王国中央学院でのクラス分けはホームルームや数少ない共通授業、年にいくつかある学院行事以外では、ほとんど意味をなさない。ほとんどの授業は文系と武系に分かれており、さらに実力テスト等によってグループ分けされて、行われることになる。生徒の実力に合わせた授業を行う為だ。
特に武系はグループによって、かなり授業内容が変わってくる。入学時点で、それが必要なくらいに実力差があるということだ。
「……まさか同じグループになるとはね」
その仕組みを知っているジークフリート第二王子にとって、アリシアが同じグループであったことは驚きだった。武系コースに進めるかどうかの試験に合格出来るかを心配していたのに、自分と同じ、もっとも実力上位のグループに選ばれたのだ。
「体力には昔から自信がありました」
基礎体力だけではない。基礎魔力でもアリシアは高得点を獲得している。剣術の技量については劣っていても、それを補って余りある基礎能力だと判定された。
「武系に進もうと考えるはずだね? 守護家以外で上位グループに入れる女性は滅多にいないのではないかな?」
幼い頃から優秀な教師をつけてもらって英才教育を受けている有力貴族家の子弟であればまだ分かるが、アリシアの家は決して豊かとは言えない。それで上位グループに入ることを認められるのは、持って生まれた才能。ジークフリート第二王子はこう考えている。
「たまたまです。きっとこれからが大変なのだと思っています」
「大丈夫。私も支援するよ。最後まで一緒にいられるように頑張ろう」
「……はい」
ジークフリートの言葉に複雑な感情を抱いてしまうアリシア。「最後まで一緒にいられるように」という言葉は将来を暗示しているようであるが、まだ何もないも同然の状況で、それを口にするジークフリートの感情に疑問も感じてしまう。
人が良いだけであれば、まだ納得だ。だがゲームで結ばれることになっているからという強制力のようなものが働いている可能性を考えると、少し抵抗を感じてしまう。
「ただ……レグルスにも頑張ってもらわなければだね?」
「えっ?」
「どうやら最下位グループになったみたいだよ?」
離れた場所を指さすジークフリート。その彼の指の先には、レグルスがいた。
「そんなはずは……」
そんなはずはない。基礎体力と基礎魔力において、レグルスと自分には差がないはずだとアリシアは思っている。基礎魔力については勝っている自信はあるが、間違いなく基礎体力においてはレグルスのほうが上のはず。さらにアリシアは、一年以上、満足に鍛錬を行えていないのだ。
「一年間頑張ってもらえれば、次は同じグループになれるよ」
「ちょっと話を聞いてきます」
ジークフリートの慰めはアリシアの耳には届かない。彼女の頭の中は、彼への不満で一杯なのだ。苛立ちを隠しきれずに足音を立てて、レグルスのいる場所に向かうアリシア。
そんな彼女にレグルスもすぐに気が付いて、眉をしかめている。
「……ちょっと良い?」
「アリシア殿、その言葉遣いはいかがなものかな? 周りの者たちが驚いていますよ?」
「……少しよろしいですか? レグルス様」
口調は改めたものの、彼女の表情には苦々しい感情が残ったままだ。
「少しであれば」
「レグルス様はどうしてここにいらっしゃるのですか? ここは少し実力で劣る方たちのグループとお聞きしました」
「アリシア殿は、すでに答えをご存じだ。実力で劣るから、俺はここにいるのです」
レグルスのほうは完璧に演じきっている。口元のわずかな笑みは、演じているのではなく、素の感情だが。
「……それが嘘であることを私は知っております」
「どうして俺が嘘をつかなければならないのですか? 北方辺境伯家の人間として、このグループにいることを恥じる俺が」
「…………」
レグルスの嘘であることが明らかな言い訳を聞いて、アリシアの頬が膨らむ。
「……あっ」
子供のように頬を膨らませ、目に涙をためている彼女には、さすがにレグルスも心の動揺を隠せない。周囲が視線を向けている中、どのように対応すれば良いのか悩んでしまう。
「アリシア様。今は授業中です。レグルス様に伝えたい気持ちがあるのは分かりますが、周囲の迷惑になるのは良くないかと」
そこに割り込んできたのは、レグルスにとっては意外にも、オーウェンだった。
「……そうですね。お話は授業が終わってからに致しますわ。貴方はオーウェン殿ですね?」
「はい」
「お話の機会を頂けるようにレグルス様に、しっかりと、伝えていただけますか?」
ここは引いてやるから、お前が責任を持ってアオと話す時間を作れよ。これを、オーウェンが完璧に翻訳出来るはずがない。
「……は、はい」
