アルカナ傭兵団の全団員が参加可能な競技大会。その成績によって傭兵団内の序列が決まり、従士であれば上級騎士に取り立てられチームを持つことが出来るという特別待遇が得られる。そんな団員であれば誰もが興味を惹かれるネタをぶち上げて、軍法会議の話題を打ち消すことに成功した、と言えるかはまだ分からないが、ディアークだが、さすがにルイーサの暴走を不問にするというわけにはいかない。
どういった処分にするべきか。まずはルイーサ本人を含めた幹部だけで話し合うこととした。話し合いの場が持たれたのは軍法会議から三日後。それだけの日数を空けたのはルイーサの頭を冷やす為。軍法会議の話し合いを始めれば、また沸騰する可能性は高いが、それでもかなり追い詰められ、パニックに近い状態であった時よりはマシだ。それにその三日で分かったこともある。
「結論から申し上げると、彼らを捕捉することは出来ませんでした」
軍法会議を終わらせた後、シュバルツに与えた屋敷と食堂に人を送ったが、誰もいなかった。シュバルツが話した通り、仲間たちは街から逃げ出していたのだ。それを知ったディアークはブランドを見直した。ブランドはシュバルツから指示されることなく、場の状況を読み、自分がなすべきことを考え、行動に移った。ただ強いだけの従士ではない。そう考えたのだ。少し勘違いはある。シュバルツからの指示はあった。黒狼団内で決められた合図が周囲に分からないように送られている。そうであっても簡単な合図だけでシュバルツが何を考えているかを理解したことに違いはない。
「そうだろうな。すっかり忘れていたが、彼らは愚者の逃亡を助ける為にこの街に来たのだ」
仲間たちがこの街に来たのはシュバルツがアルカナ傭兵団から逃亡する時に、それを助ける為。逃走する為の備えがあるのは当然だ。
「せめて方法を知ることが出来ればと思ったのですが……」
「ん? 分からなかったのか?」
彼らと連絡がついたことをディアークはすでに知っている。それが分かっていなければ、こんな風に落ち着いていられない。
「連絡を取ったのはキーラです。ですので、彼らがどこをどのように逃げたのかは分かっておりません」
「だったらキーラに聞けば良いじゃない。ヨハネスなら本当のことを聞き出せるでしょ?」
「ルイーサさん。まったく懲りていないのですね? それが成功しないことは、ちょっと考えれば分かります。どうやって連絡出来た? 友達に頼んだ。どうやって? お願いって。彼らはどこにいた? 知らない。友達に聞いて……まだ続けますか?」
「……良い」
いつもに比べてかなり言葉数が多いアーテルハイド。ルイーサへの苛立ちがそうさせているのだ。さすがに今回はやり過ぎだとアーテルハイドは思っている。日数が空き、色々と情報が増えたことで、アーテルハイドのほうは怒りが高まってしまったのだ。
「落ち着いて議論は出来ないか……任務に同行して、黒狼団について何か分かったことはあったか?」
日数を空けてルイーサは頭が冷えすぎて、事の重大性を忘れてしまった。アーテルハイドはその真逆。それが分かったディアークは、少し遠回りすることにした。本題を続け、ルイーサまで、また熱くなっては他の話が今日出来なくなる。そうならないうちに先に話してしまえとも考えたのだ。
「それ聞く?」
ルイーサは黒狼団の詳細情報を入手する為に軍法会議を利用して、大問題になった。彼女が責められているのは、それだけのことではないのだが、本人はそう思っている。
「お前のように強引に聞き出そうとしているわけではない。それにお前が知ることが出来た情報は、知られても構わない範囲のはず。愚者から文句は出ない」
「……そうでしょうね。実際に大して分かっていない。そうね……とりあえず黒狼団の序列ね」
「黒狼団にも序列はあるか。まあ、そうだろうな」
組織が大きくなれば上下関係が必要になる。それだけの規模の組織なのだとディアークは受け取った。
「きちんとしたものではないわ。人が集まると自然に出来る関係性。そんな感じだわ」
「ふむ。そんなものか」
シュバルツが仲間と呼んでいるのは実際にそういう関係だから。ただそうであれば組織としては未熟だとディアークは思う。
