月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

霊魔血戦 第37話 イライラがおさまらない

異世界ファンタジー 霊魔血戦

 時々、作業場に通って行軍訓練の準備を行う以外は、それまでと変わらず鍛錬ばかりの毎日を過ごしてきたサーベラス。その間にクラリス以外のチームメンバーの態度まで変化し、ルーはさらに落ち込んでしまうのだが、サーベラスのほうはまったく気にする様子を見せない。自分がやるべきことに集中していた。何を行わなければならないのか、サーベラスには分かっているのだ。分かっていれば、必要ないことに気をまわして時間を無駄にすることはない。そう考えているのだ。
 行軍訓練の日が近づくにつれて、サーベラスが放つ雰囲気は鋭さを感じさせるものになっていく。他に理由がなくても、その雰囲気を感じるだけで話しかけるのを躊躇ってしまうくらいに。

(……なんか、こう、もっと穏やかに出来ない?)

 そのサーベラスの雰囲気の変化をもっとも感じているのはルー。いよいよ出発となって、サーベラスの尖った雰囲気も最高潮に達した、と判断したところでルーは、それを本人に伝えた。

(はっ? 何を?)

(遠足だと思って、もっと楽しく取り組んだほうが良くない?)

(遠足ではなく遠走。それもこんな重い荷物を背負っての)

 何もなくても笑っていれるような状況ではない。背負っている荷物は予想以上に重い。それなりに鍛えてきたつもりのサーベラスでも、期限前に帰還出来るか不安に思うほどの負荷だった。

(じゃあ、助け合って頑張るとか?)

(それ、相手が望むか? 声をかけてもルーが落ち込むことになるだけだと思う)

 チームメンバーがサーベラスに向ける態度は、全員が全員そうではないが、ルーにとって末期的と言えるもの。この訓練でもっとも助けを必要とするだろうブリジットなどは、あからさまにサーベラスを避けるようになっているのだ。

(だからこそ、こちらから手を差し伸べて……も状況は改善しないか)

 自分がどれだけ頑張っても無駄。そういう経験をルーはしている。今回も同じだと思ってしまう。

(そういうこと。それにこの訓練は心を鍛える為のもの。人に助けられて期限に間に合っても意味はない。チームとしての訓練ではなく、個人を鍛える為のものだ)

 辛さに耐えかねて、前に進むことを諦めてしまうような弱さでは、守護兵士として通用しない。仲間の足手まといになるような存在では駄目なのだ。相手の態度がどうであろうと、ただ走るだけ、前に進むだけのことに救いの手を差し伸べるつもりはサーベラスにはない。訓練の目的を果たすことに、真面目に拘っているのだ。

(ひとつ思うのだけど、サーベラスにこの訓練必要?)

 耐えがたい苦痛に耐えて、自分を鍛える。ルーと入れ替わったあとのサーベラスは、ずっとそれを行ってきた。ルーはずっとそれを見てきた。それに比べると、重い荷物を背負って走る程度のことが心の鍛錬になるのかと、ルーは疑問に思った。

(俺にとっては心ではなくて体の訓練。ここまでの負荷を継続するのは久しぶりだから、やる意味はかなりあると思っている)

 サーベラスにとってのこの行軍訓練は鍛錬の成果を確かめる為のもの。今の自分の持久力と回復力がどの程度のものか確かめる良い機会だと考えているのだ。

(こういう鍛錬も前にしてたの?)

(いや、ちょっと違うな。重い荷物を背負ってとかじゃなくて、何日も寝ないで移動し続けるとか、そういうのはやった)

(何日も寝ないで……そのほうが辛そう)

(どうかな? どこを辛くするかの違いだけだと思うけど? 俺の仕事では力よりも、そういうことが必要だったというだけだ)

 重いのも寝ないのも、どちらも辛いとサーベラスは思う。前世での自分が、この行軍訓練を行って、今くらいの余裕があるとは限らない。ルーと入れ替わった当初は前世の自分と同じところを目指していたのだが、色々と考え、試みているうちに鍛えるところが違ってきているのだ。

(間者と兵士の違いってこと?)

