月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

第36話 常に備えは怠りません

異世界ファンタジー 霊魔血戦

 変化を敏感に感じ取ったのはサーベラスではなく、ルーのほうだ。他人の感情が理解出来ないくせに、その動きに対しては人一倍敏感であるはずのサーベラスでさえ気づけなかった、ちょっとした変化。ルーがそれに気づけたのは、過去に同じ経験をしていたからだった。
 これまで合っていた視線が合わなくなる。会話する機会が減り、やがて自分だけが一方的に話しかけるようになる。そこからさらに話しかけられることさえ避けられるようになると、事態は決定的。最初の経験でルーが周囲の変化に気が付いたのは、この最後の段階だった。
 どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。理由が分からなくて困惑した。とても悲しかった。だが周囲は自分の悲しみなど理解しない。無視される相手は確実に増えていった。そのような仕打ちを平気で出来る周囲を恨むようになった。幼年学校生活において、ルーの心は闇に染まっていた。
 だからこそ突然現れた光がたまらなく嬉しかった。自分を救おうとしてくれた女の子。その彼女の心がルーにはとても眩しく、温かく、心を惹かれないではいられなかったのだ。

(はあ……)

(いや、ここで落ち込まれても……とっくに失恋していただろ?)

(あっ、それ言うかな? サーベラスって本当に無神経だよね?)

 機嫌の悪さをまったく隠そうとしないルー。それだけ今回のことはルーの心を傷つけているのだ。

(無神経かもしれないけど……ほら、ルーの勘違いかもしれない)

 なんとかルーを慰めようとするサーベラス。だが人を慰めるなどサーベラスの苦手な分野。騙すつもりであれば得意分野になるのだが、ルー相手にそれをするつもりはサーベラスにはないのだ。

(勘違いじゃないから。僕には分かる)

 ルーが酷く落ち込んでいるのは、かつては光だったはずのクラリスが、今回は闇の側に堕ちてしまったから。闇堕ちといっても、サーベラスを避ける素振りを見せるようになっただけだが。

(冷静に戻って、気まずくなったのかもしれない。俺としてはそうであって欲しいけどな)

 クラリスの変化はサーベラスにとってはありがたいことだ。距離をとるべきだと思っていたが、クラリスのほうが許してくれなかった。その問題が、何もすることなく改善したのだ。

(サーベラスはまだ魔物のせいだと思っているの?)

(それ以外に何がある?)

(あると思うけどな)

 クラリスが普通に、向けられる態度は普通というには少し露骨過ぎるかもしれないが、恋愛感情を向けている可能性をルーは考えている。そうだからといってサーベラスの心境に変化が生まれるわけではなさそうだということは、もう分かっているが。

(……どうだとしても状況は変わらない。彼女との関係性は離れることはあっても、近づくことはない)

 サーベラスの言葉はルーが思っていた通りのもの。サーベラスにはクラリスを受け入れるつもりはないのだ。それが分かると今度は、クラリスは拒絶でミアは受け入れた違いが気になるルーだが、それを聞くことは躊躇われた。これ以上、会話を続けられなくなったという理由もある。

「待っていた。早速始めるか?」

 フェリックスが待っていた場所に到着したのだ。今日はチーム成り上がりとの訓練を行う日だ。

「……メイプルさんは?」

 メイプルだけでなく、他のメンバーもいない。それをサーベラスは疑問に思った。

「ああ、皆は走りに行っている。もう一度、体づくりから見直してみようと思って、訓練メニューに加えてもらった」

 これはサーベラスから学んだこと。どうすれば彼のような動きが出来るようになるのかと考えて、改めて鍛錬している内容を確かめてみれば、どれも地味に思えてしまうようなものばかり。基礎訓練をひたすら繰り返していた。
 では自分たちはその基礎訓練を不要となるくらいに鍛えられているのかと考えてみれば、答えは否になる。自分たちは急ぎ過ぎているのではないかと、フェリックスたちは思ったのだ。

「体づくりは大切です。でも、ある程度、出来上がったらそれぞれ自分には何が必要かを考えるべきだとも思います」

「体づくりにも違いがあると?」

 基礎体力作り。基礎というのだから、それは共通のもの。そうフェリックスは考えていた。間違いではない。サーベラスが言っているのは、基礎体力というよりは応用体力作りというべきもの。それぞれの戦い方に合わせて、強化する部位を変える必要があると言っているのだ。