「頂点は言うまでもなくシュバルツ。次がロートね。ロートは知っているでしょ? 食堂の店主よ。あくまでも私が会った中での話だけど」
「シュバルツと呼ぶのだな?」
「えっ? ああ、任務中、周りがずっとこっちで呼んでいたから」
アルカナ傭兵団であることは隠すことになっているので、念のため、味方だけの時でも愚者という呼び方は避けていた。かといってヴォルフリックと呼ぶのは自分一人だけ。キーラの指摘もあって、恥ずかしいような馬鹿らしいような気持ちが強くなり、周りと同じシュバルツと呼ぶことにしたのだ。
「偽名だと分かっている名前で呼ぶのもおかしな話か……序列の二番目はロート。まあ、そうだろうな。彼は黒狼団の創設メンバー。黒狼団と名乗る前からの仲間だ」
「なんか私よりも詳しくない?」
ディアークが話した事実をルイーサは知らない。それを何故、ディアークが知っているのか。自分の知らない情報があることがルイーサは納得出来ない。
「アデリッサが教えてくれた。そのロートの妹、エマとアデリッサは仲が良いのだ」
「あの女。そんなところに手を伸ばしているのね?」
「手を伸ばしているって……ただ仲が良いだけだ。頻繁に食堂に行っている。エマや他の者たちと他愛のない話をしているのが楽しいそうだ」
エマの食堂は城内とは違い、偏見の目を向けられない。無駄に気持ちを高ぶらせることもない。ただいるだけでもアデリッサは心地よい時間を過ごせるのだ。
「そんな話を信じるの?」
「ああ、信じる。これまでは色々と誤解があった。全てを疑うことはやめた。それに、これについてはエマ本人からも聞いている。本当にただ雑談をしているだけだそうだ。まあ、愚痴みたいのものを聞かされることはあるようだが、内容は教えてもらえなかった」
「……どうしたの?」
ディアークのアデリッサに向ける目が完全に変わっている。愚者の任務に加わる前に、それらしき話をしていた記憶はあるが、ここまで見方が変わることになるとはルイーサは思っていなかった。
「アデリッサ様の悪い噂について、情報操作が行われていたことが事実だと判明しました。全部が全部、嘘というわけではありませんが、かなり誇張されている部分があったようです」
「それをした奴らは何を企んでいるの?」
アデリッサに対して何をどうしたかはどうでも良いが、ディアークに嘘の報告をしていたことについては、ルイーサは許せない。
「企みというほど複雑なことではありません。次の国王はオティリエ様の御子であるジギワルド殿を。そう考えている王国の臣たちが行っていたのです」
ディアークとオティリエの結婚は王国の臣下たちが望んだこと。王家の血の繋がりを守りたいという思いからだ。そうであるから次の王は王家の血を引くオティリエの息子、ジギワルドでなければならない。そうなって本当に王家の血は繋がるのだ。
「そんな姑息な真似しなくても」
オトフリートとジギワルド。どちらかを選ぶとなれば間違いなくジギワルド。ルイーサはこう考えている。
「長幼の序はオトフリート殿にあります。幼少期に見えた二人の才能の差が逆に、彼らにそういった行動を取らせたところもあるでしょう」
「そうだとしても全てが嘘ではないでしょ? あの女が悪女であることは事実よ」
「アデリッサ様の悪しき言動は、そういった周囲の空気を察し、焦りを覚えたからではないですか? ただアデリッサ様の不幸は自らの手で全てを行わなければならなかったこと。たとえば、もしヴォルフリック、いや、私もシュバルツと呼びますか。シュバルツがもっと前に、王国の臣という立場でアデリッサ様の前に現れていたら、状況は変わっていたかもしれません」
シュバルツであれば後継者争いに関わる工作でさえ、上手くやってしまうのではないか。アーテルハイドはそう思っている。
「あり得ない可能性ね」
「はい。ですが様々な可能性が、この先もあります。団長が後継者の決定を先延ばしにしているのは間違いではなかったと言いたいだけです」
「本人の資質はいきなりは変わらないでしょ?」
別にルイーサはジギワルドを支持しているわけではない。オトフリートを評価していないだけだ。彼にディアークと同じことなど出来るはずがない。そう思って、否定的な発言をしているのだ。
