争乱の響きは城内全体に、やがて王都シャインフォハン全体に広がっていくことになる。だがそれはまだもう少し後のこと。今はまだ城での出来事は王都の人々には届いていない。何も知らないまま、感謝祭期間を迎えた人々は家族団らんの時間を過ごしている。それは城外で暮らすアルカナ傭兵団員たちにとっても同じ。シュバルツたちの場合は、家族団らんとは少しだけ違うかもしれないが。
「はあ……せっかくの家族で過ごす時間を邪魔するなんて……来年はクローヴィスにとって悪い年になるのは間違いないな」
「縁起でもないこと言わないでください。元はと言えば、シュバルツ様がわざと予定を重ねたのが悪いのではありませんか?」
嫌がるシュバルツを連れ出して、城内で行われている宴会に顔を出させるのがクローヴィスの役目。だが、そもそもシュバルツが予定をかぶらせなければ、そんな役目を担うこともなかったのだ。
「感謝祭は家族優先だろ?」
「その家族とは今日でなくても会えるではありませんか。それに……本当の家族ではないですし……」
感謝祭期間中は食堂も、原則、休み。エマたちとは毎日でも会えるはずなのだ。そもそもシュバルツとエマたちに血の繋がりはない。家族優先を訴えるのは違うとクローヴィスは思う。
「あっ? それ言うかな? 血が繋がっていなくても俺たちは家族だ。それを認めないなんて、クローヴィスって情のない男だな」
「そこまで言われることですか? それに、いつから家族同然になったのですか? 確か、家事をお願いしただけの関係でしたよね?」
もともとエマとロートは、食事の支度をお願いするだけの赤の他人として紹介されている。それが嘘であったことなど、とっくに明らかになっているが。
「嫌味だ……はあ、今日のクローヴィスは性格も悪い」
「今日のシュバルツ様は往生際が悪すぎます。ちょっと顔を出して帰ってくるだけではないですか?」
クローヴィスだって望んで城に同行するわけではない。どちらかと言えば、クローヴィスも行きたくないのだ。父であるアーテルハイドと他の上級騎士が同席している場では、自分の立ち位置に迷ってしまう。テレルあたりはアーテルハイドの息子として接してくるが、クローヴィスは一従士という立場に徹していたいという拘りがあるのだ。
「そうだとしても、なんか嫌だ。心が嫌がっている」
「つまり、シュバルツ様の気持ちの問題です。行きますよ!」
嫌な用事はとっとと済ませてしまうに限る。クローヴィスとシュバルツに違いがあるとすれば、そこだ。ただシュバルツも普段はクローヴィスと同じ。嫌なことや面倒なことは先に終わらせてしまおうと考えるほうだ。そのシュバルツが無駄に嫌がっているのは、心が嫌がっている、つまり、なんとなく嫌な予感がしているからだ。
「シュバルツ様!」
その嫌な予感の正しさを証明する人物が現れた。
「フィデリオさん……なんか久しぶりだな? 何かあったのか?」
フィデリオが顔を見せるのは久しぶりのこと。ギルベアトと教会の関係についての不審もあり、シュバルツはあえてその理由を聞いていなかったが、血相を変えて現れた様子から用件がただ事ではないことだけは分かる。
「逃げてください!」
「……どういうこと?」
「反乱が起きています! すぐにここにも敵が現れるはず! その前に逃げてください!」
「反乱……」
シュバルツが周囲に目くばせをした時には、すでにブランドとロートは剣を抱えて、窓の外の様子を探っていた。エマも、シュバルツの剣を持って、側に来ている。
「反乱の状況は!? 父は……!? い、いえ、陛下はご無事なのですか?」
反乱と聞いて、もっとも動揺しているのはクローヴィス。父であるアーテルハイドの身が心配なのだ。そういう意味でセーレンも内心ではかなり動揺している。ただ、言葉を発していないだけだ。
「……分かりません。私に分かるのは、もうすぐ城外にも反乱軍が送り出されるということだけです」
その反乱軍の攻撃目標のひとつがシュバルツたちがいるこの屋敷。シュバルツを捕らえることが目的だ。
「フィデリオさんはどうしてそれを知った?」
「それは……詳しいことはあとで必ずご説明いたします! 死んで詫びろと言うのであれば、その場で死にます! とにかく今は急いで、ここから逃げてください!」
「そうか……分かった」
おそらくその事情にはギルベアトも関わっている。そういうことだとシュバルツを受け取った。真実を知りたければ、無事に逃げ出さなければならないとも。
「救援に向かうべきではないですか!?」
ただ、クローヴィスは逃げることに納得していない。もしアーテルハイドたちが反乱軍に対して苦戦しているのであれば、そうである場合を考えて、城に向かうべきだと考えているのだ。
「誰が敵か味方か分からない戦場に向かうのですか!?」
だがフィデリオはそれを認めるつもりはない。シュバルツを無事に逃がす。それがフィデリオにとって最優先事項なのだ。
「……どういうことですか?」