「筋肉ムキムキのメイプルさんは、フェリックスさんも嫌でしょ?」

「それはそう、あっ、いや、そうじゃなくて……」

「……この間、少しメイプルさんと話しました。詳細は言えませんけど」

 フェリックスの心の動揺を見て取って、サーベラスは話題をメイプルに持っていった。深い意味はない。ちょっと確認してみようかな、くらいの軽い気持ちだ。

「そうか……」

「ちゃんとしてあげたらどうですか?」

「ちゃんと……いや、でも俺は……それに、まだ彼女とは何も……」

 あっさりとフェリックスは、サーベラスが確認したかったことを教えてくれた。「まだ」という言葉がそれを教えてくれた。

「ナイトの一族の事情は分かりませんけど、難しいのですか?」

 さらにサーベラスは、フェリックスもメイプルのことが好きなのだということを前提とした質問を重ねる。

「……分からない。俺はもう後継者候補ではないから、誰と……誰と……どうして俺はこんな話をサーベラスとしているのだ?」

「さあ? ただ僕が思うのは、二人の問題は二人で解決するべきだということです。現実はそんな単純ではないのかもしれませんけど」

 自分のことは自分で決める。前世の経験から、サーベラスが一番大切に思っていることだ。

「……そうだな」

 そうしたいとフェリックスも思う。だが出来るのかという不安もある。ナイトの一族として、という縛りをフェリックスは振りほどいてはいない。そうであることを望む自分もいるのだ。この件になるとフェリックスは、サーベラスの思考の自由さを羨ましく思う。将来のことは自分で決めると言い切れる強さが自分にもあればと思ってしまう。

「……皆さんが戻ってくる前に始めますか?」

 この件について今、深く話をしても結論は出ない。そもそも自分が介入してどうなるものではないと考えたサーベラスは、話を終わらせることにした。

「ああ、そうだな。先に終わらせておくと約束しているんだ」

「じゃあ、始めましょう」

 訓練用の武器を持って、向き合う二人。立ち合いを始めようとしているのだ。サーベラスにとっても、基礎戦闘力という点で、もっとも実力が近いフェリックスを相手とする立ち合いは大切な訓練時間なのだ。

「そういえば、実地訓練の話は聞いたか?」

「聞いていません」

「えっ? そうなのか? もう公になっている情報だと思っていたが」

 フェリックスには情報源がいる。指導教官として養成所にいるナイトの一族の守護騎士だ。だが、実地訓練の話は特別に教えられたものではない。チームリーダーとして養成所から正式に伝えられた情報なのだ。

「また馬鹿げた罠の類ですか?」

「いや、それはないと聞いている。全面的には信用できないかもしれないが」

「では、どのような訓練なのでしょうか?」

 サーベラスも完全に信じるつもりはない。すでに低評価だった仲間を失っているフェリックスたちのチームにとっては普通の訓練であっても、サーベラスたちにとってはそうではない可能性はあるのだ。

「行軍訓練だと言われた。目的地まで行って帰ってくるだけだが、かなり厳しい行程が組まれることになる。簡単に言うと、重い荷物を背負って、ひたすら走る訓練だ」

「……体力作りというよりは、精神鍛錬というところですか」

「そうだな。心が折れて、前に進むことを止めてしまえば、計画通りの行程で帰ってこられなくなる。心の強さが試される訓練だ」

 内容を聞けば必要な訓練だとサーベラスも思う。戦闘能力に優れているだけでは生き残れない。その能力をいかなる状況でも発揮できる心の強さも必要だ。決して生きることを諦めることなく、戦い続ける心の強さも。体と心の強さ、この二つにさらに運も揃えば、生き残ることができる。運を鍛える術は誰も知らないので、体と心を鍛えるしかないのだ。

 

 

◆◆◆

 体と心を鍛えて、あとは運任せ。それだけでは生き残る為に最善を尽くしたとは言えない。想定される事態に備えて、出来る限り、全ての備えを整える。完璧は無理だとしても、それに近づける努力を怠ってはならない。サーベラスはそれを知っている。知ってるだけでなく、それを実行に移す行動力もある。
 サーベラスはガスパー教官にその為の協力を求めた。頼まれたガスパー教官のほうは、まだサーベラスが何をしようとしているのか、詳しいことまでは分かっていないが。

