反乱側の計画はディアークたちの奮戦によって狂い始めている。各所に配置されていた部隊は、予定通りにディアークたちを仕留めきることが出来ず、彼らを追って城内を駆け回っている。戦いによる死傷者もかなりの数だ。
時間の経過と人数の減少は、この先の計画にも支障をきたす。反乱側としてはなんとしてでもこの事態に対応し、計画を成功に導かなければならない。その為にあらゆる手段を取ろうとしていた。
「……愚者が反乱?」
説明を受けた王国騎士団長は戸惑いの表情を浮かべている。愚者、シュバルツが反乱を起こしていると聞かされても、にわかには信じられないのだ。
「反乱という表現は適切ではなかったか。裏切りと言い換えよう。あの男はずっと陛下のお命を狙っていた。それを今回、実行に移したのだ」
王国騎士団長の反応を見て、エアカードは表現を裏切りに変えることにした。どうでも良いのだ。王国騎士団長を動かすことが出来るのであれば。
「……それで陛下は?」
「安全な場所でお休みになられている。ただ……かなり危険な状況だ。口にしたくないが、おそらくは明日を迎えられることはないであろう」
「……そうだとしても陛下からのご命令を受けないことには」
シュバルツがディアークを殺そうとしたという話を、王国騎士団長は信じていない。城内の騒ぎは、詳細は分からなくても、シュバルツ一人を相手にしたものとは思えないのだ。
「陛下に代わってオトフリート様が指示を出している。王国騎士団への命令もオトフリート様が考えたことだ」
「……オトフリート様にその権限があると?」
「陛下に万一があれば、後を継ぐのはオトフリート様だ。権限はある。王国騎士団はオトフリート様に仕えることになるのだからな」
王国騎士団長が自分の話を疑っていたとしても、そんなことはエアカードには関係ない。嘘は王国騎士団が動く為の口実。王国騎士団長に騎士団の出動を受け入れさせれば良いのだ。脅してでも。
「オトフリート様が跡継ぎに……」
ジギワルドはそれを許すのか。この問いを王国騎士団長は飲み込んだ。ここで命令に従わなければ、あとで何らかの報復を受けることになる。エアカードの言いたいことを王国騎士団長は理解しているのだ。
「もう一度、命令を伝える。王国騎士団は速やかに出動し、愚者を捕らえよ。王都の封鎖。愚者の屋敷およびあの者が頻繁に通っている食堂に部隊を送り、愚者およびその協力者を捕らえるのだ」
反乱側は計画通りに動けなくなってしまった味方の代わりに、王国騎士団を使おうとしている。王国騎士団にシュバルツたちの捕縛を任せようというのだ。
「ちなみに協力者というのは?」
「はっきりとは分かっていない。ただ……トゥナ殿、ルーカス殿、キーラ殿が所在不明だ。この三人が愚者に加担することなどあり得ないと思うが、もし遭遇するようなことがあったら捕縛、いや、少々、強引にでも城に連れてきてもらいたい。万一がないとも限らないからな」
「……そうですか」
トゥナがディアークを殺害しようという企みに関与しているはずがない。それくらい王国騎士団長にも分かる。そのトゥナを捕らえようとしているエアカードの側こそが裏切り者。それがはっきりと分かった。だが。
「王国騎士団長。難しい任務だがなんとか成功させてくれ」
「オトフリート様……」
奥の部屋から出て来たオトフリートが、直接、王国騎士団長に指示をしてきた。
「正直、父上はもう助からない。致死量の毒を飲まされてしまったようだ」
「毒……ですか」
オトフリートの言葉はどこまで真実なのか。ディアークの死が確実で、本当にオトフリートが跡を継ぐようなことになるとすれば、自分も覚悟を決めなければならない。そう王国騎士団長は考えている。
「関与した者は一人も逃がすわけにはいかない。とにかく愚者を、疑いのある者全てを捕らえてくれ。頼む」
「……承知しました。すぐに部隊を出動させます」