だがアリシアの強い気持ちは確かに伝わった。
「では、レグルス様。後ほど」
「……ええ」
レグルスも了承を口にさせられた。誤魔化す方法を咄嗟に思いつけなかったせいもある。目は怒ったままの笑みを向けて、この場から離れて行くアリシア。
「役に立ったのか、余計な真似をしたのかは微妙だな」
アリシアを去らすことは出来た。だが、話す機会を作ることを約束させられもした。オーウェンの割り込みは良かったのか、悪かったのか微妙なところだ。
「婚約者なのですから、普通にお話をされれば良いではないですか?」
二人の関係を知らないオーウェンは、そもそもレグルスが婚約者であるアリシアを避けていることに疑問を感じているのだ。
「普通には話をしている。今もした」
「あれのどこが? それにアリシア様のお気持ちは私にも分かります」
「はっ? 男のお前に分かるはずないだろ?」
仮にオーウェンが女性であっても分かるはずがない。二人の関係はただの婚約者とは違うのだ。
「性別は関係ありません。どうして、グループ分けの試験で本気を出さなかったのですか?」
「ああ、それな。やっぱり、お前は使えない」
「どうしてそういう話になるのですか?」
グループ分けの話をしようとしているだけで、どうして低評価を受けなければならないのか。オーウェンとしては納得がいかない。疎まれているところがあるのを感じているので、尚更だ。
「王立中央学院は意外にも公平だ」
「……平民も入学出来ることですか?」
「それも関係あるけど、ちょっと違う。この学院はエリートを養成するよりも、落ちこぼれを作らないようにすることを大切に考えている。最初からか途中からかは分からない。多分、途中からかな?」
実力別にグループ分けを行って、授業を行う。これは実力がある人を優遇する為の制度のようであるが、そうではない。学院について色々と調べた結果、レグルスはそう判断するようになった。
意外だと思ったが、良く考えてみれば理由は分からなくもない。アルデバラン王国は少数の英雄に頼る国ではなくなっている。総合力で他国を圧倒する。こう考えて、一人でも多くの平均以上の戦士を育てることを目的としたのではないかとレグルスは考えたのだ。
「……良く分かりません」
だがここまでの話では、あえて一番下のグループを選ぶ理由はオーウェンには分からない。彼はレグルスが、エモンも協力して、調べた情報を聞かされていないのだ。
「つまり、実力の劣る者を一人前に育て上げる能力が、このグループの教官にはあるということだ」
「最下位グループの教官のほうが優秀なのですか?」
「優秀かそうでないかじゃない。俺にとってどういう教官が望ましいかだ。俺は、少なくともこの一年は基礎を身に付けることに集中する。その目的に一番合っていると思う教官を選んだ」
剣術については、オーウェンが護衛騎士として側につくようになってからは、鍛錬の量は増え、質も向上した。だが、レグルスはそれだけでは不十分だと思っている。今はもっと基礎を固める時期だと考えているのだ。
「そういうことですか……」
オーウェンは若くして騎士に昇格している。年が近いほうが良いだろうというのがレグルスの護衛騎士に選ばれた理由だが、きちんと役目を果たす実力があると認められた上でのことだ。一年間、基礎鍛錬を行うということに、物足りなさを感じてしまう。
「基礎では物足りないって顔だな? でも、お前、本当に基礎は身についているのか? 意外と置き忘れたものがあるかもしれないからな」
「置き忘れ、ですか?」
「先を急いだせいで、身につけておくべきことを身につけていない可能性。まっ、どちらにしてもお前は俺と同じグループで学ぶしかない。何を得られるかは自分で探すんだな」
「……分かりました」
レグルスの話を聞いて、オーウェンは納得した。オーウェンから見てレグルスは色々と問題の多い主ではあるが、こういう面については、出会ってばかりの頃から感心している。レグルスは強くなるということに対して貪欲であり、地味な努力を怠ることがまったくない。それは見習うべきだと思うようになっていた。
◆◆◆
懐かしい道をアリシアはカリカリしながら歩いている。レグルスが約束を破ったことを怒っているのだ。話をする時間を作るとレグルスは約束したが、放課後、アリシアが彼の教室に行くとすでに帰った後だった。
逃げられたのだから仕方がない、とは彼女は諦められなかった。明日にしようとも思わなかった。それだけ怒っているのだ。
アリシアが選んだのは、多少無理をしても、レグルスに会いに行くというもの。屋敷にまっすぐ帰ることなく、都合の良いことに学院支給の制服のひとつであるフード付きマントで顔を隠し、実家に向かうことにしたのだ。
