実地訓練の実施が発表された。それが例年よりも、かなり早いということは今期入所の人たちには分からない。そういう訓練があるのかと思うだけだ。だが、その内容が明らかになると、一気に騒がしくなる。実地訓練は実戦。実際に敵と戦い、相手を倒さなければならない。負ければ死ぬことになるのだ。
ただ実戦といっても、本当の戦場に出るわけではない。相手は山賊で、その山賊のアジトを襲撃するというものだ。霊力を使う力のない、それも山賊相手だと聞いて、ホッとする人たちもいる。山賊相手であれば負けるはずがないという自信を持てる優秀な見習い守護兵士たちだ。彼らは、彼らだけでなく他の見習い守護兵士たちも分かっていないのだ。実地訓練の目的を。
「山を二つ超えたところに山賊のアジトがある……近いですね?」
養成所から説明を受けたリーダーのクラリスから訓練の詳細を聞かされているサーベラスたち。訓練地を聞いたサーベラスの感想はこれだった。
「どこが近いのよ? 山を二つも超えたら、それだけで疲れてしまうじゃない」
同じ説明でもブリジットは遠いと感じている。訓練ですぐ裏の山を登るだけでも大変だったのだ。そこから下り、さらにもう一つ山を上り下りするなど考えたくもないのだ。
「疲れてもすぐに回復します。それくらいの体力はブリジットさんにもありますから」
今のブリジットは登るだけでいっぱいいっぱいだった頃の彼女とは違う。その時よりも、ずっと鍛えられているのだ。
「そうだけど……山賊退治か。大丈夫かしら?」
「それくらいの気持ちのほうが良いのではないですか? 油断するよりも、遥かにマシです」
「そうね」
ブリジットの否定的な考えを、サーベラスは肯定に変えてしまう。もう何度もこういう場面は見てきたことだが、その度にクラリスたちはサーベラスの扱いのうまさに感心してしまう。
「山賊が何人くらいいるかは分かっているのか?」
ブリジットが後ろ向きな態度を止めたところで、クリフォードがクラリスに質問をしてきた。クリフォードは後ろ向きではないが、不安があることはブリジットと同じ。少しでも多くの情報を得て、出来れば安心材料を得たいのだ。
「十人くらいと聞いているわ」
「十人……それだけか」
いきなり安心材料を得られたクリフォード。十人であれば余裕、と考えたがこれは早とちりだ。
「まだ言っていませんでしたね? 現地に向かうのは私たちだけです」
「何故?」
何故、自分たちだけに実地訓練が課せられたのか疑問に思ったクリフォード。だがこれも早合点だ。実地訓練は全チームが参加することになっている。
「他のチームは別の目的地に向かいます。私たちだけで戦うことになりますので、倍くらいの数を相手にすることになります」
「……ま、まあ、それでも倍だな」
二倍の敵と戦うということがどういうことかクリフォードにはよく分からない。彼らはまだ集団戦の訓練を受けていない。そうであるのに実地訓練が実施されることになったのだ。
「サーベラスの言う通り、油断はいけないと思いますけど、勝てない敵ではありません」
クラリスには勝算がある。計算された結果というより、十人の山賊を退治できなくて、何が守護兵士だ、という気持ちの面からの自信だが。
「……そうですか?」
「えっ?」
否定的な問いを向けてきたのはサーベラス。それにクラリスは戸惑っている。ブリジットへの対応だけでなく、他の人に対してもサーベラスは否定的な言葉を口にすることが少ない。そう思っているのだ。
「……本当に勝てない敵ではないのかは、もっと情報を得てから判断するべきだと思います。これ以上の情報はいつ分かるのでしょうか?」
「これ以上……その説明は受けていません」
そもそも、これ以上の情報を得られるとはクラリスは思っていなかった。当然、指導教官に尋ねてもいない。
「現地に到着してから調べろということでしょうか?」
「分かりません。サーベラスはこれ以上の何を求めているのですか?」
「何を……相手は本当に十人程度なのか。本当に山賊なのか。何者でも良いのですけど、どれくらいの強さなのかは知りたいと思います」
サーベラスは与えられた情報が事実であるのかを疑っている。偽情報をつかまされ、それを信じて行動しては、事は失敗する。失敗の結果が死であるなら、慎重の上にも慎重を期すべきだと考えているのだ。
「つい先ほど聞いたばかりの情報ですから……出発も明後日ということです」
話している情報は、現時点での最新情報で、おそらくは出発までに大きく更新されることはない。クラリスはそう考えている。
「現地で調べ直すしかないですか……分かりました」
与えられないのであれば、自分で得るしかない。サーベラスにとっては、それだけのことだ。
「……今、言ったように出発は明後日です。荷物の準備は、全て養成所が行ってくれますので、私たちはただ当日を待つだけになります。他に何か質問はありますか?」
もう誰も質問しようとしない。サーベラスの話を聞いていて、現時点の情報にどれだけの価値があるのか、疑問に思ってしまったのだ。結局、現地に到着してから調べることになるのであれば、今、聞いても意味はないと思ってしまったのだ。
実地訓練についての打合せはこれで終わり。彼らは普段の訓練を続けながら、出発の日を待つことになる。
◆◆◆
実地訓練が決まったからといって、特に何かが変わるわけではない。今必要な訓練を続けて行うだけ。サーベラスはそう考えている。実地訓練に備えて、何かすることがあるとすれば、移動中の鍛錬はどうするかを考えること。集団行動であるので、一人で好き勝手に山の中を駆け回るのは許されないはず。移動中は同時に何かをするのは難しそうだ。ルーも、身になる訓練は出来なさそうだ。全員が、ただ歩いているだけなのだ。せいぜい頭の中で、といっても物理的な頭はないが、イメージトレーニングを行うくらいしかない。
(俺も、もっと何かないかな? 荷物を重くするくらいしか思いつかない)
(負荷かけて平気? 油断するなと言っていたのはサーベラスだよ?)
