愚者のメンバーは相変わらず鍛錬ばかりの毎日。朝早くから本部の訓練場に集まって、体力作りや剣の素振り、型稽古などの基礎訓練。昼食を食堂で済ませると、今度は屋敷に戻っての鍛錬だ。対戦するか分からない相手の弱点をいちいち探るつもりはないが、探られるのを許すつもりもない。立ち合い稽古などは屋敷内で行うことにしたのだ。
「……う~ん? 一言にすると考えすぎ?」
「はっ?」
内気功の練度を高める。これがクローヴィスにとって今一番の課題なのだが、それが思うように行かない。成長が実感できない。そこでブランドに相談してみた結果、返ってきた答えは「考えすぎ」の一言だった。当然、クローヴィスには意味が分からない。
「内気功って頭で考えてどうかなるものではないと思う」
「それは分かっている。考えているのはどういう鍛え方をすれば良いかだ」
考えるだけで強くなれるとはクローヴィスだって思っていない。どういう方法で鍛えるのが良いかを知りたいのだ。ただ、ブランドの説明は言葉通りのものなのだ。
「だから鍛え方がどうかではなくて……どう言えば良いのかな?」
「爆発だろ? 火薬兵器みたいにドカーンって」
「……もっと分からないのですけど?」
シュバルツが話に加わってきたのだが、まったく助けになっていない。爆発なんて言われてもクローヴィスには、どういうものなのか想像も出来ない。
「ええ? 分からないかな?」
「だから爆発を頭で考えるから分からないんだよ。そういうこと」
「そういうこと、じゃない。二人で訳の分からない話をしないでください」
ブランドはシュバルツの表現を理解している様子。それがクローヴィスをイラっとさせる。二人共に理解しているということは、それが内気功の練度を高めることに繋がる何か。それをクローヴィスは知りたいのだ。
「訳分からないと言われてもな。爆発じゃないとすると……熱かな? 熱だとちょっと弱い気もするけど、こう、湧き上がってくる熱い……たとえば怒りとか? 熱い感情みたいのが必要」
「はい?」「えっ?」
「えっ?」
シュバルツの続く説明に声をあげたのはクローヴィスだけでなく、フィデリオも。そのことに今度はシュバルツが驚いている。
「あ、あの……熱い感情というのは?」
「本当に分からないのか? あっただろ? 一段突き抜ける時の感覚。俺はちょっと極端だったかもしれないけど、皆……ブランドもあったけどな」
「今更、仲間の存在を隠さなくて良いです。仲間の人たちは皆、同じ感覚を得たのですか……」
黒狼団の仲間たちは皆、同じ感覚を経験している。それに驚くフィデリオは、そういう経験がないのだ。
「本当に今までないのなら、フィデリオはもっと強くなれるな」
「そうだと良いのですけど……」
自分も同じ経験が出来るのか。フィデリオは疑っている。師匠は同じギルベアトであるが、シュバルツたちへの教え方は何か違う気がする。具体的にどこ、というものではなく、全体的に荒いのだ。そういう点で、クローヴィスが頭で考えていると言われているように、自分は理屈で内気功を身につけているのではないかとフィデリオは思ってしまう。
「シュバルツ様は具体的にいつ、どういう時にそういう感覚を得たのですか?」
クローヴィスは、フィデリオのように「自分には無理かも」で終わらせるわけにはいかない。自分には該当しない可能性は高くても、ヒントは少しでも多く得たいのだ。
「それ聞く?」
「えっ? 駄目でしたか?」
「駄目というのは違うけど……まあ、良いか。俺は目の前で仲間が殺された時」
「えっ……」
想定外の答え。クローヴィスも、もともと深く考えて質問したわけではないのだ。
「頭が真っ白になって、そのあと体の中で炎がはじけた。怒りの感情だとなんとなく思っているけど、正直よく覚えていない」
「……そうですか」
