いつものように郊外の開墾地に行き、鍛錬を始めるはずだった彼。だが、そうはならなかった。その場では彼女とリキが先に到着して、彼が現れるのを待っていた。二人だけではない。彼の知らない、同い年か少し上くらいの男の子たちも集まっていたのだ。
「……俺はここに鍛錬をする為に来ているのであって、貧農救済を目的としているわけじゃない」
集まっていた男の子たちは、リキと同じように自分の農地を持ちたくて、ここに来ていた。それを彼女から聞かされた彼の答えがこれだ。
「そんな冷たい言い方しないでよ。私がお願いしているのよ?」
男の子たちから頼まれたのはリキだが、この場を作ったのは彼女だ。リキにはまだ、図々しいと思ってしまうような願いを彼に直接伝える勇気はなかった。
「お前がお願いしているからって……俺はお前の何だ?」
「それは……なんというか……弟、みたいな?」
「ふざけるな! 俺が兄でお前は妹だ!」
「怒るのは、そこ?」と思ったのは黙って話を聞いているリキたち。それを突っ込む為に口を開くことはない。リキにとってはいつものことで、他の男の子たちは初対面の彼にそんな馴れ馴れしい態度を向けることは出来ない。
「どうして? どう考えても、私が姉でしょ?」
転生する前の彼女はもっと年上。彼よりも自分のほうが大人だと思っている。
「どう考えても、俺のほうが大人だ」
何度も人生を繰り返している彼は、累計では数百歳。ただこの台詞は、子供っぽくムキになっているだけだ。
「じゃあ、この際だからはっきりさせようよ。誕生日はいつ?」
「それは……」
「ほら、早く言いなさいよ」
彼の戸惑いを見て、彼女は勝利を確信した。彼の誕生日は年の後半。だから動揺しているのだと考えたのだ。ただ、これは勘違いだ。
「……知らない」
「惚けるな」
「惚けていない。俺は自分の誕生日を知らない」
彼女に問われて考えてみれば、自分の誕生日を彼は覚えていなかった。それを知って、そんな記憶もなくなっているのかと思って、動揺したのだ。
「嘘でしょ? お祝いとかあるでしょ?」
「そんなのあるはずないだろ?」
「……それでどうして自分が何歳か分かるの?」
誕生日が分からなければ、今、何歳かも分からないはず。だが彼は彼女と同い年だと言っている。年齢は分かっているのだ。
「たまに会う侍女が何歳かを教えてくれる。ああ、誕生日は分からなくても、誕生月は大体分かる」
「どうして侍女が誕生日を教えるの?」
本当に知らないのだ、と思い始めているものの、まだ疑問も残っている。侍女が教えてくれるというのもそうだ。
「どうしてと言われても、教えてくれるから? 意味はないと思う。俺がその侍女としか話さないから、特別に聞こえるだけだ」
教えてくれるのは、毎朝、飲み物を用意しておいてくれる侍女。年に一度、「何歳になりましたね。おめでとうございます」と言ってくるのだ。ただ毎朝、顔を会わせるわけではない。侍女が運んでいる時と彼が部屋を出るタイミングが合った時だけ。それは滅多にあるものではないので、それが誕生日当日というわけではない。
「その侍女としか話さない……可愛い人なの?」
それは特別ということだ。その侍女がどういう女性なのか、彼女は気になってしまう。
「可愛い……どうだろう? 気をつけて見たことがない。それに可愛いかどうかなんてどうでも良いだろ?」
「そうだけど……話すのは、その人だけなのでしょ?」
「だからそれと外見は関係ないだろ? 働いている中で唯一まともだと思える侍女ってだけだ。ああ、最近、話をする奴は一人増えたか」
外見は関係ないは本当だろうと、周りで聞いている男の子たちは考えている。彼女よりも可愛い女の子など、そういるものではないと思うのだ。
「……じゃあ、良い。誕生月は分かるのね? じゃあ、それで勝負よ」
「後出しが出来ないように同時に言うぞ」
「ええ。じゃあ、サン、ニー,イチね。サン……ニー……イチ!」
「「六月だ(よ)!」」