実戦の前に、疲労を貯めるような真似をして平気なのか、ルーは心配だ。ルーにとっても初めての実戦。不安が大きいのだ。
(疲れて、いつものように動けないようなら回復するまで休めば良い。それに現地に着いて、すぐには戦闘にならない)
(敵の様子を調べる時間か……そういえばどうやって調べるの?)
(えっ、それ聞く? ルーが調べるに決まっているだろ?)
山賊のアジトに侵入しての調査。それを行うのに、もっとも適任なのはルーだ。サーベラス本人も、山賊相手であれば、出来ないことはないのだが、ルーがいるのに、わざわざリスクを犯す必要はない。
(そうだね。侵入なんて久しぶり。大丈夫かな?)
(心配なら重ね着していけば?)
(冥王の衣って重ね着出来るの?)
(さあ? 俺はやったことがない)
実際に重ね着するわけではない。冥王の衣は物理的に存在しているものではなく、ルーの心の中でのイメージだ。二枚重ねにすることで、さらに気配を消すことが出来るのかもルーのイメージ次第。そのイメージで効果が高まるかどうかはサーベラスには分からないことだ。
(山賊相手なら勝てる?)
(本当に山賊なら。聞いたら教えてくれるかな?)
(どうだろうね?)
二人の会話を邪魔する気配。それが誰のものかも二人は分かっている。感じ取れるようになるくらい、接してきたということだ。
「……邪魔をしたか?」
近づいてきていたのはガスパー教官。サーベラスが視線を向けたところで、声をかけてきた。
「邪魔かどうかは教官の用件次第だと思います」
「なるほどな……実地訓練の話は聞いたな。どう思った?」
「漠然とした質問ですね? どう答えれば良いのでしょう?」
ガスパー教官の質問の意図がサーベラスには分からない。指導教官としては信頼しているが、ガスパー個人を信用しているわけではない。好意からの問いか、その逆かが判断出来ないのだ。
「率直に思ったことを答えれば良い。私はそれが聞きたいのだ」
「そうですか……便利なところに訓練対象がいるなと思いました」
クラリスには「近いですね?」という言い方をしたが、本当の思いはこういうことだ。
「便利……面白い考え方だな。だが言わんとしていることは分かる。その通りだと答えておこう」
「良いのですか?」
戦う相手は本当の山賊ではない。実地訓練の為に養成所が仕込んだ何者か。ガスパー教官はそうであることをサーベラスにばらしてしまった。それが許されることなのか、何故、ガスパー教官はそれを自分に教えたのか。サーベラスは疑問に思っている。
「気づかないほうがおかしい。ただ、命令に疑問を持たないことは兵士に必要な資質でもある。気づかない者たちは守護兵士に向いているのだろう」
「僕はまた落第ですか……」
「落第かどうかは分からない。ただ、それが気に入らない者がいる。何故そう考えるのか私には分からなくてな。お前はどう思う?」
ガスパー教官がここに来たのは、これをサーベラスに聞きたかったから。今、見習い守護兵士たちの中心にいるのはサーベラスだとガスパー教官は思っている。だが、周囲はそれを認めようとしない。無理があるのに、認めようとしないのだ。その理由をガスパー教官は知りたかった。
「どう思うと言われても……今、教官が言った、兵士には向かないからではないのですか?」
「クラリスは褒めている。だがお前は否定する。この違いが私には分からない」
今期入所の見習い守護兵士たちを引っ張っているのはクラリス。これを認める指導教官はいるのだ。彼女も兵士になる身だというのに。ガスパー教官が分からないのは、この差。クラリスは良くて、サーベラスでは駄目な理由だ。
「僕が嫌われているから……では、教官は納得しませんか。指導教官たちが気に入らないのは、僕たちの訓練の仕方だと思って良いですか?」
「……ああ、その通りだ」
短い会話でサーベラスはこれに気づいた。クラリスの名を出したからだと、少し考えてみて、ガスパー教官にも分かったが、それでもサーベラスの洞察力には驚かないではいられない。確かに、兵士向きではないかもしれないとも思った。
「クラリスさんは褒めて、僕は否定ですか……」
「正確には、今、お前たちの中心にいるのは彼女だということにしたがっている。お前は関係ないことにしようとしているようだ」