「起きているのは反乱なのです。近衛騎士団はほぼ反乱側に与していると思います。ですがそれ以外の誰が反乱に加わっているか、はっきりしたことは分かっておりません」
「……それはつまり……傭兵団員からも裏切り者が……?」
「間違いなく。ただ誰がそうかは分かっていません。味方の振りをして近づいてくる者が実は敵かもしれないのです。そんな戦場で戦えますか?」
戦えるはずがない。敵が分からないからといって、全てを敵として戦うわけにもいかない。そんな戦場には近づくべきではないのだ。
「逃げるべきです。結果として、反乱が失敗に終わったとなればそれで良いではありませんか?」
わざと反乱が失敗する可能性を口にするフィデリオ。ここでクローヴィスがしつこくごねて、シュバルツまで城に行く気になったら困る。そう考えてのことだ。
「……ひとつ聞いて良いですか?」
「何ですか?」
「反乱軍は他にどこに向かう予定ですか? たとえば私の家はどうなのでしょう?」
城に向かうのは無謀であることは分かった。だが、クローヴィスの家族はアーテルハイドだけではない。母親もいるのだ。
「……おそらくは向かうと思います」
ここで嘘をつくことも考えたフィデリオだが、そんなことをしても無駄だと思い直した。クローヴィスは分かっていて聞いているのだ。
「分かりました。シュバルツ様はお逃げください。私は自宅に戻ります」
「そうか……セーレンさんは?」
「私は……父しかいないから……」
父であるテレル以外にセーレンに家族はいない。他に救うべき人はいないのだ。
「そうだったのか……ボリスの家族は別の街。じゃあ、二人は俺たちと一緒に逃げよう。クローヴィス、半刻だ。半刻だけ待つ。ロート!」
「……ここから食堂に向かう途中にある交差点。角に革製品屋がある交差点だ。そのすぐ先に厩がある。そこに来い」
渋い顔をしながらクローヴィスに集合場所を伝えるロート。その場所は黒狼団がいざという時の為に用意した場所。それをクローヴィスに教え、さらに半刻も待つということに呆れているのだ。嫌がっているわけではない。シュバルツらしいと呆れているだけだ。
「……母を連れて行っても?」
「問題ない。行くなら急げ。ああ、念のため、玄関は使うな」
「分かった!」
剣を掴んで庭に飛び出していくクローヴィス。その姿はすぐに林の中に消えた。シュバルツたちにも、この場所にとどまっている理由はない。
「俺たちも裏から行こう」
「そうだな」
シュバルツたちも庭から屋敷の裏に回って、目的地に向かうことにした。わざわざ人目につく表通りを移動する必要はないのだ。
「よろしければ、エマ殿は私が背負いましょう」
目が見えないエマを気遣って、背負って逃げることを申し出て来たフィデリオだが。
「ああ、それは良い。エマ、行くぞ」
「ええ」
フィデリオの申し出を断ったシュバルツは、エマの手を引いて庭に飛び出した。エマの目などまったく気にした様子もなく、全力と思える勢いで駆けていくシュバルツと、それに付いていくエマ。
「…………」
まさかの二人の動きに呆然とするフィデリオ。目が見えないというのは嘘だったのかと思ったのだが。
「シュバルツに手を握られていると知らない場所でも走ることに不安を覚えないらしくて。まったく……兄である俺のことも、もっと信頼してくれても良いと思いませんか?」
ロートがそうではないことを教えてくれた。信頼は長年の蓄積によるもの。幼い頃からシュバルツがエマの手を引いて歩いていたから。それが徐々に速足を試すようになり、駆け足が出来るようになり、エマは不安を感じなくなったのだ。もっともロートも手を引いて歩くことはあったので、経験だけではないことは明らかだが。
「……そうですね」
「時間はないのでしょ? 俺たちも急ぎましょう」
「はい。行きましょう」
シュバルツたちを追ってフィデリオも庭に降りて、走り出す。その背中を、怪しい動きがあればすぐにナイフを放てる状態で、追っているスヴェンの存在に気が付かないままに。
◆◆◆
城内の戦いは乱戦模様。数の上では圧倒的に反乱側が有利なのだが、その数の差を埋めるだけの奮戦をディアークたちは行っているのだ。そんな彼らの奮闘は反乱側にとっては想定外。突破しても突破しても現れる新たな敵陣に消耗を強いられてきたディアークたちであったが、反乱側があらかじめ整えていた包囲網は全て突破。今は敵を引き寄せて撃退しては、身を隠して休むを繰り返している。
「……近衛騎士団だけでないのは明らかだが」
近衛騎士団だけで構築できる包囲網ではない。では王国騎士団も加担しているのかというと、そうとも言い切れないところがある。ディアークの見知った騎士がいないのだ。
「……き、教会、だと思います」
ディアークの疑問に答えを返したのはアーテルハイド。その手には倒した騎士が身につけていた十字のネックレスが吊るされていた。
「教会……教会騎士団ということか」
「き、騎士団、とは限りません、が」
「そうだな……」