周囲から一斉に溜息が漏れる。男の子たちは二人のどちらが上かの勝負を見に来たわけではない。早く話を元に戻して欲しいのに、決着がつかなかったことで、まだ二人のやり取りが続くのかと思って、うんざりしてきている。
「……分かった。じゃあ、俺が譲ってやる」
「ほんと!?」
「まだ喜ぶのは早い。生まれた日を言え。月の前半ならお前が姉。後半の場合は俺が兄だ」
「えっ……」
今度は彼女が動揺する番だった。
「ほら、早く言え」
勝利を確信した彼だったが、これも勘違いだ。
「……十五日」
「はっ? 半端……どうしてそんな中途半端な日に生まれた?」
彼女が生まれた日は、微妙な日だったのだ。
「人の誕生日を半端とか言わないで。それに十五日は前半だから」
「そうだとしても……良いや。俺が誕生日をちゃんと調べれば良いだけだ。勝負はお預けにしよう」
さすがにこれ以上、この話題で引っ張るのは待っている男の子たちに申し訳ない。そう思って彼は生まれた日が前半か後半かという、彼にとっては妥協をしたのだ。勝負は先に持ち越すことにした。
「そうね。じゃあ、本題」
「こいつら全員の開墾許可申請を手伝う。手短に結論だけ言うと無理。出来ない」
「どうしてよ!?」
ようやく話が戻ったと思ったら、彼ははっきりと拒絶してきた。これには彼女が納得出来ない。
「金がないから」
「はい?」
返ってきたのはまさかの答え。彼の口から「金がない」なんて言葉が出てくるなんて、彼女はまったく考えていなかったのだ。
「開墾許可申請を行うには保証金を用意しなければならない。こいつらそんな金ないだろ?」
「お金いるの?」
「ああ、言っていなかったか。結構な金額が必要だ」
保証金のことは彼女に伝えていなかった。リキにもだ。金のことで二人に引け目を感じさせたくない。この件に限らず、彼はこう思っている。食事や差し入れは彼の金で用意されたものではないという、彼のほうに引け目があるからだ。
「リキの分は?」
リキにそんな金があるはずがない。答えは分かっている。
「リキの分は俺が立て替えた。だが同じだけの金額をすぐに用意するのは無理。もう売る物がない」
「売る物って……?」
自分はとんでもないことを彼に頼んでしまっていたのではないか。ようやく彼女はそれに気が付いた。
「そのまま。持っている物を売って金を作ろうにも、売れる物が今はない」
「アオ……ごめん……」
「はっ? 謝るな。保証金は開墾が終わって所有者登録すれば返ってくる。その戻ってきた金をまた保証金にして、次の開墾先を申請する。これを繰り返す」
いつかは戻ってくる金。謝罪されるようなことはしていないと彼は思っている。だが彼がそう思っているからといって、何も感じないほど彼女もリキも無神経ではない。リキなどは泣くのを堪えるのに精一杯で、彼に声をかけることも出来なくなっている。
「それにこの場にいる全員が農地の所有者になることが良いことだと俺は思わない」
「でも自分の農地を持っていたほうが収入は多くなるって」
「本を読んだだけだけど、少しは勉強した。広い一つの農作地で作物を育てるのと、足せば同じ面積だけどバラバラに育てるのでは大きな農作地のほうが効率が良い」
大規模農地のほうが作業効率は良い。これは詳しく調べなくてもなんとなく分かる。彼女もそうだろうと思った。
「ただ逆に一か所よりも離れた場所にいくつもあるほうが良いこともある。不作の時とか。一か所が不作でも他の場所はそうではない場合があるみたいだ。遠く離れていなくても」
「……虫の被害もあります。一か所を虫に襲われて全て駄目になっても、他の場所での収穫は守られます」
彼の話にリキが補足した。彼だけでなく、他の男の子にも知っている人はいる。虫に全てを台無しにされた経験がある、もしくは親がそういう目に遭ったのを知っているのだ。
「ああ、それもあるか。じゃあ、どうするのが良いかを考えてみた」
「良い方法があるの?」