(そう。兵士だと不意打ちとかだまし討ちばかりじゃあ、通用しないだろ?)

(ああ……そういうのばかりだったってこと?)

 間者と兵士の違いという意味では、なんとなく理解出来るが、サーベラスの戦闘力はだまし討ちばかりの前世で身につけたものではないようにルーには思える。

(より確実に殺せる方法を選択していたということ。目的を果たすことが重要なのであって、手段はどうでも良いことだ。ああ、手段が求められる時もあるか。殺されたと分からないようにしなければならない時は、色々と考えて、工夫しないと)

(……今まで聞いてこなかったけど……どういう人を殺してたの? 話したくなければ言わなくて良いけど)

(どういう……邪魔な人?)

 どういう人と聞かれてもサーベラスは答えに困ってしまう。殺せと命じられたから殺した。何故、その人を殺さなければならないのかは教えられていなかったのだ。考えることもしていなかった。手段は考えても、理由を考えることが必要だとは教わっていないのだ。

(これ聞いたら怒るかもしれないけど、人を殺すことを疑問に思わなかったの?)

 人殺しは悪だと理解していない。前世のサーベラスがそうであったことは分かっている。だが、どうしたらそんな存在のままでいられるのかがルーには分からない。人殺しが悪だということは、教わらなくても分かっていくことではないかとルーは思うのだ。

(……思ったことはない。前に言っただろ? 俺は他人を人として見ていなかった。物を壊しても罪悪感なんて生まれない)

(物を壊すことも悪いことだと自然に分かってくると思うけどな)

 以前は伝えられなかった思いをルーはサーベラスに伝えた。もっと踏み込んで聞かなければ、本当の意味でサーベラスを理解出来ないと考えたからだ。今は二人の会話を邪魔する人もおらず、ずっと話していられるという理由もある。

(ああ……どうだろう? もっと大人になるまで生きていたら違ったのかな? 少なくとも今は分かっているからな)

(……そういえばサーベラスって、いくつで死んだの?)

 こんな基本的なこともルーは知らない。亡くなった時の事情がなんだか複雑そうで、聞きづらかったのだ。

(う~ん、成人はしてたから……多分……十八か十九くらいかな?)

(ええっ!? そんなに若かったの!?)

 返って来たのはまさかの答え。今のサーベラスの年齢、生きていたとしてのルーの年齢だが、と二つ、三つしか変わらないということだ。

(そんなに驚くほど俺、老けているか? ああ、でも、死んでからの年数も足すと若くはないか)

(そういうことじゃなくて……前に、確か、十五歳くらいからの数年は人生において大切な時だとか言っていたから、経験しているのかと思っていた)

(経験しているだろ? 三年か四年。もっとも多く人を殺していた時期だから、最悪な過ごし方だ)

 ルーに伝えた言葉はサーベラス自身の言葉ではない。教えられた言葉だ。そういうものなのかと素直に受け取ったが、実感がこもったものではないのだ。

(十八か十九……そんな短い人生だったのだね?)

(短いという思いはない。俺よりももっと若く死んだ人もいる。それに養成所にだっているだろ?)

(……卒業したあとも、卒業したあとのほうが危険だよね?)

 同期ですでに三人が亡くなっている。それも馬鹿馬鹿しい理由で。守護兵士の、一般兵士や騎士、守護騎士も、もしかすると同じなのかもしれないが、命は軽すぎるとルーは思った。

(兵士だから。国内の争いがどこまで激しいものになるのか分からないけど、殺し合いが仕事だからな。常に死は近くまで迫っていると考えたほうが良い)

 サーベラスにはルーのような思いはない。死は身近なもの。そういう環境で前世を生きていた。その感覚は今も残っているのだ。

(同期の皆も。なんとかならないのかな?)

(その答えを俺は持っていない。考えても答えは出ない。ルーの体を守る。俺が出来る精一杯はそこまでだ)

 争いを無くす。そんなことは微塵も考えたことがない。争いは存在するのが当たり前。だから自分も存在している。サーベラスの感覚はこういうものなのだ。争いのない世界で、自分に存在する価値はない。もともと希薄な生への執着が、戦いがないとなれば、完全に失われてしまうのだ。

(人は何の為に戦うのだろうね?)