「……なんか……汚れていますね?」

「ああ。この場所を使うのは半年に一度あるかないかだと聞いている。使う時になって初めて手入れを行うのだろうな」

「掃除くらいすれば良いのに」

 実際に使用するのは半年に一度だとしても、普段から綺麗にしておいたほうが良いのではないかとサーベラスは思う。いざ、使おうという時に問題が見つかったら、どうするつもりなのかと。

「そういうことを守護騎士に求めるな。それに我々には窯の手入れの仕方など分からない」

「えっ? 自分の武器を鍛え直したりしないのですか?」

 サーベラスがガスパー教官に連れてきてもらったのは養成所内にある作業場。武具の修理や、新たな武具を製造するのに使う場所で、鍛冶場でもある。

「研ぐくらいはするが、打ち直しなどの大きな修理は職人の仕事だ」

「そうですか……まあ、良いか」

 少し考える間を見せたサーベラスだが、予定通りに動き出す。少しくらい怪しまれても今更だと割り切ったのだ。埃まみれの作業場に視線を巡らし、目的の物を探す。たいして時間をかけることなく、それはすぐに見つかった。前回作業が行われた後、掃除がされていないだけで、散らかしたまま職人たちは帰って行ったわけではない。置かれているものはあるべき場所にあるのだ。

「……これでいけるかな? 試してみるしかないか」

 道具箱の中から鉄の棒を取り出したサーベラス。さらに鍛冶で使う重そうなハンマーも持ってきて、テーブルの上に置いた。

「……ここだと壊れるか。えっと……あそこだな」

 鉄の棒とハンマー。さらに廃棄されていたのであろう鍛錬用の剣を持って、窯の近くに移動するサーベラス。見ているガスパー教官には、まだ何をしようとしているのか分からない。

「……ちょっと手伝ってもらって良いですか?」

「……ああ。何をすれば良い?」

 サーベラスが何をするのか気になって見ていたところ。手伝うことに文句はない。目的がそれで分かるとガスパー教官は考えた。

「これを持っていてください」

 サーベラスが求めたのは鉄の棒を持つこと。これではまだ目的が分からない。

「持ってどうするのだ?」

「僕がハンマーで叩きます」

「はっ?」

「あっ、不安ですか? じゃあ、僕が棒を持つのでガスパー教官がハンマーで叩いてください」

 こう言ってサーベラスは手に持った鉄の棒を、石で出来ている台の上に置かれている鍛錬用の剣の刃に当てた。

「なるほどな」

 とりあえず、まずサーベラスが何をしたいのかは分かった。言われた通りにハンマーで、サーベラスが持っている鉄の棒を力いっぱい叩くガスパー教官。甲高い金属音が作業場に響いた。

「おお、さすが……もしかして霊力で切れたりします?」

「どうだろうな? 一撃で相手の剣を斬った覚えはない。出来たとしても時間はかかるだろうな」

「じゃあ、このまま続けることにします。今度はここをお願いします」

 また、少し位置をずらした鉄の棒の上にハンマーを打ち下ろす。それを何度か繰り返したところで、サーベラスは鉄の棒を分厚い鉄の板に替えて、さらにガスパー教官にハンマーで叩かせた。

「……やっぱり、火を入れたほうが良いかな?」

 叩き切り、さらに半分にした剣先を手に取って、眺めているサーベラス。

「出来るのか?」

 サーベラスが呟いた「火を入れる」の意味。窯を使えるのだとガスパー教官は受け取った。

「少しだけ。でも、一度、形を整えてから考えることにします」

 こうガスパー教官に答えると今度は、道具箱ごと運んできて、叩き切った剣先を、様々な道具を使って、整えていく。

「この棒良いな……このまま使えそうだ。あとは……」

 さらに研ぎ。砥石を使って、慣れた手つきで剣先を研ぎ始めるサーベラス。初めて行う作業ではないことは、聞くまでもなく、明らかだ。

「……お前は何者だ?」

 どうしてサーベラスはこのような真似が出来るのか。ガスパー教官をその疑問を声にした。

「指導教官がそういうことを聞いても良いのですか?」

「分かっていることはある。本名はルーク=コリン=ハイウォール。ルークの一族の元後継者。八歳で病に倒れ、そのせいで、かつて持っていた力を失い、一族追放となった。陰で調べるのと直接聞くので何が違う?」