触れてはいけなかった話題。そう考えて、ブランドに視線を向けてみれば、軽く首を振るだけで応えられた。ブランドにとっても思い出したくない出来事。ブランドや他の仲間にとっての心の傷は、そのあとしばらくシュバルツが正気を失ったような状態になってしまったことで、より深くなってしまったのだ。
「だから俺のはお勧めしない。ブランドは……カーロに喧嘩で負けて、きれた時だっけ?」
「違うから。喧嘩は喧嘩でも、相手は仲間じゃないし、一人でもない」
「ああ、そうだった……」
「……何ですか?」
シュバルツとブランドの視線が自分に向けられていることに気づいて、クローヴィスはその意図を尋ねたのだが。
「いや、クローヴィスも皆でボコれば目覚めるかな、と思って」
「ぼこれ?」
「袋叩きにすれば、って意味」
「絶対に目覚めませんから!」
という感じで、内気功の能力を高める為の方法どころか、わずかなヒントも得られなかったクローヴィスだったのだが。
「火薬兵器が爆発するような感覚……なるほど。そういう感覚か」
「えっ?」
家に帰って父親であるアーテルハイドに愚痴のつもりで話してみれば、クローヴィスが分からなかった感覚を、父親は理解してしまった。
「我々の感覚と似ているな」
「それは、特殊能力を使う時の感覚ですか?」
アーテルハイドは内気功を使えない。特別な感覚があるとすれば、特殊能力を使う時のものであるはずだ。
「ああ、そうだ。私の場合は体の奥底の一点から全身に、一瞬で熱湯のように熱い血が巡るという感覚だけどな」
「……熱湯ですか」
表現は違っているが、熱さという点は共通のもの。内気功を発動した時に感じる何かが熱を帯びるというのはどのような状態なのか。クローヴィスは、頭で考えてしまう。それでは駄目だと教えてもらったというのに。
◆◆◆
青空の下を駆け回っている子供たちの楽しそうな声が響いている。どこの町や村でも普通にある光景。貧民街であったとしても子供の笑い声がないわけではないのだ。ただ光景は当たり前にあるものだとしても、この場所は普通とは言えない。周囲を高い塀で囲まれている、その外側も高い木々に囲まれているこの場所は、シュタインフルス王国内のコンラート=フォークラー子爵領にある拠点。黒狼団の拠点だ。
「止めろ! これは妹の為に、ぐっ……」
腹を蹴られてうずくまる男の子。それに気づいた子供たちの笑い声が消えた。
「必要だったら、またもらってこい」
「……お、お前らが、もらって、んぐぁっ」
「うるせえ! 俺たちの物だと言ったら俺たちの物なんだよ!」
男の子を囲む相手も、少し年上だが、子供。彼らは支給された食料を奪おうとしているのだ。
「やめなさい!」
その彼らの行いを止めようとする声。ローデリカの声だ。
「人の物を暴力で奪うのはいけません!」
「……はあい」
ローデリカに叱られて、大人しく引き下がる男の子たち。彼女は逆らってはいけない相手だと認識しているのだ。
「大丈夫?」
「……大丈夫です。ありがとうございます」
ローデリカにお礼を告げて、すぐにその場を離れようとする男の子。引き止めようとしたローデリカだったが、男の子は背中を向けて、腹を押さえながら、速足で歩いて行ってしまった。
「…………」
お礼を告げられたが、ローデリカには男の子が本気で感謝しているように思えない。それが寂しかった。
「そうやって、あんたが助けていると、いつまで経っても解決しない」
「えっ? あっ、ロートさん」
「少し放っておくことだ。それでなるようになる」
「なるようになるって……」
ロートは孤児たちの間に揉め事があっても、見て見ぬ振りをする。だから自分がなんとかしなければと、ローデリカは思っているのだ。
「強い奴が多くを得る。当たり前のルールだ。あんたはそのルールを破っている。助けられている奴も共犯だ。奴はずっと虐められることになる」
ローデリカに助けられている男の子は、周りから見れば権力を利用する卑怯者。男の子本人もそれが分かっているので、助けられても嬉しくないのだ。