(……その答えも持たないな)

 戦う理由は様々であることはサーベラスも知っている。だがルーの問いの答えはそういうことではない。戦いが不要となる答えを求めているのだと、サーベラスは受け取っている。実際にそうだ。戦いなどないほうが良い。それは皆が分かっているはず。そうであるのに戦いは世界から消えない。殺し合いは続くのだ。それは何故なのか。どうすれば戦いはなくなるのか。ルーはそれを知りたいのだ。

 

 

◆◆◆

 行軍訓練初日が終わろうとしている。初日の到達目標へは全員がたどり着けた。さすがに初日から脱落する人はいない。そこまで厳しい行程ではない。だが、当日の負担は確実に翌日以降に影響してくる。目的地への到着が遅れれば、それだけ体を休める時間が削られる。体を休めることが出来なければ、より多くの疲れが翌日に持ち越されることになってしまう。徐々に、確実に行軍は耐え難い苦痛になっていくのだ。
 サーベラスが、この訓練は現時点の持久力と回復力を測るのに良い機会とルーに伝えたのは、これを知っているからだ。目的地に到着してから、いかにして疲れを翌日に持ち越さないように出来るか。それが大切だと分かっているのだ。

「……何か用ですか?」

 疲れを癒そうとしているところに、近頃は珍しい邪魔が入った。個人としての頻度は、実はそれほど変わっていなかったりするのだが。

「用というか……お前は何をしているのだ?」

 サーベラスは野営地のすぐ側にある川の中で寝転んでいる。春を迎えたとはいえ、まだ高山の頂きには雪が残る時期。川の水はかなり冷たく感じられるはずだというのに。

「体を冷やしている」

「この気温でか?」

 サーベラスの行動をクリフォードは異常だと思っているのだ。そう考えるのも当然だ。夏でもないのに、裸で冷たい川の中に入っているのだから。

「水の中に入ってしまえば、思っているほど寒くはありません。ずっとこのままでいれば凍死するかもしれないけど」

 クリフォードが思っているほどの苦行ではない。別に修行しているわけでもない。立ち上がって岸に上がったサーベラスは、近くで焚いていた火に近づいて、体を拭き始めた。
 炎がサーベラスの体を赤く照らしている。女性的な顔からは想像できない鍛え上げられた体を。

「…………」

「聞きたいのはそれだけ?」

「……聞きたいことはまだ聞けていない。何のためにそんなことをしている?」

 クリフォードが知りたいのは、サーベラスの奇行、と彼は思っている行動の理由だ。

「あれ? 知らないの?」

「知らないことを驚くようなことなのか?」

「ああ……分かりません。僕は知っているってだけかもしれない。これは今日の疲れを取ろうとしています。体って激しい運動をすると熱を持つので、それを冷やすことで体の疲労が残りにくくなる、って聞いています」

 一睡もしないで移動し続ける。睡魔に耐えるというだけでなく、いかに体に疲れを貯めないかも大切になる。体を冷たい水で冷やすというのは、その方法の一つとして、前世で教わったことだ。