反乱側には黒狼団のメンバーかと思うような若く、それでいてかなり手強い、内気功の使い手と思われる者たちがいる。若いというだけで教会騎士団の所属ではないとは決めつけられないが、そういう集団が教会騎士団にいるという話はディアークも聞いたことがない。
「……だ、団長」
反乱勢力について考えているディアークの口元からしたたり落ちる赤い血。それに気が付いて、アーテルハイドは動揺している。
「……まだ大丈夫だ。まだ戦える」
口元の血を手で拭って、笑みを見せるディアーク。無理をしているのは明らかだが、それを指摘することに意味はない。ディアークを心配しているアーテルハイドも、かなりの重傷。流している血の量であれば、比べものにならないくらいに多いのだ。
「羨ましいですな。俺はそろそろ限界です」
「テレル……」
笑みを浮かべているが、テレルの顔は血の気が引いて真っ青になっている。
「追ってくる奴らは俺が引き付けます。団長たちは先に」
自分の限界を悟ったテレルは、ディアークたちを逃がす為の囮になることを決めた。
「……分かった。アーテルハイド、ベルント、行くぞ」
テレルの想いを素直に受け取るディアーク。ここで無駄にごねて時間を使い、敵に殺されるようなことになればテレルの死を無意味なものにしてしまう。そう考えたのだ。その気持ちをアーテルハイドも理解している。彼も脱出が叶わないままで死が迫れば、テレルと同じ決断をするつもりだ。
テレルを置いて先に進むディアークとアーテルハイド。
「……ベルント」
ベルントだけはその場に残った。
「自分も共に戦います」
ベルントはテレルとずっと一緒に戦ってきた。死ぬときも一緒と思うようになるくらいに。
「……無用だ。お前は逃げろ」
「一緒に戦ったほうが多くの敵を引き付けられます。それに四人の中で一番元気なのは自分です」
ベルントは毒を飲んでおらず、アーテルハイドのように大怪我もしていない。今の状況では、もっとも戦闘力が高いのだ。
「一番元気だから逃げろと言っているのだ」
「自分はジギワルドとは違う。守る相手はいない」
ジギワルドはオティリエと共に、すでに別に動いている。ディアークと共に行動するよりも、そのほうが逃げられる可能性が高いと考えたのだ。その可能性をより高める為に、ディアークは敵をわざと引き寄せているのだ。
「守る相手はいる。お前には愚者を、シュバルツを守って欲しい」
「シュバルツ? 何故、彼を守らなければならないのです?」
「奴が団長の息子だからだ」
「なっ……?」
ベルントがこれまで知らされなかった事実。事実であると決まったわけではないが、ディアークの思いをテレルは告げた。
「守るというのは正しくないか。支えてやって欲しい。中々な奴らではあるが、まだまだ青い。この先、年長者の支えが必要な時が必ず来るはずだ」
「……アルカナ傭兵団を彼に?」
ディアークが無事に逃げ延びることが叶わなければ、その時はシュバルツをアルカナ傭兵団の団長に。テレルの言葉をベルントはそう理解した。だが、それは間違いだ。
「いや。あれはあれの組織を持っている。アルカナ傭兵団を継ぐことはない。だが……俺は思うのだ。あれはきっと団長の、俺たちの想いを繋いでくれる。血の繋がりやアルカナ傭兵団は関係なく、あれは、あいつらは俺たちの後継者だと」
血の繋がりなど関係なく、ディアークとシュバルツは似ているとテレルは勝手に思っている。シュバルツとその仲間たちに、かつての自分たちを重ねている。自分たちが果たせなかった夢を実現する者がいるとすれば、それは彼らだと信じている。
「……セーレンも」
テレルの想いはシュバルツだけにあるのではない。従士として仕えている娘のセーレンへの想いも、そのほうが強いのだろうとベルントは考えた。
「そうだな。セーレンもその一人であれば、嬉しいな」
「きっと、そうなるでしょう」
テレルの想いは娘であるセーレンに必ず引き継がれる。そうであって欲しいとベルントは思う。
「……生きろ。なんとしてでも生き延びろ。生き延びて、彼らの下に」
「……分かりました。必ず生き延びてみせます」
湧き上がる想いに震えそうになる声を、なんとか抑えて、ベルントは「必ず生き延びる」と言い切ってみせた。テレルを安心させる為に、そうしなければならないと思ったのだ。
「頼む」
自分に向かって頭を下げるテレルより、さらに深く一礼するとベルントは、「ご武運を」の言葉を残して去って行った。ディアークたちの後を追うのではなく、自分自身が逃げるのに最善と思われる方向に向かって。
「……セーレン。俺は良い父親だったか?」
一人になり、残していくセーレンへの想いが、思わず口から出てしまう。
「……思い残すことなく死ぬなど、やはり無理なようだな」
望んで死ぬわけではない。嫌でも訪れる死に、少しでも意味を持たせたいと思って、テレルは戦死を選ぶのだ。生きられるなら生きたい。娘との時間をもっと持ちたい。もっと大切にするべきだったという後悔の想いが湧いてくるのを抑えられない。
「……アルカナ傭兵団! 力のテレル! 参る!」
それでもテレルは前に足を踏み出した。アルカナ傭兵団の団員として死に向かっていった。