騎士にも階級がある。一番下が従士。これは騎士と認められていない半人前のこと。騎士の付き人として働きながら鍛錬を重ね、騎士への昇格を目指す見習い期間だ。もちろん、才能がなければ従士で終わることになる。騎士になれないのに従士をしていても意味がない。これは駄目だとなれば、すぐに諦めて別の仕事を探したほうが良いので、一年目くらいで振り落とされることになる。
さらに騎士に昇格したあとも、その上がある。特選騎士と呼ばれている階級だ。兵を率いる将としての階級とは違う。ただの騎士であっても百人将、千人将と出世していく人はいる。ただの騎士と特選騎士を分けるのは魔力を使えるかどうか。個としての戦闘能力の差だ。
個の戦闘能力の差といっても、身分としてはかなりの格差が生まれる。特選騎士は無条件で士爵位が与えられる。見做し貴族と、ほとんど蔑称なのだが、呼ばれる末端であっても貴族の一員になれるのだ。一方で普通の騎士は、万人将、同じ将でも将軍と呼ばれる階級まであがって初めて士爵になれる。言葉通り、万人、一軍を率いる将になれる騎士など大国アルデバラン王国であっても十人にも届かない。かなり狭き門だ。魔力のあるなしは、それだけの格差を生むことになる。
魔力は世襲する。この考えが魔力を使える騎士に、そのような待遇を与える理由だ。過度な好待遇とは言えない。魔力、それに基づく魔法というのは戦闘において、それを使えない者との間で、圧倒的な力の差を生み出す。一騎当千という言葉通り、千人の敵相手に一人で渡り合ったという事例も過去にはあるのだ。
「ということなのだから、剣が少し出来るくらいで満足するな」
「いや、それは分かっておりますが、私は騎士の家系といっても平民の出で」
オーウェンの父も騎士だった。だが普通の騎士、特選騎士ではないので爵位は持たない。
「だから何だ?」
「魔法は使えません」
「それ間違い。平民の生まれであっても魔力は使える」
魔力は世襲。これを完全に否定するつもりはレグルスにはないが、それと親が貴族かどうかは別の話だと思っている。
「……どうして、それが分かるのですか?」
「……そうじゃないと特選騎士という階級の説明が出来ない。騎士の中から魔力を使える者が見つかって、それで特選騎士になれるのだ。親が何者かは関係ないはずだ」
「嘘ですね? 違う理由でレグルス様は生まれは関係ないと思われている」
もうレグルスとの付き合いも十か月になる。それもほぼ毎日、朝から晩まで一緒にいるのだ。嘘を見破ることも、ある程度は、出来るようになった。オーウェンが特別洞察力に優れているというわけではない。レグルスと長く一緒にいると、本音を話す相手とそうでない相手との応対の違いが良く分かる。それを自分に当てはめれば良いだけだ。
「……筋肉馬鹿のくせに」
「なんですか? そのなんとか馬鹿というのは? 悪口であることは分かりますが」
「考える頭も筋肉で出来ているって意味。体を鍛えるばっかりで勉強しない奴のことを言うらしい」
「筋肉馬鹿」はアリシアから教わった言葉だ。オーウェンを揶揄するのに丁度良いと思って、レグルスはそれを覚えていた。
「勉強もしております。戦術論とかですが」
「そうか。それは悪かった」
「それで、どうして?」
レグルスの口から舌打ちの音が漏れる。上手く誤魔化せたと一瞬思ったのだが、そうではなかったことが分かって悔しいのだ。
「ある奴に教えたら使えるようになった。貴族とはほど遠い身分の奴だ」
「それって……どうしてそんな真似をしたのですか?」
レグルスの話を聞いて、オーウェンは呆れている。魔力というのは特別なもの。誰もが使えるようになって良いものではないと彼は思っている。それはそうだ。魔力は貴族を特別な存在と認めさせている重要な要素のひとつなのだ。
「どうしてって……試したら出来ただけだ。深い考えはない」
嘘ではない。レグルスは、魔力が使えるようになるという確信があって、リキたちに鍛錬方法を教えたのではない。ダメ元でやってみれば良いという感じで教え、それをリキたちが真面目に続けていたら、使えるようになってしまったのだ。
「お分かりだと思いますが、その話は他では話されないほうが良いと思います」
「分かっている。話すつもりはなかったのに、お前が追及するからだ」
さらにもし、リキたちに教えた方法が万人に通用するものであるとすれば、そうではないこともレグルスはすでに分かっているが、アルデバラン王国の世界制覇も夢ではなくなる、と好意的にはオーウェンもレグルスも考えない。平民たちが、王国の政治に不満を持つ平民たちが魔力を使えるようになり、その力で一斉蜂起すれば王国は大混乱に陥る。他国との戦争どころではなくなるはずだ。