「そうだとしても、また温めたら意味ないだろ?」

 サーベラスの説明が事実だとしても、今、彼は焚火の前にいる。それでは川の水で冷やした意味がないのではないかとクリフォードは思った。

「これくらいの距離で焚火にあたっていても体の温度はあがりません。これは温めているのではなく、乾かしているのです」

「そうか……色々と知っているのだな?」

 サーベラスのこういう知識はどこで学んだものなのか。クリフォードは疑問に思っている。彼だけではなく、サーベラスを知る人の多くが感じていることだ。

「知識は色々と詰め込みました。僕には必要なことだったので」

「どうして?」

「失った時間を取り戻す為? 正しい表現かは分かりませんけど、そういうことです。これだけじゃなく、僕は人よりも短い時間で色々とやらなければならないから」

 やるべきことは沢山ある。やりたいのに出来ていないこともある。そうしている間に本来はルーのものである人生が失われていく。サーベラスにはすでに時間はないのだ。

「お前……ルークの一族の後継者だったのだな?」

「今更?」

 関係の良し悪しは別にして、入所して一番最初に知り合った相手が、もっとも遅く本当の、表向きのだが、素性について聞いてくる。おかしなものだとサーベラスは思った。

「ずっと寝たきりだったと聞いている」

「そう」

「そうであるのに、何故、色々なことを知っている? 戦い方を知っている? お前には学ぶ時間などなかったはずだ」

 聞いているサーベラスの素性と、実際の彼には矛盾がある。八歳で病に倒れ、養成所入所前まで寝たきりだった人間が、どうしてこれほど強く、様々な知識を持てるのか。クリフォードはおかしいと思っているのだ。

「……まったくなかったわけじゃないから」

「入所直前まで寝たきりだったはずだ」

「ん? 僕そんなこと言ったかな……? もしかして情報源が違うのか……なるほどね」

 フェリックスたちには寝たきりだったことは話したが、それがいつまでかは曖昧にしていたはず。入所直前までと時期を言ってきたクリフォードは、フェリックスたちから情報を聞いたわけではないのだとサーベラスは判断した。

「何を一人で納得している? 俺の質問に答えろ」

「普通に考えて分からない? 入所直前まで寝たきりであるはずがない。目が覚めた時の僕の体は骨と皮だけ。目覚めたというだけで、そのまま、すぐ死んでしまうような状態だった。幸いにも看病してくれていた人のおかげもあって生き延びた。でも、生き延びたというだけで、こうしていられるわけがない。君はこんなことも分からない?」

「それは……確かにそうだが……」

 サーベラスが真実を隠しているのではなくて、自分が持っている情報のほうが間違い。この可能性をクリフォードは考えていなかった。その点をサーベラスに、やや強い口調で指摘されて、戸惑っている。

「……関節を曲げるだけで激痛。そもそも自分で曲げることも出来ない。手伝ってもらって、少しずつ動くようになり、そこから今度は自分で動かせるように力をつけていく。ベッドから出て、立ち上がれるようになるまで、一年以上かかった」

「…………」

 その一年がどのようなものだったのかクリフォードには分からない。想像が出来ない。立ち上がるという当たり前のことが出来るようになるまで、一年以上を必要としたという病の悲惨さを考えることをしていなかった。それにクリフォードは気づいた。

「頑張ったことを自慢しているわけじゃない。もっとやりようがあったのではないかと後悔しているくらいだ。でも、これだけは言える。僕が目覚めてからこれまでやってきたことは、君たちの一生に勝る。絶対だ」

「…………」

 サーベラスの言葉にクリフォードは何も返せない。彼が強いはずがない。知識が豊富なのはおかしい。サーベラスのことを何も知らないで、どうしてそんな風に決めつけてしまったのか。自分の努力が劣っているだけだと認められなかったのか。そんな自分が情けなく思えた。
 クリフォードを黙らせたサーベラスは服を着て、この場から離れていく。あと必要なのは栄養と睡眠。無駄に時間を費やしている場合ではない。
 一人その場に残ったクリフォード。焚火の前に移動して、その場で服を脱ぎ、川に向かって歩いていく。

(……冷た)

 水の冷たさを我慢して、ゆっくりと横になり、体全体を沈めていく。

(……どこが寒くないだ、あの野郎)

 夏の暑い日に水浴びするのとは、まったく異なる感覚。全身の温度が一気に下がった感覚には気持ち良さなどない。ただの我慢大会だとクリフォードは思ったのだが。

(…………)

 凍える体を川からあげて、焚火の近く、といってもサーベラスが立っていたのと同じ場所で体を拭いて立っていると、何故か心地よさを感じるようになった。何がどうなっているかなど、クリフォードには分からない。なんとなく悪くないと思うのだ。

(……自分自身を信じきれるかということか)

 自分の存在を否定する気持ちがクリフォードにはある。強気な、時に相手を威圧するかのような態度は、それを隠す為のものだ。そんな自分がクリフォードは嫌いだ。
 自分自身を信じられるか。信じるべきなのか。クリフォードは悩んでいる。どういう結論を出すことが正しいのか、分からないでいる。自分の居場所が見つけられないでいる。

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