「その資質の認識も誤っている可能性があります。アデリッサ様と同じように情報操作されているでしょうから」
「それはあるかもね」
「少なくともエマさんの評価はオトフリート殿のほうが上のようですし」
アーテルハイドは食堂での出来事も知っている。ただこれはたまたまだ。黒狼団の拠点であることが明らかな食堂の様子は、怪しまれない程度の頻度で確認させるようにしているのだ。
「またエマって子? その娘はそんなに人を見る目があるの?」
「どうでしょう? これは人の意見ですが、人の痛みは分かるのではないですか?」
「あの若さで……ああ、そうね。下手な大人よりは、ずっと苦労しているか」
あの若さでそんなものが分かるのか。最後まで言い切る前にルイーサは自分の考えが間違いであることに気がついた。貧民街育ちの孤児が、目の不自由な彼女が苦労知らずであるはずがない。皆に愛される外見も、幸運だけをもたらすものではないことは想像は出来る。
「個人的には、改めて人の上に立つに必要な資質は何かを考える機会になりました。剣や勉強の資質はなくても、心の痛みを知っているほうが良いのではないかとか」
「オトフリートにはそれがある? ジギワルドには……なさそうね」
「すまん、それは俺が甘やかしたせいだな。俺自身、知らず知らずのうちに周囲が望む形に流されていたのかもしれない」
ディアークはこういうが、実際にはオトフリートとジギワルドのどちらかを贔屓するような真似はしていない。ただ、どちらにも厳しくはしていない。ジギワルドはディアークの言葉を誉め言葉として受け取り、オトフリートは出来ない自分への慰めと受け取った。相手側の違いだ。
「まあ、団長の育て方がどうかは別にして、とがった感じはないわね。人の好さかもしれないけど、物足りなく感じる」
ジギワルドもディアークのようになれるとルイーサは考えていない。ルイーサにとってディアークは唯一無二の存在。後継者として認められる者など誰もいないのだ。
「それで? ルイーサさんはどうしてシュバルツだけを貶めようとするのですか?」
不意にアーテルハイドが話を本題に戻してきた。ディアークもルイーサも本題に入るのを避けようとしている。そう感じて、無理やり戻すことにしたのだ。
「貶めようって……言葉悪いわね?」
「少なくとも今回の一件はそう表現してもおかしくないものです。無理があり過ぎます。そもそも彼を糾弾することに何の意味があるのですか?」
「彼は好き勝手やり過ぎ。団を乱すわ」
「ルイーサさんの行為は団を乱すどころか崩壊させてしまったかもしれないものだったと思いませんか?」
シュバルツの行動が自由過ぎることはアーテルハイドも分かっている。だがその自由な行動が大きな成果をあげていることも事実だ。全てを容認するつもりはない。だが規律が乱れることを咎めて、アルカナ傭兵団を崩壊させるのは違う。
「崩壊って大げさな」
「大げさではありません。軍法会議の場で彼が語ったことには実現可能性があります。それにあれほど大きな話でなくても、もっと簡単に団に致命的な悪影響を与えることが出来ます」
「何それ?」
「シュバルツとキーラとの関係は思っていた以上に親密です。あの彼女が動物以外に心を許す相手は、私が知る限り、彼が初めて。ただ仲が良いというだけでは済みません。シュバルツの為に団に背こうとしたのですよ?」
アルカナ傭兵団に対する忠誠心がないのはキーラも同じ。彼女にとって育ての親である狼をアルカナ傭兵団は誤って殺している。彼女がそれを恨みに思っている可能性は高い。シュバルツと同じなのだ。もしかしたら境遇が同じことが、キーラがシュバルツに心を許す理由のひとつではないかとアーテルハイドは思っている。
「だから何よ?」
「彼女に団への協力を拒否されるとどうなるか、ルイーサさんも分かるはずです」
キーラはアルカナ傭兵団の情報網のかなりの部分を担っている。彼女の指示がなくても動いている伝書烏は沢山いるが、彼女が止めようと思えば簡単に止められるはずだ。各地の情報は届かなくなる。別の方法で届いても時間がかかり過ぎては意味のないものになってしまう。アルカナ傭兵団は機能不全に陥ってしまう。