こう答えるしかない。ここで拒絶すれば、王国騎士団長の命はない。殺され、別の誰かが代わりとなって命令を受けるだけだ。命令を受け入れて、部屋を出ていく王国騎士団長。
「……大丈夫か?」
扉が閉まったところで、オトフリートはエアカードに問いかけた。
「怪しい動きを見せれば、侵入させている者がすぐに始末します。オトフリート様こそ、大丈夫なのですか?」
「……なんとか落ち着いた。落ち着いたというのは違うか……とにかく静かになった」
オトフリートがこの場を離れていたのはアデリッサを落ち着かせる為。ディアークを殺そうという企みを、その首謀者がオトフリートであることを知ったアデリッサは、半狂乱になって彼を責め立てていた。そんな様子を王国騎士団長に、他の者たちにも見せるわけにはいかなかった。
そのアデリッサもようやく静かになった。気持ちが落ち着いたのではない。心を失ったかのように、なんの反応も見せなくなったのだ。
「オトフリート殿が王になることを誰よりも望んでいたのはお母上。時が経てば、本当の意味で落ち着かれるでしょう」
「だといいがな」
はたしてそうなのか、とオトフリートは疑問に思う。ディアークもまたアデリッサにとって大切な存在であるとすれば、その命を奪った自分を許すことはないだろうと思う。これは彼にとって誤算だ。近頃、少し距離が縮まったことは知っていたが、それ以前の冷遇により、アデリッサもまたディアークを恨んでいると思っていたのだ。
「……テレルの死亡を確認できました」
アデリッサのことはエアカードにとっては重要ではない。今は、オトフリートにとってもそうでなければならない。まだ反乱は成功していないのだ。
「テレルだけか?」
「はい。現在、ジギワルドとアーテルハイドの所在がはっきりしません。城外に広がる必要があるかもしれません」
「城外か……手は足りるのか?」
すでに人手不足。そうであるからシュバルツの捕縛に王国騎士団を使うことにしたのだ。その上、さらに近衛騎士団の行動範囲を城外にまで広げることが出来るのか、オトフリートは疑問に思う。
「王国騎士団によって王都封鎖が行われれば、それで敵は袋のネズミ。一人一人、確実に狩っていくだけです」
「……そうか。分かった」
狩る相手は、ネズミという例えにはまったく合わない強敵。これまでの計画の狂いでオトフリートは、父であるディアークだけでなく、アーテルハイドやルイーサたち、幹部の強さを思い知らされている。エアカードの楽観視に、実際はオトフリートを安心させる為にわざとそんな言い方をしているだけだが、内心では苛立ちを覚えてしまう。
「それと……予備隊がすでに動いているようです」
「……仕方がないだろう」
初めは知らされていなかった支援勢力。教会と近衛騎士団が手を結んでいると知っていたら、はたして自分はこの反乱計画を受け入れただろうかと、オトフリートは思ってしまう。自分は反乱の首謀者ではなく、教会に操られているだけではないか。一度浮かんだこの思いが、ずっと心から消えないのだ。
それでも今更、手を切ることは出来ない。計画が失敗に終われば自分は、そしておそらくはまったく関係のない母親も、殺されることになる。そんな結末を迎えるわけにはいかないのだ。
◆◆◆
シュバルツたちと別れて、一人で自宅に向かったクローヴィス。道中に近衛騎士団の姿はなく、なんとか先行することが出来ているようだとの思いが胸に広がったのだが、その認識は甘かった。近衛騎士団とは遭遇していない。だが、敵は近衛騎士団だけではないのだ。
クローヴィスの行く手に立ち塞がったのは、自分と年の頃が変わらない者たち。同じ年頃だからといって油断は出来ない。シュバルツやブランドたち、黒狼団のメンバーも同じくらいの年齢。その彼らはクローヴィスよりも一段も二段も実力は上なのだ。実際、目の前に立ち並ぶ敵が放つ気は黒狼団のメンバーのそれと良く似ている。
「……内気功か」
