月の文庫ブログ

月野文人です。異世界物のファンタジー小説を書いています。このブログは自分がこれまで書き散らかしたまま眠らせていた作品、まったく一から始める作品など、とにかくあまり考えずに気の向くままに投稿するブログです。気に入った作品を見つけてもらえると嬉しいです。 掲載小説の一覧(第一話)はリンクの「掲載小説一覧」をクリックして下さい。よろしくお願いします。 

第35話 答えが出ない問い

異世界ファンタジー 霊魔血戦

 他者の指導に多くの時間が割かれるようになった。特にクラリスの相手は、訓練とは関係のない時間まで奪われてしまい、自分の為の時間が思うように取れない。これが今のサーベラスにとっての一番の悩みだが、それが全てでもない。自分を鍛える時間が削られるのは量の問題。質の面でもサーベラスは近頃、悩みを抱えるようになった。
 ルーではなく、サーベラスの鍛錬において、全力を出せる相手がいないのだ。それだけ基礎体力が、サーベラスの基準でも、向上してきたということなのだが、さらなる高みを目指している彼にとっては苛立たしい状況だ。

(やっぱり、評価されたってことじゃなくて、邪魔されているだけじゃないか?)

(それはないでしょ? 誰が何のためにそんなことするの?)

 今の状況は自分の鍛錬を邪魔する為に誰かが仕組んだもの。サーベラスは、そんなことまで考えてしまう。さすがにそこまではないだろうと思っていても、愚痴りたくなってしまうのだ。

(せめてガスパー教官相手に鍛錬が出来ればな)

(ああ、それはあるね)

 だがガスパー教官はサーベラスの相手が出来ない。未だに行動を制限されているのだ。

(……考えては駄目だと分かっているけど、実戦を求める気持ちが湧いてきてしまう)

(実戦か……ん? どうして考えたら駄目なの?)

 実戦経験は強くなる為に、当たり前に必要なもの。ルーもそう思ったのだが、何故かサーベラスはそれに対して否定的な言い方をした。その理由がルーには分からない。

(人殺しだから)

(そうだね……でも……いや、人殺しは駄目だけど……こういう言い方したら怒るかな? 今更?)

 サーベラスは前世で多くの人を殺している。具体的な数は想像もつかないが、そういう生き方をしていたことをルーは知っている。今ここで人殺しを躊躇う理由が、正しいことだと思うが、分からない。

(……もう人は殺さないと約束した。いや、約束は無理だと思って俺は死んだけど、それでもなんとなく良い気持ちはしない)

(よく分からないけど……その約束って、たまに話に出てくる女の人との?)

 サーベラスが何を言いたいのか良く分からないが、とにかく約束しようという相手がいたことは間違いない。その相手が誰かとなるとルーには一人しか思いつかない。

(そう。でも俺はあっさりとその約束を破った。やっぱり、約束を守ることは無理だった)

(……でも、あの時はブリジットさんを助ける為だった)

 沈んだ感情がサーベラスから伝わってきている。普段はほとんど感情の起伏のないサーベラスだが、その女性が関係することになると、こうして喜怒哀楽が分かりやすい感情が伝わってくる。ルーはそのことに気づいている。

(人を助ける為の人殺しは良くで、そうでない人殺しは駄目? そういうものなのか?)

(また難しい質問を……)

(大丈夫。答えは知っている。ルーも前に言っていただろ? 人を殺して良い理由なんてない。殺す側の正義は殺される側にとっては悪。正しい人殺しなんてないんだ。それでも人は人殺しを止めない)

 答えは知っている。正しい答えなのかはサーベラスには分からない。分からないが、それを教えてくれた人については、少しは知っているつもりだ。正しい人なのだと思っている。

(……そうだね)

(俺の手は血に染まっている。生まれ変わってもまた同じことになろうとしている。だから、一日も早くルーにこの体を返さなくてはならない)

 これもサーベラスが体を返すことに拘る理由。自分は生きていてはいけないと思う理由だ。

(……でも、サーベラス。そうなったら、今度は僕の手が血に染まるだけじゃないかな?)

(それはルーが決めること。血塗られた人生が嫌なら、そうならないようにすれば良い)

(僕にそれが出来るなら、サーベラスにも出来るはずだ)

 サーベラスは自分の人生を諦めている。ルーにはそんな風に感じられる。こういった話になるとルーの気持ちは複雑だ。自分の体を取り戻したい。生き返りたいという想いはある。だが、サーベラスのこういう想いが悲しくもある。もっと生きることを楽しんで欲しいと思うのだ。

(……俺には無理だと思う。それに……いや、良い)

(サーベラス……)

 サーベラスの感情が閉ざされる。ルーに伝わってこなくなる。全てを共有出来ないことをルーは寂しく思う。自分はサーベラスにとって、そこまでの対象なのだと思って、悲しくなってしまう。

(人の感情はその人を強くも弱くもする。それが最近分かってきた)

(ああ、そうだね)

 フェリックスたちのように仲間の死の悲しみを強い意思に変えて頑張っている人たちがいる。クラリスのように感情に振り回され、自分を見失い、周りとの関係まで悪くしてしまっている人もいる。ルーもサーベラスと似たようなことを考えていた。彼もまた人としての、本人は霊だが、色々なことを学んでいるのだ。

(強くなるのに感情は不要。俺はこれを認めたくない)

(それは……前世の自分を否定したいから?)