「……それで、私も使えると?」
「使えるとは言っていない。使えないと決めつけるのは間違いだと言っている」
「そう、ですか……」
貴族でなくても魔力は鍛錬次第で使えるようになる。他言してはならないことであると思っているが、それと自分の可能性が広がる喜びは別。だが、楽観的にはなれないことを、すぐにレグルスに伝えられ、オーウェンは少し落ち込んでしまった。
「落ち込むのは早いけどな。可能性は無ではない。その上でお前がどうするかだ」
「それは当然、鍛錬を行います」
魔力を使えるかどうかで、戦闘力は雲泥の差となる。可能性があるのに試みないという選択はない。
「言わなくても分かっていると思うが、すごく地味だからな。最高に地味かもしれない。感覚としては、夜に湖の中に落としたコーヒーゼリーを手探りで探すようなものだ」
「例えが……」
「鼻水よりはマシだろ? 気が遠くなるくらい最初は無感覚だけど、必ずコーヒーゼリーはある。そう信じて続けろ」
実際にオーウェンが行う鍛錬はもっと厳しい感覚だ。呼吸法そのものは良い。やり方を覚えて、何度も繰り返せば出来るようになる。問題は、体内に意識を向けるという点。これが出来なければ始まらないというそこで、多くが躓くことになるのをレグルスは、リキたちに教えた経験で知っている。それこそ天性のものではないかと思うくらいで、レグルスはそれを知って、生まれて初めて自分の才能に感謝したものだ。
「……ちなみに、アリシア様も?」
「あいつは俺が教えなくても使えた。あんなでも、戦闘に関しては天才だからな」
「そうですか……分かりました」
◆◆◆
アリシアの学院生活は、以前とは比べものにならないくらいに、充実したものになっている。彼女が望んでいた自己を高める為の試みが、思う通りに出来るようになったのだ。
それは、なんといっても競い合う相手が出来たことが大きい。それも同学年では、恐らくは、学院全体でもトップクラスの実力を持つライバルたちだ。そう感じているのは、そのライバルたちも同じだ。
「そろそろ物足りなくなってきたのではないか?」
「物足りないって、授業のことですか? 全然。学ぶべきことはまだ沢山あります」
タイラーの問いに否定を返すアリシア。本当の気持ちだ。技量において、やはりアリシアは他の人たちに大きく劣っている。経験の差はまだまだ大きいのだ。
「剣術としてはそうかもしれないが、それ以外に関しては、もっと上のレベルでの戦いを経験するべきだと思う」
剣の技量についてはタイラーも追いつかれているつもりはない。だが、剣を上手く使えるかどうかは、それほど大きな問題ではないとタイラーは考えている。
「上のレベルというのは、どういう意味ですか?」
「魔力を解放した上での鍛錬だ。動きが段違いに違うのはアリシアも分かっているだろう。その状態で戦うというのがどういうことかを経験したほうが良い」
魔力を使って身体強化を行えば、素の状態とはまったく比較にならない高度な戦いが出来るようになる。ただそれにも慣れが必要だとタイラーは考えている。慣れない間は、普通ではない動きが出来る体に振り回されてしまうことをタイラーは経験として知っているのだ。
「そうですね……タイラーの言う通りだと思います」
経験不足は自分の弱点。そうであることを彼女は良く分かっている。猛獣とのたった一度の実戦経験でも、それ以前とは全然自分の動きが違っているのをアリシアは感じている。もっと経験を積みたいと、以前から思ってはいたのだ。
「実戦訓練っていつだったか誰か知っている?」
クレイグも実戦に飢えている。話を切り出したタイラーもそうだ。物足りなく感じているのはタイラー自身がそうなのだ。
「確か、二学年の前期にあったわね。野獣相手だったと思うけど」
「まだ半年は先か……しかも野獣相手。手ごたえあるのかな?」
この答えはアリシアが知っている。だがここで「皆さんならあっさりと勝ってしまうと思います」とは言えない。猛獣に襲われた時の真実を話すわけにはいかないのだ。
「ないな」
「おっと、断言。もしかして経験あり?」
「ないほうが不思議だ。実力試しには無難な相手だ。勧められなかったのか?」
タイラーは野獣と戦ったことがある。入学前に実力試しとして経験しているのだ。
「勧められていない。そもそも野獣とどうやって戦うの? 狩りみたいに大勢で追い立てて?」
「違う。猛獣使いを雇う」
「その手があったか……でも、それって強いの?」
飼いならされた獣は弱いのではないか。こうクレイグは考えた。間違いではない。
「獣としての身体能力は変わらない。ただ、危険は低いだろうな。いざとなれば、戦いを止められる」