「一人が大農家になって他の人はその人の農地で働く。それでは駄目だから自分の農地を持ちたいのだと思うけど、それは雇われている相手が悪いだけだ。収穫で得た収入を平等に配分してくれる人であれば、問題は解決する」
広い農地を所有する人がいて、そこで農地を持たない人が働くということ自体は悪いことではないと彼は考えるようになっている。問題はその所有者が富を独占しようとすること。それさえ解決すれば良いのだ。
「そんな良い人がいるの?」
そういう大農家がいるのであれば、彼らは、彼らの家族は苦労していないと彼女は思う。これについては彼も同じ考えだ。
「いない。いないから、リキがそういう所有者になれば良い」
「あっ」「えっ?」
「富を一緒に頑張って働いた人と公平に分ける。そういう所有者にリキがなれば良い。ここだけでなく、他の場所にも農作地を持って、多くの人が働けるような場所を作れば良い」
リキであれば公平な配分を行う大農家になる。彼はそう信じている。他人を信用しない彼だが、リキのことはずっと見てきて、信じられる人物だと判断した。裏切られても自分に人を見る目がないのが悪いのだと諦められる相手だと思えるようになった。
「このまま三人で開墾を続けるよりも、彼らに手伝ってもらったほうが早く終わる。そうなれば予定よりも早く次の開墾許可申請が出せる。終わればまた次。農作地になった場所で収穫が出来るようになれば、収入が得られる。それが増えて、もう一か所分の保証金を貯められれば、その時になって初めて、二人目の申請を考えれば良い」
大勢で開墾を行ったほうが、当然、早く農作地に出来る。早く収入が得られるようになる。それを全員で分配すれば良い。もしくは全てを貯めて、申請できる箇所を増やしても良い。
「問題は彼らがリキを信じるか。それだけだ」
開墾を手伝っても全てをリキが独り占めしてしまうのではないか。そう思っている人は、この話に乗らない。人数が減れば、その分、開墾は遅れる。収入を得られる時期も遅れ、全体としての収入額も少なくなる。彼らの決断次第で、この先の状況は変わるのだ。
「……俺は、信じます」
「俺も」
「俺も信じます」
次々と「信じる」と答える男の子たち。彼らはリキの誠実さを知っている。情報を独占することなく、自分たちにも農地持ちになれる機会を与えようとしてくれたことでも、それは明らかだ。
だが、彼らが信じたいのはリキではない。彼だ。彼が貴族だからではない。彼の言葉を、彼の言葉から伝わってくる想いを、彼らは信じたのだ。彼よりも年上の子もいるが、皆、彼を尊敬し、「この人であれば信じられる。付いていきたい」と思ったのだ。
「では決まりだ。皆で協力して開墾する」
「……君って人は」
「えっ? お前、何で泣いている?」
声をかけてきた彼女の両の瞳からは大粒の涙がボロボロこぼれている。それに驚く彼。彼には彼女が泣く理由が分からない。
「立派になったねえ。お姉さんは嬉しいよ」
「……どさくさに紛れて上下関係を決めるな」
「だって……」
それは彼女の照れ隠し。堪えきれなかった涙を彼に見られたのが恥ずかしいのだ。彼女は素直に感動している。彼女は彼に施しを求めた。だが彼が与えたのは自立への道。自分の期待を上回ってみせた、彼を尊敬した。自分もこういうことが出来る人にならなければと思った。そう思わせてくれる彼が誇らしかった。
この日、彼は男の子たちだけでなく、彼女にも大きな影響を与えることになった。この先、彼女が多くの人を救うことは定められたことだが、その考え方の礎を作ることになった。
◆◆◆
開墾に携わる人が増え、この先、計画は大きく進展することになる。良かった、良かった、では彼は終わらない。まだ何か出来ることはないかと考えるのが彼だ。思いつくこと全てを行ったつもりでも結末は変わらない。それで諦めるわけにはいかないと思えば、前回思いつかなかったことを考えて考え抜いて、見つけるしかない。こういう生き方を繰り返してきたので、記憶の有無に関係なくそうしたやり方が身についているのだ。