 前世でのサーベラスは感情を殺すように育てられた。伝え聞いた過去の話から、ルーはそうであることが分かっている。実際にそれがどのようなものかは分からない。だが、決して正しいものではない。サーベラスが否定したくなるのも当然だと思う。

(……そういうことなのかな? 分からない。分かっているのは、そうでないと示してくれるのはルーだということだ)

(僕?)

(そう。ルーは普通、という言い方はおかしいか。でも、俺とは違う生き方をしてきた。喜びも悲しみも、憎しみも知っている)

(……そうなのかな?)

 ルーは人を憎むことを知っている。その事実をサーベラスが知っていたことに、少し動揺している。隠していたつもりの感情なのだ。

(それでもルーは人に優しくあろうとしている。そんなルーこそが、この体で人生を生きるべきだ。強くなるべきだ。俺はまたこの想いを強くした)

 サーベラスはルーも正しい人だと考えている。絶対的な正しさではないことは分かっている。ルーの持つ正しくありたいという思いを認めているのだ。

(その気持ちは嬉しい。嬉しいけど、サーベラス。それと自分を否定することは別だよね?)

(……同じだろ? 両案を比較して、どちらがより良いかを選択しているのだから)

(そうかもしれないけど……)

 まだまだサーベラスには全ての思いが伝わらない。感情ではなく合理的な、といってもサーベラスの理屈での合理性だが、判断に向いてしまう。これが一番の問題なのだが、ルーにとっては幸運という見方もある。死にたくない、生きたいといった執着がサーベラスにはない。ルーに体を返す最後の手段は自分が死んでみること、なんてことを本気で言う。
 これを思うと、やっぱり、ルーの気持ちは複雑だ。

(……メイプルさんの感情も良く分からない)

(えっ、ああ……そうかな? 分かりやすいほうじゃない?)

 何故、サーベラスが急にメイプルの名を出したのか。それは彼女が近づいてきたから。なんだが思いつめたような顔をして。彼女がそんな表情を見せている理由は、本人に聞かなくても、ルーには分かる気がする。

「何かありました?」

「……好きなの」

「それ、僕で良いのですか?」

 伝える相手を間違えている。サーベラスはそう思った。

「君以外にいないから」

「……僕しかいないとして、どうして急に?」

 自分以外にいない。本当にそうなのかと思わなくもないが、仮にそうだとしても、何故いきなり想いを告げてきたのかが分からない。

「君が前にあんなこと言うから。抑えられていた想いが抑えられなくなったの」

「僕のせいですか? それは違うような……」

「……ごめん。君のせいは言い過ぎ。私が勝手に想いを膨らませてしまっただけ。ただ君なら吐き出し先になってくれるかと……これも私が勝手に決めたことね?」
 
 サーベラスはメイプルの想いに気づいている唯一の、実際には他にもいるのだが、彼女自身がそうであることを知っている人物。想いを隠す必要のない相手なのだ。

「速やかにもっと適した相手を作るべきだと思いますけど、今は仕方ないですか……それでどうして急に?」

「だってフェリックスの奴、私の気持ちも知らないで優しくするのよ?」

「良く分からないのですが、それは良いことでは?」

「優しくされると心が揺れるでしょ? 私は頑張って想いを抑えているのに、フェリックスがあんなんじゃあ――」

 ここからメイプルの愚痴かのろけかサーベラスとルーには良く分からない話が、延々と続くことになる。サーベラスの自主練時間は、今日はこれで終わり。速やかにもっと適した相手を。最後にもう一度、これをメイプルに告げることになった。

 

 