「あくまでも訓練。思いっきり攻撃出来るという点では、騎士との立ち合いよりもマシか」
「学院の実戦訓練も同じ方法だと、手応えは感じられないだろうな。そうなると……どこかで行き詰まりそうだな」
学院の授業では、目指す高みにはたどり着けないのではないか。こんな風にタイラーは思った。目標は高く、ということではあるが、少し驕りも混じっている。学院の授業は自分にはレベルが低すぎると言っているようなものなのだ。
「何を会得するにしても、いつかは師から離れ、自分の力で高みを目指さなければなりません。それに、足りないと思うところがあっても、ここにいる皆で一緒に考えて、工夫していけるではないですか」
アリシアがそのタイラーの考えを、否定ではないが、改めさせるような言葉を口にした。彼女には元々、教官に頼るという気持ちがない。異世界人である自分ならではの工夫で、この世界の常識を超える。それが自分の強みだと考えているのだ。
「……そうだな。それくらいの気持ちであるべきだな。俺たちの前には何人もいない。そういう高みを目指すべきだ」
タイラーはアリシアの言葉を少し異なる意味で受け取った。ただ成長は自らの努力次第という点に関しては一致している。
「また熱くなっている。タイラーって意外……じゃないか。でも僕もそういうの嫌いじゃない」
「意外なのはアリシアのほうね。前人未踏か……悪くない」
世界最強。簡単に言えば、彼らが目指そうとしているのはこれだ。なんとなく以前から思っていたことではある。誰よりも強くなりたいという気持ちは、そういうことだ。だが今日、漠然としていたその想いが彼らの中ではっきりと形になった。辺境伯家の人間としてではなく一人の人間として目指すものが彼らの心の中に生まれたのだ。
◆◆◆
ジークフリート第二王子にとって、アリシアとの出会いは衝撃だった。それは城でのこと。エリザベス王女が強引にレグルスとアリシアを誘った時のことだ。ジークフリートはその会には参加していない。エリザベス王女に呼ばれていなかった。
だが呼ばれなくても城の中での出来事。何か催しが行われていることには気付く。自分付きの近衛騎士に尋ねてみれば、レグルスとその婚約者が訪れているとのこと。あのレグルスの婚約者になる女性はどういう人なのか。どちらかというと蔑む気持ちで、様子を覗きに行ったジークフリートは、衝撃に心が震えることになった。簡単に言ってしまうと、一目惚れだ。
何かの間違いではないかとジークフリートは考えた。だが、それはさすがに無理がある。婚約が事実であることは間違いない。王国に嘘の婚約を知らせるはずがないのだ。
では彼女はレグルスに騙されているのだ。次に浮かんだのはこれだった。これを否定する考えは浮かんでこなかった。ジークフリートの中でアリシアは、悲劇のヒロインになった。
それは今も変わっていない。レグルスはアリシアの婚約者に相応しくない。セリシール公爵家が金銭的な援助を求めて婚約を取り決めたのは、調べなくても明らか。家の犠牲になった可哀そうなアリシア、という思いもジークフリートの心の中に定着することになる。
だが、近頃少し、ジークフリートはアリシアへの見方を変えた。悲劇のヒロイン。レグルスの婚約者であるいう点ではそうであっても、アリシアはそう表現するのに相応しい女性ではない。彼女は強い。戦闘力の話ではなく、心が強い人だ。同情されるだけの存在ではないことに、ジークフリートは気付いたのだ。
「……どう考えても、彼女の隣が似合うのは私だ」
とうとうこの言葉を、独り言とはいえ、ジークフリートは声に出してしまう。心に思っていても認めてはいけないと抑制していた思いを、言葉に出してしまった。
「彼女には王妃のティアラが良く似合う。私もそんな彼女に相応しい男にならないと」
アリシアは王妃になるべき人。だから自分は王にならなくてはならない。明らかにズレた考えではあるが、ジークフリートはこう思った。アリシアの輝きを認めた上で、自分がその隣に立ちたいと思うと、こういう順番になってしまうのだ。
「まずは彼女を今の立場をなんとかしてあげることか……難しいけど、やるしかない。彼女の為だ」
物語が大きく動き出した、という表現が正しいのかはゲームストーリーを知っているアリシアであっても分からないはずだ。ジークフリートのこんな心情など、ゲームでは描かれていないのだから。
ストーリー通りなのか、ストーリーは変わっているのか。それはアリシアにもレグルスにも分からない。ただ向かおうとしている結末がどうであるかは明らかだ。ジークフリートは国王になり、アリシアはその妻となる。このゴールは今も変わっていない。