彼はまた王家主催のパーティーに参加することになった。開催を聞かされた時、迷うことなく欠席を決めたはずのパーティーだ。だが彼は今こうしてパーティーの場にいる。実家に強制されたからではない。第一王子から参加するように頼まれたからだ。では何故、第一王子はわざわざ彼にパーティーに参加するように頼んだのかとなると。
「レグルスはこのドレスをどう思う? 聞いても貴方にはドレスの良し悪しなんて分からないかしら?」
「そうですね。王女殿下がお召しになったドレスであれば、どれも私には最高の物に見えてしまいます。ただ今日のドレスは前回お会いした時のよりも大人な雰囲気が感じられます。気のせいかもしれませんが」
エリザベス王女に彼を絶対に呼ぶように頼まれたからだ。王女は、第一王子に対しては、彼への好意を隠さなくなっている。協力者として選ばれたのだ。言いなりになると思われているだけかもしれないが。
「……分かるのね。大人っぽくしてもらえるように頼んだの。私ももう成人だから」
嬉しそうに笑うエリザベス王女。さらに、さりげなく自分が結婚出来る年齢になったことを伝えてくる。
「もう成人ですか……大丈夫ですか?」
「なんのことかしら?」
「世界中の男たちが求婚してきて大変でしょう? 送られてくる肖像画を見るだけで一日が終わってしまいそうですね?」
「そんなことないもの」
この彼のお世辞は、エリザベス王女を喜ばせることは出来なかった。王女は世界中の男たちからの求婚など望んでいないのだ。
「まさか王女殿下とこんな話をする時が来るなんて。子供の頃が遠い昔のように思えてしまいます」
「初めて会ったのは、確か、七年前ね? その時のレグルスはもっとまん丸だったわ」
「ああ、そうですね」
エリザベス王女と初めて会った時の記憶はない。ただ記憶がなくても自分の体形がどのようなものであったかは想像がつく。
「……あ、あの、ありがとう」
「えっ? いきなり何ですか?」
「犬に襲われた私を助けてくれたこと。私はこのことに、これまで一度も御礼を言えていなかったわ」
エリザベス王女が彼に好意を持つにはそれなりの理由がある。幼い頃に犬に襲われた自分を助けてもらったことがあるのだ。そのせいでレグルスは結構な怪我を負って、血だらけ。その時は怖くて、その後も改めて御礼を伝えるタイミングが掴めなくて、今日まで来ていた。
エリザベス王女が彼に冷たい態度を見せていたのは、彼がしでかした数々の行いのせいだけでなく、この負い目もあったからだ。
「……当たり前のことを行っただけではないですか?」
そういう事実があったことは彼も知っている。記憶に残っているのではない。十歳になる前の記憶がまったくないのはどうかと思って、付き人に、過去に自分の身に起きた、誰もが知っている出来事を調べさせたのだ。
「でも、レグルスはとても怒っていたわ」
「えっ?」
「私が逃げてしまったから」
御礼を伝えられなかった理由にはこれもある。自分を置き去りにして逃げたエリザベス王女に対して、当時の彼はひどく怒っていた。当たり前のことをした、なんて態度とは正反対だったのだ。
「……子供だったので。よく覚えていませんけど、きっと勇気を振り絞って犬に立ち向かったのに、頑張っている姿を見てもらえなくて悲しかったのではないかと」
当時の詳細など彼は知らない。思いついた嘘で、誤魔化そうと考えた。
「ごめんなさい」
「謝罪は無用です。きっと私は王女殿下の笑顔が見たくて頑張ったのです。泣き顔を笑顔に変えて『頑張ったね』と言ってもらいたかったのだと思います。だから、この件で王女殿下の暗い顔は見たくありません」
誰がどう聞いても彼のほうからエリザベス王女を口説いている。しかも、まだ十三歳の子供の口説き方ではない。今からこれでは、北方辺境伯の孫はどんな女たらしになるのだ。周りはこのように評価することになる。
「じゃあ……ありがとう。よく頑張りました」
笑顔を浮かべて、彼を誉めるエリザベス王女。