「あの野郎。会ったらひっぱたいてやる」
怒りの感情を呟きながら歩くアリシア。だが、その怒りは実家に到着した途端に、消え去った。
「……これ、何?」
暮らしていた屋敷は改築されていて、以前はなかったものが作られていた。どう見ても墓にしか見えないものが。墓石に刻まれていた名を、心に強い抵抗感を覚えながらも、確かめてみる。
そうであって欲しくないという名が、そこに刻まれていた。
「…………」
立っていることが出来なくなって、アリシアはその場に膝をつく。溢れ出る涙で視界が滲み、墓石の文字は見えなくなった。
何かの間違いであって欲しいと強く願う。だが、これは事実なのだという諦めの思いも心に湧いてくる。後悔の思いがアリシアを苦しめる。これは両親を捨てたことへの罰。こんなことまで考えてしまう。
「……失礼だが、関係者なのか?」
様々な思いが駆け巡り、どれだけの時が経ったのかも分からなくなった頃、声をかけてきた人がいた。
「私は……」
「娘です」という言葉がすぐに口に出来なかった。そのことに、アリシアはひどく落ち込んでしまう。
「マラカイ、いや、その容姿だとリーリエの親戚か? 彼女は亡くなっている。彼女だけでなく家族全員が火事で死んだ」
「……そう、ですか」
声をかけてきた男は、否定しようのない事実を伝えてきた。やはり両親は亡くなったのだ。そう思ったアリシアの心は、さらに暗く沈んでいく。
心の中で様々な感情が渦を巻き、何が何だか分からなくなる。
「わざわざ訪れたのにこのようなことで大変だな。今晩、泊まるところはあるのか?」
「……大丈夫です。宿をとっていますから」
親切な人、とはアリシアは思えなかった。男が放つ雰囲気は、一般の人とは違うように感じる。堅気ではないと思って、警戒心が湧いてきた。
「よければ宿まで送ろう」
「い、いえ、大丈夫です。すぐ近くですから」
男に怪しさを感じて、慌てて実家から去ろうとするアリシア。男が追ってこないか警戒しながら、かなり速足で歩いて行った。
残された男は、アリシアの後を追うようなことはしない。目的はもう果たされたのだ。
「なるほど。あいつを追い払うには、貴方にお願いするのが正解みたいだ」
「それはどういう意味ですか?」
男の、バンディーの目的はアリシアをここから去らせること。花街の男衆であったバンディーの明らかに堅気ではない雰囲気は、それに役立った。
「しかし、行動早いな。しかもあれ、また来るな」
「また追い払うのですか?」
「……いや、いつかはバレることだ。問題は……まあ、親戚であることを否定しなかったから隠す意思はあるのかな? でもな……」
両親が殺されたことは、いつかアリシアの耳に入る。それは避けられないとレグルスは諦めている。問題は彼女の素性を隠すこと。ここで生まれ育ったリサは死んだ。アリシア・セリシールはリサとは別人であることにしなければならない。その為には、この場所に近づくべきではない。ここには小さい頃から彼女を知っている人が大勢いるのだ。
「彼女は……」
バンディーもリサを知っている一人だ。何も聞かされないままに彼女を追い返すことだけを頼まれていたので、死んだはずのリサが生きていたことに内心ではかなり驚いていた。
「その先を言葉にしない分別は正しい。彼女はアリシア・セリシール。今のところは俺の婚約者だ」
「婚約者?」
「今のところは。真実を知れば、彼女はブラックバーン家に嫁ぐ気などなくなる」
「……そうですか」
それはつまり、アリシア・セリシールとリサは同一人物であるということ。両親を殺したブラックバーン家、バンディーはレグルスからそう聞かされているだけだが、に嫁ぐ気になるはずがないという話は分かる。
だが、レグルスはどうなのか。彼は本当の家族を、本気で仇だと思っているのか。これについては、バンディーには分からない。想像することも出来ない。彼の行動はブラックバーン家との確執があることを示しているが、それだけでは想いの強さまで分かるはずがない。
「……きちんと話したほうが良いかな? その上でここに近づくなと言えば、さすがにあいつも納得するか」
「それを自分の口で?」
真実を語るレグルスも辛いのではないか。バンディーはそう思った。何故、何から何まで自分で背負おうとするのか。成人したばかりの彼に、背負いきれるものなのか。親分に言われた「支えてやってくれ」という指示を、まったく守れていない自分がバンディーは情けなかった。
「……他に誰が?」
口の端に笑みを浮かべて、レグルスは問い返す。何かを悟っているような、全てを諦めているようにも見えてしまうその笑みを見るのが、バンディーは辛かった。