「……僕が目立っては困る。好意的にとるべきですか? それとも悪意があると考えるべきですか?」
サーベラスも本気で考え始めた。養成所には自分に悪意を持つ者がいる。これをサーベラスはずっと疑っている。それは見習い守護兵士の誰かではなく、指導教官の誰かなのかもしれないと考えたのだ。
「悪意だな」
「はあ、やっぱり嫌われている……ちなみに教官は僕がどこの誰か知っていますか?」
「知らないと答えるべきだろうな。惚けようというのではない。知っているのは名前と推薦人だけという意味だ。推薦人と何らかの繋がりがあるのは明らかだが、それ以上のことは分からない」
原則、見習い守護兵士の素性は指導教官には明かされない。勧誘を防ぐ為だ。すでに他家に繋がっている見習い守護兵士を勧誘すれば、その事実がすぐに知られてしまう。そういう形でけん制しているのだ。
「分かるのは自家と繋がりがある見習い守護兵士のことだけですか……これは言って良いのかな? まあ、良いか。色付きか色付きでないかの違いはどうですか?」
「それは……いや、もしかして、そういうことか?」
色付きか、色付きではないかの違い。これを聞かれてもガスパー教官はサーベラスとクラリスのどちらが色付き、すでに五家のいずれかと繋がっているか分からない。単純に考えれば、サーベラスのほうが色付きだ。彼の推薦人はルークの一族の当主なのだから。だが、本当にそうなのかとガスパー教官は疑う、
当主自らが推薦人になるのは異常なのだ。多くは五家と関係のない、関係があっても実力者にはほど遠い人物が推薦人になる。色付きであることを悟られない為だ。
逆にサーベラスが色付きでないと仮定すると何が考えられるのか。一つの可能性をガスパー教官は思いついた。
「一人で納得されても困るのですけど? 一応、申し上げておきますと、僕は推薦人が誰であろうと、色付きではありません」
「そうか……確信はないが、ひとつの可能性を思いついた。想定外の事態が起きるのを嫌がっている可能性だ」
「出来れば、もう少し詳しく説明していただけるとありがたいのですけど?」
さすがにこれだけではサーベラスも何のことか分からない。サーベラスが可能性として考えていることと、あまり結びつかない言葉なのだ。
「色がついていない落ちこぼれが、エースになっては困る。まして、多くの見習い守護兵士がそのエースと行動を共にしたいと考えるような事態はあってはならないと考えている可能性だ」
「えっと……そう考えている皆さんに買いかぶりですと伝えていただけますか?」
「私は思っていないことを伝えるのは苦手だ」
ガスパー教官はサーベラスを高く評価している。この先、どうなるかは分からない。だが、他の人にはない才能を持っているのは間違いないと考えているのだ。そうであるからこそ、思いついた可能性だ。
「嫌われたくないのですけど……でも、そういう考えもあるのですか」
計算違いが起きて欲しくない一族。次期王家の有力候補だと聞いているクイーンとビショップはそうなのだろうとサーベラスは考えた。二つの一族はすでにこの期で必要な戦力を確保し、戦力分析の結果にも満足しているのだと。その状況でイレギュラーな存在が出てきてもらっては困る。この事情は、自分が当事者でなければ、サーベラスにも理解出来る。
では計算違いを嫌がらないガスパー教官は、どの一族の所属なのか。サーベラスはそこまで考えている。計算違いを嫌がる二家ではない。残るは三家で、そのうちの一家については、サーベラスは消去出来ると考えている。ガスパー教官が、実はとんでもない狸だったなんてことがなければ、という条件付きだが。
「……生き残れよ。今回はあまり心配していないがな」
「その為に僕はここにいるつもりです。計算違いはあるみたいですけど」
「……そうか」
サーベラスの言葉の意味をガスパー教官は読み取れないでいる。生き残る為に、何故、ここに来なければならなかったのか。それはルークの一族の当主が推薦人であることと関係があるのか。自分は色付きではないとサーベラスは言った。だがそれを鵜吞みにすることは出来ない。
少し調べる必要があるとガスパー教官は考えた。自分では出来ない。出来る人、出来る組織に頼む必要があると。