「……やはり、王女殿下には笑顔がよく似合います。私の頑張りは報われました」
これは彼の本心。別の女の子の笑顔を頭に浮かべてしまったが、それでもエリザベス王女の笑顔は素敵だと思えた。彼の顔にも笑顔が浮かぶ。
「花街なんてものは今すぐ失くしてしまうべきだ」
その彼の笑顔を曇らす話が耳に届いた。
「そんな簡単なものではないだろう?」
「売女風情が貴族を馬鹿にしたのだ。簡単なことではない」
花街について話をしているのは、桜太夫に恥をかかされた貴族。恥をかかされたというのはその貴族側の言い分であって、花街から見れば、許されない行いをしたのはこの貴族のほうだ。
「そうだとしても、花街には花街の特権がある」
花街には、花街を起こす当時の国王から与えられた特権がある。特殊技能を与える代わりに得た特権だ。この経緯は秘密とされていても、特権があることは一般に知られている。一般といっても、花街に遊びに行けるような人たちだけだが。
「その特権が問題なのだ。どうしてあんな場所にそのようなものを許さなければならない? そんなものがあるから、奴らは付け上がるのだ」
「付け上がる……いや、まあ、敷居は少し高くはあるが」
話し相手も花街で遊んでいる。楽しく遊べているので、相手の話には否定的なのだ。
「だったら別の場所にもっと気軽に遊べる場所を作れば良い。金を払う側が卑屈にならなければならないなんておかしいだろ?」
「それは……まあ、そうだけど」
もっと気軽に、安く遊べる場所があるのは話し相手にとっても良いことだ。これに関しては、相手の意見に同調した。
「良い機会だ。陛下に進言申し上げてくる」
「お、おい?」
それはさすがにやり過ぎ。そう思ったが、酒が入っている話相手は、面倒くさい男であることを知っている。下手な止め方をすれば、怒りは自分に向けられることになると分かっている。声を掛けるだけで、積極的に止めることはしなかった。
「それは随分と野暮なやりかたですね?」
「なっ、や、野暮だと?」
男の足を止めたのは「野暮」の言葉だった。
「貴方はナラズモ侯爵殿?」
「ああ、そう……これはレグルス殿。お会いするのは久しぶりだな」
相手が北方辺境伯の孫だとすぐに気が付いて、荒々しい態度をすぐに抑えた侯爵。
「久しぶり……初めてではないですか?」
「そうだったかな?」
北方辺境伯家に相手にされないような存在。そう思われるのが嫌で、久しぶりなどと言ったのだが、それは彼によって、あっさりと否定された。会っていたとしても覚えていない。そんな存在にされてしまったのだ。
「ただ、お名前は聞いています。近頃、評判ですから」
「評判?」
「花街で貴族であることを笠に着て、横暴なふるまいを行った野暮な男。こう噂されていますよ? 王都のあちこちで」
「なっ……そ、そんな馬鹿な……」
王都での噂話などどうでも良い、とは侯爵は思わない。世間の評判というものは無視できない。北方辺境伯家さえ、それなりに気にしているのだ。侯爵であっても北方辺境伯に遥かに力が劣るナラズモ侯爵では、尚更だ。
「それを気にして陛下に告げ口したなどと知られれば、噂はどのようなものになるのでしょう? 野暮に野暮を重ねるのは悪手だと、私は思います」
「……ではどうすれば良いと?」
彼の態度は、明らかに花街の側を支持しているものだ。それが北方辺境伯家全体の意思であるかなど侯爵には分からないが、安易に反発して良いはずがない。ナラズモ侯爵にはそれが出来る勇気はない。
「どうすれば……詳しそうな人を知っているので聞いてみましょうか?」
「それは……そうだな。頼む」
「では聞いてみます。良い解決策が見つかれば、こちらからお伝えします」
「ああ、そうしてもらおう」