彼らもまた内気功の使い手。離れていてもそれを感じ取れるくらいにクローヴィスも成長したということだ。
「お前……敵だよな?」
相手のほうは少し戸惑っている。内気功を使うのは味方だけ。そういう認識だったのだ。それは、アルカナ傭兵団について、わずかな情報しか持っていないという証だ。
「敵か味方かは、お前たち次第だな」
「……なんか偉そう。どっちでも良いや。気に入らないからお前は殺す」
相手の中の一人が短絡的な考えを口にする。口にするだけでなく、実際に相手は集団から一人、前に出てきた。
「お前はたしか……オトフリート殿の従士だったな」
クローヴィスは相手の顔を知っている。武術競技会でブランドと対戦したオトフリートの従士だ。その従士が、まず間違いなく、敵という立場で自分の前に立っている。反乱側にオトフリートが加わっていると知り、内心ではクローヴィスはかなり動揺していた。
「違う。従士のふりをしていただけだ」
「ふり? ではお前は何者だ?」
「俺は――」
続く言葉が口から出ることはなかった。オトフリートの従士を装っていた男の後ろから、彼のものだと思われる名、「バー」と呼ぶ者がいたのだ。黙れ。この意味が込めているのは、クローヴィスにも分かった。
「殺り合うなら、さっさとやれ。時間がもったいない」
さらに別の男が戦いの開始を催促してくる。「時間がもったいない」と言いながらも、その男と他の者たちが戦闘準備に入る様子はない。彼らには、今の時点では、クローヴィスとの戦いに加わる気はないのだ。
「うるさい。言われなくてもやる」
仲間に急かされて、男の気が一気に膨れ上がる。それを感じて、後ろの者たちへの警戒を残しながら、クローヴィスも戦闘体勢に入る。
一足飛びで間合いを詰めて来た相手の剣を、自らの剣を下から振り上げて、跳ね上げる。がら空きになった胴。斜めに剣を振り下ろしたが、相手は間合いを詰めて来たのと同じ速さで、大きく間合いを空けた。
だが、その程度の動きであればクローヴィスに驚きはない。シュバルツやブランドは遥かに速い。その二人とクローヴィスは鍛錬を行っているのだ。それにクローヴィスは、相手の戦い方を一度見ている。
「そ、そんな……」
体勢を整え直す前に懐に飛び込んできたクローヴィスの剣を腹に受けて、驚愕の表情を浮かべている男。クローヴィスの実力、というより自分の実力を見誤った結果。本人にそれを反省する機会はない。地面に崩れ落ちていく彼は、そのまま死ぬのだから。
「自分が何故、バーと呼ばれるか最後まで分からなかったみたいだな」
目の前で仲間を殺されたというのに他の者たちに怒りの感情は見られない。
「……何故、そう呼ばれていた」
どうでも良いことではあるが、それが仲間を見殺しにする理由のヒントになるのであれば、クローヴィスはそれを知りたいと思った。雰囲気は似ていると感じたが、仲間を大切しない彼らは黒狼団とは全く違う。その違いが生み出すものを知りたいと思った。
「『ばーか、ばーか』の略だ」
「…………」
「子供の頃のあだ名だ。そんなものだろ?」
クローヴィスの反応を見て、恥ずかしく思った相手は言い訳をしてきた。これもクローヴィスにとってどうでも良いことだ。
「子供の時からの仲間が死んでも、なんとも思わないのか?」
クローヴィスが知りたいのはこのこと。あだ名の由来からは分からなかったので、直接的に聞くことにした。
「そいつは、ただ目立ちたいというだけで、規則違反を犯した。その罰を受けただけだ」
「……そうか」
「さて、処分を行ってくれたことには礼を言う。だが、お前にもここで死んでもらうことになる。悪く思うな」
男がこう言い切ると同時に周囲の者たちが一斉に戦闘態勢に入った。膨れ上がる気。多勢に無勢という状況で、さらに敵の何人かの気の力は、シュバルツと同等ではないかと思うくらいの強大さ。それを感じただけで、クローヴィスは死を覚悟することになった。
