」
知識を独占しようという考えはアリシアにはない。もちろん、まったく人を選ばないというつもりはない。悪人まで強くしようとは考えていない。ただ、この呼吸法は、悪人になってしまう可能性があるレグルスから教わったもの。隠すべき相手が、今はいない。
「その気持ちは正しい。でも、彼がまた別の人に話してしまう可能性もある。その相手がまた別の人に。これが続けば、知るべきではない者にも伝わってしまう」
「それは……はい」
「今は王国の第二王子として話させてもらうよ。自分が知る鍛錬方法は口外しないこと。そうしたい時は、まず私に話してもらえるかな? 王国に悪影響を与えないと判断できるものまで制限するつもりはないから」
「……分かりました」
ジークフリートの考えは理解出来る。悪人や敵国の騎士まで強くなって欲しいなんてことは、さすがにアリシアも思わない。確実に味方だと分かる人、味方であってくれる人だけに共有すべきだと思う。ジークフリートの要求をアリシアは了承した。王国の王子として要求したものであれば、了承以外は口にしづらい。
◆◆◆
いつもであれば、道場で厳しい鍛錬を行っている時間。だがレグルスは珍しく鍛錬を休んで、フランセスと一緒に美術館にいる。要はデートだ。
フランセスは「恋愛をしたい」とレグルスに告げた。どこまで本気で言っているのかレグルスには分からなかったが、彼女には借りがある。ある程度は、恋愛ごっこに付き合うことにしたのだ。
鍛錬を休んでまで、という思いがないわけではない。だがレグルスは、周囲で見ていると決してそうは思えないが、必ずしも自分が強くなることを最優先にしているわけではない。もっと幅広い領域で、様々な力を手に入れるということを考えているのだ。
フランセスとデートすることが、それに繋がるかは、かなり怪しく、結局はレグルスが稀に見せる人の良さだったりするが。
ただ、今のこの状況がデートと言えるのかという問題もあったりする。フランセスにとっての問題だ。
「この作者はですね、生前はその素晴らしさを認められることなく、不遇の人生を終えることになりました」
これを話しているのは、美術部のエリカ。絵画に詳しいからということで、レグルスは彼女まで誘ってしまっているのだ。
「それなのに美術館に?」
「珍しいことではありません。絵の価値は、これを言うのは嫌なのですけど、誰が認めるかで多くは決まってしまいます」
「誰が認めるか……どういう意味?」
「分かり易い例で言いますと、レグルスさんがこの絵を素晴らしいと評価したところで、価値があがるわけではありません。でもレグルスさんのお爺様。北方辺境伯が高く評価し、実際に高値で購入すれば話は変わってきます」
まだ若いレグルスでは、美術品の鑑定眼があると思われない。だが、祖父のコンラッドだと周囲の評価は違ってくる。高価な美術品を多く所持しているコンラッドには美術品を見る目がある。周囲は勝手にそう考えて、そのコンラッドが評価した美術品には価値があると思い込む可能性が高い。
さらに言えば、大金を持たない名もなき庶民がどれだけ評価しようと作品の価値はあがらない。千人、万人が高評価しても同じ。価値が出るのは、それならばと金持ちが大金を払って、その美術品を購入した時。そんなものだとエリカは言っている。本音ではない。諦めの気持ちがあっての考えだ。
「……俺の祖父が、エリカが描いた絵を大金で購入しても?」
「レグルス。その質問は少し彼女に失礼だわ」
フランセスが会話に割り込んできた。今の状況に不満一杯のフランセスだが、ずっと黙っているだけでは、まったく意味のない時間になってしまう。こう考えて、出来るだけ会話に加わろうと思っているのだ。
「そうか。エリカ、ごめん」
「いえ。気にしていません。実際に私の絵はその程度のものですから」
「そうか? 俺は好きだけどな」
「それは、どうも」
褒められたエリカだが、その顔には苦笑いが浮かんでいる。フランセスもそれを見て苦笑い。女の子にこういう台詞を躊躇うことなく口に出来るレグルス。「こういう人を好きになると大変ですね」というエリカの思いが通じているのだ。
「将来、俺がエリカの絵を大金で買い占めれば、価値は一気にあがるかもな」
「それをされて私が喜ぶと思いますか?」
「思わない。単純に商売としての話。価値があがったところで売りに出せば儲かるだろ?」
資金稼ぎもレグルスにとっては重要課題。ブラックバーン家に頼ることなく、何事も出来るだけの資金力を得たいと思っているが、それは簡単なことではない。当たり前だ。レグルスはわずかな領地も持っていないのだ。
「簡単に買えると分かれば、その瞬間に価値は下がるのではなくて?」
「その前に売り抜ける」
「それよりも、なかなか手に入らない状況で、これまで見つかっていなかった作品が見つかったというのが良くない? たまに聞く話だわ」
有名作家の未発表作品。そういう話は、自分に美術品収集の趣味がなくても、フランセスは耳にする。芸術についての話が出来るというのも、社交界では必須といえるスキルなのだ。
「フランセス様まで……それにそれは私が死んでいるという前提ではないですか」
「あっ、そうね。ごめんなさい」
「…………」
「何?」
じっと自分を見つめているエリカ。その視線の意味がフランセスには分からない。特別何かを言ったつもりは、まったくないのだ。エリカはそれに驚いているのだが。
「フランセス様も、普通に謝るのですね?」
「えっ……あっ、そうね。でも……どうして、以前はそれが出来なかったのかしら?」
下級役人の娘であるエリカに、謝罪を告げる。指摘されれば、確かに普通ではないとフランセスも思う。だが、何故、普通ではないのか。それが分からなくなった。
「貴族であることで制約が課せられることもある。平民に軽々しく頭を下げてはいけない、なんていうのもその一つ」
フランセスの問いにはレグルスが答えた。
「……自分を飾ることが求められてしまうから。虚飾であると分かっていても」
貴族は何故、貴族なのか。貴族であり続けることが許されるのか。国王がそれを許しているから、ということであれば、国王の権限でその権利をはく奪出来ることになる。実際に、はく奪は出来るのだが、それを行うには相当な理由が必要。滅多にあることではない。
これを、貴族は守られていると考えるか、貴族の立場は根拠のない不安定なものと考えるか。虚飾であると分かっていても、それを行うのは、後者の考えだ。
「……芸術家みたいですね?」
芸術の価値は何を根拠にしているのか。貴族と似ているのではないかと、ふとエリカは思った。
「何であっても同じだろ? だから自分の力だけで立つことが必要になる。何かに縋らないと生きられないようでは、いつ人生が終わってもおかしくない。それがどれだけ理不尽なものであろうと、逃げることが出来ない」
今の自分にこれを言う資格はないとレグルスは分かっている。ブラックバーン家に頼って生きている自分には。自立出来るだけの力が欲しいと、レグルスは強く思う。
「……私はレグルスに一生縋って生きるわ。それで人生が終わっても後悔はない」
「おお……素敵です」
フランセスの言葉に、感動した様子のエリカ。
「何が素敵? エリカはたまにおかしな反応をするな」
このエリカの感覚はレグルスには理解出来ない。周囲から変人と呼ばれるのは、絵画のせいではなく、この性格が原因ではないと近頃思うようになっている。そう思えるくらいに、エリカもレグルスに地を見せるようになったということだ。
デート、とはフランセスは認められないが、はこんな感じで進んでいく。それなりに、三人の距離は近づくことになった。