はたして彼は本当に解決策を調べてくれるのか。そう言って、事態を放置したままにするのではないか。こんな思いもないわけではない。それでも受け入れるしかない。次代の北方辺境伯である彼の父親が、他の辺境伯家の人々もいる、この場で伸ばされた手を振り払うことは出来ない。北方辺境伯家の彼に話しかけられた段階で、侯爵には自らの主張を押し通すことは許されなくなっている。守護五家というのは他の貴族家にとって、そういう存在なのだ。
◆◆◆
花街に入るには、濠にかかる木戸大橋を渡らなければならない。かつてそこが軍事施設であった時にはなかった橋。濠を花街全体を囲むように拡張した時に、造られた雄一の出入口となる橋だ。
その木戸大橋に彼はナラズモ侯爵と来ている。自らの行いにより世間で悪評が立てられているナラズモ侯爵が、どのようにしてその状況から抜け出せるのか。それを知ることが出来、実際にその通りにする為に連れてきたのだ。
「……本当に大丈夫なのか?」
まだ到着したばかりだというのに、ナラズモ侯爵は彼の話に乗ったことを後悔している。木戸大橋の入口に建てられた立て看板。自分自身の花街への立ち入り禁止を告げる看板のせいだ。
「大丈夫だと思うから、ここに連れてきたのです。ああ、来た」
彼自身はナラズモ侯爵をここまで連れてくる役目。そのあとのことは花街を良く知る人物にお任せだ。その人物が二人が待っている場所にやってきた。
「お、おい?」
その人物の姿を見て、ナラズモ侯爵はさらに不安になってしまう。侯爵も会ったことのある人物。桜太夫に殴りかかろうとした自分を止めた、侯爵としては命の危険を感じさせられた相手、マラカイなのだ。
「待たせたな。さて……当人に、本気でなんとかしようという気持ちはあるんだろうな?」
彼に頼まれて、事態打開に動くつもりだが、本人がいい加減な気持ちであれば上手く行くはずがない。上手く行かないと分かっているのに間を取り持つつもりはマラカイにはない。
「何をするかは説明してある。その上でここにきているのだから、謝罪する気はあると思うけど?」
「ふむ……では本人に聞いてみよう。頭を下げることになる。実際に頭を下げてもらうし、心も込めてもらわければならない。その覚悟はあるのだな?」
「……ある」
平民に頭を下げることに抵抗がないわけではない。だが、そうしなければ自分の悪評は消えない。自分の知らないところで、知っている人たちにもそんな噂をされるほうが屈辱なのだ。
「……まあ、良いか。しくじれば事態はさらに悪くなるだけだ。俺自身は頭を下げることに抵抗なんてねえからな」
「……お前も一緒に謝罪してくれるのか?」
「いや。仲立ちが失敗した時の話だ。謝罪が上手く行かなければ、その場を作ることを受け入れた側に恥をかかせることになる。それは間を取り持った俺の責任だからな」
相手方は間に入った人間を信用して、謝罪の場を作ることを受け入れるのだ。それが上手く行かなければ、相手の信頼を裏切ることになる。
「……そうなるのか」
何故、そんなことを請け負ってくれたのか。それがナラズモ侯爵には分からない。自分に対する印象はかなり悪いはずなのだ。
「さて、じゃあ、呼びに行ってくる。ナラさんとアオはここで待っていてくれ」
「ナラさん? アオ?」
「ナラさん」が自分のことであるのは分かる。だが何故、そんな呼ばれ方をされなくてはならないのかが分からない。
「侯爵として謝罪するよりは良いでしょ? 貴方はナラさんという一人の男として、けじめをつけに来たのです」
その答えは、さっさと行ってしまったマラカイに代わって、彼が教えてくれた。
「……そうか」
無礼な呼び方だと思ったが、そういう理由があると知れば、相手の気遣いと受け取れる。粗野な外見や態度の男だが、そういう気遣いが出来るのかと侯爵は少し驚いている。
「アオは俺のことです。公式の場以外では俺は素性を隠していますので、決して間違った呼び方をしないように気を付けてください」
「では、アオ殿で」
「いや、アオで良いから。肩書とか生まれを取り払えば、年齢でナラさんのほうが目上。こんなガキに「殿」なんてつけないだろ?」
「……では、アオ、で」