そうだとしても諦めるわけにはいかない。気持ちを奮い立たせて、敵と向かい合うクローヴィス。
「油断するなよ。確実に殺せ」
多人数であっても相手に油断はない。クローヴィスの逃げ道を塞ごうと動き出す敵。
クローヴィスとしては包囲を許すわけにはいかない。敵に、完全に回り込まれる前に動き出す。比較的弱そうに感じる相手を狙って、攻撃を仕掛けるクローヴィス。だが、敵は甘くはなかった。
「くっ!」
背後から近づく気配を感じて、咄嗟に身をひねるクローヴィス。一か八かの動きだが、それが今回は良い結果となった。巻き上がる土煙は敵の剣が地面をえぐったことによるもの。間一髪それを避けたクローヴィスは、地面を蹴って、大きく跳ぶ。
「んぐっ……」
地に降りた途端に感じた足の痛み。それが何かを確かめることなく、クローヴィスは再び、その場から跳んだ。
「……良い勘、いや、良い反応だ。殺すには惜しいな」
「オファニ。手を抜くな」
「バーよりは遥かに役に立つと思うが?」
足の怪我程度で済んだのは、オファニと呼ばれた相手が殺さないように手加減したから。この会話でクローヴィスにもそれが分かった。これを「運が良かった」と言えるかどうかは、無事にこの窮地を抜け出せたらの話だ。
「命令は敵を殺せ。そして、こいつは敵だ」
「シャムシは真面目すぎだ。組織を強くするには敵でも取り込むくらいでないと」
「どんな理由であろうと命令に逆らうことは許されない。いいから、さっさと終わらせるぞ。敵は他にもいる」
「……仕方ない。ではご要望通りに、すぐに終わらせよう」
軽傷とはいえ、クローヴィスが斬られたのは足だ。動きが鈍るのは間違いない。命を奪うことはしなくて、逃げるのを許してしまうような甘い対応をオファニはしていないのだ。
包囲の輪が縮まっていく。それを防ぐ動きはクローヴィスには出来ない。下手に動いても、さきほどと同じように攻撃を許すだけ。次は足の怪我では終わらないのは、オファニとシャムシの会話で分かっている。
絶対絶命。その状況のクローヴィスを救ったのは。
「な、なんだ!? どこからの攻撃だ!?」
突然、敵を襲った攻撃だった。クローヴィスに襲い掛かろうとしていた敵が二人、血を吹き出して、地面に倒れている。姿の見えない敵からの攻撃、ではない。攻撃の瞬間が見えなかっただけだ。
「父上!?」
「まだだ! 付いてこい!」
現れたのはアーテルハイド。驚くクローヴィスに付いてくるように指示を出し、またアーテルハイドは動き出す。ただ、クローヴィスが付いていくのは無理だ。神速を使うアーテルハイドの動きに付いていけるはずがない。
それはアーテルハイドも分かっている。ぴったりと後ろに付いてくる必要はない。自分がさらに包囲を崩すので、そこを抜けてこいという意味だ。
「こいつ! アルカナ傭兵団の幹部だ! アーテルハイドってやつだ!」
あまり情報を持たない彼らも、さすがにアーテルハイドについては知っていた。いざとなったら自分の手で倒さなければならない敵。この襲撃において絶対に討たなければならないターゲットとして、情報を伝えられているのだ。
だがアーテルハイドのことを知っているからといって、その攻撃を簡単に防げるものではない。また新たに二人が地に崩れ落ちる。その間を、クローヴィスは足の痛みをこらえながら、駆け抜けていく。
「走れるか!?」
「なんとか!」
「ではお前は逃げろ!」
「えっ?」
父であるアーテルハイドが発した言葉の意味を、クローヴィスは理解しきれなかった。「お前は逃げろ」の「お前は」の意味を。
「ここは俺が食い止める。だからお前は早くシュバルツのところに」
「でも母上が?」
「大丈夫だ。彼女も傭兵の妻。こういう場合に何をするべきかは心得ている」
実際にどうであるかはアーテルハイドには分かっていない。だが、クローヴィスに自宅に向かわせるわけにはいかない。そんなことをして逃げられなくなっては困るのだ。