対ベルクムント王国戦において絶対に外せない戦力であるシュバルツ。アルカナ傭兵団の情報網を握るキーラ。他者に代えがたい貴重な二人の忠誠心が乏しい。大きな問題が今回、浮き彫りになったのだ。
「もっと言うと、軍法会議の場でヨハネスは明らかにシュバルツの側に寄っていました。あのヨハネスが、被告側に立つ人間に肩入れしたのですよ? ルイーサさんの行為はキーラやヨハネスのような思いを広げるものです。それが分かりませんか?」
「…………」
アーテルハイドに言われなくても分かっている。この言葉をルイーサは口にすることなく、口を真一文字に結んで、アーテルハイドを睨んでいる。
「分かっているわよ」
「えっ?」
ルイーサの思いはトゥナが言葉にした。
「少なくともキーラとの関係については。だからあんな真似をしたのよね?」
「……視たの?」
自分を未来視したのか。これを問うということはトゥナの言葉は正しいと認めているようなものだ。
「いえ。頭で考えたこと。彼に反感を覚える人は多い。その一方で彼に強く惹かれる人もいる。男女のことではなく、人として、仲間として。きっとルイーサは今ここにいる誰よりも、それを知っている。任務中にそういう人に沢山会ったのね」
「それがどうして告発につながるのですか?」
トゥナの言っていることはアーテルハイドにも分かる。息子のクローヴィスも強く惹かれる側になった一人だ。だが、それとルイーサの行動がどう繋がるのかが分からない。
「乗っ取られると思った、かしら?」
「はい?」
「アルカナ傭兵団を彼に乗っ取られると考えた。そうなる前に彼を排除しようとした。強引であることは分かっていても、それをしないではいられなかった」
今回の任務で多くの人をシュバルツは味方にした。黒狼団に入ったとかそういうことでなくても、彼と共に何かを成すことを求める人がいた。コンラートとロンメル、だけではなく裏社会の男たちもルイーサの中では人数に入っている。実際にそうだ。黒狼団に入ることなく表の世界で生きることを決めた彼らだが、それはシュバルツの影響。求められれば、余程の事情がない限り、シュバルツの為に働くことを厭わないだろう。
彼らだけで百を超える数。それに元々の仲間である黒狼団のメンバーがいる。シュバルツを中心としてどれだけの人が集まっているのか。そうなるだけの何かがシュバルツにはある。それをルイーサは知ったのだ。
そうなるとキーラが懐いていることが気になった。変わり者同士で気が合うのか、なんて皮肉な見方はしていられなくなった。他の団員までシュバルツに心を向けることになったら……強引であることは分かっていたが、自分に怒りが向けられるのであれば構わない。そう考えての行動だ。
「……人の心を勝手に推測しないで」
「自分自身では話せないでしょ? もし間違っているなら否定すればいい。でも、これだけは言っておくわ。彼がアルカナ傭兵団の団長になることはない。絶対に」
「えっ?」「何?」
ルイーサだけでなく、ディアークも声をあげた。アーテルハイドも声は漏らさなかったが驚きの表情をトゥナに向けている。ディアークは自分の次のアルカナ傭兵団の団長はシュバルツだと思っている。アーテルハイドも、国内や団内の調整は難しいが、それを抜きにして次の団長に相応しいのは誰かと聞かれれば、シュバルツの名をあげる。だがその可能性をトゥナは、はっきりと否定した。
未来視は絶対のものではない。いくつかの可能性があり、その時点でもっとも可能性の高いものをトゥナは視るのだ。あくまでもその時点であって、決まったものではない。だが、トゥナが言い切るからには、そういうことなのだ。
「だから、もうああいうのは必要ないから」
「…………」
それは良かった、とはルイーサは思えなかった。乗っ取られるというのは極端な考えだが、このままいけばシュバルツがアルカナ傭兵団の団長になるとルイーサも考えていた。だからそうならないようにと、強引な行動をとったのだ。
だがそんな順当な結果にはならないとトゥナは言う。では波乱は何がもたらすのか。それを不安に思う気持ちが心に広がっていた。