口調まで変える彼に戸惑う侯爵。彼としては普段の口調に戻しただけ。近頃はこのほうが自然でもある。今回の件は、彼にとってもリスクのある対応だ。侯爵は自分の素性を知っている。うっかり名で呼ばれれば、それによって嘘をついていることがばれてしまう可能性もあるのだ。
それでもこうしてこの場にいるのは、頼み事を引き受けるというのがどういうことであるかを、今回、マラカイに教えられたから。中途半端な真似はしてはいけないと言われたからだ。
「来たみたいだ」
「あ、ああ、そうだな」
橋の向こう側から行列が向かってくる。賑やかな鈴の音などは一切ないが、太夫道中と同じような行列が。行列の中に桜太夫がいるのは、すぐに分かった。
いよいよご対面。謝罪の時間だ。侯爵の顔に緊張が広がっていく。
「卑屈になる必要はない」
「えっ?」
「ナラさんが行ったことは悪いことだけど、それをちゃんと悪いことと認め、謝罪することは正しいことだ。正しい行いをするのに卑屈になるのはおかしい。堂々と頭を下げれば良い」
「……謝罪は正しいこと……そうだな」
彼の言葉で、怯んでいた心が落ち着きを取り戻す。謝罪は恥ずかしいことではない。そう思えたおかげだ。丸まっていた背中を伸ばし、姿勢を正して、一行の到着を待つ侯爵。
その時はすぐに訪れた。すぐ目の前まで到着した行列。中ほどにいた桜太夫が前に進み出てくる。マラカイも一緒だ。
「さあ、ナラさんも」
「ああ」
侯爵も前に出る。彼に言われた通り、卑屈に見えないように背筋を伸ばし、城内で振舞うように優雅に。その様子を見て、眉を顰める桜太夫。あまりに堂々としているので、謝罪する気がないのではないかと思ったのだ。
「桜太夫。先日の振る舞いは恥ずべきことと、私は心から反省している。太夫の気が晴れるものか分からないが、謝罪を受け取って欲しい。申し訳なかった」
堂々と、そして深々と頭を下げる侯爵。それを見た周囲から、わずかではあるが、驚きの声が漏れ出る。侯爵がここまで、しっかりと謝罪するとは思っていなかった人たちの声だ。
「……太夫」
マラカイが桜太夫に対応を促す。桜太夫も驚いた一人。謝罪に対して、返す言葉を忘れていた。
「……お気持ちは分かりました。ただ、謝罪を受け取るかどうかは私一人で決められるものではありません。今回の件で私の関わりなどわずか。謝罪すべき人たちは他にいると思います」
「太夫の仰る通り。頭を下げるべき人は他にもおります。その人たちへの取次を太夫に頼むことは出来ますかな?」
「……お受けしましょう。では、ご案内します」
桜太夫のこの言葉を受けて、人々は来た時と同じような行列を作り始める。
「じゃあ、ナラさんも行こうか」
行列を整えている人たちから一人離れて、マラカイが侯爵を迎えに来た。
「ああ……この先は?」
行こうと言われれば付いていくが、どこに行くのかが分からない。
「ナラさんが取次を頼んだ謝るべき人がいる場所は?」
「……茶屋か」
事が起きた現場。そこに謝罪に向かうのだと侯爵は知った。
「その通り……なかなか見事な謝罪だった。教えてもいないのに桜太夫に謝罪の取次を頼むところなんざ、完璧だったな」
「そうか。それは良かった。だが、まだこれからだ」
ここからが本番だと侯爵は考えている。桜太夫に殴りかかったのは未遂。本当に酷いことをした相手は茶屋の使用人たちだ。その彼らにはこれから謝りに行くのだ。
「ここから先は任せろ。きっちりと最後まで面倒見てやる」
「それはありがたいのだが……どうして私の為に?」
「……アオが引き受けたから。俺はアオを信頼している。そのアオが信頼したナラさんを俺は信頼する。だから俺を信頼してくれる人たちに対して、謝罪を受け入れて欲しいと頼める」
「そうか……」
その彼は黙って後ろを付いてきている。彼が自分を助ける理由もない。マラカイと同じ問いを向ける相手だ。だが侯爵はそれを声にすることはしなかった。野暮なことを聞かないでください。こんな風に言われるだけ。何故だかそうだと分かったのだ。