「違うと思いますけど? それと情報間違ってます。ルーク=コリン=ハイウォールは本名ではありません。過去の名です」

 サーベラスに驚きはない。自分の素性、実際は違うが、はすでに話している。一人が知れば、他の人も知る。それだけのことだ。

「そうか……何が違うは詭弁だったな。直接聞くことのほうが正しい情報が得られる」

「聞いた相手が真実を話せばですけど」

「……入手した情報と、今のお前には辻褄が合わないところが多くある。私はその真実を求めているのだ」

 八歳で病に倒れ、養成所に入所する少し前に回復したという人が、武器の造作など出来るはずがない。これまで見せた戦闘力を身につけられるはずがない。事実だとされている情報はおかしいとガスパー教官は考えている。

「一族の為に?」

「仕えている御方の為だ」

「その言い方だと、どこに仕えているかおおよそ分かってしまいますけど?」

 ガスパー教官は仕える主と一族を別に考えている。そういう考えが出来るのは、絶対とは言い切れないが、キングの一族、王家ではないかとサーベラスは考えた。違っていても構わない。これにどう答えてくるかも判断材料になる。

「別にかまわない」

「もしかして、クイーンの誰かが玉座に座れば、その人に仕えるのですか?」

「それが許されるのであれば……いや、違うな。それを求められるのであればか」

 望んでクイーンの一族の誰かに仕えようという気持ちはガスパー教官にはない。それはビショップであっても同じ。ガスパー教官は国に仕えるのであって、人に仕えるわけではない。仕えたいという人を見出していないのだ。

「国に仕えているとキングの一族に仕えているは別だと見てくれますか? ああ、でも、玉座を得ようと思えば寝返りは大歓迎ですか」

 クイーンの可能性が消え、ナイトとルークもこれまで観察してきた様子からない。まだビショップが残っているが、ガスパー教官が仕えているのはキングの一族だと決めて良いとサーベラスは判断した。

「どうだろうな?」

「キングは勝ち目が薄いと聞いています。生き残るには寝返りもありだと思いますけど? それとも騎士の誇りがそれを許しませんか?」

 ガスパー教官の反応は寝返りに対して否定的なもの。サーベラスはそう受け取った。

「騎士の誇り……それとは少し違うな。本当に国の為になるのであれば、私は国王が誰に代わっても良いと思っている。だがそう思える人物がいない。厳しい立場に置かれるティ、いや、あの方を見捨てることになっても仕方がないと思える人物がいないのだ」

「そうですか……負けて、命を失うことになってもかまわないと思えるくらいの人物ということですか?」

「人の上に立つに相応しいとまでは言えない。まだまだこれからの方だからな。だが、正しい人ではある」

 ティファニー王女は玉座に相応しい人物とはガスパー教官は言えない。彼女にはまだ知識も経験も足りない。それに万が一、キングの一族が勝利することになってもティファニー王女が王になると決まっているわけでもない。アレクシス三世王が当面は継続。その後も兄であるウイリアム王子が継ぐ可能性があるのだ。
 ガスパー教官は次代の王ではなく、重い責任を背負わされたティファニー王女個人を支えようとしているだけだ。

「……そうですか。一応、伝えておきますと、僕にとって重要なのは目的を果たすまで生き延びることです。こうして変な疑いを持たれることが分かっていても、それが生き延びる為に必要であればやるだけです」

 それが寝返りであろうと裏切りであろうと、生き残る為であればサーベラスは迷うことはない。優先すべきはルーに人生を返すことなのだ。だから、ガスパー教官のように情けで、劣勢であるキングの一族に仕えるつもりはない。

「それは……次の実地訓練でも何かあると疑っているのか?」

 だがガスパー教官はサーベラスが伝えたかったことと、別の点に気を向けてしまった。

「疑わないでいられるほど僕は楽観的ではありません。この場所は、僕にとって安心できる場所ではありませんから。どこであっても生き延びる為の警戒を怠るつもりはありませんけど」

 ガスパー教官の問いに驚いているルーの声を聞き流して、サーベラスは答えを返した。これは、ルーに対する答えにもなっている。ルーに返す体を守る為に、常に警戒を緩めることはない。緩めてはいけない。サーベラスはこう考えているのだ。

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