「……それは貧民街のルールですか?」
「まあ、そうだ」
「それでは弱い子たちが可哀そうです」
貧民街のルールが正しいものだとローデリカには思えない。貧民街は特別な場所で、決して幸せに暮らせる場所ではない。そういう場所のルールをここに持ち込むのは間違いだと思うのだ。
「あいつが本当に弱いかは分からない。まだ本気で戦っていないだろうからな。その機会をあんたが奪っている」
「奪っているって……私は虐めを止めているだけです」
「虐められている側でいつまでも終わらないと言っているんだ。守るべき相手がいる奴は強い。今は弱くても……きっと強くなる」
これを言うロートの視線は虐められていた男の子とその妹に向けられている。蹴られた男の子のお腹を小さな手で撫でている女の子。男の子は少し恥ずかしそうにしながらも、女の子の好きにさせていた。少し経って、男の子が食料を女の子の前に差し出した。それを見た女の子の顔に満面の笑みが浮かぶ。その反応に男の子も嬉しそうに笑っている。
そんな二人の様子を見ているロートの穏やかな瞳を見て、ローデリカはそれ以上、反論出来なくなった。こんなロートの表情を見たのは初めてだった。
「……貴方はそれで強くなれたのですね?」
「……まあ、そうだ」
エマを守る為にロートは強くなろうと思った。強くなった。だが、今ほどの力を身につける前はよく怪我をしたものだ。そういう時、エマは、目の前の女の子と同じように、ロートに手当をしてくれていた。ただ撫でてもらえているだけで、傷が癒えた気がしていた。
「どちらがどちら似なのですか?」
「ん? どういう意味だ?」
「貴方とエマさんはあまり似ていないので、それぞれ母親と父親に似ているのかと思いました」
先にいる兄妹は、性別が違うことと妹がかなり小柄であることを除けば、双子かと思うくらいにそっくりだ。一方でロートとエマは髪の色からして違う。それを思ってローデリカは、なんとなく聞いてみただけ。兄妹の会話を続ける為だけの問いだった、のだが。
「似ていないのは本当の兄妹じゃないからだ」
「……えっ?」
思わぬ事実を知ることになってしまった。
「エマとシュバルツがいる場で、余計なことを口走られても困るから教えておく。俺とエマに血の繋がりはない。この事実を二人は知らない」
出会いは偶然だった。屋根のある寝床を奪われ、雨の中をさまよっていた時に、たまたま人気のない建物を見つけた。小さな幸運に感謝して中に入ると、誰もいないと思っていたそこに、人形のように動かないでいるエマと、彼女の母親と思われる女性の死体があった。死体の横で寝るのは少し躊躇われたロートだったが、朝起きたら、すぐ隣の寝床で人が死んでいたなんてことは何度か経験している。雨の中、外で寝るよりはマシだと思って、そのまま寝た。それがロートとエマの出会いだった。
「……どうして兄妹ということに? いえ、無理に聞こうとは思いませんけど……」
「なんとなくだ。長くいるうちにエマは俺を兄と思うようになった。否定するのは可哀そうな気がして、そのままにしていたら話す機会を失った」
朝起きると、死んでいると思っていたエマが、自分の腕にしがみつくようにして眠っていた。小さな寝息をたてて眠っているエマの横顔は、人形のように愛らしかった。次の朝も、その次の朝も、起きると隣にエマがいた。その温もりを愛おしく感じるようになった。
数日後、建物の壁を叩く音がした。エマの父親が帰ってきたのかと思ったが、エマは出迎えに出るどころか、逆に壁に空いていた、子供が一人なんとか通れるくらいの小さな穴をくぐって建物の奥に入ってしまった。そうする理由が分からないまま、とりあえず後に付いて行ったロートが見たのは、両耳を手で塞ぎ、小さく丸まっているエマの姿だった。さらにロートは訳が分からなくなった。