「でも……」
それでも躊躇いを見せるクローヴィス。食い止めると言っているアーテルハイドは自分以上の怪我を負っている。彼の服を染めている血の量が、それを示していた。そんな父親を置いて逃げることに抵抗を感じているのだ。
「……クローヴィス。お前にはやってもらうことがある。これを」
そんなクローヴィスにアーテルハイドは懐から取り出したものを差し出した。
「これは……まさか?」
アーテルハイドが渡されたのはカードの束。絵柄は見えていないが、見えていてもクローヴィスには判別できないが、それが何かは明らか。こんな時に、トランプドやただのタロットカードを渡すはずがない。神意のタロッカに決まっている。
「クローヴィス。お前の人生を私の為に使ってくれないか? 私の想いを引き継いで欲しい」
「父上……」
想いを引き継いで欲しいということは、自分たちにはもう叶えることが出来ないと認めたということ。父親がそのように考える時がどういう時かなど、考えなくても分かる。父親は助からない。死がもう目の前に迫っているのだ。
それが分かれば、返すべき言葉は決まっている。クローヴィスはそう思った。
「……分かりました。父上の想いを引き継いで、必ず全てを揃えて見せます! この世界を変えてみせます!」
「違う」
「えっ?」
父の想いを引き継ぐ覚悟。背負いきれないかもしれない想いを背負う覚悟を伝えた自分を否定した父親の言葉に、クローヴィスは戸惑ってしまう。
「クローヴィス、この世界を変えるのはお前ではない。シュバルツだ。団長の意思を受け継ぐのは、団長の子であるシュバルツなのだ」
「……シュバルツ様が……陛下の……?」
「そうだ。証拠なんてない、そんなものは無用だ。彼は団長とミーナの子。団長の夢を実現するのは彼なのだ。クローヴィス……お前は私の夢を引き継いでくれ。この世界を変えるシュバルツを、命をかけて支え続けてくれ。私が団長にそうしてきたように……」
クローヴィスにはクローヴィスの受け継ぐべき想いがある。父であるアーテルハイドの夢。ディアークが夢を実現させる為に、全身全霊で尽くす。その実現の日を、すぐ隣で迎えたい。この想いだ。自分が叶えられなかった夢を、アーテルハイドは息子であるクローヴィスに託したいのだ。
「……分かりました。シュバルツ様に身命を賭して仕え続けます。父上が陛下にそうしていたように」
「頼むぞ。では、もう行け」
「……はい!」
これが今生の別れ。そうなることが分かっていても、名残を惜しんでいる余裕はない。敵はすぐ側にいる。これまで攻撃してこなかったのが不思議なくらいだ。父への想いを振り切って、全力で駆け出すクローヴィス。足の痛みなど気にしていられない。
「……情けのつもりか?」
その場に残ったアーテルハイドは、攻撃を仕掛けてこなかった理由を相手に尋ねた。アーテルハイドとしては戦いを急ぎたくない。クローヴィスの為に少しでも時間を作りたいのだ。
「まさか。その逆。お前の息子は死ぬ。それをお前に見せてから殺してやろうと思っただけだ」
シャムシには情けをかける理由はない。アーテルハイドとクローヴィスはそういう対象ではないのだ。
「それは無理だな」
「死にぞこないのくせに偉そうに。でもお前は簡単には殺さない。悪魔の手先のくせに、教皇を名乗っているお前には、誰よりも重い罰を与えてやる。指一本動けなくなるくらいに痛めつけ、逃げたお前の息子を連れてきて、お前の目の前で殺す。わずかな希望も全て絶望に変えてから殺してやる」
情けをかけるどころか、教会に対して絶対の忠誠を向けているシャムシにとって、教会の最高位である教皇を騙るアーテルハイドは絶対に許せない敵なのだ。
「……教皇の称号が気に入らない? だったら今すぐ捨ててやる」
教皇の称号などアーテルハイドにとってはどうでも良いものだ。クローヴィスたちに想いを託した今は尚更。