「ああ、いたか」
内壁の門のところで、いつものように付き人が待っていた。普段は煩わしいと思う彼だが、今日は違う。付き人に用があるのだ。
「お帰りなさい。えっと……その方は?」
彼と一緒にいる驚くほど可愛い女の子が付き人は気になる。付き人が待っているようになってから、彼は彼女と一緒に門をくぐることはなくなっていた。付き人が彼女に会うのは初めてなのだ。
「ああ、妹だ」
「おい?」
さりげなく自分を兄にした彼に軽く突っ込む彼女。ただ今は、いつものやり取りに広げている場合ではない。
「隠し子だから、誰にも話すなよ。誰が妹の存在を知っているか分からない。俺たち二人もお互いが何者かまでは知らない。そうしておいたほうが良いと思っている」
彼女の突っ込みを無視して、嘘の説明を付き人に向かって行う彼。それを聞いたことで、彼女も文句を言うのは止めにした。
「えっと……それを私が知ってしまって良いのですか?」
「駄目だろうな。でも大丈夫。俺が話さなければ良いだけだ」
「それは……」
強制的に脅しの材料を作られた。付き人は隠し子の存在を話した彼の意図を理解した。これも付き人が持つ情報の誤り。愚鈍な子と聞いていたのだ。そうでなくても、こんな嵌められ方をするなんて、予測出来るはずがない。
「お前にひとつ聞きたい。俺はどれだけの金を自由に動かせる」
「私に聞くことですか?」
「俺は知らないからな。ずっと一緒にいろと言われたのだから、任されている金があるのだろ?」
小遣い以外にも、自分の為に使う金を付き人は与えられているはずだと彼は思っている。それがどれくらいかを知りたいのだ。
「金額は決められていません」
「持っている金は?」
「おそらくはレグ」
「ああ、良い。そうか、思っていたほどではないか……残念だな」
あやうく付き人に名前を呼ばれそうになった。すぐに気づいて割り込んだが、これ以上は付き人に話させないほうが良いと彼は考えた。これを想定していなかったのは彼の失敗だ。
「……お金が必要なのであれば、使ったことにすれば良いのではないですか?」
「ん?」
「ツケにしたことにして、その支払いの為と言って請求すれば」
北方辺境伯家の名を出せば、大抵の店は掛け売りにしてくれる。普段からそういう買い方をしているはずだ。もしくは屋敷まで商人のほう商人を沢山抱えて売りに来るか。架空の買い物の金額を請求すれば金は手に入れられると付き人は考えた。
「お前、悪党だな」
「あっ……も、申し訳ございません!」
「謝るな。これは褒めている。でも、店の協力が必要だな。花街……は巻き込みたくない。お前、協力してくれる店を探せ。分かっていると思うけど、嘘の請求書を作ってくれる店だ」
さすがに口で言っただけでは実家も金を出してくれない。これくらいは彼も分かっている。確かに買い物をしたという証拠として、店からの請求書が必要だ。もっと言えば、請求書を届けに来る人間も必要だ。やるとなれば、すぐにバレるような中途半端な方法は取らない。これも身についたものだ。
「そんなことは……」
「出来るだろ? じゃあ、任せたからな」
問答無用。不正に協力してくれる店探しを付き人に押し付けて、彼は歩き出した。
「ねえ、アオ。不正は駄目だよ」
「……お前はそれで良い。でも俺は正しくある必要はない。家から引き出す金は、リキたちのような人たちを苦しめて、吸い上げたものだ。その金で暮らしている俺に正義なんて、始めからない」
「アオ……」
彼が何故、金を欲しているのか。リキたちの為であることは彼女には分かっている。目的は手段を正当化する。こういう言葉があることも彼女は知っている。
だが、彼が手を汚すことが正しいこととは絶対に思わない。それで彼が傷つくようなことには決してなって欲しくない。彼女は、彼には日向が似合うと思っているのだ。