だが理由はすぐに知れた。壁を叩いたのは男。その男が中に入ってきて文句を言っているのが聞こえた。「せっかく来たのに死んでやがる。死人なんて抱けねえだろ」と。エマの母親の仕事が分かった。エマが耳を塞いでいるのはその仕事の様子を聞かないようにする為だということも。エマのいじらしさに胸が痛くなった。
「……彼にも話していないのは……その……」
「違う。シュバルツに話していないのは、今のあんたのような反応をされたくないからだ」
「ああ……すみません」
「エマに比べれば出会ったのは遅かったが、シュバルツとも兄弟のような関係で暮らしてきた。二人とも大切な弟と妹だ」
エマを守ろうと思った。守り続けていた。だが、エマの美しさが人々に知られていくのに比例して、危険も増していった。そして遂に、ロートの力が及ばない事態が起きた。「助けて」と叫ぶエマ。その声に応えようとするが、酷い暴行を受けた体は言うことを聞いてくれない。歯を食いしばってみても、体は動かない。離れていくエマの声。絶望が胸に広がり、悔し涙がこぼれた。終わってしまう。二人の時が終わってしまう。自分はエマを守り切ることが出来なかった。意識が薄れていくのは怪我のせいか、生きる意味を失ってしまったからか。ロートは暗い闇の中に沈んでいった。
その暗闇から救ってくれたのはシュバルツだった。気が付いた時には、自分と変わらないのではないかと思うくらいの大怪我を負った男の子に背負われていた。ふらつきながらも自分を背負って歩く男の子。彼は何者で、今はどういう状況なのか。疑問は聞こえてきたエマの声で頭から消えた。そんなことはどうでも良くなった。エマが、まだ側にいてくれた。漆黒に染まっていた心に光が差し込んだ気がした。
三人の人生はその日、大きく変わった。
「……この話は以上だ。あんたには別の話がある」
過去の記憶から意識を切り離し、ロートは別の話を始める。ここに来たのはローデリカに話があったからなのだ。
「別の話ですか?」
「俺はここを離れることになった。シュバルツに会ってくる」
「何かあったのですか?」
ロートがこのタイミングでこの場所を離れるなんて話は聞いていない。そうしなければならない予定外の何かが起きたのだとローデリカは考えた。
「……ここに残るあんたは知っておいたほうが良いか。ラングトアに残っていた仲間の一人が掟を破っていたことが明らかになった。重大な裏切りだ。その対処を相談してくる」
ヘルツがベルクムント王国で行っていることの続報がロートに届いたのだ。悪い薬を使っているようだという情報が。彼女の裏切りに対して、どのように対処するか。書面だけでは決められない重い決定になるとロートは考えている。
「……以前、聞いた女性のことですか?」
「ああ、そうだ。思っていた状況とは違っていた。ヘルツは完全に私利私欲で動いていて……まあ、それは別に構わないのだが、その為の手段が問題だ。あんたは分からないかもしれないが、絶対に手を出してはいけない悪い薬に手を出した」
「分かりません。それに手を出すとどうなるのですか?」
「使った奴は少しずつおかしくなり、やがて死ぬ。それをヘルツは国王に使ったらしい。実際に薬でおかしくなった奴を見れば、あんたにも絶対に許せないものだと分かるのだが、そんな機会はないほうが良いな」
人が廃人になっていく様子。一般の人に比べれば、衝撃的な出来事を多く経験している貧民街の孤児たちであっても、これは絶対に駄目なものだと思うような状態だ。だからこそ黒狼団は使うことも使わせることも禁止したのだ。
「……分かりました」
具体的なことまでは想像できないが、少し話を聞いただけで気分が悪くなった。
「多分、戻ってこられるとは思うが、場合によってはそのままラングトアに行くことになる可能性もある。だから、あとは頼む。何かあったら仲間に相談しろ。それでも無理なら烏を飛ばすように」
「はい。分かりました」