「命乞いか? 無駄だ。敵は殺す。命令は絶対だ」
「馬鹿か? どうして俺がてめえみたいなガキに命乞いしなきゃならない?」
「なんだ?」
いきなり雰囲気の変わったアーテルハイドに戸惑うシャムシ。孤児であった頃の彼らにとっては身近に感じる態度だが、今はそう思えるような状況ではない。
「俺にとってカードの称号はもう無用のものだ。そんなものは捨てて、元の俺で相手してやる。死にぞこないだからって甘く見てると痛い目に遭うぞ。甘く見なくても痛い目に遭うけどな。てめえらの心に、本当の恐怖ってものを刻み付けてやる」
今のアーテルハイドはディアークに出会う前、出会って、何度も戦いを挑んでは負け、遂には彼に心酔し、全てを捧げようと思うようになる前の彼。教皇ではなく、狂戦士と呼ばれていた頃のアーテルハイドだ。最後の時に、アーテルハイドはその自分に戻ろうと考えた。ちょっとでも気を抜けばすぐに意識を失ってしまいそうになる今の状態で戦うには、狂戦士と呼ばれていた、戦闘本能のままに戦い続けていた自分に戻るしかないと。
「……脅しにビビる俺たちだと思っているのか!? 構わない! さっさと殺してしまえ!」
動けなくなるまで痛めつけるのではなく、殺すことを選んだシャムシは、言葉とは反対にアーテルハイドを恐れている。何もしなくても、時間が過ぎれば彼は死ぬというのに、冷静な判断が出来ずに、戦いを挑むことになった。
アーテルハイドに最後の命の灯を燃え上がらせる機会を与えてしまったのだ。
◆◆◆
アーテルハイドと離れてシュバルツたちとの待ち合わせ場所に向かっているクローヴィス。背後から聞こえて来た喧噪はもう聞こえない。それが、戦闘の場から遠ざかったからだけでないことはクローヴィスにも分かっている。
懐に忍ばせた神意のタロッカに手を伸ばし、握りしめる。アーテルハイドの想いが込められている。そんな風に思っているのだ。
その想いを受け継ぐには、なんとしてでもシュバルツの下にたどり着かなければならない。一緒に逃げ延びなければならない。気持ちは焦るが、足は想いに応えてくれない。受けた怪我の影響は小さくはないのだ。
「はい。お疲れさん」
「なっ……」
そんなクローヴィスの前に現れたのは、後ろにいるはずの敵、オファニだった。
「追いかけっこで俺に勝てる奴はいない。さて、お前に最後の機会を与えてやる。俺たちの仲間になれ。シャムシはなんとか説得するから」
「断る」
クローヴィスに検討する余地はない、自分がやるべきことは、すでに定まっているのだ。
「断れば死ぬ。意地を張るな」
「俺が仕える相手はシュバルツ様、ただ一人だ。他の何者にも従うつもりはない」
「そうか……じゃあ、しようがない」
膨れ上がるオファニの気。それはさきほど以上の圧力をクローヴィスに与えてくる。抗っても無駄。そんな思いをクローヴィスの心に湧き上がらせてしまう。
「……ちきしょう」
そんな自分がクローヴィスは情けない。ここで死ぬわけにはいかないのだ。父の想いを途切れさせるわけにはいかないのだ。だが、自分にはその力がない。悔しくて悔しくて、胸が搔きむしられるような感覚が広がっていく。
「なんだ? お前、泣いているのか? 情けないな。そんなお前を見たら親も泣くな。ああ、もう見れないか。お前の親父は無駄死にだ」
「……貴様に……貴様に何が分かる!?」
涙を流して何が悪い。そうなるだけの想いをクローヴィスは背負ったのだ。父はその為に命を捨てたのだ。自分の涙を、父親の死を他人が嘲ることなど許せない。
胸の痛みが熱を帯びていく。どうにも出来ない自分への怒り。父親の理不尽な死への怒り。それをもたらした者たちへの怒り。怒りの感情がクローヴィスの体を駆け巡る。
「うるさいな。もう死ね」
「死なない! 俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ!!」
そしてそれは、爆発した――