◆◆◆

 自分の感情を制御出来ていない。クラリス自身も分かっている。分かっているが抑え込めない。抑え込めない理由が分からない。何故このようなことになってしまったのか。何故、サーベラスは自分に気持ちを向けないのか。恥ずかしさに耐えて、大胆な誘い方もしてみた。だがサーベラスは誘いに乗ってこない。ようやくサーベラスのほうから行動に出て来たと思った。それに乗って、これ以上ないほど恥ずかしい態度をさらした。だがサーベラスはただ恥辱を与えただけで終わらせた。受け入れさせておいて、拒否してきた。
 弄ばれている。それも言葉だけで。何度、羞恥で体を染めたことか。心をうずかせたことか。自分は異性からそんな扱いを受けるような存在ではないはずだとクラリスは思っている。思っているのだから、サーベラスに近づくべきではないと考えている。
 だが、そう出来ない。このままではただ周囲に恥を晒しただけで終わってしまう。サーベラスの心を掴んで、自分がされた以上に、気持ちを弄んでやらなければ気が済まない。だが、本当にそれだけなのか。心に浮かぶ、この問いがクラリスを不安にさせる。
 一度だけ見たサーベラスの、全てを見透かしているかのような支配的な瞳の前に全てを晒し、羞恥に身もだえる自分を想像してしまう。そんなの自分ではないと強く否定しても、消えない想い。それが自分を縛りつけている。
 自分が自分でなくなってしまう。そう思う一方で、それこそが本当の自分なのではないかとも思ってしまう。優等生の仮面を剥いで、異性への想いに溺れている今の自分こそ、束縛から解放された本当の自分なのではないかと。
 だがそれは認められない。自分は憧れられる存在であって辱めを受けるような存在ではない。クラリスのプライドがそれを認めることを許さない。

「……好きなの」

「それ、僕で良いのですか?」

 聞こえてきたサーベラスとメイプルの会話が、そのクラリスのプライドを刺激する。

「君以外にいないから」

「……僕しかいないとして、どうして急に?」

 メイプルにこんなことを言う資格はない。その権利があるのは自分だけ。クラリスにとっては、自分だけに許された特権でなければならないのだ。

「君が前にあんなこと言うから。抑えられていた想いが抑えられなくなったの」

 気持ちが抑えられない。自分と同じ思いをメイプルも抱いている。だがクラリスが共感することはない。メイプルの存在を受け入れることなど出来ない。何故、サーベラスは、メイプルに告白を許すのか。サーベラスへの怒りも湧いてくる。

「彼女も犠牲者ですか」

「サムエル……」

 気づかないうちにサムエルが背後に近づいていた。それを知って、クラリスはその場から離れようと動き出す。サーベラスが告白されている様子を離れた場所で見つめている自分。そんな場面は誰にも見られたくなかった。サーベラスに嬲られた、はクラリスの感覚だが、時とは異なり、羞恥心が苛立ちを湧き上がらせる。

「いつか話さなければと思っていました」

「何のこと?」

 来なくて良いのに、サムエルはクラリスに付いてきて、会話を続けようとする。クラリスの苛立ちがさらに強くなる。

「サーベラスには悪霊に取りつかれているという疑いがあります」

「……馬鹿なことを」

 だが続くサムエルの言葉は、クラリスの苛立ちを消し、足を止めさせた。クラリスにとっては突拍子もない話。あまりの内容に戸惑い、苛立ちが消えてしまったのだ。

「僕が勝手に言っているわけではありません。指導教官から聞いた話です」

「……そうだとしても、そんなことあり得ないわ」

 指導教官の話だと聞いて、つい先ほどとは異なる意味で、戸惑うクラリス。指導教官の話だとすれば、一気に信頼性は増す。だが、信じたくないという思いがクラリスにはあるのだ。

「そうかな? これを言うとクラリスは怒るかもしれないけど、君が少しおかしくなっているのも悪霊のせいだって話だ。そういう悪霊。そうじゃないと君が、ね? 君は皆が憧れる存在。サーベラスなんかに夢中になるはずがないよ」

「……私は」

 自分の想いはそんないい加減なものではない。クラリスはこれを口に出来ない。今の自分は普通ではないという自覚が彼女にはある。自分は皆が憧れる存在であるというサムエルの言葉は正しいとも思う。

「クラリス。僕はこう思うよ? 人を好きになることは良いことだ。でも、人を好きになった人はもっと輝いているはずだ。本当にそれが恋愛感情であるのなら」

 クラリスは違う。今の彼女は輝いているどころか、色あせてくすんでいる。サムエルはこれを伝えたいのだ。

「私は……誑かされていると?」

「それはまだ分からない。指導教官もまだ調査している最中だからね。でも、これが事実だとすればクラリスの変化も理解出来る。君は悪霊に心を惑わされていただけ。本来の君ではなくなっているだけなのさ」

「…………」

 今の自分は本当の自分ではない。そうであって欲しいとクラリスも思う。サーベラスに弄ばれ、与えられた恥辱に心を震わせてしまうような自分であるはずがない。そうでなくてはならないと。

「どうかな? 一度、クラリスも指導教官の話を聞いてみない? 僕は心配なんだ。君以外にも犠牲者が出ようとしている。このまま放置していたら、養成所は大変なことになる。急いで止めないと」

「……そうね。話は聞いてみたいわ」

 クラリスはまだ半信半疑い。そうであるからこそ、指導教官の話を聞かなければならないと考えた。悪霊の存在は、知識としてだけだが、知っている。だがその脅威が本当に目の前に迫っているのか。自分は悪霊に誑かされているのか。今は分からない。そうであって欲しいという思いと、そんなはずはないという思い。クラリスの心はその間で揺れている。

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